第3話 世界一美しい尻尾
「……以上が、現在までに確認できた主な交易路です。魔力鉱石の流通量についても、いくつかの都市で記録を見せていただけました!」
「うむ。なかなか順調ではないか」
「はい! ただ、軍事施設については、まだ十分な情報が集まっておりませんので……」
「焦ることはない。引き続き調べてくれればよい」
「承知しました!」
ユプシオンは元気よく返事をして、机に広げた地図を指さした。
「それと、こちらが――」
「まおー様、お茶が入りましたよ!」
「おお、すまんな」
魔王は地図から顔を上げ、ベルが差し出したカップを受け取った。
その様子を、透明な結晶板の向こうから大勢の観客が眺めていた。
ここは街の動物園。その中でも、魔王とベルが展示されている区画は、ひときわ多くの人を集めていた。
魔王がカップを口元へ運ぶ。
縁に触れた唇が、柔らかく形を変えた。
観客の一人が思わず顔を背けた。その手には、細い飲み口のついた容器が握られている。硬い口器を容器に当てていたその客は、しばらくするとまた魔王の方を覗き込んだ。
隣では、別の客が前に身を乗り出した拍子に、連れの尻尾を踏んで怒られている。
気味悪がっている割に、誰も帰ろうとしない。
「ククク……。今日も盛況であるな!」
魔王は観客たちに向かって、愉快そうに笑いかけた。
最前列にいた何人かが、慌てて後ずさった。それでも、すぐにまた前へ出てくる。
「昨日も見かけた方がいますね」
「ほう。すっかり気に入られてしまったようだな」
ベルも楽しそうに笑った。
ユプシオンは、地図を押さえていた手をそっと引っ込めた。
「あの……魔王様」
「うむ?」
「こちらでのご滞在は、その……」
「なかなか面白いぞ! こうして異世界の民と互いを眺め合う機会など、そうはあるまい!」
「……そ、そうですね」
どう答えればよいのだろう。
この世界に来てから、ユプシオンは行く先々で歓迎されていた。先日は尻尾飾りまで贈っていただいたばかりだ。
その一方で、魔王様とベルは動物園である。
しかも、二人とも心から楽しんでいるようだった。
「それで、ユプシオンちゃん。現地の方々とは、うまくお話しできていますか?」
ベルに尋ねられ、ユプシオンは慌てて背筋を伸ばした。
「は、はい! 皆さん、とても親切にしてくださいます! 管理庁の方にも色々と教えていただきましたし、ほかの都市の方をご紹介いただけることにもなっています!」
「おお、それは何よりだ」
魔王は満足げに頷いた。
「ずいぶんと気に入られておるようだな。おぬしの評判は、ここにまで届いておるぞ」
「い、いえ! ユプシオンは、特別なことをしたわけでは……!」
ユプシオンは尻尾を小さく揺らした。薄紫色の結晶飾りが、かすかに光る。
結晶板の向こうから、控えめな声が聞こえてきた。
「……あれ、ユプシオン様じゃないか?」
隣の者が顔を上げ、さらに何人かがこちらを振り向いた。
ユプシオンは思わず尻尾を身体の後ろへ回した。
魔王様がこれほど奇妙な扱いを受けているというのに、自分ばかり注目されるのは、どうにも落ち着かない。
「そういえば、魔王様。街の方々から、お誘いもいただいておりまして……」
「ほう。何の誘いだ?」
「それが、詳しいことはまだ伺っていないのですが、ユプシオンにぜひ協力してほしいことがあるそうです」
「ふむ。それほど頼りにされておるのか」
「は、はい。ただ、調査の途中ですので、どうしたものかと……」
魔王はしばらく考え、カップを置いた。
「そうだな。現地の者たちとよい関係を築くのも、大切な仕事であろう。調査に支障のない範囲で、協力してやるとよい」
「よろしいのですか?」
「うむ。おぬしだからこそできることもあるはずだ。今後も現地との交流は任せるぞ」
「はい! ありがとうございます!」
ユプシオンは深く頭を下げた。
これまでの調査でも、現地の人々にはずいぶん助けられている。自分が頼みごとに応じることで、さらに話を聞ける相手が増えるかもしれない。
それが魔王様のお役に立つのなら、喜んで協力したかった。
「ユプシオン、精いっぱい頑張ります!」
「うむ。期待しておるぞ」
魔王が頷いたところで、ベルが机の端に置いていた予定表に目をやった。
「あっ、まおー様。そろそろ、ふれあい体験のお時間ですよ!」
「おお、もうそんな時間か」
魔王は椅子から立ち上がった。
「ではユプシオンよ、引き続き頼んだぞ」
「……は、はい!」
* * *
「カット! いいですね!」
監督の声が響き、ユプシオンは構えていた腕を下ろした。
「今の振り向く動きをもう一度お願いできますか? 尻尾をもう少しゆっくり動かしていただきたいです」
「はい! わかりました!」
ユプシオンは元気よく返事をして、元の位置に戻った。
