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第99話 葛藤

 スターアイルズの演習場は、もはや風景を失っていた。

 降り注ぐライフルの訓練弾が地面を削り、マンガニスの排熱が陽炎となって視界を歪める。


「――訓練開始から180分経過。弾薬補充完了。次、第14セットいきます。……全機、死なない程度に足掻いて下さい」


 カミラ准尉の、どこか愉悦を含んだ声が全機のコクピットに響く。


「……ハァ、ハァ……。まだやるのかよ、あの少将殿は!」

 シュミットの『ケーニヒスパンター』が、泥を跳ね上げながら後退する。

 その正面。

 煙の中から現れたのは、もはや物理的な「質量」を感じさせない挙動で滑走する、カイの『ヴァルナ』だった。


「シュミット中佐、アラン大尉! 連携が甘い! 左の死角をハインツ大佐が狙っていますよ!」

 カミラの叫び声が響く。

 ルシフェルは慣性を無視した「真横」への瞬間移動を見せる。

 さらに別方向からヴェルナが肉薄する。

「くっ、速すぎる……! アラン、合わせろ!」 「分かってる! 『マハーカーラ』起動!!」

 アランの四腕機『カーリー』が、地を這うような姿勢から正拳突きを繰り出す。

 人間の武道を模倣した流体モーターの咆哮。

 だが、その拳が届く寸前、ヴァルナは「二段跳躍」を敢行した。


――ドォォォン!!


 大気そのものを踏みつけるような爆音。

 二度の跳躍により高度400メートルへ一気に吸い込まれる群青の影。

「上か!?」

 アランが見上げた瞬間、カミラが非情なアナウンスを被せる。

『――アラン大尉、足元が留守です。……ハインツ大佐、どうぞ』

 バキン!

 いつの間にか背後に滑り込んでいたハインツの『ルシフェル』が、120mmライフルをゼロ距離で撃ち終えていた。

「……アラン。隊長に気を取られすぎだ」

『アラン機、戦死。撤収してください』


「おのれぇ……! 『八岐大蛇』、火を噴けぇ!」

 エルザの『ケートス』が、180mmフレシェット超空洞弾を乱射する。

 地上で放たれるその衝撃は、軽量機の腕を文字通り跳ね上げる暴れ馬だが、彼女はそれを逆噴射の反動利用に変え、空中を舞うヴァルナへ強引に照準を固定する。


「いい筋だ、エルザ! でも、敵弾は見なきゃダメだぞ!」

 カイがサブレバーを捻る。

 左腕の152mm滑空砲から放たれた弾丸が、砲身出口の物理的歪みによって強烈な横回転を伴い、 

 遮蔽物を迂回してエルザの機体の背部へと吸い込まれた。


 ガキン!


