第2話 出陣
天正10年5月26日 近江国 坂本城
「殿、備中高松城への出陣の準備が整いました。」
「利三よ、大儀であった。」
利三とは、明智光秀の筆頭家老、斎藤利三のことである。
「我ら、まずは亀山城へ向かう!そこで軍備を整え、備中へ向かうのだ。」
「承知致しました。殿、城の外をご覧ください。」
光秀が櫓に登ると、そこには出陣の命を待つ多くの兵がいた。
その光景を見渡した光秀は、兵たちに向かって声を張り上げた。
「皆の者、聞け!!」
光秀の声が響くと、兵たちは静まり返り、誰もが光秀を見つめた。
「上様より、秀吉殿の援軍を任された。我らが向かうは備中国、高松!」
続けて言った。
「毛利を討つことができれば、天下統一も目前である。これは大役である。」
兵たちからの歓声が上がった。
「相手が毛利と聞くと恐る者もおろう。だが皆の背中には常にこの明智日向守光秀が付いている。」
「出陣じゃあ!!」
兵は持っていた刀を掲げて、鬨の声を上げた。
光秀は信長から重用されるだけでなく、家臣からも厚い信頼を得ていた。
少なくともこの時、兵たちは疑いもしなかった。我らが毛利攻めに行くのだと…。
2日後の夜。信長は蘭丸と明日の上洛について話していた。
「先程、日向守様から書状が届きました。」
書状には亀山城での軍備の状況や、出陣の支度について事細かに記されていた。
「あいつは几帳面な奴じゃ。書状は手短にといつも言っておるのにな。」
「全くでございます。でも光秀様らしいではありませんか。」
光秀は武将でありながら、和歌や連歌にも通じていた。そんな光秀の書状を読むとき、信長はいつも柔らかな表情を見せるのだった。
「蘭丸よ。明日は朝早い。もう寝ておけ。」
「もったいなきお言葉ありがとうございます。ところで明日は手勢をどのくらい連れて参りますか。」
「小姓と護衛で50人くらいでどうじゃ。護衛の兵への指示はお前に任せる。」
大名の行軍としてはあまりにも少ない兵数だが、この頃の京は安定していたので、少数の手勢で充分であった。
「ははっ、お役目、承知しました。」
しかし蘭丸は不満そうな顔をしていた。
「蘭丸よ、何か不満か?」
蘭丸は少し間を空けて話し始めた。
「あ…いえ。ただ天下統一を目前にしたお方が、50だけというのは…」
「ほう、言うではないか。」
蘭丸は慌てて謝罪した。
「申し訳ございませぬ。」
信長は答えた。
「いや、お主の言うことも一理ある。弥助はおるか!」
弥助とは、宣教師に連れられて日本へやってきた黒人の従者である。そのもの珍しさに、信長は側近として近くに置いていた。
「ココニオリマス。」
「おお…そこにおったか。お主は闇夜に隠れるのが上手いのう。」
信長は冗談を言った。
「トノ、ソレハヤスケ、カナシム。」
弥助はカタコトの日本語で答えた。
「すまん。弥助、ところでお主に預けた250の兵は、すぐ動かせるか。」
信長は弥助の腕を見込んだわけではない。ただ面白そうという理由で、直属の精鋭部隊を預けていた。
「ハイ…イツデモ。」
「では明日、その兵を連れて共に上洛するぞ。良いな?」
弥助は頷いた。こうして、信長は300の兵を連れて上洛することとなった。それは、蘭丸のほんの些細な一言から決まったことであった。




