第1話 お姉様は妹を助けただけなのに、お父様が頭を抱えています
本作は、短編『婚約者を馬鹿にされたので腹が立ちました――少し怒っただけなのですが、なぜか侯爵領の最終兵器と呼ばれています』をもとに、エレノアの五歳の頃から結婚までを描く長編版です。
物語は、まだ「侯爵領の最終兵器」と呼ばれる前の幼少期から始まります。
妹のリリアとの姉妹愛、侯爵一家のほのぼのとした日常、そして大好きなレオンハルト殿下との出会いから恋愛まで、ゆっくりと描いていく予定です。
元の短編をご存じの方も、初めての方も、楽しんでいただければ嬉しいです!
アルヴェイン侯爵家の長女エレノアは、五歳になったばかりだった。
銀色の髪と青い瞳を持つ少女は、両親や使用人たちから大切に育てられ、最近では礼儀作法の勉強も始めている。
母から教わった挨拶は毎朝練習しているものの、難しい言葉を覚えるより、妹と遊ぶ時間の方がずっと好きだった。
そんなエレノアには、何よりも大切にしているものがある。
妹のリリアだった。
小さな手で服の裾をつかみ、どこへ行くにも後ろをついてくる妹が、エレノアは可愛くて仕方がなかった。
「おねいちゃま!」
「リリア!」
今日も庭園に出るなり、リリアが駆け寄ってきた。
エレノアは両手を広げて妹を迎え、その小さな体を抱きしめる。
「リリア、今日はなにして遊ぶ?」
「おはな!」
「お花? うん、見にいこう!」
二人は手をつなぎ、花壇の方へ歩き始めた。
少し後ろを、侍女のマリアがついていく。
「エレノアお嬢様、今日はお花のお名前を覚えてみましょうか」
「うん! わたし、いっぱい覚える!」
「まあ、素晴らしいですわ」
「リリアも!」
「はい。リリアお嬢様もご一緒に覚えましょうね」
花壇の前で、リリアが足を止めた。
「おねいちゃま!」
「なあに?」
「おはな!」
指さした先には、赤い花が咲いていた。
「うん、お花だね!」
「おはな!」
「そう、お花!」
マリアは口元を緩めた。
「リリアお嬢様、お花にもそれぞれお名前がございますよ」
「おなまえ?」
「はい。例えば、あちらの赤いお花は――」
「おはな!」
元気いっぱいの返事に、マリアは説明を中断した。
「……はい。お花でございますね」
エレノアは得意そうに頷いた。
「リリア、もう覚えたね!」
「うん!」
二人が満足しているので、マリアは次の花を指さした。
「では、こちらのお花はいかがでしょう。こちらはユリでございます」
「ゆり?」
「はい。ユリでございます」
「ゆり!」
エレノアは妹の顔を覗き込んだ。
「リリア、ユリだって!」
「ゆり!」
ところが、リリアは隣に咲いていた黄色い花を指さした。
「ゆり!」
「……そちらはユリではございません」
「ゆり!」
「いえ、違うお花でございます」
リリアは首を傾げた。
「……ゆり、いない?」
「先ほどのお花がユリでございます」
エレノアは妹の手を握り、真剣な顔で教えた。
「リリア、ユリはあっちにいるんだよ」
「そっかぁ!」
リリアは納得した。
マリアは訂正しかけたが、二人とも満足していたので、ひとまず次の花へ進むことにした。
花壇の端まで来たところで、リリアが足を止めた。
「おねいちゃま、あれ……」
「どうしたの?」
「あのおはな、ねんねしてる」
昨日の雨で茎が傷んだ小さな花が、地面に倒れていた。
茎は根元から少し上のところで折れ目がつくように曲がり、花の先端が土に触れそうになっている。
「あ、ほんとだ……」
エレノアはしゃがみ込み、花へ手を伸ばした。
けれど、茎に触れた途端、さらに折れてしまいそうで、指先を引っ込める。
「かわいそう……」
「うん……」
リリアが悲しそうな顔をしたので、エレノアも何とかしてあげたくなった。
「おねいちゃま、おこして」
「うん。ちょっと待ってね」
庭師を呼べば直してもらえるかもしれない。
それでも、目の前で倒れている花を見ていると、今すぐ起こしてあげたかった。
「起きて……」
エレノアは花に向かって声をかけた。
