ep.27
窓から生暖かい風が吹き込み、白いカーテンが揺れる。
太陽の光は容赦なく降り注ぎ、家を丸ごと熱し上げていく。
千歳くんはいつもの涼やかな顔で、真っ直ぐに俺の元へ歩み寄ってきた。震えることのない左手を伸ばすと、それは俺の顔面へとゆっくり迫りくる。背筋だけは異様な寒気に覆われていた。
「やっぱり暑いね。冷房入れよう」
千歳くんは俺のすぐ近くに掛けてあるリモコンを掴み電源を入れた。そのまますぐに窓を閉め、外界との繋がりを遮ぎる。カタカタと音を立てて動き始めるエアコンさえも、ここに囚われた者に見えた。
冷気を帯びた風が辺りに流れ始める。
変わらない背筋の寒さと対照的に、顔は汗が流れるほどに蒸し上がっていた。
「千歳くん、今日は律くんも一緒じゃだめ?」
さくらは手を前で組みながら少しそわそわした様子だった。
「ごめんね、今日は大切な話があるから難しいかな」
「そっかぁ……」
俺へと視線を向けたあと、さくらは口を尖らせ落胆した。
その時スマホの着信音が鳴り、千歳くんは軽く息を吐くと、電話越しに話しを始めた。
「……うん、分かったよ。後でまたかけ直すね。大丈夫、安心して母さん。じゃあね」
相手はあの母親ーー。
子供の頃に見た、拒絶する目を思い出した。
「ごめんね。きっと嫌なことを思い出させたね」
「あ、いえ」
やはりこの人は何でもお見通しなんだ。もう見透かされる事が至極当たり前に思え始めた。
「母は祐希の葬儀後、心を病んでしまってね。今は精神病棟に入院してるんだ」
精神病棟……。
まだ幼い息子が亡くなったんだ。理由はともあれ精神的に参るのは当たり前。そう思う半面、それだけでは無いような気もした。
「今は病状が安定してる時期だから、こうして電話も面会も出来るけど……」
千歳くんは突然口を紡いだ。
「千歳くん?」
さくらの呼びかけに、陰りかけた表情は瞬時に引き戻される。
「あ……ごめん。何でもないよ」
お決まりの涼しい笑顔。
一見何でもないように思えたが、震える片手は拳となり、いつもに増して揺れていた。
何だ……?
千歳くんの母親に対するノイズに見えた。
その時ノックをする音と、スタッフの声が届いた。
「ケースワーカーさんが来られました」
「ありがとう、お通しして」
柔らかな口調に見慣れた笑み。
知っていた千歳くんが、ただの張りぼてに見えた。
「律くんは掃除の続きに戻ってくれるかな?」
「あ、はい」
さくらの元気なく振る手を見届け部屋を出た。
さっきの千歳くんの表情ーー。
鋭さを宿した瞳など今まで見たことがない。あの母親に対しての秘めたる何かがあるに違いない。
玄関のドアを開けた時、ケースワーカーの姿が見え、互いに頭を下げた。
「こんにちは。岡野京子です」
「平山律です。よろしくお願いします」
「平山さんの事は円香さんから伺っています。葉山さんとも知り合いだそうですね」
「あ、はい」
答えながら疑問が湧いた。
なぜ千歳くんからではなく、円香さんから聞いたんだ?
「岡野さんは、いつ頃から?」
「ここの立ち上げからなので、もう4年になります。もとは鶴原総合病院で医療ソーシャルワーカーとして勤めていたんですが、円香さんからここの話を聞いてケースワーカーに転職したんです」
岡野さんの口から出た言葉は鼓膜を突き刺すようだった。
鶴原病院に……円香さんからの誘い。ここの担当となった彼女もまた、意図的な何かがあると感じた。
砂利交じりの足音が近づく。獲物を捕らえるような眼光は俺へと向けられ、赤い唇からは白い歯がこぼれていた。
「岡野さん。さくらちゃんと千歳さんがお待ちですよ」
「あ、すみません円香さん。すぐ行きます。じゃあ平山さん、また」
ほんの少しだけ頭を縦に動かすので精一杯だった。まるで身体中が縄で縛られているようで。
「律さんって、どこまで?」
「え……」
まるでどこまで知っているのかを伺うように、円香さんは俺へとまた一歩近づいた。
「掃除、どこまで終わりました?」
急に柔らかな笑みを浮かべた彼女に、息が詰まった。
円香さんもまた、何でも知っていると言わんばかりの、見透かした目をしている。
「えっと、窓拭きの途中で……」
「途中……でしたか。では、続きもお願いします」
そう口にした後、俺の真横を通り過ぎた彼女からは、笑顔は消えていた。
初めて会った時から見せる顔があまりに多い。どれが本当の姿なのか分からないでいた。
続き……。
きっと彼女も千歳くんも、俺が持つ疑念に何かしら気づいてるはずだ。
その上で仕掛けてきてるとしか思えない。さっきのなぞなぞにしても、円香さんの意味深な物言いにしても。
逆に吹っ切れるチャンスだと思えばいい。だったら、一つ一つに反応して怯えることもなくなる。元からこの施設の檻へと足を踏み入れたのは俺自身だ。
やってやる。
心を奮起させ『折り鶴』の部屋へ戻ると、残りの窓を懸命に拭いた。
磨いた先で見える景色に、花壇でなびく色とりどりの花の姿があった。太陽の光を目一杯に浴び生命を感じさせる一方で、俺には逃げることの許されない灼熱の監獄に思えた。一生ここでしか咲けない花。揺れが止まると、一気に哀しげな色に見えた。
「律くん、お掃除終わり? 折り紙しようよー」
「あ、うん。片付けてくるよ」
ここの子供たちは一見、幸せかのように見える。ただ、それはそう"見える"ように繕われたもの。
だからこのままで良い訳がないんだ。
ふいに倉敷のネットカフェで見た夢を思い出した。
『見えてるところしか探せなかった僕とは違うね』
祐希の言葉が突如脳内に蘇る。
また俺は何かを見逃してる……?
