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向日葵の檻ー死にたい俺が君を探し当てるまでー  作者: みい


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34/42

ep.34

 千歳の言葉は、流れゆく風のように一瞬で耳を過ぎていった。


 抱いていた疑念。

 欲しかった答え。

 祐希の為にここまできた理由。

 やっと、たどり着けた──。

 なのに、あまりにも容易く出た言葉に、哀しみ以外感じなかった。

 千歳の瞳が寂し気に揺れている。

 俺は掴んでいた襟元から手を離そうとしたが、それを拒むようにあいつの手が被さり、そのまま首元を囲うように上へと誘われた。


「このまま殺せばいい」


 その声はなぜか柔らかく響いた。

 目の前の千歳は、ただ安堵感に満ちている……そんな表情をしていた。


「俺は祐希の死を知ったあの日から……ずっと後悔して生きてきた。だから祐希が少しでも救われるなら、今ここでお前を殺してやりたい」


「良かった」


 千歳は俺へ向けて優しく微笑んだ。

 殺される事が、自身の救いであるかのように。

 その姿は鏡越しに映る自分に見えた。

 長年にも渡り、後悔の念だけでここまで生きてきた空っぽな人生。

 祐希という色が無くなった白黒の世界を、俺たちは屍のようにひたすら歩いてきただけなんだ。


「何で……。理由は、何だったんだよ」


 首の脈が手に伝わる。一定のリズムで流れる血液は動揺を見せなかった。

 重なり合っていた千歳の手が離れる。首へ触れていた自身の手も、行き場を失ったように力なく垂れ下がった。


「葉山家は特殊でね、外科医以外は医者として認めないような家系なんだ。手術で命を救うなんて、目に見えて分かりやすいからね。父は"神の手"という異名を持つ祖父に、心酔していたから、こんな手の僕には一瞬で興味を示さなくなったよ」


 そう言いながらカップを手に取り、再び珈琲を注ぎ込む。

 漂う豆の香りを吸い込むと、瞳を閉じて味わっていた。


「母は父の言いなり。跡継ぎを育てる為に必死で、とても従順だったから、祐希を外科医にする為に身を粉にしていた……。数日前まで当たり前にあった両親からの期待や愛情を、僕は一気に無くしたんだ」


 口元へ茶色の液体を流し込むと、喉仏が上下へゆるりと動く。

 エアコンの冷風が千歳の髪を揺らし、優しく撫でているかに見えた。


「僕は何かしたかな? 祐希のせいで今までの努力も愛も未来も奪われて、残ったのはこの震える手と、兄として支えることだけ……。馬鹿げてるよ」


 髪を鷲掴みにし、荒く掻きむしる千歳が少しずつ人間味を帯びていく。

 腹の底に溜まった毒を吐き捨てるように。


「おまけに君だ。しつこいくらい祐希の身を案じてはやって来て、母の精神を駆り立てる。あの頃の家は重苦しく殺伐としていたから、うっとおしくて堪らなかったよ」


 その瞳にはもう優しい兄は消えていた。


「正直、祐希が僕の怪我で赤恐怖症になったのは良かったよ。僕だけが失うものが多すぎて、割に合わなかったからね。だから赤に苦しむ祐希だけは可哀想だと思えた」


 俺は毒のように吐き出すあいつの言葉を、最後まで聞き届けるつもりだった。まだ何かが隠れているような、そんな気がしてならなかった。


「忙しくなった祐希は、今まで通り円香とも遊べなくなって、少しずつ塞いでいったよ。ただ唯一君との約束だけを糧に勉強は決して止めなかったけどね。でも部屋には常に母が居て、周りは赤い物だらけ。毎日えずいてばかりだから食事も吐き出す始末で、みるみる痩せこけていってね……薬に頼らざるを得なかった」


 頭に浮かぶ祐希が悲鳴をあげている。

 俺なんかが知り得なかった苦しみが幾重にも重なり、腸が切りつけられるように痛みが走った。


「ちょうど円香の父親は心療内科医で臨床薬理にも詳しかったから、父は祐希の為に薬を頼んだんだよ。慎重に踏み込んだ処方だったと聞いてる。飲み始めて数日後には回復の兆しが見えて、円香はしょっちゅう薬を持って来てくれたし、祐希の相手もしてくれてね。笑うことも増えたよ。でも……」


