第5話 お導きください②
ユプシオンは、目の前に積み上げられた書類を見つめていた。
どれも、世界各国から提出された正式な文書である。
そして、そのすべてに、各国の統治権を魔王様へ移譲することが明記されていた。
「……本当に、これで全部なんですか?」
「はい。これをもちまして、すべての国家の移譲手続きが完了いたしました」
「そ、そうですか……」
あの演説から、数日が経っていた。
ユプシオンの願いを叶えたいと申し出た各国の代表者は、その場で具体的な協議を始めた。翌日には各国政府が正式な手続きに着手し、必要な決議や承認も次々と済ませていった。
国家の統治権は、代表者の一言だけで譲れるものではない。ユプシオンも何度も確認したが、手続きは驚くほどの速さで進んだ。
しかも、移譲されるのは名目上の権限だけではない。各国の政府は魔王様の統治下に入り、軍事・外交の最終権限も魔王軍へ移る。領土や資源についても、魔王軍が正式に統治権を有することになる。
何年もかけて実現しようと思っていたことが、たった数日で決まってしまった。
「あの……もう一度だけ確認してもいいですか?」
「もちろんでございます。何なりとお尋ねください」
「皆さん、本当に納得されているんですよね? 後から、やっぱり返してほしいと言われたりは……」
向かいに座る行政官は、穏やかに微笑んだ。
「そのような心配はございません。各国とも、十分に協議を重ねたうえでの決定です」
「でも、皆さんが長い時間をかけて築いてきた国なんですよ? それを、会ったばかりの魔王様にお譲りいただくなんて……」
「ええ。どの国にとっても、大変大きな決断でございました」
行政官は深く頷いた。
「ですが、ユプシオン様のお話を伺って、ようやく、すべてがあるべき姿に収まるのだと思えたのです」
「……あるべき姿、ですか?」
「はい。こうして正式にお迎えできたことを、心から嬉しく思っております」
行政官は、満ち足りた様子で微笑んだ。
ユプシオンには、やっぱりよくわからなかった。
世界を丸ごと譲って、どうしてこんなにも嬉しそうなのだろう。重大な条件を見落としていないか書類を調べ直しても、どの国もこちらが求める前から必要な資料を揃えてくださるばかりだった。
「それでは、ユプシオン様。今後の統治についても、ご確認をお願いできますでしょうか」
「あっ、はい! もちろんです!」
ユプシオンは慌てて姿勢を正した。
困惑してばかりもいられない。
すでに世界征服は成立しているのだ。魔王様の代理として、今度はこの世界をきちんと治めていく必要がある。
行政官は、新たな資料を広げた。
「まず、各国の行政機関につきましては、当面、従来の体制を維持する方針でよろしいでしょうか?」
「はい! 急に仕組みを変えると、皆さんの暮らしにも影響が出ますから。まずは今の体制を活かして、必要なところから調整していきましょう!」
「承知いたしました。では、各国の軍については……」
「そちらも、当面の運用は現地の指揮系統を維持したいです。ただし、大規模な軍事行動については、魔王軍の承認を必要とする形でお願いします!」
「かしこまりました」
その後も、各国間の交易や資源の管理について、次々と確認が行われた。
ユプシオンはこれまでの調査結果をもとに、慎重に判断を重ねていく。
魔王軍の利益はもちろん大切だが、現地の人々の生活にも配慮しなければならない。特に、急激な制度変更によって産業や物資の流通が混乱する事態は避けたかった。
行政官たちは、ユプシオンの指示を一つずつ記録し、必要な調整について確認を取っていった。
こうして実際に仕事をしていると、何だか少しずつ実感が湧いてくる。
自分は今、魔王様の代理として、一つの世界の統治に携わっているのだ。
……本当に、そんなことになってしまったのだ。
「ありがとうございます、ユプシオン様。これで当面の方針もまとまりました」
「はい! 皆さんも、お疲れさまでした!」
行政官たちは丁寧に一礼し、会議室を後にした。
ユプシオンは椅子に座ったまま、改めて書類の山を眺めた。
魔王様から任された、大切な任務。
それを、ついに成し遂げたのである。
もちろん、戦争をせずに済んだのはよいことだ。皆さんに喜んでいただけたのなら、それに越したことはない。
ただ、何度考えても、どうしてこんなことになったのか、よくわからなかった。
