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向日葵の檻ー死にたい俺が君を探し当てるまでー  作者: みい


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32/42

ep.32

 人肌ほどの温度を持つ空気が、窓から流れ込む。そのたびにカーテンが重たげに揺れた。

 つい先ほどまで鼻を突いていた漂白剤の匂いは、いつの間にか遠のいている。

 目の前で消えた赤。

 円香さんの笑う唇の色だけが、今は残像の様に残っていた。


 リュックを掴み事務所へ歩き出すと、背後からさくらの声が俺を呼んだ。


「律くん! あのなぞなぞ本ってある?」


「あー、うん。このリュックに入れっぱだから」


 そう答えながら、俺は肩にかけたリュックへ触れた。


「今日お休みだから残りの問題も解きたくて。貸して……くれる?」


 少し不安げな表情。元気なさくらにしては弱々しい声だ。また自我を押し殺して我慢する癖が出ていた。


「いいよ。でも、大切な本だから"丁寧にね"」


 思わず口から出たのは祐希の口癖だった。

『律、丁寧にね』と、よく言われていたのを思い出す。


「うん!」


 本を渡すとさくらは嬉しそうに抱きかかえ部屋へと戻っていった。


 俺の中には祐希が居る。

 揺れ動く御守りへ向けて笑った。

 知らないことも確かにある。

 でも、俺にしか知り得ない祐希だって居るんだ。

 まるで不安を上書きするように、傲慢さで覆い隠した。

 そうしなければいつか、俺は祐希から部外者だと宣告されそうで怖かったんだ。




 渡り廊下の空気は、吸い込むだけで息苦しい。

 蝉の鳴き声が幾重にも降り注ぎ、耳の奥までじんじんとうるさく響いた。

 焼けたアスファルトの上では、景色そのものが熱で揺らいでいる。

 この暑さじゃ、熱中症になってもおかしくはない。

 苦笑いを浮かべると、さっき倒れたあたりに咲いていた向日葵を思い出した。

 満開となった向日葵に、円香さんの笑顔。


 12本……


「律さんには、この意味が分かりますよね?」


 おかしい──。


 足が地面に縫いつけられたみたいに止まった。

 

 彼女は、まるで全部知っているみたいな顔をしていた。けれど俺は、花の話なんて一度もしていない。

 なのに、どうしてあんなことを……。


 汗が目にしみて、思わず瞼を閉じる。暗闇の向こう側で、考えれば考えるほど答えはどこにも見つからなかった。




 事務所のドアを叩くと、聖人の優しい声が返ってきた。

 俺の額から流れる汗を見た千歳は、微笑みながらタオルを差し出した。その瞬間、さっきの話が頭に浮かぶ。


「律くんは代謝が良いんだろうね」


「いや、汗っかきなだけです」


 タオルから漂う柔軟剤の香りと、あいつの匂い。混じり合うように鼻を掠めると、汗を拭う手が自然と止まった。

 机の隅にタオルを無造作に放り投げ、先ほど使ったパソコン前へと腰を下ろす。隣には数冊のファイルが積まれていた。


「付箋を貼ってるページだけ、入力を頼みたいんだ」


 千歳は隣の席に座り、一番上のファイルを開くと端的に説明を始めた。


 暫くキーボードを弾く音と、捲られる紙の音だけが流れた。

 俺の隣で見張るかのように、千歳は書類の整理を続けている。


 1時間ほどで作業を終えると、隣から細い手がマウスへと伸びた。


「助かったよ、ありがとう」


 タブを閉じた先で、再びデスクトップの隅に現れた黄色いフォルダの『㋕』。

 すぐ隣に千歳が居るのに、俺は目を逸らせずにいた。


「気になる?」


 楽しげ表情を浮かべながら、聖人は俺の顔色を伺うようだった。


「僕以外にこのフォルダを開けられるとしたら、律くんだけだよ。祐希との友情の証を覚えているなら分かるはず」


 きっとここには重要な何かが隠されている。

 それなのに開けてごらんと物語るその瞳が、理解できずにいた。わざとヒントを与える趣旨も読めない。

 でも……絶好のチャンスであるのは確かだ。


 俺は祐希との思い出を辿り始めた。


 初めて交わした言葉。

 2人で解き続けたなぞなぞ。

 丁寧に折った鶴。

 図鑑で覚えた秘密の暗号の記し方。

 向日葵のような明るい笑顔。

 祐希が苦手なかけっこ競争に、給食の牛乳はや飲み勝負。

 最後に行った遠足でのおやつ交換。

 その時は確か、動物園へ行ったあと近くの公園に移動し、弁当を食べたんだ──。

 食後、遊具で遊んでいたら岡山で遭ったゲリラ雷雨のように、突然現れた暗雲が大雨を降らせた。先生の指示で近くの管理事務所へ避難したが、苦手な雷も鳴り始め、俺はいつものように怖さで呼吸が乱れていた。その場にしゃがみ込み耳を塞いで身体を震わせながら、固く目を閉じて凌ぐしか出来なかった。祐希は俺の異変を察知し、耳へ被せた俺の手へ重ねるように、温かな掌で覆ってくれた。その温もりと安心感は今でも覚えている。

