第4話 光秀の決意
天正10年5月27日、丹波国、愛宕山。
亀山城に着いた翌日である。数名の家臣を連れ、光秀は毛利攻めの祈願に愛宕山を訪れていた。
愛宕山は京から西に4里ほど離れた、山城国と丹波国の境に位置する山である。
いつもなら家臣とよく話す光秀であったが、今日は無口であった。まるで何か葛藤している、そんな顔をしていた。
光秀は山頂の愛宕神社で参拝を済ますと、数回おみくじを引いた。
「殿、おみくじを何度も引いては、意味がありませぬぞ。」と利三が言った。
「そ…そうだな。」
光秀の様子がおかしいことは家臣全員が気づいていた。
利三の質問は実に単刀直入だった。
「殿、どうされたのですか。亀山に着いてから無口ではありませぬか。」
光秀は問いで返した。
「…利三よ。運命と言うのはいつ決まるのじゃ。」
「う…運命でございますか。」
突然の質問に利三は戸惑った。
「そうじゃ。運命だ。生まれた時から決まっておるのか。それとも、自らの手で変えられるものなのか。」
利三は少し考えて答えた。
「それは難しい問いですな。運命と言うものは、生を受けた、お家でも決まりましょう。」
「そうか、つまり生まれた時から決まっておると考えるのか。」
利三の回答を聞き、光秀は尋ねた。
「いえ、必ずしもそう言うわけではないかと…殿もよく知っておられるお方に、百姓から大名に成り上がった方もおりましょう。」
「ほう、秀吉殿のことか。」
「左様であります。つまり運命とは自らの手でも変えられると、わたしは思いまする。」
「……そうか。運命は自らの手で変えられる、か。」
それを聞いた光秀は、依然として無口であったが、どこか落ち着いた顔をした。その夜は愛宕山にある西坊威徳院に宿泊した。
翌日、5月28日。
今日は朝から雨が降っていた。本来であれば下山を朝に予定していた。しかし雨が止むまで下山は見送られた。
そこで急遽、光秀は連歌会を開いた。昨日と違い、今日の光秀はいつもと変わらぬ表情をしていた。
家臣たちはいつも通りの光秀を見て安堵していた。
連歌会は光秀の歌から始まった。
「ときは今 あめが下しる 五月哉」光秀が句を詠むと、外を見つめた。
その句を聞いた者たちは、口々に光秀を褒めた。
「さすが日向守様。今の情景に合った見事な句にございます。」
「みなは句よりお世辞が上手いのう。」
そう光秀が言うと、笑い声が上がった。
しかし、利三は違った。利三は句を聞き、昨日の出来事を思い出す。すると、何かを察し、光秀を見つめた。(ま…まさか殿。)
句を詠んでいると、あっという間に時間が過ぎ、気づけば昼を過ぎていた。雨も上がり光秀は下山を始めた。
4日後の6月1日。丹波国。亀山城。
「殿、備中への支度が整いました。殿のご命令で、いつでも出陣できます。」
「利三よ。大儀であった。」
「ありがたきお言葉。それで出陣はいつ頃になりますか。」
「日が暮れてからじゃ。兵には今のうちに休むように伝えてくれ。」
利三は疑問に思った。
「かしこまりました。しかしなぜ、2万の軍勢が夜に行軍するのですか。」
光秀は言葉を詰まらせたが理由を話し始めた。
「…ここから道中、どこに毛利の忍びが潜んでいるのかわからぬ。お主が敵で2万の援軍が迫っていると知ったらどうする。」
「もちろん。対策を考えまする。」
「そう言うことじゃ。」
光秀の答えは筋が通っていたため、それ以上は疑問に思わなかった。
その晩。光秀は高いところに登り、一言だけ言った。
「出陣じゃあ!!」
兵たちから、大きな歓声が上がる。
「おお!!」
そうして行軍が始まった。
しかし少し動いてから利三や家臣らは疑問に思い始めた。備中からは離れて行っている気がしたからだ。
たちまち利三は尋ねた。
「殿、これでは京に戻ってしまいまする。」
「……」光秀は特に答えなかったが、利三は全てを察した。
「行軍を止めろ。」
光秀は部下に命令すると、高台に登り声を上げた。
「我らが向かうは…京、本能寺!」
兵たちは戸惑った。
「どう言うことですか?」「備中に行くのではないのですか?」
兵たちの質問が絶え間なく聞こえてきた。ただ光秀が言葉を発すると全員が静まった。
「敵は本能寺にあり!!」
続けて光秀は言った。
「去りたい者は背を追わん!ただわしは決めたのだ!敵は織田信長!!」
それを聞いた兵は少し考えた。すると、1人の兵が言った。
「もちろん、お供いたします。」
そうするとさっきより大きな歓声が上がった。
光秀は利三を見つめて言った。
「利三すまぬ。じゃが、これはわしが決めた運命じゃ。」
「何をおっしゃいます。明智家筆頭家老、斎藤利三どこまでもお供いたします。」
「ありがたい。」
利三に軽く頭を下げると、光秀は京の方角を見つめた。もはやその表情にくもりはなかった。
こうして光秀率いる2万の軍勢は、自らの手で運命を変えるべく京へ向かったのだった。
中には少数ながら離反した家臣や兵もいた。しかし胸に野望を抱いた者や、光秀への忠義を誓う者など、理由は様々であるが、矛先は毛利から主君である織田信長に向いたのだ。
その先に待ち受ける運命を、この時はまだ誰も知る由はなかった。