それでも、成果は成果である。
魔王様への正式な報告を済ませなければ。
* * *
「うむ! 見事であったぞ、ユプシオン!」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
魔王号の高い玉座に腰掛けた魔王の前で、ユプシオンは背筋を伸ばしていた。
魔王は上機嫌だった。
すでに演説の内容も、その後の経緯も把握しており、統治権移譲に関する報告書にも目を通している。
「なかなか堂々たる演説であった! 全世界の指導者を前にして、臆することなく征服を宣言するとは! あれぞ魔王軍の四天王にふさわしい姿であった!」
「あ、ありがとうございますっ!」
ユプシオンは反射的に頭を下げた。
褒めていただけたのは嬉しい。けれど、あの演説については少し複雑だった。臆することなく、などと仰っているが、実際には緊張で頭が真っ白になり、途中から自分でも何を話しているのかわからなくなっていたのだ。
それでも魔王様は、本当に喜んでくださっている。
「しかも、一兵も損なうことなく、一つの世界を手に入れたのだ! これほどの戦果、そうそう挙げられるものではないぞ!」
「はいっ!」
「統治権の移譲も、形ばかりのものではない。各国の政府も軍も、正式に我が配下へ入った。見事な働きであった!」
魔王は満足そうに頷いた。
「そなたに今回の遠征を任せて、正解であったな!」
「魔王様……!」
ユプシオンの表情がぱっと明るくなった。
世界征服の途中で何度も妙なことに巻き込まれ、思い描いていた活躍とはずいぶん違う結果になってしまった。
それでも、任された仕事を最後までやり遂げることができたのだ。
何より、魔王様がこんなにも喜んでくださっている。
「ユプシオン、魔王様のお役に立てて、とっても嬉しいです!」
「うむ! よくやった!」
「ユプシオンちゃん、本当にすごいね!」
操縦席にいたベルも、嬉しそうに拍手を送った。
「それに、向こうの人たちも喜んでるんでしょ? 戦争もしなくてよかったし、すごくいい結果になったね!」
「はいっ! ありがとうございます!」
ユプシオンは元気よく頷いた。
* * *
広々とした加工場に、何十台もの研磨機が並んでいた。
大型の回転砥石から精密な切削装置まで、さまざまな機械が整然と配置されている。そのほとんどが稼働中で、場内には絶え間なく機械音が響いていた。
「わあ! すごい設備ですね!」
ユプシオンは目を輝かせた。
先日、行政官からぜひ見せたいものがあると言われ、こうして施設を案内されてきたのだ。
「ありがとうございます! ユプシオン様にそう仰っていただけるとは、光栄です!」
案内役の行政官は、誇らしげに胸を張った。
「こちらは、最新の設備を揃えた専用の加工施設でございます!」
「そうなんですか! それで、こちらでは何を加工しているんですか?」
「はい! ぜひ、あちらをご覧ください!」
促されるまま視線を向けたユプシオンは、首をかしげた。
大きな研磨機の前に、一人のルク族が座っている。
その人物は、自分の尻尾を加工台の上に載せていた。
傍らには作業員が立ち、回転する砥石を慎重に近づけていく。
ガリガリガリッ!
「いだだだだだっ!!」
けたたましい悲鳴が響いた。
削り屑が飛び散り、加工台の上に赤い液体が滴り落ちる。
……えっ?
ユプシオンは目を見開いた。
よく見れば、隣の機械でも、そのまた隣でも、ルク族たちが自分の尻尾を加工されている。
あちらこちらから悲鳴が上がり、床には削り屑と血が飛び散っていた。
「えっ!? ちょ、ちょっと待ってください! 何してるんですか、あれ!?」
「はい! 皆様が、ユプシオン様のような美しい尻尾を手に入れられるよう、加工を行っているのです!」
「えええっ!?」
ユプシオンは思わず加工台を二度見した。
確かに、削られた尻尾は以前よりも細くなっている。ごつごつとした表面が削り落とされ、滑らかな曲線を描き始めていた。
しかし、そこには生々しい傷が残り、真っ赤な血が流れている。
「あ、あの! なんか血とかいっぱい出ちゃってますけど……!?」
「ええ。やはり、加工には相応の痛みが伴いますからね」
「い、いや、痛みっていうか……!」
その間にも、加工場のあちこちから悲鳴が聞こえてくる。
「いだだだだっ!」
「もう少し! もう少し細くお願いします!」
「承知しました!」
ガリガリガリッ!