 周りのクラスメイトはそんな俺たちを見て冷やかすやつも居た。

 祐希に迷惑をかけたくない……。その思いが口から溢れ『ごめん』と呟いた。その手を払おうとしたが、祐希は首を振って珍しく大声を上げた。


「誰でも苦手なものくらいあるだろ!」


 シンと静まり返った空気が流れ、温厚な祐希から放たれた言葉に、周りはみんな驚いていた。


「無理しなくて、大丈夫だから」


 俺に向けてくれたその優しさに、何度も救われた。


 思い出を巡らせながら浮かぶキーワードをひたすら打ち込む。その度に開かない鍵。溜め息交じりの息を吐いたが、おかしなくらいに楽しかった。また、祐希と一緒になぞなぞを解き明かしているようで。

 そんな俺を千歳はずっと隣で見ていた。その表情は楽しげで、どこか切ない目をしていたが、俺はそれに気づくことは無かった。



「……ん」

「……くん?」

「律くん?」


 無我夢中だったのか、数回目にしてやっと俺の耳にその声が届いた。


「さっきの壁のシミなんだけど、取れたかな?」


「えっと、円香さんの処置で、綺麗に元の白い壁へ戻りましたよ」


「それなら良かった……でも、いくら揉み消してもそこにあった事実は変わらないんだけどね」


 その囁きは、かろうじて聞こえる声量だった。


「どうしてあの時、教えてくれなかったんだろう」


 意味深な発言に、手が止まる。

 あいつの横顔はやけに暗く見えた。


「……何を、ですか?」


 予定通りの反応だったんだろう。

 千歳はふっと切なげに笑うと、首を左右に数回振ってからゆっくり立ち上がり、資料の束を手に棚へと向かった。


 何をだ。

 教えてくれなかったって……

 誰のことを言ってる!?

 あいつの言葉が一気に脳を支配する。

 気になって仕方がない。

 でも、ここを解錠できればそれにさえも辿り着けるような気がした。


 俺はパスワード解除へ向けて速度を上げ入力を繰り返す。

 何度も弾くその壁にラリーを送り続けた。


 背もたれに身を預けた途端、椅子の軋む音が静かな事務所に広がる。

 天井を見上げ、軽く伸びをした。

 壁に掛けられた時計は、あれから静かに一時間を進めていた。


 どうして解けない──

 少しずつ焦りが出てきた。


 コトン、と重みのあるカップの音が机から聞こえ、同時に珈琲の香りが鼻を抜けた。


「少し休憩しようか?」


「……どうも」


 俺は軽く頭を下げて茶色い液体を口に流した。

 岡山の喫茶店でマスターが出してくれたあの一杯と重なる。


 珈琲、岡山──

 祐希との友情の証。


 苦みが喉から胃袋へと垂れた時、ある文字が浮かんだ。

 勢いよく置いたカップから数滴の茶色が飛び出す。手に降り掛かった事すら分からない程に、俺の脳みそは明らかな感触を得ていた。

 一文字打つ毎に祐希との思い出のパズルがハマっていく。

 何故これが浮かばなかった!?

 自問自答を繰り返しながらも、口元は歪に吊り上がり、剥き出しになった歯が覗いていた。

俺は今この挑戦状のような、なぞなぞを楽しんでいる。その狂った自覚が、さらに指を加速させた。



 最後の「i」を打ち込み、Enterキーを押した。

 青白い液晶の光が俺を包み込む。

 画面には冷徹な文字が並べられていた。


 背後では、珈琲を啜る音が響く。

 ケトルの側で珈琲豆の袋が小さな音を立てて倒れた。『センブリの花』が記されたその袋に、俺は気づくことなんてできなかったんだ。


「……美味いね、この豆」


 千歳は苦みを丸ごと飲みつくそうとカップを上へと傾けた。


 俺は文字を追うので精一杯だった。


 一番大切にしていた「友情の証」


 文字が揺らめく。

 瞳に溜まった水分のせいで上手く読めない。

 瞬いた瞬間、こぼれ落ちた涙の理由が――そこに露呈されていた。


『葉山千歳君 交通事故に関する調査報告書』


『作成:大森法律事務所』


 無機質な文字列は、一つずつ正確に俺を殴りつけるようだった。


『nazonazofutaritabi』


 俺と祐希が交わした、たった一つの約束。


 その唯一の鍵で開いた先にあったのは――


 俺が知りたくなかった真実。


 祐希が隠し続けていた罪だった。


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― 新着の感想 ―
ついに辿り着いた真実…?? えっ…!!
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