第十九話 二者択一
「魔獣が、いっぱい……?」
焦る伊奈の言葉を怜使は俄かに理解できず、反芻する。
魔獣が複数体あらわれたのか?何体?あんな怪物が二体も三体も出現したのなら__。
告げられた言葉をゆっくりと咀嚼し、徐々にその意味を__状況の深刻さを、理解した。
「いっぱいって、え、どのくらい……?」
「この近くだけでも、七体っ……!」
「ななっ……!?」
予想を遥かに超える数字に、一瞬思考が止まる。
怜使が知る限り、これまでの魔獣出現は日に一体程度で、複数体が同時にあらわれたことなどなかった。
それが打って変わって、突然のこの大量発生。一体何が起こっている。
「どーしようっ、あたし一人じゃ手が……それにれーちゃんも__」
あたふたと戸惑い、判断に迷う伊奈。
今、明らかに伊奈にとって、怜使は足枷になっている。怜使がいなければ、伊奈は真っ先に一番近くの魔獣から対処に向かったはずだ。
怜使を連れて魔獣と戦おうにも、巻き添えや不意打ちで怜使は簡単に死ねる。なんにせよ、戦場に居ても何も良いことはない。完全な足手まといだ。
こうしている間も魔獣が暴れているかもしれない。ともすれば、もう被害者が出た可能性だってある。
怜使はそっと鞄の中、小さな巾着に震える手を伸ばし、握りしめた。
「あの、伊奈ちゃ__」
直後、ブーッ、と振動音が聞こえた。
鳴り続けるその音の方を見ると、伊奈の握りしめたスマホが震えていた。
「電話?……るーにゃからだ!」
画面を見て発信元を確認した伊奈が、すぐさま電話に出る。スピーカーモードになっており、怜使にも瑠華の声が聞こえた。
『もしもし、伊奈ちゃん!?今怜使ちゃんと一緒!?』
「うん、隣にいるよっ!これ、どうしよう、こんなの初めてだよ!?」
これまでにない異常事態に叫ぶ伊奈。電話口から聞こえてきた、僅かにくぐもった瑠華の声にも、明らかな動揺と焦燥が感じられる。
一瞬の沈黙。呼吸も忘れるほど張り詰めた空気感に、怜使も固唾を飲んだ。
『……伊奈ちゃんは、怜使ちゃんと一緒に桜花堂に向かって。櫻さんに匿ってもらえたら、何かあっても絶対に逃げられる』
少しの静寂の後に、電話越しに瑠華が語りかける。
伊奈を怜使の護衛につけ、安全圏まで送り届けろということらしい。周囲が多数の魔獣に溢れ返っている今、怜使を一人にするのはあまりにも危険である、という判断だろう。
しかし同時に、それは魔獣と戦い、被害を抑えるための人員を減らすということも意味する。
「でも、それじゃあ魔獣が……」
『魔獣は、私と彩ちゃんで対処する。伊奈ちゃんは、怜使ちゃんを無事に送り届けた後、余裕があったら合流しよう』
再びの沈黙。目を伏せた伊奈は、何事か言いたげに唇をぱくぱくとさせている。
しかし、ほんの数回それを繰り返した後、唇を固く結び両目を閉じた。
そして、数秒経ってたった一度だけ頷き、目を再び開いた。
「……わかった。こっちはまかせてっ」
ゆっくりと口を開いた伊奈。その声色は、今朝と同じくらい真剣なものだった。
おそらく、彼女も割り切れてはいない。怜使だけを守るということは、その他の民間人を見捨てるということ。瑠華や彩が対処するとは言え、少なくとも伊奈は後者を見捨てねばならない。それが、彼女にとってどれだけの苦悩か。
自分のために誰かが犠牲になるかもしれない。怜使も、そんな罪悪感に揉まれている。そして、なぜかそれが、とても耐えがたいものに思えて。
「あ、あの、私……」
ここに来てようやく、怜使は声を上げる。緊迫感も相まって、閉じっぱなしだった口はからからだ。
瑠華の声を聞いた今も、全くその緊張は抜けていない。魔獣の怖さはよく知っている。魔法少女でさえ死にかねないほどの脅威。見ただけで全身が総毛立ち、足が竦む。
それでも、怜使がひとりで逃げ続けることができれば、伊奈の手も空いていくらか___
『__怜使ちゃん』
意を決した怜使の言葉と思考を、瑠華が強く遮る。
電話越しでも分かるほど力のこもったその声に、怜使は僅かにたじろぎ、押し黙る。
