ep.41
あれから2週間が過ぎようとしていた。
体の調子はすっかり回復し、俺の胃袋は活発に動いている。
朝からカップラーメンにおにぎり2つ、やきとり缶とバナナまで容易く完食した。
それでも何故か腹は満たされることはなく、導かれるように冷蔵庫を開ける。
中には食べかけの食パンに、いつ買ったか分からない豆腐。魚肉ソーセージの束がバラけて数本だけ。
大きな溜め息を一つ吐いた。
買いに行くか……。
ボサボサ頭で寝巻きのままサンダルを履く。
今までと変わらない日常。
玄関の扉を開け、前から来た隣人に少しだけ会釈をして、とりあえずの挨拶。
すぐ近くのスーパーでいつも買う、同じ物をひたすら籠に入れていく。
値引きのパンは味も見ずに掴み入れ、牛乳は一番安いものを手に取る。
全く同じ生活。
……いや、厳密に言うと職無しに変わったか。
『ツナグ』へはあれから行ってもいなければ、連絡すらない。
まぁ、仕方ないよな。
あんな事があったんだ。
それに……俺だってどうしたらいいか分からない。
白髪交じりの新藤さんが打つレジへと並んだ。
理由は分からないが、いつもこのおばちゃんと決めている。
「あぁ、どうも。いらっしゃいませ」
俺はいつも通り無表情でバーコードの通りゆく音だけに耳を傾けていた。
最後の値引きのパンが通る。
「1328円ですー」
明らかに音が無かった。
俺はパンを手に取って新藤さんへと向けた。
「……あの、これだけ通ってないです」
「え! ごめんねー、気付かんで。ありがとねー」
「いえ」
会計を済ませ袋へ適当にぶち込む。
家までの僅かな距離を、うだるような暑さのもと歩き始めた。
やっぱり俺は……変わったんだな。
以前ならあんなこと、気付きもしないだろうし、声を掛けたりもしなかっただろう。
また一つ、溜め息が溢れた。
アパートの階段を上がると、自宅前に井上が突っ立っていた。
「あ、平山! 心配したんだぞ! 連絡くらいしろよ」
すごい剣幕だった。
「いや、なんか色々あって。それに、連絡先も知らないし」
ただの元同僚だった俺に、井上がそこまで怒る理由が分からない。ずっと下を向いたままでいると、両肩を力強く掴まれた。
「とにかく良かったよ、無事で。それだけ確認したかったんだ」
俺は驚いた拍子に、買い物袋を勢いよく落とした。
「ちょ、何してんだよ〜」
井上はすぐさましゃがみ込み、溢れたパンを袋へ入れて俺へ向けた。
「何があったかは聞かないよ。でも……もしさ、何でもいいから話したくなったら電話とか、メールとか気軽にしてこいよ」
そう言って名刺を袋に入れた。
「じゃ、また」
「……井上!!」
去ろうとした井上に向けて、買い物袋から掴んだパンを放り投げた。
「えっ」
驚きながらも必死にキャッチすると、少しだけ不思議そうにこちらへ視線を向けた。
「助かった。ありがとう」
俺の言葉に井上は嬉しそうに白い歯を覗かせて笑う。パンを持ったまま手を振り、そのまま階段を降りていった。
扉を開け、ムッとした空気が漂う自室へ入る。
やっぱり、変わったな。
もう、祐希への後悔だけで生き続ける以前の俺とは違う。
千歳くんが言ってくれた、鶴のごめんねは……俺に対しても向けられたもの。
それを胸の奥へしまって、祐希との楽しいあの日々を糧にちゃんと生きよう。
今の俺にはそれくらいしか決められなかった。
冷蔵庫へ食料を投げ入れる。
ふと手を止める。
再度手に取り綺麗に並べ直した。
祐希の口癖の『ちゃんと』。
俺……ちゃんと生きるから。
それでさ。
いつか『合格』って言ってくれたら、俺はもうそれで十分だよ。
今度の溜め息は軽かった。
合格……。
俺のリュックにはまだ祐希の御守りが付いたままだ。
これは祐希の物。俺も別で買おうか……。
そんなことが頭をよぎった。
ついでに小学校の辺りを歩くのも悪くない。
一緒に行こう、祐希。
「ふっ」
突然の失笑に自分でも驚いた。
こうやってずっと祐希に語りかけて生活していた名残は、どうやっても取れないんだな。
ハンガーに掛けたままのTシャツをもぎ取り、床に落ちていたジーパンを履く。すぐさまリュックを手に俺は一人、思い出の地へと足を進めた。
電車で3駅。
そこから徒歩で15分の場所に小学校はある。
俺は祐希と共に歩いた通学路を、懐かしい気持ちで辿った。
変なウサギのような、ネズミにも見える遊具がある、通称『三角公園』。
結局未だにどちらか分からない。
俺はウサギ。祐希はネズミだと言って譲らなかった。
今どき珍しい公衆電話が隣接するバス停。
バスが通らない深夜になると、その公衆電話から人影が見えると噂になった。怖いものが苦手な祐希にその話をしたらひどく怒っていた。
細い路地。
探検家になったつもりでよく回り道したっけ。勿論隊長は祐希。物知りだからって理由で。単純すぎて笑えた。
小学校が視界に広がる。
花壇にはたくさんの向日葵が咲いている。
途端に胸が苦しくなった。
あまりにも思い出があり過ぎる。
ただの『友達』。
でも俺は……
生涯の『親友』だと思ってる。
今までも、これからも。
空高く登り始めた太陽が俺を照らす。
全身に振り注ぐ光は、俺の心とリュックの御守りをも暑く滾らせていた。
小学校を後にし、少し坂を登ると鳥居が見えてきた。
祐希へ渡した御守りを買った神社だ。
月500円の少ない小遣いを貯めて、一人で買いに来たあの日を思い出す。
ここへ来るのはあれ以来だ。
境内へ入るとすぐ近くに授与所が見える。数種類の御守りや御神札、絵馬が置いてある。合格守りをそっと手に取った。何年経っても変わらない姿がやけに嬉しかった。
「これ、ください」
「袋はご入用ですか?」
「いえ、そのままで」
柔らかに微笑む巫女さんへ初穂料を渡すと、その場を後にした。
境内には木々がそびえ、あちこちで蝉が大合唱している。
ここぞとばかりに血を喰らいに吸い付く蚊を払いながらも、俺の心は安らぎをみせていた。
「……あれ?」
先程買った御守りの手触りに違和感を覚えた。
さっきは懐かしさで気づかなかったが、よくよく触ってみると薄っぺらい。
俺はリュックに付いた祐希の御守りと厚みを比べてみた。
やはり違う。
分厚い。
俺はすぐにリュックから御守りを外し、中身を引き抜いた。
「え……」
中には護符と、型紙に包まれた手作りの乗車券が2枚。
『律・祐希宅発 → 岡山行』
『一生有効』
裏面にはそれぞれの名前が記されている。
俺の切符には下に小さく文字の断片が見える。そして祐希の切符には上に。
ゆっくりとその2枚を上下で合わせた。
「……は、ははっ。ははは」
笑いが込み上がり、目頭が熱くなる。
ズルいよ、祐希。
何で、もっと早く……。
胸の前で抱きしめるように包んだ。
分かってなかったのは俺だった。
祐希はやっぱり、祐希だ。
パズルのように組み合わさった先で見えた、子供らしい手書きの文字。
『親友同士以外 乗車不可』
律と祐希のなぞなぞ二人旅を見届けて下さり、ありがとうございます。
次回、Epilogueで完結します。