「ほら、こっち……」
倒れていた花の先端が、ほんの少し持ち上がった。
「……あれ?」
誰も触れていないのに、曲がっていた茎がゆっくりと起き上がり、花びらが土から離れていく。
「おねいちゃま!」
「……うん?」
リリアが手を叩いた。
「おはな、おきた!」
「……ほんとだ」
エレノアは花と自分の手を交互に見た。
何かをした覚えはないのに、花はまっすぐ立とうとしている。
「どうして……?」
少し離れた場所にいたマリアは、姉妹の声に気づいて振り返った。
ただ、花が起き上がる瞬間までは見ていなかった。
「エレノアお嬢様、どうかなさいましたか?」
「マリア! お花がね、起きたの!」
「お花が、起きたのでございますか?」
「うん! 誰も触ってないのに、ふわって!」
マリアは花壇へ目を向けたが、エレノアとリリアが花を覗き込むように身を乗り出していたため、二人の体に隠れた花の様子までは見えなかった。
「ひとりでに、でございますか?」
「うん!」
エレノアが頷いたところで、持ち上がっていた花の先端がゆっくりと下がり、茎は再び元の位置へ倒れた。
「あ……」
「ねんねしちゃった……」
リリアはしゃがみ込み、花を覗き込んだ。
「おねいちゃま、もういっかい!」
「……えっと」
エレノアは自分の指先を確かめた。
「どうやったのか、わかんない……」
「そっかぁ……」
リリアは花へ小さく手を振った。
「おはな、おきて!」
花は動かなかった。
「……おきない」
「うん……」
二人が揃って首を傾げたので、マリアも花壇の前にしゃがんだ。
マリアは倒れた花と、何も持っていないエレノアの手を見比べた。
花が持ち上がったところは見ていないが、二人が同じことを話しているのは気になった。
「お嬢様方、まずは庭師にお願いしましょうか」
「うん!」
呼ばれた庭師は倒れた花を調べ、小さな支柱を立てて茎を支えた。
「おねいちゃま! おきた!」
「うん! よかったね!」
リリアは花壇の前でぴょんと跳ねた。
「おじちゃん、ありがと!」
「おや。どういたしまして、リリアお嬢様」
エレノアも頭を下げた。
「ありがとう! お花、元気になってよかった!」
「いえいえ。お嬢様方が気づいてくださったおかげですよ」
庭師は二人の頭を撫でた。
そのあと、庭師はマリアから花が持ち上がったという話を聞いたが、マリア自身も実際には見ていなかったという。
庭師は子供たちの見間違いだろうと考え、花壇の手入れに戻った。
◇
昼食まで少し時間があったため、二人は庭園の奥にある噴水へ向かった。
噴水のそばには白いベンチが置かれており、母と一緒にお菓子を食べるときにもよく使っている。
「おねいちゃま、あそこ!」
「噴水だね!」
「おみず!」
「うん、お水!」
リリアが駆け出そうとしたので、エレノアは妹の手を握った。
「リリア、走っちゃだめだよ!」
「なんで?」
「えっと……ころんじゃうから!」
エレノアは母親から言われたことを思い出し、胸を張った。
「だから、ゆっくり歩こうね!」
「うん!」
リリアは小さな歩幅で歩き始めた。
「いーち、にーい……」
エレノアも妹に合わせ、二人で数を数える。
「さーん、しーい……」
「リリア、じょうず!」
「えへへ!」
マリアは二人の後ろから声をかけた。
「まあ、エレノアお嬢様。立派なお姉様でございますね」
「えへへ!」
黄色い蝶が二人の目の前を横切った。
「あっ! おねいちゃま、ちょうちょ!」
「ほんとだ!」
蝶が噴水の方へ飛んでいく。
「ちょうちょ!」
リリアは蝶を追おうとして姉の手をするりと抜け出すと、そのまま噴水へ向かって走り出した。
「リリア、待って!」
エレノアが呼び止める。
後ろにいたマリアも、慌てて足を速めた。
「リリアお嬢様、お待ちください!」
しかし、リリアは蝶に夢中で、二人の声が聞こえていなかった。
噴水へ続く石畳には、芝生との境目に低い段差があった。
リリアはそこへ足を引っかけ、前のめりになった。
「あっ!」