ユプシオンは今、映画の主演を務めていた。
映画出演の依頼には驚いたが、現地の人々との交流につながると考えて引き受けた。初めての撮影に備えて台本を読み込み、演技の練習も重ねてきた。
仲間を救う場面も、旅立ちを決意する場面も、ほとんど撮り直しにならなかった。
ただ、一つ気になることがあった。
台詞のある場面はたいてい一度か二度で撮り終えるのに、尻尾の動きになると、途端に撮り直しが増えるのである。
初めのうちは、監督が細かな指示を出す程度だった。
ところが、銀色の尻尾が照明を受けて輝く場面を撮影したとき、映像を確認していた撮影技師が、不意に隣のスタッフの腕をつかんだ。
何事かと画面を覗き込んだスタッフも、そのまま動かなくなった。やがて監督まで呼び寄せ、三人で食い入るように映像を見つめ始めた。
それを境に、撮影現場の雰囲気が変わっていった。
尻尾の撮影になると、撮影機の位置や照明の角度が、それまで以上に念入りに調整されるようになった。映像を確認する画面の周りには、いつも人だかりができている。何度も撮り直しを重ねるうちに、スタッフたちの声にも熱がこもり始めた。
やがて、ユプシオンが尻尾を少し動かしただけで、誰かが息を呑むようになった。
そして、夕暮れの場面を撮影していたときのことだった。
柔らかな光を背に、ユプシオンは監督の合図に合わせて静かに振り返った。
銀色の尻尾が緩やかな弧を描き、薄紫色の結晶飾りがきらりと光る。
「…………カット」
監督の声は、妙にかすれていた。
撮影機の周りにスタッフたちが集まってくる。誰もが画面に釘付けになり、肩越しに覗き込もうとする者までいた。
「ああ……すごい……」
「そんな……ここまでとは……」
監督は椅子に座ったまま、じっと画面を見つめている。
「こ、これを……映画館で……?」
「業界がひっくり返りますよ……!」
誰かがもう一度映像を再生した。周囲に集まったスタッフたちが、揃って画面を覗き込む。
ユプシオンは少し離れたところから、その様子を眺めていた。
皆さんが熱心に撮影してくださっているのはありがたい。けれど、映画の撮影とは、ここまで興奮するものなのだろうか。
しかも、あれほど夢中になって見返しているのは、ほとんど自分の尻尾しか映っていない映像なのである。
「あの、監督さん」
「……はい! 何でしょう?」
「映画への出演とは聞いていましたが、これはその……どういった目的のものというか……」
「目的、ですか?」
「はい。先ほどから、尻尾ばかり撮影しているような気がしまして……」
監督は大きく頷いた。
「ええ。おかげさまで、想像以上の映像が撮れております」
「そ、そうですか……」
ユプシオンは少し迷った末、声を落として尋ねた。
「……えっちな映像ではないんですよね?」
「…………?」
監督は不思議そうに首を傾げた。
「仰っている意味がわかりません」
「ええ、そうですよね。失礼しました」
ユプシオンは恥ずかしくなって、そっと尻尾を身体の後ろへ隠した。
すると監督は、自信に満ちた表情で力強く頷いた。
「ご安心ください! これは映画史を変える傑作になると確信しております!」
* * *
映画の撮影が終わってからも、ユプシオンのもとには各地からの誘いが絶えなかった。
学校を訪ねた際には、子どもたちが揃いの尻尾飾りをつけて出迎えてくれた。どれも、以前ユプシオンが贈られたものとそっくりだった。
「わあ! 皆さん、とってもお似合いですよ!」
そう褒めると、子どもたちは大喜びで尻尾を振った。その姿がかわいらしくて、ユプシオンもつられて尻尾を揺らす。すると、今度は先生たちまで大騒ぎになってしまった。
この訪問が新聞に載ると、ほかの学校からも次々に招待が届いた。
学校に限らず、式典への出席や雑誌の取材、文化行事への参加など、依頼は日を追うごとに増えていった。
映画が公開されると、各地の映画館には長蛇の列ができた。街にはユプシオンの肖像を使った広告があふれ、彼女の尻尾飾りを模した商品も飛ぶように売れているらしい。
初めて訪れた都市で、到着するなり名誉市民の称号を授けられたこともあった。
やがて、各地から身に覚えのない賞状や記念品まで届くようになった。どうやらユプシオンの知らないところでも、彼女を表彰する式典が次々と開かれているらしい。
各地で知り合いも増え、交易や資源、軍事施設に関する情報も順調に集まっていた。魔王様に任された仕事は、確かに進んでいる。
困るのは、それ以外の予定だった。式典を一つ済ませて戻ってくると、もう新しい招待状が届いている。
どうしてこうなってしまったのだろう。
そんな折、ある都市の行政機関から、記念事業の完成を祝う式典への招待が届いた。
