第102話 暗殺
夕闇が迫る軍港。
一日を街で過ごしたベルナールとユイは、幸せな余韻に包まれながら、揚陸戦艦『大和』のタラップを上がった。
「今日は楽しかったね、ジャン」
「ああ……。しっかりと英気を養えたよ」
二人はまだ気づいていない。
自分たちの背後には、ユキが撮り溜めた「証拠写真」という名の爆弾を抱えた偵察班四人が、忍び足で追随していることに。
そして、その先の大食堂には、さらに巨大な「罠」が待ち構えていることに。
食堂の自動ドアが開いた瞬間、二人は足を止めた。
そこには、通常なら休息しているはずの乗員たちが、なぜか整列している。
そして中央には、シリチャイ大将が、食堂のおばちゃん軍団を従えて仁王立ちしていた。
「……閣下、大将。何か緊急事態でも……?」
ベルナールが軍人としての顔に戻り、鋭い問いを発しようとした時。
「お帰りなさい、ベルナール中将! そして、ユイちゃん!」
おばちゃん軍団の一番太い声が、広大な食堂に炸裂した。
「今日のデートはどうだった!? イタリアンに水族館、ご馳走様だったわねぇ!」
「な……っ!?」
ベルナールの顔から血の気が引く。
そこへ、背後に隠れていたミナ、カミラ、マリア、ユキの四人が、まるで突撃部隊のように横並びで現れた。
「……言い逃れはできませんよ、中将閣下」
ミナが、手にした写真を突きつける。そこには、水族館の蒼い光の中で、二人が唇を重ねる「決定的瞬間」が、これ以上ない鮮明さで撮影されていた。
「これ……! ど、どこでこれを!?」
絶句するベルナールの横で、ユイは顔を真っ赤にして「秘密って言ったのにぃ……!」と両手で顔を覆った。
「秘密? ふふ、私の耳を舐めないでちょうだい」
シリチャイ大将が、優雅に歩み寄る。
「ベルナール中将。貴方が娘を想うあまり、あちこちの女性に甘い言葉を振りまくのは、これまで『挨拶代わり』として見逃してきました。……でも、これほど真っ直ぐな、そして『熱い』答えを出したのなら、話は別よ」
シリチャイ大将が、パチンと指を鳴らす。
すると、おばちゃんたちが一斉に、超豪華な「特製イタリアンフルコース」をテーブルに並べ始めた。
「さあ、全艦に公表しましょう。貴方のその情熱を、これからはユイちゃん一人に捧げるという誓いをね。……これは命令よ、中将。もう『お父さんごっこ』の仮面を被って逃げることは許しません」
「ええっ! 公表!?」
ユイが悲鳴を上げる中、カミラが冷徹なトーンで追撃する。
「閣下。主席オペレーター(ミナ)と准尉(私)がこれだけ揃って目撃したのです。もはや、この艦に貴方の逃げ場はありません。……おめでとうございます、中将」
食堂中に、「おめでとう!」の声と拍手が、割れんばかりに響き渡る。
四十四歳のフレーシェンの貴公子、ジャン・リュック・ベルナールは、かつてないほどの窮地に立たされていた。
しかし、その顔は、困惑の裏でどこか晴れやかだった。
「……シリチャイ大将、あなたの策には、一生勝てそうにない」
ベルナールは苦笑し、横で震えるユイの肩を、今度は人目も憚らず、力強く抱き寄せた。
「ああ、認めるよ。……私は、この娘を愛している。娘としてではなく、一人の男として、だ」
その堂々たる宣言に、食堂は再び、嵐のような歓声に包まれた。
青空が珍しく見える昼下がり。
「――以上が、本日の第507特務中隊の訓練記録です。ベルナール中将、コメントをいただけますか?」
揚陸戦艦『大和』の艦橋。
そこには、広報用のマイクとカメラを手に、以前よりもずっと輝くような笑顔を浮かべるユイの姿があった。
彼女が「取材」と称して艦橋に現れる頻度は、あの一件以来、明らかに増えていた。
「ああ、素晴らしいレポートだったよ、ユイ。……いや、広報官。君のその瞳が捉える画像の真実は、どの索敵レーダーよりも正確で、そして……美しい」
ベルナールは、全オペレーターが耳を澄ませているのも構わず、流れるような美辞麗句を並べ立てた。
もはや、そこに「隠し事」をする気配は微塵もない。
フレーシェンの男としての血が完全に目覚めた彼は、呼吸をするように愛の言葉を紡ぎ出す。
