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第十八話 始まりの足音


「おはよーっ!れーちゃん!」


「お、おはよう、伊奈ちゃん」


 翌朝、白い陽光が照らす住宅街を歩く少女が二人。眠い目を擦りながら学校へ向かう怜使の隣で、長い金髪を揺らす伊奈が並んで歩いている。

 伊奈と出会って以来、彼女は毎日欠かさず怜使を家まで迎えに来て、二人で学校までの道を歩いている。魔獣と戦いバイトもして、その上で怜使より早く起き、怜使より元気な振る舞いの伊奈には、毎日脱帽するばかりだ。

 しかし今日は、それと同時に心配の念も湧いていた。


「あの、伊奈ちゃん……体の方は、大丈夫?」


「えっ?あー、きのうの?」


 昨日、偶然にも魔獣と出くわした怜使、伊奈、彩の三人。硬い岩の鎧を纏うその怪物に伊奈も彩もなす術なく、あわや怜使がひき肉にされる直前、瑠華に庇われ命を拾った。

 瑠華と彩は特に問題なかったが、伊奈に至っては魔獣の拳が直撃し、しばらく自力で動けなくなるほどの傷を負った。回復魔法とやらで一応治りはしたようだが、それがどれほど効果があるのか怜使には分からない。


「だいじょーぶだよ!元気元気っ!あの後ふつーにバイトもできたしね!」


 そう言ってか細い腕を振り上げ、力こぶを作って笑う伊奈。


 この子はずっとそうだ。常に笑顔を絶やさない。魔獣と戦うときも、怪我をしたときも、どんな時でも明るく笑っていて。

 怜使の前で初めて変身した時も不敵に笑っていた。__その場の全員に拒絶されることへの恐怖と、戦っていたかもしれないのに。


「てゆーか、れーちゃんの方こそだいじょーぶ?なんか浮かない顔してるっ」


 心配そうに小首を傾げる伊奈。

 __しまった、顔に出ていたようだ。咄嗟に目線を逸らし、慌てて誤魔化す。


「え?……あ、あー、ちょっと寝不足で……」


「ふぅーん?」


 鼻を鳴らしながら顔を寄せ、怜使の顔を覗き込む。伊奈は数秒間怜使を見つめた後、薄い唇をふっと緩め、微笑んだ。


「ね、それ嘘でしょ?」


「__っ」


「あっははっ、やっぱしっ!」


 薄々ばれたかとは思ったが、やはり見破られていた。

 思えば出会った当初も、伊奈は悩む怜使の心を察していた。人の機微にえらく敏感だ。

 あるいは、昨日の櫻といい謎の少女といい、怜使が分かりやすいのかもしれない。


「な、なんで……」


「わかるよっ!れーちゃんすぐに顔に出るもんっ!それにあたし、れーちゃんのことだいすきだしっ!」


 満面の笑みでそう告げる伊奈。それを受け、怜使の心に痛切な影が差す。


 伊奈は心から怜使を好いてくれている。そのことは怜使も分かっている。無知で無力で、守られてばかりの自分と、何ゆえか彼女は共にいることを望んでくれている。

 それは怜使も同じだ。怜使だって、伊奈のことも、瑠華のことも、彩のことだって好きだ。みんな必死になって怜使を、他人を守っていて、それが素敵で、かっこよくて。


 だからこそ、いつか急にいなくなってしまうんじゃないかと、恐ろしくてならない。


 無意識のうちに表情を曇らせた怜使に、伊奈は穏やかな表情で笑いかけた。


「もしかして、あたしたちの心配してくれてる?」


「___」


 突然内心を言い当てられ、思わず伊奈の方に顔を向ける。

 瞠目する怜使に、少女はやはりと言わんばかりに頬を緩め、笑みを深めた。


「そっかあ、なんか新鮮だなー!ありがとう、れーちゃんっ!」


 うんうんと頷きながら胸に手を当て、「でもね」と続ける。その声は、いつになく真剣なものだった。


「あたしたちは、魔法少女だから。れーちゃんや町の人を守るのが役目。そのためなら、多少の傷なんてへっちゃらだよっ!」


 そう言って笑い、真っ白な歯を見せる伊奈。何も言えず押し黙る怜使を、細い腰に手を当て真っ直ぐ見据えた。


「なにがあっても、あたしたちがれーちゃんを守る。だから、心配しないでっ!……っていっても、きのうあんなとこ見せちゃったばっかりだし、不安にさせちゃうのも無理ないけどさっ」


