第94話 眼帯
スターアイルズの訓練基地、重厚な扉に閉ざされた一室は、まるで秘密作戦を練る司令部のような重苦しい沈黙に包まれていた。
「……シュミット、我が親友よ」
カイ・イサギ少将が、深い溜息と共に口を開いた。
その顔には、清潔だが無機質な「白の眼帯」が鎮座している。
「分かっている、少将。いやカイ。眼帯が……カッコ悪いのだろう?」
シュミット中佐は、厳粛な所作で応えた。
カイはその言葉に、戦死判定を受けた機体のようにがっくりと肩を落とした。
「その通りだ! シュミット、この白の眼帯を見てくれ。まるで、人類最強のパイロットがモノモライに罹ったみたいじゃないか! ミナの前では常にトップエースでありたいという、俺の戦略的プライドがボロボロだ!」
「……いや、馬鹿にするわけではないが、しかしこれでは、確かに……」
その瞳には、かつて「暖炉の配置」について説教した時と同じ、冷徹なまでの分析眼が宿っている。
「分かっているぞ。しかし、安易に『海賊』眼帯なぞ言うのはやめる事だ。それはファッションにおける敵前逃亡に等しい」
「なにぃ! シュミット、君は……すでに検討済みだと言うのか!」
カイが椅子を蹴り飛ばさんばかりの勢いで立ち上がる。
シュミットは動じず、デスクの引き出しから極秘資料のようなメモを取り出した。
「ああ、何度も試しているのだ! 黒、革製、紐の太さ……。だが、軍において黒の革眼帯を着用し、さらに髑髏などをあしらうのは、もはや『カッコ悪い』を通り越して、ある種のアニメーション的誇張に陥る危険がある。髑髏などもってのほかだ、カイ!」
「なんと言う事だ……!」
カイはよろりと壁に手をついた。
「俺は、まさに今、君に『髑髏の眼帯の付け方、および角度』を相談しようとしていたのだ。それが、すでに敵の手中に落ちていたと言うのか! 俺の美学的奇襲作戦は、実行前に包囲殲滅されていたというのか!」
「その通りだ、カイ。髑髏は……中二病的敗北を招く。我らリヴァイアサン中隊が求めるべきは、威厳と実用性の合同作戦だ」
シュミットは机に数種類の「試作眼帯」のスケッチを広げた。
「見ろ、カイ。素材はヴァルナのシートと同じ耐熱皮革。紐ではなく、後頭部の形状に合わせた薄型のラバーバンドだ。これにより、高速機動時でも眼帯がズレるという不名誉を回避できる」
「……中佐。君は、俺の顔面の防衛線までも、完璧に構築しようというのか」
カイの瞳に、再び希望の火が灯る。 片眼を失った英雄。
その新しい「相棒」を巡る戦いは、暖炉の時と同様、ゲルマーの叡智によって塗り替えられようとしていた。
「よし、中佐! 髑髏は捨てる! だが、色だけはダークネイビー……ヴァルナの機体色と同じ群青にできないか!?」
「……フッ。悪くない判断だ。機体とのカラー・シンクロ。それこそが、戦場における美学の極致だ。作戦を続行する!」
二人の英雄は、再び深夜まで語り合った。
鏡の前で角度をミリ単位で調整し、ミナが「あら、素敵ね」と微笑む確率を熱力学的に計算する。
それは、ヴァジュラ帝国との戦争よりも遥かに繊細で、しかし一人の男の尊厳を懸けた、もう一つの「聖戦」であった。
カイ・イサギ少将の心には冷たい風が吹き荒れていた。
彼は再び、シュミット少佐の部屋のドアを叩いた。前回よりもさらに切実な、敗残兵のような足取りで。
「……シュミット。報告がある。作戦は……事実上の膠着状態だ」
シュミットは、自作の「眼帯角度・黄金比計算表」から顔を上げ、深刻な表情で親友を迎え入れた。
「どういうことだ、カイ。あの群青のタクティカル眼帯は、完璧な仕上がりだったはず。工学的にも、美学的にも、君の左顔面は『無敵』に再構築されたはずだぞ」
「ああ、そのはずだった! 事実、戦果は絶大だ! ユイとユキの二人は『少将、かっこいいです! 120枚撮らせてください!』と狂喜乱舞し、三姉妹に至っては『お兄様、まるで神話の片目の王のようですわ!』と、代わる代わる俺の眼帯を撫で回してくる始末だ!」
カイは机に拳を叩きつけた。
「だが! ミナだけが……ミナだけが気がつかないんだ! 彼女の前で、わざと左側から話しかけたり、光の加減で群青が最も輝く『勝利の角度』で佇んでみたりもした! なのに彼女は『あらカイ、今日はいつもより左側の筋肉が動いているわね。リハビリの成果かしら?』としか言わないんだ!」
「…………なんだと」
シュミットは絶句し、眉間を押さえた。
「あり得ん。断じてあり得んのだ……。あの群青は、ヴァルナの機体色と同一波長。ミナ少尉が愛してやまない、君と機体の『絆』の象徴だ。それを『リハビリの成果』で片付けるなど……。これは、住環境の結露(前回の敗北)よりも深刻な、『認識のデッドゾーン』が発生している」