「ぎゃああああっ!!」
「ひゃっ!?」
ユプシオンは思わず自分の尻尾を抱えるようにして後ずさった。
だが、行政官はそんな様子にも気づかず、誇らしげに説明を続けた。
「実は、ユプシオン様がこの世界にいらしてからというもの、ご自宅で尻尾を加工される方が続出しておりまして」
「じ、自宅で!?」
「はい。皆様、少しでもユプシオン様の美しいお姿に近づこうと、ご自身で尻尾を削ったり、磨いたりされるのです。しかし、慣れない道具を使うため、怪我や事故が相次いでおりました」
「そ、それは危ないですよ!」
「おっしゃるとおりです!」
行政官は力強く頷いた。
「そこで、行政として対策に乗り出すことになったのです。各地から鉱石研磨の職人を集め、専用の設備を整えました。こちらでは、機械の操作に習熟した職人が、ご本人の希望に沿って慎重に加工を行います」
そう言って、加工場の奥を指し示す。
「救護のための設備も用意しておりますので、万が一の際にも対応できます。ご自宅で加工されるより、はるかに安全なのですよ!」
「……えっ、あの」
ユプシオンは、目の前の加工場を見渡した。
確かに、機械はきちんと整備されているようだし、作業員たちの手つきにも迷いがない。
加工台のそばには救護の担当者も控えており、傷口の手当てを受けている人もいる。
けれど、その周囲では、今も血が飛び散り、悲鳴が上がり続けているのである。
「そ、そうじゃなくて! そもそも尻尾を削るのが危ないんじゃ……!」
「ええ。ですからこそ、専門の設備を設けたのです!」
「そ、そうじゃなくてぇ……!」
ユプシオンは自分の尻尾を抱えたまま、言葉を失った。
「おかげさまで、こちらの施設は連日大変な人気でして。現在は予約をお待ちいただいている方も大勢いらっしゃいます!」
「そ、そうなんですか……」
「はい! そこで、今後は各地に同様の施設を整備していく予定です。いずれは、この世界の誰もが、望めば尻尾の加工を受けられるようにしたいと考えております!」
「ええっ!? そ、そんなにたくさん……!?」
「もちろん、安全性の向上にも引き続き取り組んでまいります。皆様が安心して美しさを追求できる社会を目指しているのです!」
行政官は、晴れやかな笑顔を浮かべた。
その背後では、相変わらず研磨機が唸りを上げている。
ガリガリガリッ!
「ぎゃああああっ!!」
「ひいっ!」
ユプシオンは思わず尻尾を抱きしめた。
もう帰りたい。
できれば今すぐ帰りたい。
そう思った、そのときだった。
「あっ! ユプシオン様だ!」
加工を終えたらしいルク族の一人が、こちらに気づいた。
「えっ?」
「本当だ! ユプシオン様!」
「ユプシオン様! 見てください!」
その声を聞きつけ、周囲にいたルク族たちが次々と集まってきた。
加工を終えたばかりの者もいれば、手当ての途中らしく、尻尾に包帯を巻いた者もいる。
中には、まだ血を滴らせている者までいた。
それなのに、誰もが満面の笑みを浮かべている。
「ユプシオン様! 私も、こんなに美しくなれました!」
「見てください! 前よりずっと細くなったんです!」
「私の尻尾も! 少しはユプシオン様に近づけたでしょうか!」
「本当にありがとうございます!」
「あ、あわわ……!」
ユプシオンは後ずさった。
だが、ルク族たちは嬉しそうに尻尾を見せながら、次から次へと近づいてくる。
細く削られた尻尾。
生々しい傷口。
赤く染まった包帯。
それらを誇らしげに見せる人々が、いつの間にかユプシオンを取り囲んでいた。
「ユプシオン様のおかげです!」
「こんなに美しくなれるなんて、夢のようです!」
「これからも、ずっと我々を導いてくださいね!」
「ひええええっ!?」




