ep.16
爪の間から赤色が一筋、画面に引かれた。通知音はやはり、新着のブログだった。
死刑宣告とは、こんな感じなんだろうか。
考えるほど人差し指は画面に触れようとはしなかった。
炎の熱は僅かながら勢いを弱めていく。空は灰色の煙とブルーが、対局するように染まっていた。近くのゴミ置き場には黒い影が袋を突付き、生ゴミを巻き上げる。道路の端には何かを懸命に運ぶ蟻の列。こんな状況でも日常はすぐ側に、当たり前に存在した。
この指をタップすれば俺は……。
現実味を帯びていく己の死に、顔だけはほくそ笑んでいた。
一つ指を弾ませる。
「果たせなかったけれど」
……予約投稿。彼女の命のカウントダウンは、あらかじめセットされていた。
一文とブログのヘッダーにも使われた写真、向日葵の花束が写されている。端には真っ白な折り鶴を添えて。まるで、死者への弔いのようだった。
何一つ自分へのメッセージは感じなかった。むしろ、彼女自身が納得したかのような気がしてならなかった。
急に蚊帳の外に放り出された感覚と、虚しさに手が止まる。
結局、最後まで彼女の人生の部外者であり、ブログを勝手に解読しただけの、名もなき読者の一人に過ぎなかったんだ。
俺はなんて浅ましくて、救いようのない馬鹿なんだろう。
煙は白濁し縦糸のように細くなっていた。ぼんやり見つめる先で連なった三つの担架。安堵する声と罵る濁音。焦げ臭さと鼻にフックを放つ程の異臭に、周囲の人影は散っていく。俺は何も感じなかった。それすらも与えられなかったんだ。
スニーカーに砂利を擦り付けながら足を滑らせる。
「いま来たとこなの。ご家族……みんな?」
「そうなの、4人とも。かわいそうにね」
間違いなく彼女を知っていて、部外者ではない口ぶりに、キンと鼓膜が鳴った。ひそひそ話す声が届く度に、ここに居る俺は一体誰なのか……存在自体が異物にしか感じなかった。
目を細めて気味悪がる顔が並ぶ。
勝手に避けてくれるおかげで順調に前に進めた。
俺はやっぱり
何も出来なかったーー
何か一つでも……なんて、どうして思えたのかさえ分からない。彼女が精一杯伸ばした手は、俺になんて向けられる訳無かった。
彼女を……葵を分かったつもりでいた。解けていくなぞに祐希の影を勝手に感じながら、傲慢にここまで来た。
ただの、愚か者。
爪の赤色は少し黒みを帯びて固まっていた。剥がれていた爪を巻き込みながら。
「これじゃ、死人だな」
誰に届くこともなく放った言葉は風に消えた。心に生気が無ければ、もう血も涙も流れない。悲劇のヒーローぶった自分にトドメを願った。
握ったままのスマホを片手にどうやって逝こうかと、術だけをイメージした。もう思考回路は絶たれている。考えなど浮かぶ事もなく、もう検索する他なかった。
画面をスクロールすると、無慈悲にも向日葵の圧倒的な黄色が画面を覆っている。今の俺とは対照的なほどの鮮やかさが目に沁みた。
せめて……。
"果たせなかった"と遺した葵の最期を弔おう。
俺は彼女が憧れているという花屋に向かうことにした。
砂利がスニーカーの溝を埋め尽くす程の摺り足で。ズボンの膝部分は生地がボロボロになっている。顔は憔悴しているのか、無なのか。死体が動いているようなものだった。
悲鳴のように気味悪がる奴らを、ハエが飛び去る音のように聞き流す。
汚く醜い俺はもう、生きてる心地などしていなかった。
「ありがとうございました」
気が付けばあの画像と同じ光景が目の前にあった。店員が笑顔で客を見送っている。目線が合うと一瞬にして表情を変えた。
「大丈夫ですか?」
予想外だった。
こんなに不気味な俺に、そんなまともな言葉が投げかけられるなんて。
「あ、あの……」
服で画面にこびり付いた血を拭き取ると、向日葵のヘッダー画像を見せた。
「これと同じ物を作ってほしいんです」
店員は僅かに驚いた表情を見せた後、向日葵の数を指で確認した。
「15本ですね……"ごめんなさい"の意味になりますが、よろしいですか?」
「え……?」
救済だと思って来た旅の結末に、突如現れた謝罪。
静まり返った店内に、テレビから火事現場の映像が流れた。
「サイレン凄かったですよね。あのお宅のリュウゼツラン燃えたんだ……」
店員が花を選びながら、そう口にしたが、俺はスマホの画面を狂ったようにスクロールし続けていた。自分の知っている言葉を頭の中で叩きつけながら。
知っている。俺は知っていたはずだ。彼女は助けを求めていた。
更に速度を上げて指を弾く。
俺はこらえきれず、画面にある花を固まった赤い指で差して店員に向けた。
「この……白いタンポポは? 右端のドライフラワーは?」
店員は手を止めて引き気味に答えた。
「ええと、シロバナタンポポは"私を探して"。ドライフラワーはエリカですから"孤独"ですね……」
私を探して。孤独。
知らなかった言葉が、叩きつけられる。
『救いたかった』という自負を『ただの独りよがり』へと塗り替えた。
呆然とする横で花束が完成に近づいている。店員が最後の1本を添え、燃えたリュウゼツランに思いを馳せるように呟いた。
「あの木、花咲くのは生涯に一度きりで、あとは枯れるだけなんです」
耳に入った瞬間、葵が置かれていた状況なんだと分かった。
その時、ハサミで茎を切る音に
「ピン ポン」
と音が重なった気がした。
画面を指で弾く。シロバナタンポポ、私を探して。ヒイラギ、保護。
「……センブリは」
掠れた声に、店員が顔を上げる。
「弱き者を助ける……」
俺が口にすると店員は驚いた顔を見せた。
「花言葉に詳しいんですね」
そう言いながら花束へ白いリボンをかけた。
「お待たせしました。いかがでしょうか?」
眩しい程の黄色い向日葵の束が、俺を睨見つける。
ーー弱き者を助けられなかった。
だから、ごめんなさい。
俺が今更知ったそれは、彼女の絶望の上澄みに過ぎなかった。