掃除用具をロッカーへ片付けた時、壁に掛けてあるコルクボードが目に飛び込んできた。スタッフのメンバー全員の名前と、その隣に子供たちが書いた似顔絵が貼り付けられている。
「代表・施設長 葉山 千歳」
続けて常勤スタッフの名前が並び、最後に見えたそれから目が離せなくなった。
「スタッフ 鶴原 円香」
また脳みそを掻き混ぜられるようだった。言葉がパズルピースのようにバラバラに浮かぶ。
千歳は……1000とサイだった。
円香は……エンとコウ?
何だ?
何かが引っかかる。
見えてるところと、見えないところ。
俺はまだそれに気付けずにいた。
「律くん、まだー?」
名を呼ばれリュックから折り紙の本を取り出すと、待ち侘びている幼い笑顔の元へと急いだ。
「お待たせ、歩夢」
本を手渡すと吟味するようにページを捲る。その顔はやけに楽しそうに見えた。
歩夢はまだ5歳。
シングルマザーの母と2人暮らしだった。だが歩夢の母親はギャンブル依存症で、膨れる借金へのストレスから酒を止められず、ネグレクトと暴力を奮っていた。それでも歩夢は母親と暮らしたがっていたようだ。
俺も母と2人きりだったから、環境の違いはあれど、その気持ちは多少なりとも分かる気はする。
「アサガオに決めた。あの花壇に咲いてるのと一緒」
「あ、本当だ。じゃあ、色はどれにする?」
歩夢は机の上にある折り紙の束から選び始めた。
「あれー? 赤色がないー。赤が良かったのにー」
一緒に探してみたが、ちょうどきれているようだ。残念がる顔を見て、リュックの中にある祐希から貰った折り紙の束を思い出した。色も豊富でほぼ新品に近い。あの中になら残っているだろう。そう思って探したが、何故か赤は1枚も見当たらなかった。
「ごめん歩夢、俺のも無くて。他の色でもいい?」
「うん、じゃあ青色にする」
あまりに早い切り替え。
まだ幼いんだ。
多少駄々をこねたって構わないのに。
不憫な歩夢を見て胸が詰まった。
「何折ってるの?」
近づいてきた円香さんを警戒するように、自然と肩に力が入る。
「アサガオだよ。円ちゃんも一緒に折ろー」
「うん、じゃあ何色にしようかなー。……あれ? この折り紙、施設のじゃないね」
「あ、それは俺が持ってきたやつで。祐希から貰ったものなんです」
その名を聞いた時、彼女は色を決めたかのように探し始めた。
「やっぱり、無いんだ……」
呟かれた時、妙な胸騒ぎがした。
「え?」
彼女は鼻から息を漏らすと、何も知らないのかと言うように笑った気がした。
「祐希はね、赤色がダメなんだよ」
突然隣に現れた千歳くんに肩が跳ね上がる。
どこに居ても見張られているのかーー。
「血を見ると過呼吸になるほどでね。赤がとても苦手だったんだ」
初めて知ったそれに、また何かが引っかかった。
祐希と、赤色……。
あの日、濡れた地面へと叩きつけられたあの音が、脳裏に過ぎった。
「あぁ……」
口から漏れている事など知らず、俺はリュックについたそれを見つめた。
祐希があの日投げつけた
不自然な赤が混じった
御守りを。




