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看護学生日記  作者: 六道
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9月15日

9月15日 最近英語を喋れるようになりたいと考えている。私の英語力に関してはあまり流暢なものではなく、平均的日本人程度と言ったところだろう。しかしながら私の父と私の祖父は英語がペラペラである。私の父は外国人と臨床心理に関して議論を交わせるほどには英語が流暢である。慶應義塾大学を卒業し大学院まで出ているだけあり、私の父の知識には凄まじいものがある。私の家には数えきれないほどの本があり、すべて父が購入し、読破してるのだ。私の学校に図書館があるがそこにある本の数など少ないと感じるほど私の家には本がある。私も本を嗜むことがあるが父ほどではない。私はそういった点では父のようになりたいと考えている。彼ほどの知識人は田舎には少なく稀であるからだ。英語力に関して言えば私の母方の祖父が圧倒的な語学力を兼ね備えている。というか祖父は生前の大半を外国で過ごしていた。彼は英語、フランス語が堪能であり発展途上国の開拓の為に日本工営(日本最大手の建設コンサルタント)に入社し、世界各地を飛び回っていた。事務局長にもなり彼は金持ちだった。軽井沢に別荘があるし、過去の祖父の家は豪邸だった。戦時中の話や海外の話をしてくれて、生前の彼と話すのは非常に楽しかった。とっても楽しかった。私は彼が今でも大好きである。私の最も尊敬する人であり私もこのような人になりたい。英語を学びたいと考えているのはそのような不純な動機である。なので最近私は英語圏の友達を増やしている。いずれ会って話してみたい。…こうやって思い返すと何故私は勉強しなかったのだろうか?確か私は中学生になるまでは慶應義塾大学文学部または曾祖母と同じの東京帝国大学(現東京大学)の文学部史学科に行きたいと考えていた。(後者に関しては無理に決まっている)私は当時歴史を学びたかったのだ。その時の私は思想がかなり偏っていたように感じる。社会主義を助長し日本共産党を支持するような頭のおかしな餓鬼であった。父はそんな私に対して(姉も含む)「お前らはここの地域に残れ。地元の大学の看護大学に行け」と言われたのだ。私は憤慨した。しかし私は父が怖くて仕方がなかった。良くも悪くも私の父親は暴力を振るうことが少なくない状態であり、なにより親が駄目だと言ったら扶養家族である私には成す術がない。この時に私はこの出来事を言い訳に勉強をしなくなる。どうせこの出来事がなくとも勉強などしないのに…。だが私は学問に関しては知識がないと認めざる得ないが、世の情勢に関心を向ける事や読書、新聞を閲覧する事は継続しており、まだ救いようのある馬鹿者だと思っている。この先もこれは継続していきたい。

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