 千歳はまっすぐ窓の外へ視線を向けた。飛び立った鳥の羽根が一枚、淋しげに落ちていく。


「小雨の降る朝だった。薄暗くて、祐希の部屋の電気を点けたとき、ベッドの側で倒れてたんだ。後々見つかったのは、ベッド下に大量の捨てられた薬と、いつの日か託された君へ宛てた小包み」


 胸の奥を、鋭い痛みが駆け抜けた。

 祐希の知らなかった最期。

 懸命に守ろうとしてくれた約束。

 熱いものが目から流れ落ちた。

 同時に腰から力が抜け落ち、両膝が床へと叩きつけられる。

 想像もしていなかった……。

 あの頃の俺はただ、また一緒に過ごしたい、そんな単純な気持ちだけだった。

 それなのに、何度も自宅を訪ねては君の母を刺激し、余計な苦悩を足していたなんて。


「僕が植え付けた"赤"が結果的に祐希を殺した。だから、僕が殺したも同然なんだ」


 ゆっくり近づく足音に顔を上げると、千歳は片ひざを立てて憐れむような瞳を向けた。


「君と僕はよく似てる。だから律くんになら殺されていいと思った」


 やっと、この日がきてくれた──。

 そんな念願叶った顔をしていた。

 だが、直接手を下した訳じゃない。

 恨みや憤り、妬みが山のように感じられるが、同じくらいに哀しさが滲んでいるように見える。

 こいつも俺同様に後悔し続けたから、今がある。そう思えた。


「こんな回りくどい弔いに、君を巻き込んでしまってすまない。……でもこれで悔いはないよ」


 千歳は机の引き出しからカッターナイフを取り出した。

 カチカチカチ……

 音と共に鋭い刃は姿を現し、そのまま俺の掌へと乗せた。


「祐希を守れなくてごめん」


 最後の謝罪はあの時の俺と、全く同じだった。

 むしろ俺よりも消化しきれない気持ちに溺れている。

 だからこそ、祐希の為になぞなぞを配置し、俺を交えて成し遂げられなかった最後の"2人なぞなぞ旅"を叶えたのか。


 出っ張った刃を柄に戻し、カッターナイフを引き出しへとしまった。


「……頼む、律くん」


 震えた声。祐希の元へ逝かせてくれと脱力した瞳。眉を潜めながら俺を求めているのが分かった。

 だが今の俺には内なる狂気など残っていない。見事なまでに消化していた。


「なぞなぞを織り交ぜたって……あの本の中身は全部、千歳くんが書いたってこと?」


 敵だったはずが、俺は自然とあの頃のように『くん』を付けて呼んでいた。

 きっと何か伝わるものがあったのだろう。千歳くんはどこかやるせなく、諦めに似た笑みをこぼしていた。


 祐希が俺へ託したと思っていたメッセージの数々。記したのが誰なのかを確かめずにはいられなかった。


「……なぞなぞ本は、僕が書いたものだよ」


 呟くように放った言葉に力はなかった。


「じゃあ、折り紙の本は?」


 俺はリュックから取り出すと、サイの折り方が書かれてある100ページ目を広げて見せた。


「所々角が折られてたり、このページにだけは色の指定が書いてある。このメッセージが隠されたサイは指示通り折ったもので……」


 千歳くんはそっと本へ触れると、隅々まで大きな瞳で追った。俺はページの角に指をあて、話を続けた。


「このページ数の隣に"◯"が足されて『1000』。折ったのは『サイ』。……千、サイ。これは祐希からのSOS。つまり千歳くんが犯人だと告げるメッセージだと思って」


 千歳くんは視線を本に落としたまま、ゆっくりと首を振った。


「……僕は、これには一切書き込んでないよ」


 その声は僅かに震えていた。


 これは本当に祐希が記したもの――。

 俺がそう考えていた隣で、千歳くんの手はいつもに増して震えながら、角の"◯"へと触れた。


 横目で見えたその表情から、一気に血の気が引いていく。

 それは当たり前の日常の中に潜んでいた"怪異"に怯える、底知れない恐怖そのものの顔だった。


「……円香」


 エアコンの駆動音に重なったその小さな囁きは、


 誰にも届くことなく、掻き消された。



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― 新着の感想 ―
千歳くんが自ら……というわけではなかったんですね。 でも、新たに浮かんだ疑問が……
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