第6話 世界征服は計画的に
「うむ、これはなかなか美味いな」
魔王は串に刺さった肉を一口かじり、満足そうに頷いた。
薄い衣はさくりと軽く、中から熱い肉汁が溢れる。卓上の皿には、肉や野菜を揚げた串が何本も並んでいた。
「まおー様、こっちのお野菜も美味しいですよ!」
「ほう、どれ」
ベルが差し出した串を受け取り、魔王はソースをつけて口へ運んだ。
二人がいるのは、古びた商店や飲食店がひしめく、賑やかな街の一角だった。
通りには色鮮やかな看板が突き出し、軒先には提灯が並んでいる。店内からは油の弾ける音が聞こえ、通りを行き交う人々の笑い声が絶えない。
もっとも、その人々の頭には、大小のキノコが生えていた。
店員も例外ではない。頭に白いキノコを生やした男が、楽しそうに笑いながら次々と串を揚げている。
「こちらの世界は、食べ物も面白いですねえ」
ベルは揚げたての串を頬張った。
「うむ。なかなかよい文化を持っておる。各地を見て回るだけでも飽きぬな」
魔王が次の串へ手を伸ばしたところで、通りの向こうから聞き覚えのある笑い声が響いた。
「ノーっコッコッコッコッコ!」
「あっ、エリーンだ!」
ベルが顔を上げる。
行き交う人々の間から、桃色の巻き髪と大きな赤白のキノコの傘が現れた。
「魔王様ぁ♡ ベルぅ! お待たせいたしましたわ!」
「おお、エリーンか。久しいな」
「うふふ! お二人とも、ずいぶん楽しそうですこと!」
エリーンはテーブルの料理に目を留め、金色の瞳を輝かせた。
「まあ、美味しそう! わたくしにも一ついただけるかしら?」
「もちろん! エリーン、これ美味しいよ!」
ベルが串を一本差し出すと、エリーンは嬉しそうに受け取った。
「あら、ありがとう♡」
衣をさくりとかじり、目を細める。
「んんっ! これは素敵ですわねえ!」
「うむ。なかなかのものであろう」
「ええ! この世界の皆様は、美味しいものを作るのがお上手ですのね♡」
エリーンは残りを頬張ると、満足げに手を合わせた。
「さて、魔王様。本日はご報告があって参りましたの!」
「ほう。どうした?」
エリーンは背筋を伸ばし、ドレスの裾をつまんで優雅に一礼した。
「地球の制圧、無事に完了いたしましたわ♡」
「……何?」
魔王の手が止まった。
「もう終わったのか?」
「ええ! 各国の軍隊も政府も、もう抵抗できる状態ではありませんわ。まだハッピーになっていない方もいらっしゃいますけれど、組織だった抵抗はすっかりなくなりましたの!」
エリーンは実に嬉しそうだった。
「ノーっコッコッコッコッコ! 皆様、思っていた以上に素直な方ばかりで、わたくしも驚いてしまいましたわ♡」
「ふむ……」
魔王は串を皿に戻した。
「まだ八日ほどであろう? いかにおぬしといえど、少々早すぎはせぬか」
「そうなんですのよ! わたくしも、もっと時間がかかるものと思っておりましたわ」
「エリーンの胞子、ずいぶんよく効いたみたいだね」
「ええ、ベル! こちらの皆様、魔術への抵抗がほとんどありませんでしたの。おかげで、あっという間にハッピーの輪が広がりましてよ♡」
「うむ。見事な働きであった。何か褒美を取らせねばな」
「まあ♡ それでしたら、わたくし、魔王様のキノコを♡」
「…………」
「うふふ、冗談ですわ♡」
エリーンは楽しそうに笑った。
魔王は咳払いを一つすると、ベルへ目を向けた。
「……そういえば、この世界の魔力についてはどうであった?」
「それなんですけど、まおー様」
ベルは少し困ったように眉を下げた。
「この数日でいろいろ調べてみたんですが、どうやら地球には、自然の魔力がほとんど存在しないみたいなんです」
「何?」
「私たちの世界とは比べものにならないくらい少ないですね。現地の人たちに魔術への耐性がないのも、そのせいだと思います」
「なるほどな。エリーンの胞子が効きすぎたわけか」
魔王は皿に置いた串を見下ろした。
「しかし、肝心の魔力資源がないとは……。当てが外れたな」
「どうしましょう、まおー様?」
「そうだな……」
魔王は少し考え、あっさりと結論を出した。
「よし。撤退するぞ」
「えっ、もう帰るんですか?」
「うむ。魔力資源の得られぬ世界を、無理に領土へ加える必要もあるまい。見聞を広めるには面白い場所であったがな」
ベルは頷いた。
「それじゃあ、次の世界を探すんですね!」
「そういうことだ。エリーン、ご苦労であった。現地の者たちへの支配は解除しておいてくれ」
「かしこまりましたわ!」
エリーンは快く頷いた。
「うふふ、皆様にはもう少しハッピーを楽しんでいただきたかったですけれど、魔王様のご命令ですものね♡」
そう言って、軽く目を閉じた。
しばらくすると、店の奥から聞こえていた笑い声が途切れた。
「あれ……?」
串を揚げていた店員が、不思議そうに声を漏らす。
男の頭に生えていたキノコは、いつの間にか萎れ、ぽろりと床に落ちていた。
通りのあちこちでも、笑い声が次々と止んでいく。