それを見守る主席オペレーターのミナは、カミラ准尉と顔を見合わせ、苦笑いを浮かべた。 「……カミラ准尉。あの二人、今朝も廊下で『おはよう、私の太陽』なんて言い合っていたそうよ」
「……聞いています、ミナ少尉。おかげで艦橋の糖度が上がりすぎて、機器が糖尿病になりそうです」
カミラは無表情のまま報告したが、その口元はわずかに緩んでいる。
二人の関係が公になったことで、艦内の空気は驚くほどに明るくなっていた。
艦橋の最上段、指揮官席に座るシリチャイ大将は、手元の珈琲を一口すすり、二人のやり取りを見つめながら可笑しそうに呟いた。
「まったく。……フレーシェンの男というのは、愛の言葉を隠すという文化は無いのかしらね」
彼女の視線の先では、ベルナールがユイの肩にそっと手を置き、周囲の目も憚らずにその耳元で何かを囁いていた。
ユイが顔を真っ赤にして「もう、ジャンったら!」と笑い、ベルナールもまた、かつての孤独な影を微塵も感じさせない、晴れやかな笑顔を返している。
「いいじゃないですか、大将。……あんなに幸せそうな副司令が見られるなら、少々の甘い言葉くらい、BGMだと思えば」
ミナの言葉に、シリチャイ大将は満足げに頷いた。
「そうね。……あの男を救えるのは、軍規でも勲章でもなく、あの子の真っ直ぐな愛だけだったということね」
戦略と愛が交錯する大和艦橋。
最強の破壊神たちを支えるのは、鋼鉄の意志だけではない。
「愛の鎖」に心地よく縛られた一人の男と、彼を照らす若き「太陽」の光が、リヴァイアサン中隊をさらに強く、そして何より「人間らしく」変えていこうとしていた。
第507特務中隊のブリーフィングルームは、いつになく熱気に包まれていた。
モニターに映し出された戦略地図は、膠着状態の続く帝国との前線を示している。
「……帝国とは公式ではない停戦中だ。いつ攻めてくるか、あるいはこのまま引くのか。我々リヴァイアサンは撤退も無く前線待機。休みと訓練はほどほどに、だ」
カイの言葉に、ヴォルフが真っ先に噛みついた。
「え? ほどほどって、辞書を引いた方がいいぜ隊長! あんたの『ほどほど』は、普通の人間には『地獄の特訓』って言うんだ!」
「まあな。隊長が言いたいのは、いつまでここスターアイルズに留め置かれるのかって事だ」
ソルガがフォローを入れると、末っ子のエルザが身を乗り出した。
「そうだよね! 戦わないんだったらさぁ、わたしエウロに行きたいしさぁ。待機を早くやめて欲しいよねぇ」
「わたしもですわ」
次女のマリスが、優雅に頷く。
「エウロに興味があるのか? なら俺が案内しよう」
シュミットが気さくに申し出たが、マリスは首を振った。
「結構ですわ。わたしとエルザは『彼氏』をエウロに探しに行きますの。シュミット様よりお顔が良くて、お優しくて……そうですわね、わたしの言うことを何でも聞いてくださる殿方を所望しますわ」
「それで、わたしよりシュテルツァーの操縦が上手くないと、可愛いエルザちゃんの心と体はあげられないよねー!」
エルザの無茶な条件に、ハインツがゲラゲラと笑い声を上げた。
「エルザに勝つシュテルツァー乗りか! ソルガ、勝てるか? 10回やって何回勝てる?」
「エルザにか ……半分も勝てないだろうな」
「ソルガ中佐に勝てる人なんて、隊長と副長以外じゃエルザくらいだろ? 一生彼氏はできねえな、こりゃ!」
ヴォルフの追い討ちに、マリスとエルザは同時に頬を膨らませた。
「いるもん!」
「いますわ! ……たぶん!」
そんな騒ぎを、長女のアンジャリが柔らかな笑みでたしなめる。
「……待機が終わったら、シュミットと結婚式を挙げるの」
「みんな、来てくれるだろうか?」
シュミットの問いに、ハインツが即答した。 「愚問だな。行くに決まっている」
「もちろん、全員参加だ」
カイも力強く頷く。
そんな中、アランだけは妻の写真をうっとりと見つめていて、会話に気づく様子もない。
ヴォルフもまた、気恥ずかしそうに鼻の頭をかいた。
「実は……俺もクリスと式を挙げるんだ。クリスが『やるなら派手な方がいい』って言うからさ、また国に頼むかもだけど、いいかな?」