『エルザ機、戦死。……中隊長、今の偏差射撃、見事です……ステキ」

 カミラが、まるで芸術品を褒めるような声で記録を更新する。


「……私を忘れてもらっては困る」

 その時、戦域の端から一本の精密な火線がヴァルナの右脚を掠めた。

 ソルガの『オーディン』だ。 彼は多重光学サイトを限界まで回し、ハインツの『ルシフェル』の機動すら読み切り始めていた。


「ハインツ副長! 貴方を……。今の私なら、その0.1秒の隙にライフルを叩き込める!」


 オーディンとルシフェルが、互いに訓練用パイルバンカーとブレードを噛み合わせ、火花を散らす。

 それまで「蹂躙される側」だったソルガが、今や魔王ハインツと対等に、泥と油にまみれた「殺し合い」を演じている。


『……ソルガ中佐、反応速度向上……面白いわ。皆さん、もっと、もっとその限界を壊して下さい』

 カミラの発言は、もはやオペレーターの域を超え、戦場を統べる女王のようであった。

 アンジャリとマリスの八脚機が、過熱した冷却水から蒸気を噴き上げ、海面で力なく漂う。

 ガリアスの狙撃機が、弾薬を使い果たして途方に暮れる。

「わたしの機動、完全に読み切られてるなんて…………もう結婚……するしかないよ……はぁはぁ」

「ぜぇ……エルザ……隊長は……もうミナと……結婚してるぜ」

 アランが突っ込む。

「……ハァ、ハァ……。隊長……ハインツ大佐……。あんたたち、本当に、人間なのか……」

 シュミットがコクピットの中で、震える手でレバーを握りしめる。

 そこにあるのは、絶望ではない。

 一度も掠りさえしなかった「神」の背中に、今、自分たちの指先が触れようとしている。その狂おしいほどの高揚感。


「全機撃破……所要時間、五分超えましたね。……さて、皆さん。休憩に入って下さい」


 カミラ准尉が、マイクのスイッチを切る直前、弾んだ声で呟いた。

「あ……本国から、あと三万発の追加弾薬が届きました。……夜戦訓練も出来ますね」


 精鋭たちの悲鳴が、スターアイルズの波間に消えていった。


 スターアイルズ大東亜記念病院、外科手術棟の三階。

 「手術中」の赤いランプが、無機質な廊下に重苦しい光を投げかけていた。


 そのランプの正面、折りたたみ椅子に深く腰掛けたカイ・イサギは、石像のように動かなかった。

 軍服はシワになり、いつも鋭い眼光を放つ瞳は、今はこの扉の向こう側だけをじっと見つめている。

「隊長。……少し、水を飲んでください」


 最初に声をかけたのは、ハインツだった。

 彼は、いつもの冷徹な副長としてではなく、友としてカイの隣に座り、ペットボトルを差し出した。

「ミナ少尉は強い人だ。……貴方を、一人にはしない」

 カイは無言で頷き、震える手でボトルを受け取った。


 次にやってきたのは、ソルガとヴォルフだった。

「隊長、俺たちがついてる。……ミナが戻ってきたら、最高の祝杯を挙げなきゃならない。それまで、あんたが倒れちゃ話にならんからな」

 ソルガの分厚い手がカイの肩を叩く。

 その重みが、カイに自分がまだ現実の世界に繋ぎ止められていることを思い出させた。


 三姉妹が来たのは、手術開始から四時間を過ぎた頃だった。

 「……カイお兄さま。ミナお姉さまは絶対に、笑って戻ってきます」

 エルザが涙を堪えながら言い、マリスとアンジャリも、カイの両手を包み込むようにして祈った。


 中隊員たちが、交代で、代わる代わる言葉を置いていく。

 彼らがわざと時間差をつけ、時間差で訪れるように気を利かせていることなど、鈍感なカイが気づくはずもなかった。

 隊員が去るたびに、廊下には再び静寂が訪れる。だが、カイの心には彼らが残していった「熱」が、確かな重みとなって積み重なっていた。


 そして、深夜。

 ランプの火が揺れて消え、静かに扉が開いた。


「……手術は成功です。実に見事な生命力でした」


 執刀医のその一言を聞いた瞬間、カイの膝から力が抜けた。

 床に膝をつき、顔を覆う。

 それは、数多の戦場を生き抜いてきた英雄が見せるにはあまりにも情けない「敗北」のような、あまりにも脆い安堵の姿だった。


 一九八四年十月二十二日。

 スターアイルズの海は、秋の深まりを感じさせる冴え渡った青に染まっていた。


 大東亜記念病院の正面玄関。

 そこには、軍服を完璧に着こなしたカイ・イサギ少将と、リヴァイアサン中隊の面々が、まるで閲兵式のような規律正しさで整列していた。

 最後の手術から三週間。

 焼けた鉄柱に貫かれた子宮を再建するという、医学の限界に挑んだ大手術を経て、ミナ・イサギはついに「自らの足」で、光の中へと踏み出した。

「……お待たせしました、皆さん」


 ミナの第一声は、以前よりもどこか深く、揺るぎない自信に満ちていた。

 その胸元には、新たな辞令が光る。

 第507特務中隊『リヴァイアサン』主席オペレーター。


「主席オペレーター、ミナ・イサギ少尉。本日より、職務に復帰いたします」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、三姉妹が弾丸のように飛び出した。

