ep.28
空は太陽からの光を無くし、真っ黒に塗り潰されていた。静かで不気味な夜が俺を出迎える。
『折り鶴』の部屋の片付けを済ませ、本と折り紙の束をリュックへ戻した。
揺れる御守りが震えているように見えた。そっと掌に乗せ優しくなぞると、鮮明にあの日の光景が蘇ってくる。
祐希が感情を奮わせ、これを投げつけた時の悲痛な顔が……。
結果としてそれは、俺を守る為に被った精一杯の優しさを施した仮面だった。
もっと早く知っていれば。
祐希をちゃんと信じていれば。
千歳くんから聞かされたあの時から、何度も繰り返される後悔。
だが……どのみち俺は同じように生きていたのかも知れない。
やるせない気持ちを抱きながら、御守りを優しく手で包んだ。
かつて見た鮮烈な赤は、強い意思だけを残すかのように、今は醜く黒ずんだ錆色に変色している。刺繍の糸一本一本が固着し、そこだけが周囲の布とは違う異質な硬さを持っていた。
確かに赤く染まっていた──
当時は精神的ショックから深く考えなかったが、赤を忌み嫌うはずの祐希が何故……。
部屋の灯りを消し、静まり返った渡り廊下を進んだ。辺りに潜む虫の音は、施設全体の異常性を俺にだけ伝えているように感じた。それを消し去るかの如く、子供たちの騒がしい声が耳へ届き、俺は家のドアをゆっくり開いた。
「あ! 律くんおかえりー」
"おかえり"……何年ぶりかに聞く響きに一瞬頭が真っ白になった。
「ただいまって言わなきゃだめだよ」
そう促され小さく返事をしたが、遊びに夢中な小さな背中は部屋へと駆けていった。そばではその光景を見守る千歳くんの横顔が見える。その瞳と視線がぶつかり、背筋をなぞる様な悪寒を感じた。
まるで、人形がちゃんと檻へと戻ってきたのを確認するようで。
「律くん、お疲れ様。案内するね」
その穏やかに話す声にさえ、何か意味があるように感じた。
一階奥の端に『宿直室』と書かれた小さな看板が扉に掲げてある。
中にはベッドと小さな机、あとはテレビだけという簡素な部屋だった。
「僕は事務所横の宿直室を使うから、ここは頼むね。何かあればこれを渡しておくからすぐに呼んで」
職員用のスマホを手渡された時、千歳くんの震える手が俺の掌にも伝わってきた。
「夕方研修した通りにしてくれればいいから」
「はい、分かりました」
目線は逸らされ俺のリュックへと注がれる。
「その合格守り随分古そうだけど、ずっと付けてるの?」
「……はい」
「よっぽど効果があったのか、それともまだなのか」
不敵な笑みのまま過ぎ去るその背を目で追っていた。
真実を見つけ出し『合格』してみせる。そう自分へ戒めを込めるように、指を絡めながら骨の音を立てた。
宿直室の床へリュックを置きベッドに腰掛けると、逸る心を落ち着けようとテレビをつけた。
ちょうど夜のニュース番組が流れ始め、無意識に画面に見入る。事件の続報に、熱中症を警戒する天気予報。世界の動向に、株の値動き。耳に入れては即座に流す。俺にとって何の意味も持たない言葉たちを捨て続けていた。
消灯時間になり、子供たちの各部屋を回る。中には"おやすみ"という前に眠ってしまっている子も居た。電気を消してそっと階段を下りる。そのまま浴室へと向かいシャワーを浴びてから再び宿直室へと戻った。
適当に荷物を入れたからか、就寝用のTシャツとスウェットは皺だらけだった。だがいつもと変わらぬ着心地に少し安心したのか、ふっと鼻息が漏れていた。
テレビ画面ではCMが終わり、別のニュースが語られ始める。
毎日起こる犯罪に、事故。その度にまた"教育虐待"というフレーズを癖のように探す自分が居た。
続いて流れ始めたのは政治に関することだった。
「大相撲七月場所を間近に控えた藤ノ原親方ですが、一部では次の衆院選での出馬も取り沙汰されています」
元力士……。
その時、千歳くんの出した問題を思い出した。
『芸能人』『政治家』『力士』『怪盗』この中でクイズに答えることが出来たのは誰?
答えはもう分かってはいるが『よく考えて』と念を押された事だけが引っかかっていた。
「最近はスポーツ界や角界から政治の世界に進む方が話題になりますよね」
ふとコメンテーターの言葉が耳に残った。
スポーツ界や、角界……。
「では、続けて芸能界から嬉しいニュースが飛び込んできました」
まただ。いつもならすぐに聞き流すはずが、鼓膜にこびりついて離れない。
「芸能界……」
口から出た自身の言葉が耳へ戻されると、身体は硬直するかのように一瞬停止した。再び動き始めると掌で口を覆い、腹の底からこみ上げる吐き気を抑え込んだ。
クイズに答えることが出来たのは──
解答をした『怪盗』のみ。
容易い答えの裏に、もう一つひっそりと潜むそれに気付いた時、今度は呆れるような笑いが漏れた。
「……はは。はははっ」
『怪盗』を除く残りの3つ。
『芸能人』『政治家』『力士』
この3つだけは別のある表し方を備え持つ。
『芸能界』『政界』『角界』
剥き出た歯をゆっくり隠すように口を閉じた。
「せいかい」
御守りの変色した錆色を、目に焼き付けるように見つめた。
偽りの聖者からの宣戦布告。
常に絶やさないあの仮面のような笑みが浮かんだ。
やっぱりお前だったのか……。
やけに落ち着く心臓とは対照的な手の震え。
この時の俺は興奮などしていなかった。
ただ、冷静に疑念を確信へと繋げていたんだ。
そして、静かにやり遂げる覚悟を固めただけ。
『かいとう』と『せいかい』
千歳……こう言いたかったんだろ?
「君の回答は正解だよ」って。
『見えてるところしか探せなかった僕とは違うね』
祐希──
待ってろ。