これまでの活動に対する感謝を込めて、ぜひ出席してほしいという。記念事業の内容は当日まで秘密にしたいそうだが、政府の要人も多数出席するらしい。
お世話になっている方々からの正式な招待でもあり、ユプシオンは引き受けることにした。
* * *
「ユプシオン様! 本日はお越しいただき、誠にありがとうございます!」
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます!」
案内役に迎えられ、ユプシオンは式典の会場へと足を踏み入れた。
広大な中央広場には、大勢の人々が詰めかけていた。色鮮やかな旗が並び、周囲の建物にも華やかな装飾が施されている。
正面には大きな演壇が設けられ、その奥には巨大な覆いがそびえていた。あまりに大きく、見上げても全体が視界に収まらない。
「わあ……! ずいぶん立派な式典なんですね!」
「ええ! 我が国を挙げての一大事業でございますから!」
「国を挙げて、ですか!?」
想像していたよりも、ずっと重要な行事らしい。
ユプシオンは少し緊張しながら、案内された席についた。
式典が始まると、政府の要人たちが次々に登壇し、事業の完成を祝う挨拶を述べた。建設に携わった職人や技術者たちも紹介され、そのたびに盛大な拍手が送られる。
これだけの人々が力を合わせたというのだから、さぞ素晴らしいものが完成したのだろう。
ユプシオンも期待に胸を膨らませた。
やがて、いよいよ除幕の時が訪れた。
「それでは皆様、お待たせいたしました!」
司会者の声が広場に響き渡る。
観客たちが一斉に立ち上がり、巨大な覆いがゆっくりと引き上げられていく。
まず現れたのは、細くしなやかな脚だった。
続いて、黒鉄と白銀の装甲。見覚えのある腰部の意匠。
「…………あれ?」
ユプシオンは首を傾げた。
覆いはさらに上がっていく。
やがて、白銀色の短い髪と、淡い赤紫色の瞳を持つ少女の顔が姿を現した。
「……えっ?」
ユプシオンは思わず立ち上がった。
そこにそびえていたのは、巨大な自分自身の彫像だった。
広場を取り囲む建物をはるかに見下ろすほどの高さがあり、白銀の装甲から髪の一房に至るまで、驚くほど精巧に再現されている。
その背後には、空へ向かって大きく弧を描く銀色の尻尾。先端の雫形の重りはもちろん、ユプシオンが身につけている小さな結晶飾りまで、巨大な薄紫色の宝石で再現されていた。
広場が歓声に包まれた。
観客たちは口々に何かを叫び、互いに抱き合っている。感極まって泣き出す者までいた。
ユプシオンは呆然と彫像を見上げた。
「あ、あの……これ、ユプシオンの像ですよね……?」
「はい! ユプシオン様のご来訪を永く記念するため、我が国の総力を結集して建立いたしました!」
「そ、総力……!?」
「いかがでしょう! 特に尻尾の造形には、国内最高峰の技術者たちが心血を注いでおります!」
「ええと……はい。とても立派だと思います! こんなに大きなものを、こんなに精巧に……」
確かに見事な仕事だった。これほどの規模で曲線を正確に再現するには、材料の選定から構造の設計まで、並々ならぬ技術が必要だったはずだ。
しかし、それにしても大きすぎる。
「あの……これ、いつの間に造っていたんですか?」
「ユプシオン様のご来訪以来、各地から技術者を集めて建設を進めてまいりました!」
改めて見上げると、基礎部分だけでも相当な規模だ。これほどのものを造るのに、どれほどの資材と人手が必要だったのだろう。
「あの……ちなみに、建設費はどのくらいに?」
「ええ。今年度の国家予算から、およそ三割を充てております」
「…………」
ユプシオンはゆっくりと案内役の方を向いた。
「……さんわり?」
「はい!」
案内役は誇らしげに頷いた。
「さらに、民間からも多額のご寄付をいただきました。資材を無償で提供してくださる方も大勢いらっしゃいまして、おかげさまで当初の計画をはるかに上回る規模となりました!」
「…………」
「中には、全財産を寄付された方もいらっしゃいます!」
「ぜ、全財産!?」
思わず声が裏返った。
「そ、それは大丈夫なんですか!? その方は、これからどうやって暮らしていくんですか!?」
「ご心配なく! 皆様、ご自身の意思でご協力くださった方々ばかりです!」
「いえ、そういうことでは……!」
「ほら、ご覧ください! あちらの方も、そのお一人ですよ!」
案内役が指した先では、観客の一人が巨大な彫像を見上げ、両手で顔を覆っていた。感激に身体を震わせるその人を、周囲の人々が祝福している。
どう見ても、心から喜んでいるようだった。
ユプシオンは、もう一度自分の彫像を見上げた。
何か言おうとしたが、言葉が出てこない。
広場には、完成を祝う音楽が高らかに鳴り響いていた。