先ほどまで楽しそうに歩いていた人々が足を止め、互いの顔を見合わせた。自分がどこにいるのか、何をしていたのか、すぐには理解できないようだった。
店の奥では、店員が手にした串を見つめたまま立ち尽くしている。
「はい! これでおしまいですわ♡」
「うむ。大儀であった」
魔王は通りから視線を戻し、皿に残った串へ手を伸ばした。
「それにしても、なかなか面白い世界であったな。食べ物も美味いし、街の造りも独特だ」
「そうですね! 私も楽しかったです」
ベルが笑うと、エリーンも嬉しそうに頷いた。
「次に来るときは、ぜひわたくしもご一緒させてくださいまし♡」
「うむ。機会があればな」
魔王は皿に残っていた最後の一本を平らげた。
「さて、帰るとするか」
そう言って立ち上がりかけたところで、ふと何かを思い出したように顔を上げた。
「……おお、そうだ。ベル」
「はい?」
「この街に、なかなか立派な塔があったであろう。あれはよかったな」
「ああ、あの塔ですか?」
「うむ。大胆な鉄骨の組み方に、あの独特な飾り。堂々としておるが、どこか愛嬌もある。なかなか見事な意匠であった」
魔王は満足げに頷き、言葉を続けた。
「しかも、上からの眺めが実によい。あれを魔王城の庭に置けば、よい展望台になると思わぬか?」
「お城のお庭に、ですか?」
「うむ。あの上に茶席を設けてな。庭園を見下ろしながら茶を楽しむのだ。なかなか優雅であろう?」
ベルはその光景を思い浮かべ、ぱっと笑顔になった。
「わあ、いいですね! お茶菓子も持っていきましょう!」
「まあっ! それでしたら、わたくしもぜひお茶会にお招きいただきたいですわ♡」
「うむ。もちろんだとも」
魔王は上機嫌で頷いた。
「よし、決めた! あの塔も持ち帰るとしよう!」
こうして魔王は、最初の異世界遠征を終えることにした。
* * *
『続いて、世界各地で発生した原因不明の集団異常行動についてです』
ニュース番組の画面に、頭からキノコを生やした人々の映像が映し出された。
『およそ一週間にわたり世界各地で相次いだこの異常行動は、先日、各地でほぼ同時に収束しました。現在は新たな発症者の報告も途絶えていますが、原因についてはいまだ明らかになっていません』
画面が切り替わり、復旧作業の続く駅や病院の映像が流れた。
『各国では政府機関や医療機関の職員にも症状が広がり、一時は行政や交通、医療などの機能が停止しました。現在も各地で復旧作業が続いています』
キャスターは手元の資料に目を落とした。
『交通の混乱による事故や、医療の中断に伴う二次被害も報告されており、被害の全容はまだ把握できていません』
『また、収束を受けて、当時の記録や発症者の証言をもとにした調査が本格化しています』
画面には、病院の診察室で取材に応じる男性の姿が映った。
『当時のことは、ところどころ覚えています。ただ、とにかく楽しくて、何も心配する必要がないと思っていたんです。家族が泣いていたのも覚えているんですが……どうしてあんなことをしたのか、自分でもわかりません』
『発症者の中には、当時の記憶が断片的に残っている人もいる一方、ほとんど覚えていないと話す人もいるということです』
さらに、研究施設で保管されている小さな標本が映し出された。
『一連の現象については、集団暗示や幻覚の可能性も指摘されています。しかし、現場にはキノコ状の組織や施設の損壊が残り、銃撃を受けても活動を続ける人々の映像も確認されています。各国の研究機関が、これらの証拠の分析を進めています』
キャスターは一拍置き、次の資料を読み上げた。
『また、今回の事件では、医学的に説明のつかない回復事例も多数報告されています』
画面に、同じ患者のものとされる二枚の検査画像が並んだ。
『重い病気を患っていた人の症状が突然消失したほか、骨折や外傷が短時間で治癒した事例も確認されています。これらの回復は異常行動の収束後も維持されており、医療関係者からは、既存の医学では説明が困難だとの声が上がっています』
取材を受けた医師は、慎重に言葉を選んでいた。
『検査上は、以前確認されていた病変がなくなっています。ただ、なぜそうなったのかは、まったくわかりません。現段階で治療への応用などを論じられる状況ではありません』
『各国政府は、引き続き事件の原因究明と被害状況の把握を進める方針です』
キャスターが資料を置いた。
『続いて、大阪から入ったニュースです』
画面が切り替わった。
『大阪市浪速区で、巨大な建造物が跡形もなく消失していることがわかりました』
映し出されたのは、商店や飲食店が立ち並ぶ街の風景だった。
現場の周辺には規制線が張られ、警察官や報道関係者が集まっている。
『現場には倒壊による瓦礫などは残されておらず、撤去工事が行われた形跡も確認されていません。警察などが詳しい状況を調べていますが、これほど大規模な建造物が、いつ、どのように消失したのかは不明です』
カメラがゆっくりと上を向いた。
画面に映っているのは、何もない空だった。
『消失したのは、大阪・新世界のシンボルとして知られる展望塔、通天閣です』




