ep.35
結局俺はここまできて、祐希の犯した罪と苦しみを上積みしただけだった。
今度こそ少しは償えるかもと思っていたのに……。
ついさっきまで敵だと思い込んでいた千歳くんは、すぐ隣で背を向けて俯いていた。
一体どんな思いで、今まで生きてきたんだろう──。
何年にも渡る苦しみが、ここになって耐えきれず決壊したのか……。俺を使って弔いを果たし、祐希の元へ逝くことがきっと彼の救いだったんだろう。
自分勝手なやり方にも思えたが、俺は少しだけ羨ましかった。
千歳くんにとっての祐希は、恨んでいた弟じゃなくて、許してあげたかった弟だったんだ。
「千歳くん、俺はあなたを殺せない」
どんな表情だったかは分からないが、その背中からは「うん」とだけ短く切ない声が聞こえた。
俺は本と"サイ"をリュックへ入れながら、小包みが届いた時の事を思い出していた。
なぞなぞ本に書かれてあった暗号に、折り鶴から受け取った「ごめんね」のメッセージ。
祐希が俺へ宛てたメッセージは全て、この折り紙を通してだったと気づいた。
なぞなぞ本は友としての関係を繋いでくれた大事なもの。
その大切な思い出を忘れないでという意味合いを込めて、俺へ託したんじゃないか……そう思うと、少し祐希へ近づけた気がした。
もう一冊。折り紙は兄から教わってハマっていると言っていた。
……そうか。
折り紙自体が千歳くんを指していたんだな。
今更ながら解けた一つの謎は、もう意味を持っていなかった。
デスクトップの液晶には「㋕」がまだ居座っている。
これは何を意味していたのかと、少し不思議に思った。
事故の詳細や証拠、証言が記されたフォルダ。
どう考えても「㋕」には結びつかない。
何だ……。
祐希ならどう考えただろう。
100に"◯"を足して千歳くんへと繋げる発想を真似るように考えた。
"◯"は「まる」「丸」……「えん」「円」──。
リュックのファスナーを閉じ終えた時、頭の中で鮮明に文字が浮かんだ。
顔を上げ再び「㋕」を捕える。
答えに気付くと、心拍は呼応するように早まった。
「円に"カ"。だから『円香』……」
千歳くんは何も反応を見せなかったが、決定的な証言を語った円香さんを指し示すものだとしたら納得はできた。解き明かせた……なのに、まだ頭の片隅に『◯』が貼り付いている。
「その結果は鶴原家が調査会社に依頼したものなんだ。あのとき円香も現場にいたから、何も関与していない証明をしたかったんだろうね」
千歳くんは先程よりうなだれるように頭を下げていたが、その声には少し力が籠もっている気がした。
鶴原家が愛娘を守る為に作ったフォルダ『㋕』。
しかしそれは同時に、祐希の罪を暴露するものにすり替わった。
「律くん、頼みがあるんだ」
振り返った千歳くんは、最初に出会った時のように優しく見えた。
「君から祐希を奪った僕を、永遠に許さないで欲しい」
その言葉に、また自分が重なった。
俺自身もずっと祐希へ、許さないで欲しいと思いながら生きてきた。
恨まれている事実に縛られなければ、祐希へ謝ることも出来ないから。
「……分かりました。でも、代わりにここだけは守ってください。ここは祐希のいる世界とも"ツナグ"って言ってましたよね」
目線がぶつかる。
俺たちは互いに少しだけ目を細めた。
長かった祐希との旅が終わったと、この時の俺はそう思っていた。
「じゃあ、帰ります」
リュックを肩に掛け軽く会釈をした。千歳くんはいつもと変わらず穏やかな表情で軽く手を振ったが、もう片方の手は拳となり震えていた。前を向いて生きようと、自身を無理やり奮起させている……この時の俺は、そう思っていた。
外は昼間に蓄えた陽光の熱にまみれ、傾いた陽は尚も地上を蒸し続けている。
ツナグの門がギイと音を立て閉じたあと、俺は一度だけ振り返って施設を見つめた。
俺が欲しかった答えは見つかった。
もう祐希へ何もしてやれない──。
これから何を枷に生きていけばいいのか……。
胸の内に空いたままの穴を、どう埋めればいいのか分からないでいた。
歩き出した時だった。