「ミナ!」

「無事のご退院、心よりお慶び申し上げますわ!」

「ミナ、おかえり!」

 抱きつく妹たちを、ミナは優しく、しかし以前よりも力強く抱きしめ返した。

 手術の傷はもう、彼女を苛む鎖ではない。それは生き抜いた証だった。


 揚陸戦艦『大和』の艦橋。

 そこには、ミナの不在を鉄の規律で守り抜いてきたカミラ・ドムブロフスキ准尉が待っていた。

 二人のオペレーターが、コンソールの前で対峙する。

 一人は、氷のような冷静さとプロフェッショナリズムで「地獄の訓練」を統制したカミラ。

 もう一人は、中隊の魂であり、カイの半身として「神の領域」を見守るミナ。

「……お待ちしていました、ミナ少尉。いえ、主席オペレーター」


 カミラがわずかに口角を上げ、短く敬礼する。 「貴女がいない間、中隊員たちは、少しばかり『人間』を卒業してしまったようです。……引き継ぎは纏めてあります」

「ええ、よろしく頼みます、カミラ准尉。……」


 ミナが席に座り、ヘッドセットを装着した瞬間、艦橋の空気が一変した様だった。

「リヴァイアサンコントロールから全機。訓練を開始します」

 久しぶりに響くミナの声は、どこか嬉しそうに弾んでいる様だった。

 『ヴァルナ』と『ルシフェル』が、秋の陽光を跳ね返しながら急加速する。

 背後では、ソルガの『オーディン』が、絶叫を上げながら、訓練弾の嵐を撒き散らしていた。


 副司令室の窓の外。

 スターアイルズの海は夜の帳に包まれていた。

 ジャン・リュック・ベルナール中将は、書類から視線を外し、深く椅子に身を預けた。

 彼は、気がつきつつあった。

 失った娘の面影を投影し、慈しんできたはずのユイ。

 その彼女が、まさか自分のような中年を「男」として見ているのではないか。

(……まさか。……いや、否定はできんのか)


 そう自問した瞬間、胸の奥を刺すような痛みが走る。

 彼女を娘ではなく、一人の愛する女性として見ることができるのか。

 自らに問いかけてみても、答えは沈黙だった。

 九歳で止まったままの「愛しい娘」という輪郭があまりにも強固に彼女に重なり、別の姿を想像することすら、今の彼には許されなかった。


「……ふぅ」


 重い溜息が、静まり返った室内に溶けていく。 「いい年をして、何を考えているのだ、俺は」

 ユイが自分に心を寄せているなどという推測。 

 それは、戦場という極限状態が見せる幻覚か、あるいは枯れかかった中年の恥ずかしい妄想に過ぎないのではないか。

 そう切り捨ててしまえれば、どれほど楽だったろう。


 しかし、もし。

 もしユイの心が、打算でも同情でもなく「本物」であったとしたら。

(その時、彼女を『娘』として扱い続けることは、何よりも失礼な行為ではないのか)


 相手の真摯な感情に対し、都合のいい配役を押し付ける。

 それは紳士として、あるいは一人の人間として、もっとも忌むべき不実かもしれない。

 だが、今の彼にはそれ以外の術がなかった。

 自分の感情の正体が分からない。

 恋なのか、ただの執着なのか、それとも孤独が生んだバグなのか。


(今は……このまま、甘い幻想に浸るとしよう)

 愛しい娘の輪郭を十二分に湛えた、ユイのどこまでも澄んだ親切心。

 それに甘え続け、父親と娘という、壊れやすくも温かい夢の中に逃げ込む。

 今は、この一線を守ることだけが、彼にできる唯一の「誠実」だった。

「いつの日か、返さねばならぬな。……この借りは」

 ユイから受け取っている、凍りついた心を溶かすほどの熱量。

 それがいつか、報われる形になるのか、それとも残酷な真実として清算されるのか。

 ジャン・リュック・ベルナールは、暗い海を見つめたまま、自分への戒めのようにそう呟いた。


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