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第96話 知らなかった事実

 一九八四年七月一二日、午後二時。

 大東亜・エウロ欧州連合の全市民に、緊急の同時放送が流れた。

 画面に映し出されたのは、連合の象徴である青い旗を背にした報道官の、沈痛な表情であった。


「……本日、午前十一時。AAU政府は、帝国軍による本土蹂躙を受け、講和交渉の開始を待たずして崩壊。帝国による一方的な『統合』が宣言されました」


 そのニュースが流れた瞬間、世界中の街角から、言葉にならない呻きが漏れた。

 連合側がAAUの虐殺行為に対する法的追及と、人道的な戦後処理の準備を進めていたその背後で、帝国は「外交」という言葉すら介さず、軍靴ですべてを踏み潰したのだ。


 画面は切り替わり、帝国元帥ヴォルガ・ゼ・ザルニカの演説映像が映し出される。

『AAUは、誉れ高き二等国民として生存を許す』


 その一文が字幕で流れた瞬間、連合側のコメンテーターの一人が、激昂して机を叩いた。

「二等国民だと!? それは降伏ではない、奴隷化だ! 帝国は、数億のAAU市民を、自分たちの機体を造り、マンガニスを掘るための『部品』として扱うと言っているんだ!」


 報道は、さらに残酷な真実を映し出す。

 画面に映るAAUの街角では、昨日までAAUの閣僚たちだった者達が、今や帝国のシュテルツァー隊の足元で、自らの命を乞うために二等国民の登録証を奪い合っている。

 もちろん、これはライフルに囲まれた中、撮影されたプロパガンダであるのは明白である。


「大東亜・エウロ欧州連合政府は、帝国のこの暴挙を断じて認めません。……しかし、現地の兵站拠点は既に帝国の管理下に置かれ、我々の人道支援は、帝国軍より『領海侵犯として即座に撃沈する』との警告を受けています」


 報道官の言葉は、事実上の敗北宣言に近かった。

 連合が掲げた「法の支配」や「講和」という美学は、帝国の圧倒的な「暴力」の前に、あまりにも無力であった。


「……繰り返します。AAUという国家は、この地球上から消失しました。これより先、当該地域に居住する者は、帝国の管理下に置かれます。連合政府は……」


 放送の最後、報道官は一瞬だけ言葉に詰まり、カメラを真っ直ぐに見据えた。


「……連合政府は、これより最高国防会議を招集。全軍に『準戦時体制』の発動を命じました。……自由を愛する市民の皆様。我々は今、人類史上最も暗い時代の入り口に立っています」


 放送が終わると、砂嵐のような静寂が世界を包んだ。


 AAU崩壊直後、帝国軍の管理下に置かれた旧士官養成学校。

 その地下深く、冷たい蛍光灯の光が溢れる医療実験室に、ラインハルト・サカモトはいた。


 彼の左腕は、肘から先が死んだように力なく膝の上に置かれている。

 かつてカイ・イサギと共にリヴァイアサン中隊にいた時、負傷して完全に麻痺した「戦士の遺物」だ。

 教官として後進を育てる日々も、この動かない腕を見るたびに、彼は自分が「第一線を退いた老兵」であることを突きつけられてきた。

「……期待していいのだな、帝国軍諸君」


 サカモトの掠れた声に、白衣を纏った帝国軍技研部の医師が、銀色に光る注射器を掲げながら頷いた。

「もちろんです、中佐。我が帝国の神経バイパス手術は、この程度の麻痺などなんて事はありません……さあ、かつての自分を取り戻すのです」


 局所麻酔と共に、サカモトの左腕に幾十もの電極が打ち込まれる。

 数時間に及ぶ、肉体と機械の融合。

 激痛が全身を走り、サカモトの意識が白濁したその瞬間、彼の脳内に衝撃が走った。


「……っ!?」


 サカモトの指先が、わずかに、しかし明確に跳ねた。

「指を動かしてみてください、中佐」

 医師の言葉に従い、サカモトは意識を左手に集中させる。

 ピクリ……。

 人差し指が動く。中指、薬指、小指。

 そして親指。

 数年間、自分の意志を完全に拒絶し続けてきた肉体が、今、かつてないほど鋭敏な反応を見せていた。


「動く……。動くぞ、この手が……!」


 サカモトは、自分の左手を狂ったように凝視した。

 彼は震える手で、側にあったメスを掴み取った。

 麻痺していた頃には想像もできなかった、吸い付くようなグリップ力。

 指先の一つ一つが、神経の先端まで研ぎ澄まされている。

「素晴らしい! 動く、私の左腕が、生き返った……!」


 サカモトは歓喜に震え、そのまま実験室を出て、直結された地下シュテルツァー実験場へと向かった。

 そこには、帝国の最新技術が詰まった「化け物」が鎮座していた。

「乗ってみろ、中佐。君が望んだ『現役』の力がそこにある」

 サカモトはハッチへ駆け上がり、コックピットに滑り込んだ。

 シートに座った瞬間、全盛期をも超える機体との一体感が彼を包む。

 彼は左手で、サブコントロールレバーを愛撫するように握りしめた。

「エンジン始動!」

ドォォォォォォン!!


