ep.15
サイレンの音が昼間の喧騒を切り裂く。
俺は無我夢中で、ただ足を前に進めることだけで精一杯だった。
視線の先では白い煙に黒が混じる。近付く毎に強烈な臭いが鼻を攻撃していた。
息が苦しい。
上手く出来ない呼吸に肺が限界だと告げていた。
だが止まる選択肢など、与えない。
俺は今度こそ救って、
ちゃんと、死ぬんだーー。
野次馬がスマホ片手に集まっていた。
まるで蟻の行列のように黒い頭が並んでいる。中には動画配信をしてる奴、電話しながら誰かを呼ぶ奴。
他人の不幸をこれほどまでに吸いたがる輩に、血の気が引いた。
雑踏を掻き分けゴミを分別するように、俺はひたすら前へと足を進める。
あぁ……
祐希が運ばれた時もそうだった。
心配そうな顔をした醜い化け物たちが、美味しい餌でも見つけたように、わんさか集まっていた。幼くても分かったんだ、あいつらの正体が。
あと少し。
現場は目前だった。
「君! 危ないからここから先は駄目だ」
消防隊員に腕を掴まれて俺の足はようやく止まった。
顔面に熱を感じる。
家の半分以上が炎に包まれていた。
鼻がもげそうな程に煙の臭いと、異臭が辺りに充満している。
悲鳴を上げたままの肺で懸命に呼吸を整えようとしたが、この臭いでは厳しかった。
「ゲホッゲホッ!」
咳が止まらない。口元に手をあてながら必死に視界からの情報を求めた。
人影は無く、庭に咲いている花々が次々と業火に焼かれている。
池の側で長く伸びていた一本の木に火が移ると、パキッパキッと耳元に音が掠った。
「ピン ポン」
そう聞こえた。
クイズ番組のチャイムのような、あまりに軽い響き。
限界だからじゃない。
もう足も手も、臓器すら絶望と化したんだろう。
俺はその場に崩れ落ちた。
コンクリートに打ち付けた膝の痛みなど1ミリも感じなかった。
彼女……
葵の最後のブログと同じ光景がそこに存在したから。
居るのか!?
この炎の中に。
それとも妹と避難しているのか!?
火の粉が天高く上がる。
地獄の業火に焼かれながらも、俺の目には何故か楽しげに映った。
自由に空を舞える幸せのような。
地面にへばりついた手に一滴、二滴と雫が垂れる。
コンクリートをもぎ取るように爪を立てながら何度も擦った。爪が数枚剥がれ、指先から熱い液体が滴るのを感じる。だがその熱さは、目の前の炎と心臓の内が焼けるような鈍痛にかき消され、微かな娯楽にもならなかった。
「うわー。せっかく見に来たのにリュウゼツラン燃えてるよー」
「他にも花とか多いからすごい匂い。臭いし、帰ろ」
耳障りな声だけが鮮明に届く。
炎の熱さじゃない。
穢らわしいゲス共に感じた、怒りの熱が体を覆った。
「何なんだよ……。じゃあお前らは何で来たんだよ!」
振り向きざまに立ち上がると、ダラリとした爪から滲む血に、周囲は引くような目で俺を見た。
この世の者じゃない、汚物を見るように。
何かを呟きながら後ずさりしていく様を、ただ睨みつけた。
その時救急隊員の忙しなく動く姿が目に入った。
姿を見せないように包まれた何かと共に一気に吐き気が襲う。
今まで嗅いだことの無い臭い。吸い込んではいけないと神経にまで拒絶が走った。
だが、脳だけは理解していた。
答え合わせなど必要としないそれに、俺の口もとから再び後悔の液が胃から漏れた。
大きな音と共に屋根が崩れ始める。
炎はより一層広がり続けていた。
「……葵」
思わず口にした名前。
会ったこともない、姿も知らない。
ただ、ブログを通して、感じた危うさを救いたかった。
助けたかったーー
いや、違う。
君を救って、俺はあの日の後悔した自分を殺したかったんだ。
全部自分の為に。
「ははっ……」
なんだよ。
俺も結局あの化け物たちと一緒じゃないか。ただの虫けらに過ぎなかった。
勢いを止めない火に、形を無くし始めた家。
その音一つ一つが祐希の笑い声に聞こえた。
「やっぱり、救えなかったね」
黒い煙がカーテン越しに呟いた、あのシルエットに見えた。
その時、燃え盛る炎の音とサイレン、野次馬たちの喚きを切り裂くように、スマホから電子音が一つ鳴った。
首根っこを掴まれるような恐怖が、全身を駆け巡った。
ブログ……葵の悲鳴なのだと確信した手が、自分の物では無い動きを見せる。滲む血を帯びた手を一度だけギュッと握り締めた。
落ち着け。
ちゃんと見ろ。
助けてくれなかった俺への
葵からのメッセージ。