小さな体が石畳へ倒れかけた。
「リリア!」
エレノアは手を伸ばしたが、妹まではまだ数歩の距離があった。
このままでは、リリアが石畳に顔をぶつけてしまう。
「だめっ!」
その瞬間、リリアの体が止まった。
前のめりになった姿勢のまま、両足が地面から離れている。
「……え?」
エレノアは伸ばした手を止めた。
リリアも宙に浮いたまま、目をぱちぱちさせている。
「おねいちゃま……?」
「リリア……?」
後ろから駆け寄ってきたマリアも、目の前の光景に足を止めた。
エレノアは我に返り、宙に浮いた妹のもとへ駆け寄った。
リリアの体はゆっくりと下がり始めていたが、エレノアが両腕を回すまで、地面に落ちることはなかった。
「リリア!」
エレノアは妹を抱きしめ、そのまま石畳の脇にある芝生へ座り込んだ。
「リリア! いたくない? だいじょうぶ?」
「……うん」
「ほんと?」
「うん!」
エレノアは妹の手や膝を確かめた。
どこにも擦り傷はなく、服も汚れていない。
「……よかったぁ」
リリアが無事だと分かった途端、エレノアの目から涙がこぼれた。
「おねいちゃま?」
「……リリアが、いたいの、いや……」
エレノアは妹を抱きしめたまま、泣き始めてしまった。
リリアは姉の顔を覗き込み、小さな手で頬に触れた。
「おねいちゃま、ないちゃだめ」
「……うん」
「リリア、だいじょぶ!」
「……ほんと?」
「うん!」
リリアは姉の涙を指先で拭おうとした。
けれど、片方の頬を拭くと、今度は反対側から涙がこぼれてしまう。
「……おねいちゃま」
リリアは困った顔になった。
「……どうしたの?」
「なみだ、いっぱい……」
「……ごめんね」
リリアは少し考え、両手を広げた。
「おねいちゃま、ぎゅー!」
エレノアは顔を上げた。
「……ぎゅー?」
「うん!」
リリアは姉の首に腕を回し、小さな体で一生懸命抱きしめた。
「いたいの、ないない!」
「……リリア?」
リリアは、いつも姉が自分にしてくれるように、背中をぽんぽんと叩いた。
「だいじょぶ、だいじょぶ!」
エレノアは涙の残る顔で笑った。
「……うん。ありがとう、リリア」
妹を抱きしめ返すと、リリアは今度は姉の頭を撫でようとした。
しかし、座っていても少し背が足りず、指先が銀色の髪に届かない。
「……おねいちゃま、ちょっと!」
エレノアは首を傾げた。
「なあに?」
「こっち!」
リリアが手招きするので、エレノアは頭を下げた。
小さな手が、ようやく姉の髪に届いた。
「よしよし!」
エレノアは目を細めた。
「えへへ……リリア、ありがとう!」
「おねいちゃま、にこにこ!」
リリアも笑った。
そばで見守っていたマリアは、目元を押さえてから二人の前に膝をついた。
「お嬢様方、お怪我がなくて何よりでございます」
エレノアは顔を上げた。
「マリア、リリア、だいじょうぶだよ!」
「はい。よく分かりました」
マリアは二人の頭を撫でた。
「……マリア?」
「はい」
「さっき、リリアがふわってしたの、見た?」
「はい」
マリアは頷いた。
「確かに、この目で見ました」
エレノアは宙に浮いていた妹へ目を向けた。
「どうしてかな?」
「それは、私にも分かりません」
マリアは午前中の花壇での出来事を思い出した。
あのときは見間違いかもしれないと思っていたが、今度はリリアの体が宙に浮くところを確かに見ている。
マリアは噴水の近くにある白いベンチへ姉妹を案内し、二人を座らせた。
「お嬢様方、こちらでお待ちくださいませ。護衛騎士を呼びますので」
庭園の入口には、別の侍女が控えていた。
マリアは姉妹から離れないまま、その侍女へ手を振って呼び寄せた。
「護衛騎士を二名、こちらへお願いできますか」
「承知いたしました」
侍女は屋敷へ向かった。
マリアはリリアの手足をもう一度確かめ、エレノアにも痛いところがないか尋ねた。
二人とも怪我はなく、リリアはベンチに座ったまま、先ほどの蝶を探している。
やがて、護衛騎士二人が駆けつけた。
