第1話 運命を分けた書状
序章〜あるはずのない8月15日〜
1945年8月15日。
日本国の首都、京都。
風情ある寺院や歴史的建築物が多く、市街には近代的な建物があり、一台の路面電車が動いていた。
夏の日差しが差し込む、会議場の前には、世界各国の国旗が風で揺らいでいた。
日本、アメリカ、英国、フランス。そしてアジア諸国の首相を招いて、この場所で開催されるのは、国際平和会議である。
日本の代表者が壇上に立つと、会場は静まり返った。
「我が国と欧州諸国との友好は、三百年以上の歴史を有しております」
その言葉に、誰も驚かなかった。
なぜなら、この世界では当然の歴史だったからである。
我々が知る歴史では、1945年8月15日は、日本人にとって忘れられない日である。そう、日本が敗戦を迎えた日だ。
だが、この世界に敗戦の日は存在しない。
日本がアメリカやヨーロッパ諸国と太平洋を舞台に戦火を交えることも、広島や長崎に原子爆弾が投下されることもなかった。
そもそも、この世界に太平洋戦争という戦争は存在しなかったのである。
「この長き友好の礎を築いた人物の名を、皆様もご存じでしょう」
演壇の背後には、一人の男の肖像画が掲げられていた。
織田信長。
戦国の乱世を終わらせ、日本を新たな時代へ導いた男。
だが、この世界の歴史が我々の知るものと決定的に異なる理由は、彼が、あの日、死ななかったことにある。
この物語は363年前に遡る…
第1話 運命を分けた書状
天正10年(1582年)5月17日。近江国、安土城の織田信長のもとに一通の書状が届く。
「上様。筑前守様から急ぎの書状にございます。」
書状を手にして現れたのは、信長の小姓、森蘭丸であった。
筑前守とは羽柴筑前守秀吉のことで現在は備中高松城において毛利攻めの最中である。
「おお、蘭丸か!ご苦労。その書状は燃やしておけ。」
「はっ…よろしいのでございますか。」
蘭丸は思わず聞き返した。
「猿からの書状、どうせくだらない事が書いてあるのだろう。」
信長は苦笑いを浮かべて言った。
「承知。では燃やして参りまする。」
「おい!ちょっと、待て待て!」
戦場でも冷静な信長であるがこの時は慌てて蘭丸を止めた。
「ほんとに燃やす奴があるか!融通の効かぬ奴じゃ。寄越せ。」
「はっ…上様のご命令だったので。」
信長は蘭丸から書状をひったくると、封を切った。しばらくの間、室内には紙を広げる音だけが響いた。
「ふむ…やはり援軍の要請か。猿め、手こずらせおって」
書状を脇に置いて、続けて蘭丸に尋ねた。
「柴田は北陸、滝川は関東に出陣中であったな?ならば十兵衛か…」
蘭丸は問いに対して頷いた。
十兵衛とは明智日向守光秀のことである。
「十兵衛は今、何をしている?」
「徳川様をもてなしている頃かと思われます。」
「そうか、竹千代には悪いが十兵衛を呼んで参れ。」
竹千代とは徳川三河守家康の幼名で、家康が幼い頃から関係があったため、信長は親しみを込めてそう呼んでいた。
「はっ…三河守様はいかがいたしましょう?」
「誰かを代わりに立てれば良い、今は毛利を討つが先じゃ。」
「かしこまりました。」
蘭丸は一礼すると、早足で十兵衛を呼びに行った。
しばらくして蘭丸が1人の武将を連れてきた。
「日向守様をお連れしました。」
「うむ、入れ」
「明智日向守光秀、ただいま参上しました。」
光秀は深々と頭を下げた。
「よう、来た十兵衛!お主とわしの仲ではあるまいか、堅苦しいのは無用だ。」
光秀を見た信長は微笑みを浮かべて、秀吉からの書状を手に取った。
「…秀吉殿への援軍の件でありますかな。」
光秀は尋ねた。
「さすがは十兵衛、話が早い!猿の援軍へ行ってもらいたい」
「お安いご用でございます。早々に居城の坂本へ戻り、亀山城にて二万の軍勢を整え、秀吉殿の援軍へ向かいます。」
「頼もしいのう、十兵衛は…」
信長は満足そうにそう言った。
「ところで上様は、毛利攻めに行かないので?」
「無論、向かう!今が毛利を追い詰める時と心得ておる。それに、猿だけの手柄にするのは面白くないのでな。」
「上様、それはさぞ秀吉殿も喜びましょう、いつ頃御出立の予定ですか?」
光秀は何かを探るような眼差しを信長に向け、静かに尋ねた。
「5月29日に安土を発つつもりじゃ。途中、京の本能寺に立ち寄り、しばらく滞在する予定でおる。」
「左様でございますか。では、上様のご到着に先立ち、秀吉殿への援軍を急ぎまする。」
「十兵衛!頼むぞ」
「ははっ!」
近況報告と世間話を交わしたのち光秀は深々と頭を下げた。
「拙者、出陣の準備のためこれにて失礼します。」
「そうか…十兵衛!」
信長は出ていく十兵衛を止めた。
「備中で落ち合おうぞ」
「はっ。必ずや…」
光秀は再び深く頭を下げると、静かに部屋を後にした。
信長は、その背中を、何の疑いもなく見送った。