 人差し指で頰を掻きながら苦笑いする金髪の少女。どこか申し訳なさそうな響きを含んだその声に、怜使はまたも目を伏せる。


 __違う。違うのだ。怜使が心配しているのは、そんなことじゃない。

 我が身を案じているわけではないのだ。怜使だって人間だし、そりゃ死ぬのは怖い。それでも今は、友人が怜使や見知らぬ人たちのために傷つき、死んでしまうことの方が何倍も怖い。


 そう、死、死だ。伊奈が魔獣に殴り飛ばされたあの時、怜使は伊奈の死を幻視した。吹き飛ばされ、力無く倒れた小柄な体を見て、怜使は何より先に、伊奈を失う恐怖に頭が真っ白になった。

 他の二人の身に、同じようなことが起きないとは限らない。

 できれば、もう誰にも戦ってほしくなんて__


「それにあたしね、夢があるんだ」


「夢?」


 不意に、突拍子もないことを言い出した伊奈に、怜使は小さく聞き返す。


「そっ!__あたしはね、将来すごい人になりたいの!」


「……えっ?」


 あまりに中身のなさそうな響きに、耳を疑う。

 きょとんとする怜使には目もくれず、伊奈は昇り行く朝日の方を見やり、両手を後ろに組んだ。


「うちの実家、ちょーーー貧乏だから、おとーさんもおかーさんもずっと大変そうでさっ。__それでも、あたしを心から愛してくれて、ほんとにほんとに、優しく育ててくれてさ」