「エレノアお嬢様! リリアお嬢様!」
騎士たちは姉妹の前に膝をついた。
「お怪我はございませんか?」
「だいじょうぶ……」
エレノアが答えると、マリアも二人とも怪我がないことを伝えた。
「リリアお嬢様が転倒しかけたところを、エレノアお嬢様が助けられたと伺いましたが……」
「うん。リリアがね、ふわってなったの」
騎士はマリアを見た。
「どういうことでしょうか?」
「私も見ました。リリアお嬢様のお体が、確かに宙へ浮いたのです」
騎士たちは顔を見合わせた。
「エレノアお嬢様は、魔法をお使いになったのでしょうか?」
「……わかんない。リリアがころんじゃうって思ったら、ふわって……」
エレノアは戸惑いながら、自分の手を握り合わせた。
「リリア、ふわってした!」
リリアが両手を上げた。
「おねいちゃま、すごいの!」
マリアは、騎士たちへもう一つ伝えておくべきことを思い出した。
「それから、今朝の花壇でも、少し気になることがございました」
「花壇で、ですか?」
「はい。エレノアお嬢様とリリアお嬢様が、倒れていた花がひとりでに持ち上がったとお話しになっていたのです。私は実際に見ておりませんので、確かなことは申し上げられませんが……」
騎士の一人が表情を引き締めた。
「承知いたしました。そちらも併せて旦那様へ報告いたします」
そのやり取りを聞いていたエレノアが、小さな声で尋ねた。
「……わたし、わるいことした?」
騎士はすぐに首を振った。
「いいえ! リリアお嬢様をお助けになったのですから、悪いことなど何もございません!」
「……ほんと?」
「はい。お二人ともご無事で、何よりでございました」
エレノアは胸を撫で下ろした。
「念のため、旦那様へご報告いたします」
「……お父様に?」
エレノアの顔が曇った。
「……お父様、おこる?」
「いいえ。決して叱られるようなことではございません」
リリアが姉の手を握った。
「おねいちゃま、ありがと!」
「……うん!」
エレノアは妹に笑いかけた。
◇
その日の午後。
アルヴェイン侯爵は、執務室で家令と護衛騎士から報告を受けていた。
「もう一度、説明してくれ」
侯爵は机の上で両手を組み、騎士へ視線を向けた。
「はい。リリアお嬢様が転倒しかけた際、エレノアお嬢様が魔法を発動された可能性がございます」
「エレノアが?」
「はい。侍女マリアが、リリアお嬢様のお体が宙に浮くところを目撃しております」
侯爵は椅子から身を乗り出した。
「リリアに怪我は?」
「ございません。お二人ともご無事です」
「そうか」
侯爵は椅子の背にもたれた。
「エレノアは、自分で魔法を使ったと言っているのか?」
「いいえ。本人には自覚がないようでございます」
「まだ五歳だぞ」
「はい」
侯爵は机に置かれた報告書を手に取った。
魔法によって物を浮かせること自体は、珍しい現象ではない。
しかし、五歳の子供が、転倒しかけた妹の体だけを咄嗟に浮かせたとなれば、慎重に確認する必要があった。
「七歳の適性調査まで待つわけにはいかないか……」
家令が頷いた。
「はい。ただし、正式な適性調査を前倒しするのではなく、安全確認のための簡単な検査にとどめるのがよろしいかと存じます」
「そうだな。魔法の指導役に相談してくれ。エレノアに無理をさせないことが前提だ」
「承知いたしました」
侯爵は報告書を置いた。
「それで、エレノアは今、どうしている?」
「リリアお嬢様と一緒に、お部屋でお菓子を召し上がっておられます」
「そうか。それなら安心だ」
騎士が少し言いにくそうに口を開いた。
「旦那様、一つご報告が」
「何だ?」
「旦那様へ報告すると申し上げたところ、エレノアお嬢様は、叱られるのではないかと心配されておりました」
侯爵は顔を上げた。
「何?」
「リリアお嬢様を助けたことで、何か悪いことをしてしまったと思われたようです」
侯爵はすぐに立ち上がった。
「エレノアに会ってくる」
扉へ向かいかけたところで、侯爵は足を止めた。
「一つ聞くが」
「はい」