「シュミット!髑髏がダメなら、やはり金糸で虎の刺繍でも入れるべきだったのか!?」
「落ち着け、カイ! 虎などはそれこそ戦場における『フレンドリーファイア』を招くだけだ!」
シュミットは立ち上がり、壁に貼られた「ミナ少尉の視線誘導解析図」を指し示した。
「いいか、カイ。分析の結果、一つの仮説に到達した。ミナ少尉にとって、君は『完成された存在』なのだ。つまり、君が白を付けていようが、群青を付けていようが、彼女は君の『眼の奥にある魂』しか見ていない。……故に、表面的な装備変更に対して、彼女のセンサーは敢えてフィルタリングを行っている可能性がある!」
「……なんということだ。愛が深すぎるがゆえの、ジャミングだというのか!」
カイは戦慄した。
最強の愛が、最強の妨害電波を生み出していたと言うのだ。
「中佐……どうすればいい。俺は、この群青のこだわりを、ミナに『カッコいい』と言わせたいんだ! これでは、暖炉をセンターに置いたのに、一度も火を焚かせてもらえないのと同じじゃないか!」
「……ふむ。正面突破が無理ならば、搦手で行くしかない。いいかカイ。次は『眼帯そのもの』を褒めさせるのではない。ミナ少尉に『眼帯を調整させる』のだ。触れさせれば、物理的な接触によりジャミングは解除される!」
「調整……! そうか、物理的干渉による強制認識!」
深夜。
特務中隊の二人のエリートは、再び「眼帯の紐の緩み」という名の、極めて精密な調整作戦に着手した。
鏡の前で、わざと「1.5mm」だけ紐を緩め、ミナに「あら、カイ。少しズレているわよ」と言わせるための、哀しくも熱きシミュレーション。
これが、後に「スターアイルズの眼帯事変」として、シュミットの秘密日記に記されることになる、迷走の記録であった。
廊下に、軍靴の激しい音が響き渡った。
それは、かつてアスラを駆り、単機で要塞を陥落させた時のような力強く、かつ高揚したリズム。
バァン! と、礼儀正しいはずのシュミット中佐の部屋のドアが、勢いよく開かれた。
「シュミット! 勝利だ! 完全なる、勝利だ!!」
そこには、群青の眼帯を誇らしげに装着し、まるで新兵のように目を輝かせたカイ・イサギ少将が立っていた。
デスクで最新の弾道計算――ではなく、眼帯の「改正案計画書」を書いていたシュミットが、弾かれたように顔を上げる。
「カイ……! その顔、その声。……まさか、墜としたのか。ミナ少尉の認識阻害を!」
「ああ! 今朝だ、朝食の最中にな! ミナがふと、俺の顔を覗き込んでこう言ったんだ! 『あら? カイ、その眼帯、素敵ね。とってもよく似合っているわよ』と!!」
「…………!!」
シュミットは無言で立ち上がる。
その瞳には、親友の勝利を祝福する武人としての熱い光が宿っている。
「……やったな。ついに、君の存在そのものではなく、その『美学』を彼女のセンサーに認識させたのだな。……それで、君はどう応えた?」
「俺か? 俺は……『ああ、これはシュミット中佐と共同で開発した、ヴァルナと同色のタクティカル仕様だ。機体との一体感を高める設計なんだ』と、胸を張って答えてやったよ!」
「よ、余計な説明を……! だが、彼女は!? 彼女の反応はどうだったのだ!」
「ミナはな、『そう。ヴァルナと同じ色なのね。だから、カイがもっと強く、もっと頼もしく見えるのね』と微笑んでくれたんだ!」
カイはシュミットの肩を掴み、熱い眼差しを向けた。
「シュミット! 君の言った通りだった! 認識されないのは愛が足りないからではない。認識させるための『戦略』が不足していただけなんだ! 彼女は、俺がヴァルナと共に戦う決意を、その眼帯の中に見てくれたんだ!」
「…………よし。……よしッ!!」
シュミットは、かつて暖炉の作戦を完遂した時と同じ、鋼のような「ガッツポーズ」を繰り出した。
「おめでとう、カイ。これで君の左顔面の防衛線は、ミナ少尉という最強の防衛圏(承認)を得て、完全なる不可侵領域となった。……だが、忘れるな。勝利は維持するのが最も困難なのだ」
「ああ、分かっている。次は、この眼帯の『予備』、そして『夜戦用』、さらに『式典用』の選定だ。シュミット中佐……作戦は、まだ始まったばかりだぞ!」
「もちろんだ、少将! 我らゲルマーの叡智、尽きることなし!!」
深夜の特務中隊。
二人の英雄は、固い握手を交わした。
今の彼らには、ミナの「似合うわよ」という一言だけで、全戦域を支配したかのような充足感に満ちていた。




