ep.14
地を滑る音と何かが靴を突付く感覚。真っ白な折り鶴が震えるように足元に止まっている。手に取った時、まるで死装束のようなその色味に唾を飲んだ。
「すみませーん」
振り向くと一人の女性がこちらへ駆けてきた。
「くくり付けようとしたら風に吹かれてしまって」
「あぁ…」
鶴を渡すと女性は軽く会釈をし、友人の元に戻っていった。
その後ろ姿を目で追う。
どういう訳か、俺は振り向けないでいた。
なぞが解けていく爽快感は消え失せ、心臓がうるさいほど怯え始めている。どこか絵空事だったこの旅の答え合わせを、身体が拒否した。
つくづく情けなくて反吐が出る。
前方で束になり羽ばたく折り鶴に、遠い過去が重なった。
「律、ちゃんと角を合わせて折らないと」
「え? これでも出来るよね?」
「うん……出来るけど、どうせならカッコいい鶴にしたいでしょ?」
そう言って祐希は折り紙を広げて、もう一度始めからやり直した。
完成した折り鶴は、綺麗に羽を広げていた。
人生もそんな簡単にやり直せたらーー
同仕様もなく弱くなっていく自分がそこに居た。後悔はあの日から少しずつ増えている。日々のちっぽけな楽しさを見つける度、俺なんかが持ってはいけない感情だと切り捨ててきた。その諦めが、積もりに積もって俺という形を成している。
喜怒哀楽の"喜"と"楽"……それに、仕事も捨てた。
全部失う覚悟だった。
そうしたら、何か一つでも君に償えるかもとーー
なのに。
何で俺は今更止まるんだ。
もうそこまできてるのに。
ここに来て、やっと見えた場所が、答えかも知れないのに。
風が頬を叩くように強く流れていく。
その時、ある匂いが僅かに混じっているのに気付いた。
「……煙」
一気に脳は不安で埋め尽くされる。恐怖が心臓を貫きそうな程に叩き始めた。抗う首を必死に振り向かせると、景色の一部から白く細いものが天へと伸びていくのが見える。
肺を圧迫するように咳が込み上げた。弱く情けない己を吐き出すように。
前かがみになりながらも、その白が増えていくのだけは見ていた。
こんな状況なのに、目の前の景色があの時のように見えた。
小学生の冬にした"とんど焼き"。
天へと舞い上がる黒い灰。
祐希の燃やしたノート。穢れを焼き払うための、熱の塊。
長い松明が音を立てていたのを思い出した。甲高く、時に悲鳴のように。
池の隣の木が煙によって隠され始めた。
「ねぇ、あれ火事!?」
周りは騒然とし始めた。
すぐ隣では宮司らしき人物が、消防署へ電話をかけていた。
「むかい(向日)さんの家が!」
宮司の叫びが、耳の奥で嫌な音を立てて弾けた。
むかい……向日。
漢字が脳裏に浮かび、ブログのヘッダーにある「向日葵」と重なる。
向日 + 葵 = 向日葵
なぞなぞの答え。
彼女の象徴。
ずっと「彼女」としか呼べなかった、あのブログの主。
苗字が「向日」なら、残されたピースは、あと一つ。
「……葵」
その名を口にした瞬間、心臓が焼けるような熱を持った。
ずっと探していた。
名前すら知らなかった彼女の正体が今、煙と共に現れた。
「――やだ! 葵んちじゃない!?」
背後で誰かが叫んだ。
せっかく俺が……
血を吐くような思いで手繰り寄せたその名を、赤の他人が安っぽく空気に放った。
それは俺の導き出した答えが"正解"であることを告げる、無慈悲な宣告でもあった。
逃げ場はなくなった。
向日葵は、あそこで焼かれている。
宮司は再度スマホで電話をかけ始めた。何度も繰り返し。その度に苦悶の表情で煙に覆われていく家を見つめていた。
遠くでサイレンの音が聞こえる。
俺の足は動かなかった。
いや、拒んでいるんだ。
頭に過ぎる最悪の結末を、またこの目で見る事を。
結局俺は何一つ変わっていない。
幸せも命も何も要らない。
罪を背負って無感情に生きるだけ。
それで僅かにでも償えるなら。
だけど、そんなのは自分が勝手に決めたこと。少しでも正当化するためだけのまやかし。
本当は……
「ギァアーー」
カラスが目の前をわめきながら駆け抜ける。驚いて吸い込みすぎた息にむせ返った。肺まで圧迫する程の酸素に煙たさが増えたのに気付いた。
カラスが低空飛行で叫ぶ。
「行けーー」
その黒い羽根に俺の影が重なり、まるで祐希の声に聞こえた。
サイレンの音が連なる。
走ってもいないのに乱れる呼吸。
滑り出すように足を動かした。
ここで救わなければ、
俺は永遠に死ねない。