「私は、そんなに怖い父親に見えるのか?」
家令は返答に困った。
騎士も視線を落とした。
「なぜ、そこで黙る?」
「旦那様」
家令は慎重に言葉を選んだ。
「お嬢様方の前では、いつもお優しいお父上でいらっしゃいます」
「そうか」
侯爵は少し安心した。
「ただし、執務中のお顔は、少々厳しく見えることもございます」
「少々?」
「はい」
「どの程度だ?」
「……」
家令は答えなかった。
侯爵は騎士へ視線を向けた。
「君はどう思う?」
「……」
「君まで黙るのか?」
侯爵は眉間を押さえた。
「エレノアに会ってくる」
「はい」
家令は深く頭を下げた。
侯爵が退出すると、騎士は閉じた扉を見つめた。
「旦那様は、お嬢様方のことになると随分とお優しくなられますね」
「ええ」
家令は頷いた。
「そのことを旦那様ご自身が、あまり自覚しておられないのが問題なのです」
◇
エレノアは、自分の部屋でリリアとお菓子を食べていた。
けれど、大好きな焼き菓子を前にしても、なかなか手が伸びなかった。
「おねいちゃま?」
「……なあに?」
「おいしくない?」
「ううん。おいしいよ」
エレノアが答えると、リリアは自分のお皿から焼き菓子を一つ取り、姉の前に置いた。
「おねいちゃま、これ!」
「……リリアの?」
「うん!」
「いいの?」
「うん!」
エレノアは妹を抱きしめた。
「リリア、ありがと!」
「えへへ!」
そばで見守っていた別の侍女が、マリアに耳打ちした。
「お二人とも、本当に仲がよろしいですね」
「ええ。先ほどまでエレノアお嬢様は元気がなかったのですが、リリアお嬢様のおかげで笑顔になられました」
リリアが二人を振り返った。
「マリア!」
「はい、リリアお嬢様」
「おねいちゃま、にこにこ!」
「はい。リリアお嬢様のおかげでございますね」
リリアは胸を張った。
「リリア、えらい?」
「はい。とてもお偉いですよ」
「おねいちゃまも、えらい!」
「もちろんでございます」
エレノアはマリアの手を握った。
「マリアも、えらい!」
「私もでございますか?」
「うん! いつもリリアを見てくれるもん!」
マリアは膝をつき、エレノアと目線を合わせた。
「ありがとうございます、エレノアお嬢様」
「マリア、いつもありがとう!」
「こちらこそ、ありがとうございます」
エレノアはマリアの両手を握った。
「わたし、マリアのこと、大好き!」
マリアは一瞬、言葉を失った。
「私も、お嬢様方のことが大好きでございます」
リリアがマリアへ両手を伸ばした。
「マリア、ぎゅー!」
「はい、リリアお嬢様」
マリアが少し屈むと、リリアは首に抱きついた。
「マリア、だいすき!」
マリアは小さな体を抱きしめた。
「ありがとうございます」
その声が少し震えていたことに、エレノアは気づかなかった。
隣にいた侍女は、二人の様子を見守っていた。
エレノアがその侍女へ顔を向けた。
「あなたも、いつもありがとう!」
「私もでございますか?」
「うん! お部屋、いつもきれいにしてくれるもん!」
侍女は頭を下げた。
「ありがとうございます、エレノアお嬢様」
扉がノックされた。
「エレノア、入ってもいいかな?」
「お父様!」
エレノアは椅子から降り、扉へ向かった。
侯爵が部屋へ入ると、娘は少し緊張した様子で頭を下げた。
「お父様」
「どうしたんだい?」
「……ごめんなさい」
侯爵は娘の前にしゃがんだ。
「何を謝っているんだ?」
「リリアが、ふわってなったの」
「うん。それは聞いたよ」
「魔法、使っちゃったみたいなの……」
エレノアは俯いた。
「……おこってる?」
侯爵は娘の手を取った。
「エレノア、顔を上げてごらん」
エレノアがおそるおそる顔を上げる。
「怒っていないよ」
「……ほんと?」
「ああ。本当だ。リリアを助けてくれて、ありがとう」
エレノアの青い瞳が大きく開かれた。
「……いいの?」
「もちろんだよ。リリアが怪我をしなくて、私も嬉しい」
エレノアは父親に抱きついた。
「……よかった!」