 斥力噴射の轟音が地下空間を震わせた。

 機体は、物理法則を無視したような鋭い機動で旋回を開始する。

 サカモトは、左手でレバーを細かく刻んだ。

 かつての彼は、左手の麻痺ゆえに右腕一本で操縦を補い、堅実な「不動」の戦術を編み出した。

 だが今、完璧に動く左手を得た彼は、その制約から解き放たれていた。


 機体は実験場の壁を蹴り、空中で三回転しながら片手剣を突き出す。

「素晴らしい! 素晴らしいぞ! 素晴らしい加速だ! これが、これが帝国の力か……!」


 モニター越しに喝采を送る技研部の士官に、サカモトはハッチを開き、実験場に充満するマンガニス粒子の中で野獣のような笑みを浮かべた。

「良いだろう……認めよう。俺は二等国民ではない。そう……だな?」


「その通りだ。帝国軍技術技研部所属、特務サカモト大佐。君はエリートだ。君の家族も、帝国の最上層で保護することを約束しよう」


 サカモトは、再びコックピットの闇へと沈み、自分の左手を見つめた。

 その掌には、かつての騎士道や教官としての誇りはもうない。

 残っているのは、自分を救ってくれた帝国への狂信と、大東亜エウロ連合への怨恨だけだった。


「……待っているぞ、カイ。貴様が俺に与えたこの麻痺を、帝国が癒してくれた。お前は殺したんだろう?通信兵だったオレの娘を艦隊ごと無惨に殺してくれたんだろう?オレの生き甲斐を……今度は俺が、貴様のすべてを壊してやる。この、完璧に動く左手でな」


 揚陸戦艦大和

 大食堂の空気は、戦場とは異質の熱を帯びている。

 巨大な回転釜から噴き出す蒸気と、数百人分の食事を捌くプロたちの活気。

 そして、それ以上に熱いのが、生活支援群給養班――女性九割、男性一割の「女の職場」で日夜醸造される、純度の高い情報の数々だ。


 ユイとユキが昼食のためにトレイを手に取った瞬間、その「震源地」はすぐ側にあった。


(……な、なに、あのオバさん達三人! 諜報部? スパイなの? なんでそんなことまで知ってるの!?)


 ユイは思わず足を止めた。

 配膳カウンターの向こう側、割烹着姿の中年班員たちが、お玉やトングを振り回しながら、軍の極秘プロフィールをキャベツの千切りのように軽く扱い、笑い飛ばしていたからだ。


「……でさ、シリチャイ大将の旦那さん。参謀本部付きのエリートじゃない。でもね、結婚の時の条件が凄かったらしいわよ。『私は軍務に生きるから、子供を作らなくていいなら結婚してもいいぞ』って大将が言い放ったっていうのさ!」


「あー、わかる。鋼のシリチャイねぇ。私らはそんなの嫌だけど、英雄ってのはそういうもんなのかねぇ」


 ユイはトレイを持つ手が震えるのを感じた。

 シリチャイ大将の夫婦間の密約……そんなプライベートの極北を、なぜ彼女たちが知っているのか。

 しかし、オバさんたちの舌鋒はさらに加速し、中隊の重鎮へと矛先を向けた。


「それで、ベルナール中将の話よ。あの人、暇があれば女を口説くでしょう? マントなんか翻しちゃってさ。でも、あれ、離婚してるから寂しいだけなのよねぇ」


「そうそう、あの人が最前線で命張ってる時にさ、奥さんが無職でロクデナシの博打打ちとデキちゃって。借金山盛りにしたんだって。……確か、娘ちゃんがいたわよね、今なら十五歳くらいかしら」


 ユイは息を呑んだ。

 ベルナール中将の、あの豪快な笑顔の裏にある壮絶な過去。


「でも、これは知らないでしょう? その博打打ちと元奥さん、娘ちゃんを連れて六年前、あろうことかAAUに移住しちゃったんだってさ」


「あんた、それどこで手に入れる情報よ! ギャハハハ!」

 笑い声が食堂に響く。

 ユイは戦慄した。

 この艦で最も有能なスパイは、現像室の暗室ではなく、この厨房にいた。


「あんたら甘いねぇ。今、ベルナール中将は、あの広報部のユイって娘が気になって仕方ないのさ!」

(えっ!? わたし!? わたしが気になるの!?)

 思わず叫びそうになったユイを、ユキが慌てて制止する。

「なんだい、歳の差婚かい? 中将が四十四歳で、あの子は二十歳だっけ?」

(違う! 十九歳だよ、オバさん!)

 ユイは心の中で猛烈にツッコミを入れたが、次に続いた言葉に、全身の血が引くのを感じた。


「違うんだよ! あのユイって娘、ベルナール中将の娘ちゃんに瓜二つなんだってさ! 中将も九歳で別れたきりだろう? 成長した面影を、ユイちゃんに重ねて見てるんだねぇ……。切ないじゃないの」


「あら、そうなの……。よし、アタシが一肌脱ごうじゃないか。ユイちゃんが来たら、どさくさに紛れて『写真撮らせて』って言って撮ってやろう。中将に渡したら、あのおじ様、きっと泣いて喜ぶよ!」

(……もう、あの人持ってるよ!!)


 ユイは昨夜の出来事を思い出し、顔がカッと熱くなった。

 自分を撮った写真を「思い出用」として大切に持ち去った、あの中将の背中。

 あれは、下心でも、気まぐれでもなかった。

 失われた家族、二度と会えない娘の幻を、必死に繋ぎ止めるための儀式だったのだ。


 ユイは、自分のトレイに多めに盛られた煮物を見つめ、そっと視線を伏せた。

 情報の精度に驚くよりも、その情報の裏側にある「孤独」に触れてしまったことに、胸の奥が少しだけ痛んだ。

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