『怜使ちゃんは、絶対に伊奈ちゃんから離れないで。何があっても絶対に逃げて、生きることだけ優先して。………お願い』
一瞬の間を空けて続けられた言葉も、同様に力がこもっていた。
しかし、最後に付け加えられたひと言だけは、微かに震えているように思えた。
それを受け、怜使は以前瑠華と交わした約束を思い出す。
瑠華たちの、魔法少女の友達でいるために、あの時怜使が誓った約束を。
「……瑠華ちゃん!」
咄嗟に口をついて出たのは、スマホの、画面の向こうの少女の名前。
大量の魔獣が出現し、これから戦場に赴く瑠華。戦うのは彼女で、それも魔獣は一体や二体じゃなくて、自分だって死んでしまうかもしれないのに。
そんな状況でも、怜使の身を案じる優しい彼女に、怜使ができることは、ひとつだけだった。
「私は、大丈夫っ……自分の身は自分で守るって、約束したから……!」
怜使の言葉に、どれだけの効果があるかなんてたかが知れている。依然として、怜使は守られる立場で、自衛の手段もろくに持ってはいない。
しかしだからこそ、怜使にできるのは伊奈を、瑠華を、彩を信じ、少しでもその肩に載る重荷を軽くすることだけだ。
その言葉が、少しでも彼女の支えになると信じて。
「瑠華ちゃんこそ、気をつけて……!」
『……うん、ありがとう、怜使ちゃん』
一瞬の沈黙の後、礼を述べた瑠華。その声は、気のせいか少しだけ明るくなったように感じた。
通話が切れる。ツー、ツー、と鳴り響く中、伊奈がゆっくりと怜使の方を見た。
細い眉は僅かに吊り上がり、宝石のような紫の瞳は憂いを帯びながらも、強い光を宿している。その表情は紛れもなく、決意に満ちていた。
「行こう、れーちゃん。あたしが、れーちゃんを守るよ」
そんな伊奈の言葉に頼もしさを覚えながら、ここにはいない白髪の少女を思い浮かべる。
__気のせいじゃないといいな、と思った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
電話を切り、スマホを鞄にしまう。
つい先ほど会議を終え、退出した生徒会室の前で、瑠華は小さくため息をついた。
そばにいない友人たちとひとまず連絡を取ることができ、まずはひと安心。しかし、問題なのはこれからだ。
彩と合流すべく、弓道部の部室に向かって駆け出す。
伊奈たちのことは、正直心配だ。
実際に魔獣が何体いるのか、学校の中にいる瑠華には正確にはわからない。想定よりも多かった場合、伊奈一人では対処できないことも考えられる。そうなれば、怜使も、町の人々も、危険に晒すことになる。
付け加えるなら、これだけ大規模な魔獣騒ぎだと、民間人に目撃される可能性もある。ともすれば、今後の活動に支障をきたすこともあり得るだろう。
それら全ての可能性を潰すために、瑠華がやるべき事は、ただひとつ。
「__なるべく早く、全ての魔獣を倒し切る」
各所に散在する魔獣を一刻も早く一掃し、伊奈と怜使に追いつくこと。
町の人々も、伊奈も、怜使も、全員守り抜く。それが瑠華の使命であり、責任なのだ。
__『あの人』なら、それができたはずだから。
胸の奥に宿る痛みを意識し、歯を食いしばる。
いつものルーティンに苦悶したその時、前方から駆け寄ってくる人影があることに気づいた。
「彩ちゃん!」
「瑠華」
新緑の髪を揺らしてあらわれた彩。ゆっくりと立ち止まり、僅かに息を切らす彼女は、しかし無表情だけは保ったまま瑠華を見つめた。
「……どうする?」
極めて淡白な声色で、そう尋ねる緑の少女。
この非常事態でもいつも通りの彩に、少しだけ心を落ち着かせられながら、瑠華も深紅の瞳で彼女を見つめ返した。
「怜使ちゃんは伊奈ちゃんに任せる。私たちは、魔獣を片付けよう」
「わかった」
校舎の外へ飛び出す。向かう先は、最も近くの魔獣。
「__全員、私が守り切る」
口の中だけでそう呟く。その言葉は、すぐそばを駆ける彩にすら届かない。
しかし、それでいい。これは戒めで、誓いだ。片時も忘れてはならない、瑠華の生きる意味。
白金瑠華が、生かされた意味なのだから。