侯爵は娘を受け止め、その背中を撫でた。
「ただね、エレノア。一つだけ約束してほしいことがあるんだ」
「なあに?」
「魔法で遊んでみたいときは、必ずお父様か先生と一緒にしようね。勝手に試してはいけないよ」
「うん」
「今日みたいに、誰かが転びそうになって、とっさに魔法が出てしまったことは叱らない。でも、危ないことをしてはいけないからね」
「うん、お父様!」
エレノアは頷いた。
侯爵の後ろからリリアが顔を出した。
「おとうさま!」
「おや、リリア。どうしたんだい?」
「おねいちゃま、すごかったの!」
「そうか」
「リリアね、ころびそうになったのに、ふわってなった!」
リリアは両手を広げ、体を揺らしてみせた。
「そうか。それは驚いたね」
「うん! びっくりした!」
リリアは姉を指さした。
「でも、おねいちゃまが助けてくれたの!」
侯爵は二人の頭を撫でた。
「二人とも、怪我がなくて本当によかった」
「「うん!」」
リリアが父親の顔を見上げた。
「おとうさま!」
「何だい?」
「おとうさまも、えらい!」
「……え?」
侯爵は目を丸くした。
「私も、かい?」
「うん!」
エレノアも頷いた。
「うん! お父様もえらい!」
「そうか。ありがとう」
その後ろでは、マリアたちが笑いを堪えていた。
エレノアが父親の袖を引いた。
「お父様」
「何だい?」
「お父様も、ぎゅーってしてほしい?」
侯爵は娘を見つめた。
「私も、かい?」
「うん! だって、ぎゅーってすると、にこにこになるもん!」
侯爵は笑った。
「そうだね。私も、してほしいな」
エレノアは両手を広げた。
「じゃあ、お父様、ぎゅー!」
侯爵が屈むと、エレノアが首に抱きついた。
その隣から、リリアも両手を伸ばした。
「リリアも!」
「もちろんだよ」
侯爵は二人を抱き寄せた。
エレノアが父親の背中をぽんぽんと叩いた。
「お父様、いつもお仕事、がんばってるね!」
「エレノア?」
「だから、えらい!」
リリアも姉の真似をした。
「おとうさま、えらい!」
侯爵は娘たちの背中へ腕を回した。
「ありがとう。二人とも」
しばらくして、リリアが父親の顔を覗き込んだ。
「おとうさま」
「何だい?」
「おかお、こわくないよ?」
「え?」
「おとうさま、にこにこ!」
リリアは両手で自分の頬を持ち上げ、笑顔を作ってみせた。
「こう!」
侯爵は笑ってしまった。
「そうか。ありがとう、リリア」
エレノアも父親の顔を見上げた。
「お父様、わたしたちといるときは、いつもにこにこしてるよ?」
「本当かい?」
「うん!」
侯爵はほっとした。
「そうか。それならよかった」
「でも、お仕事してるときは、ちょっとこわいお顔!」
「……」
侯爵は動きを止めた。
後ろでマリアが小さく咳払いをした。
もう一人の侍女は、必死に下を向いている。
「明日から、もう少し笑うようにしよう」
侯爵が真剣にそう呟いたので、マリアはとうとう肩を震わせてしまった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
今回の長編版は、元の短編のように凝縮したテンポではなく、エレノアの幼少期から、家族との日常やレオンハルト殿下との関係をゆっくりと描いていく作品です。
そのため、元の短編を楽しんでくださった皆様のご期待に添えられるか、作者としてはかなり心配でもあります。
それでも、エレノアとリリアの姉妹愛や侯爵一家のほのぼのとした日常、そしてレオンハルト殿下との恋愛を、少しずつ楽しんでいただければ嬉しいです!
……まあ、そんな作者の心配をよそに、エレノアは今日もお父様を困らせているようですが(笑)。
少しでも「面白かった」と思っていただけましたら、ブックマーク・★評価・リアクション・一言感想のどれか一つでもいただけると、とても励みになります。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします!