背後から声を殺すように、俺の名を呼びながら駆けてくる足音が聞こえた。
「平山、平山!!」
振り返ると汗にまみれ、切羽詰まった表情の井上が俺の腕を強く引き寄せた。
「向こうに車停めてあるから、とりあえず来てくれ」
その必死な表情に思わず頷いた。
俺はそのまま近くの駐車場まで後を追った。
井上のシャツは汗で張り付き、体のラインが浮き彫りになっている。
いつもの爽やかさなど微塵もない。
それほどの何かがあったのだと、走りながら少しの不安を覚えた。
角を曲がると、木陰に停まる見慣れた営業車が1台。
後部座席には人影が見えた。
ドアを空け助手席へ座ると、鮮明になったその姿に睨みを送った。
「平山……久しぶりだな」
クソ上司の西田だった。
露骨に眉間へ刻まれる皺。
互いに会いたくもなかった者同士なのは明白だった。
俺は井上を鋭い目で射抜くが、同じように井上の目にも相当の圧が見えた。
「西田さんが退職手続きで会社に来たから、そのまま引っ張ってきた。色々聞いた上で、一刻も早く平山に伝えるべきだと思って……」
井上の額の汗はまた一滴、顎を伝い落ちていった。
理由はともかく、突然辞めたというのは聞いていた。話すらしたくはないが、井上の醸す緊迫感に納得せざるを得なかった。
西田は井上と一度目を合わせたあと、俺へ向けて深々と頭を下げた。
「平山、申し訳ない。お前を辞めさせろと頼まれた」
予想外の言葉に思考が止まる。
井上の顔を見ると変わらず真剣な眼差しを見せている。
「……どういう意味ですか?」
西田はゆっくり頭を上げて、俺と目線を合わせないように、胸元辺りに視線を送りながら口を開いた。
「娘は難病を患っていて、いま入院してる。主治医から新しい治験があるから参加したいなら特別に枠を取ると、提案があったんだが……その条件がお前を辞めさせる事だった」
西田の顔は至ってまともだった。手にしていた封筒がグシャリと音を立てる。告げられた内容だけが宙を浮いているように思えた。
意味が分からない。
その病院は何のために無関係な俺を……?
検討がつかないでいると、横から井上が落ち着けるように一つ息を吐いた。
「いいか平山。それを指示したのが主治医の娘で……その病院ってのが、鶴原総合病院なんだ」
刃物を突きつけられたかのように体が冷えるのを感じた。
それを聞いて真っ先に脳裏へ過ぎったのは、赤い口紅を纏った円香さんだった。
「やっぱり、鶴原円香はヤバいよ。俺には西田さんみたいに会社を辞めたくないなら、平山の情報を教えろって脅してくるし。あいつ、普通じゃない」
井上の顔がみるみる青ざめていくのを呆然と眺めていた。
確かに彼女には幾度も違和感を感じていた。上手く言えないが、はっきりと分かるのは好意的なものではないこと。
それと、千歳くんを心底好きなんだということ。
「平山、俺は言われるがままお前をクビへと追いやった。本当に申し訳ない。治験に参加できることが決まってから自分が情けなくなって……お前を追いかけるように会社を辞めた。許してくれ」
確かに西田はクソだった。
ずっと偉そうで、とにかく数字に厳しくて。だが、最初からそうじゃなかった。井上を育て上げたように、俺へもちゃんと指導をしてくれる、そんな上司だった。
「鶴原円香……」
口から流れ出た名に胸の奥が明らかにざわつくのを感じた。
西田の手元は怒りなのか、情けなさなのか震えを見せている。
茶封筒がそっと横へ置かれた。それには『鶴原総合病院』と、鶴の絵が記されている。
『鶴は千年。つなぐ命、拓く未来。』
視界に飛び込んできたそれに、俺は息を呑んだ。鼓動が凄まじい速度で唸りを上げていく。
100に足された不自然な"◯"によって作られた『1000』。"ころされる"のサイ。
ずっと千歳くんの事なんだと、脳は決めつけていた。
違ったんだ──。
あれは1000年の鶴と"◯"、2つに意味を成している。
鶴と円……
再び頭を過ぎったのは満開の向日葵へ向けて笑った、彼女の満ち足りた表情だった。
俺は急いで車外へ飛び出し、全速力で駆け出した。
祐希──
気づけなくて
ごめん。