 理解の遅れる怜使に、伊奈は懐かしむようにゆっくりと家庭事情を曝け出す。その言葉には悲喜交々、様々な思いが、思い出が垣間見えて。

 けれど、その声色に何より強く込められていたのは、大きな感謝と、深い愛。そして__



「だから、めいっぱいすごい人になって、めいっぱいお金稼いで、おとーさんとおかーさんに楽させてあげたいっ!__そのためにも、あたしはまだ死ねない」



 最後の一言を添えたとき、その瞳には、確かな覚悟の光があった。



「れーちゃんも守って、あたしたちも生き残って、おとーさんとおかーさんに恩返しするっ!そこまでしなきゃ納得できないっ!あたし、欲張りだもんっ!」


 その覚悟と宣言が、心配しない根拠になるわけではない。世界中の一人一人が、思い描いたシナリオを余さず綺麗になぞれるほど、世の中甘くできてはいない。

 けれど彼女は、それをやり遂げると決意しているし、やり遂げられると信じている。使命も、夢も、全てひっくるめて全うするのだと。


「それよりさ、放課後空いてる?学校近くのカフェで新作のクロワッサンが出たらしいし、みんなで一緒に行こーよっ!」


「……う、うん。……ありがとう」


 ならば、彼女自身の信じる彼女を信じるのが、優しい彼女を支えることになるのだと。少なくとも、この時の怜使はそう思った。




 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




 授業が終わり、荷物をまとめていると、鞄の中で何か硬いものが手に当たった。

 覚えのない感触に眉を顰め、恐る恐るそれを掴む。全開になった鞄の口からそれを引っ張り上げてみると、昨日の巾着袋だった。

 家に帰った後、すっかり忘れてそのままにしてしまったようだ。結局中身もよく分からないし、爆弾でも入ってたらどうしよう。

 人は見かけによらぬもの。あの少女、見てくれは純朴で善良そうだが、内心に何かどす黒い闇を抱えている可能性も___まあ、なくはない。


 中身を確かめるべく、巾着を開こうとしたその時、教室の戸が勢いよく開いた。


「れーちゃんっ!おつかれーっ!」


 元気に左手を上げて登場した伊奈が、小走りで怜使の元に寄ってくる。少し近づいたところで、怜使の手に握られた巾着に気づき、首を傾げた。


「__?なにそれ?」


「あ、いや、私もよく分かんなくて……」


「ふーん?」


 腰を屈めて巾着に顔を寄せ、じろじろと見つめる伊奈。右に左にと体を揺らしつつ、どこか怪訝そうに眉を寄せている。見覚えでもあるのだろうか。

 しばしその振り子運動を続けた後、「んー」と言いながら上体を起こした。


「ま、いいや!るーにゃとあややは?」


「えと、瑠華ちゃんは今日も生徒会で、彩ちゃんは部活の先生に呼ばれてるみたい」


 現在生徒会では、昨日までのテスト期間で手をつけられていなかった議題を消化するため、連日会議が行われているようだ。しばらくは今後の方針固めや部活動報告会で忙しくなるらしい。

 彩の方は、あまりにも部活動に顔を出さなさすぎて、所属する弓道部の顧問から呼び出されてしまったとのことだ。


「えっ、あやや、部活とかやってたんだ。全然出てるそぶりなかったのに」


 全く同感である。そもそも学校に弓具を持ってきているところを見たことがない。怜使も、先ほど瑠華から事情を説明されるまで知らなかった。

 まああの彩だし、そういうこともあろう。




 そんなわけで、カフェには伊奈と怜使だけで行くこととなった。

 学校から徒歩五分程の位置にあるその店は、白を基調としたデザインで洒落た雰囲気を纏っている。様々な種類のクロワッサンも有名だ。


 校門を出て少し歩き、大通りへ。隣では伊奈がスマホでメニューを眺めながら、「なにがいいかなーっ」と上機嫌に呟いている。


「そ、そういえば、伊奈ちゃんは部活とかやってないの……?」


 ふと、気になったことを尋ねてみる。大した意味があるわけではないが、なんとなくだ。

 彩と同様、伊奈が部活に出ているところを見たことがない。ほぼ毎日、帰宅部の怜使と一緒に帰っているし、そうでなくてもバイトがあるからと急ぎ足だ。


「あれ?言ってなかったっけ?あたし、家庭科部だよ」


 顔だけこちらに向け、見上げる伊奈が答える。

 家庭科部とな。料理とか裁縫とかするのだろうか。見るからに女子力の高そうな伊奈らしい部活だ。


「っていっても、バイトと魔法少女で忙しくて、あんまり出れてないんだけどねー。出席自由じゃなかったら、とっくに退部になってるかもっ」


「そ、そうなんだ……」


 __伊奈も大概、彩のことを言えないのでは。

 とは、帰宅部の怜使は言えなかった。いやむしろ、怜使の方は毎日活動していると言っても差し支えないし、出席率では怜使が確実に上だ。百パーセントだし。


 我ながら、屁理屈を捏ねるのは上手いもんである。


「じゃ、じゃあ、裁縫とか得意だったり……?」


「……あー、えっと、お裁縫はあんまり……でも、お料理は自信あるよっ!なんと言っても、毎日自炊してるわけだしっ!」


 ふんすっ、と自信ありげな伊奈。

 高校生活が始まって早二ヶ月。下宿生の伊奈は日々の自炊生活で料理の腕を磨いているようだ。


「そういえば、伊奈ちゃんはなんで__」


 一人暮らしを、と続けようとした、その時だ。


 伊奈が足をピタリと止める。そして、何かに気づいたように目を丸くし、動揺したように首をふるふると横に振り始めた。

 伊奈の呼吸が荒くなる。その表情が、みるみる青ざめていくのが分かった。


「な、なにこれ……なんで、こんなに……」


「……伊奈ちゃん?」


 依然落ち着きのない様子の伊奈が、声を震わせて小さく呟く。

 只事でない雰囲気の彼女に、怜使も困惑して呼びかけた。

 その呼びかけに遅れて伊奈は顔を上げ、怜使の肩を勢いよく掴んだ。


「れ、れーちゃん!魔獣が……魔獣がいっぱいっ!」


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