アンジャリとシュミットが顔を見合わせ、楽しげに笑った。
「ねぇ、シュミット。思った通りの言葉が出たわよ」
「ああ。……ヴォルフ、それならば、いっそ一緒に式を挙げないか? アンジャリは南の島が良いと言っているんだ」
「いいなぁ、それ! 最高じゃないか! クリスに手紙で聞いてみるよ」
ヴォルフの目が輝く。
ミナもまた、その光景を想像して目を細めた。 「ふふ、賑やかな式になりそうね」
「……私は、ドレスなんて持ってないので、制服で出ます」
カミラが淡々と、無機質なトーンで告げた瞬間。
「「「ダメーーーーー!」」」
三姉妹の声がブリーフィングルームに響き渡った。
「カミラさん! ビューティーアドバイザー(ユイとユキ)いるから大丈夫よ!」
アンジャリが言うと、エルザとマリスもすでに「どんなメイクにするか」の相談を始めている。
冷徹な軍人たちの顔が、束の間、未来を夢見る若者たちの顔に戻っていた。
今はまだ、遠く響く戦火の足音を忘れ、彼らは南の島の青い海と、純白のドレスの夢に酔いしれていた。
平和な大休止の余韻を切り裂いたのは、乾いた金属音だった。
『大和』の甲板、潮風に吹かれながら、ユイは「次の広報記事」のためにファインダーを覗いていた。
そのレンズが捉えていたのは、沿岸に係留されている駆逐艦群。
直後、水面を滑るように現れた三機の影――帝国軍の対艦シュテルツァー『ガト・マリン』。
その一機が放った7.92mmの掃射が、容赦なく艦首を舐めた。
「――っあ!」
短い悲鳴。
ユイの構えていたカメラが火花を散らして砕け、彼女の身体は衝撃で後方へと吹き飛んだ。
「敵襲ーー! 対艦シュテルツァー、三機確認!」
静寂は一瞬で戦慄の咆哮へと変わった。
カイ、そして三姉妹が弾かれたようにスクランブルをかける。
「リヴァイアサン中隊の暗殺」。
彼らが最強であるがゆえに、帝国が導き出した唯一の勝利への回答。
なぜ、その可能性に考えが及ばなかったのか。
「リヴァイアサンから緊急!準備出来次第射出!敵は三時方向へ離脱中。逃がさないで!」
カミラの声が響き渡る。
「アンジャリ、了解! 敵補足三機。マリス!」 「了解ですわ。目標A、お姉さまから一番近い個体は捕獲……Bはわたくしが撃沈します!」
「わたしはCだね。あと20秒後に堕とす……逃さないよ!」
怒りに燃える三姉妹の連携は、もはや神業に近い練度に達していた。
海域ではすでに味方駆逐艦が、逃げ場を奪うための鉄鎖の如き包囲網を形成しつつある。
逃げ場を失い、死地へと追い詰められた獲物たち――その檻の中で、一方的な「狩り」が始まった。
マリスの『クラーケン』が放つ精密な射撃が敵Bを捉え、エルザの『ケートス』が水面を跳躍し、八岐大蛇のフレシェット弾で敵Cを肉片へと変える。
そしてアンジャリの『クラーケオス』が、アビス・ホールドで敵の上から覆い被さる。
適度に圧をかけて外殻を破壊した上で捕獲したのだ。
マジックミラー越しの取り調べ室。
捕虜となった帝国のパイロット、ハンロボス・クレズマー少尉は、吐き捨てるように笑った。
「目的は暗殺だ。……甲板でリヴァイアサンパイロットを殺すはずだった。……撃った奴か? ああ、あいつは新米だった。帝国にも熟練パイロットなんてほとんど残っちゃ居ないのさ……リヴァイアサンを殺せればラッキー位のくだらない作戦だ」
その言葉を、マジックミラー越しに聞く中隊のメンバーの顔は、一様に蒼白だった。
「……ユイは?」
カイが、絞り出すような声で尋ねる。シュミットが、顔を伏せて首を振った。
「7.92mmが……カメラごと彼女を貫いた。……もう、病院船へ……」
大和から一番近くに係留されていた病院船『フローレンス』の集中治療室前。
三姉妹が駆け込んだ時、そこには一人の男が立ち尽くしていた。
ジャン・リュック・ベルナール。
かつて「氷の貴公子」と呼ばれた男の軍服は、ユイを抱き上げた時の返り血で無惨に汚れ、その端正な顔は、まるで死人のように生気を失っていた。
彼の視線の先、手術室の扉の上にある赤いランプが、絶望的な明滅を繰り返している。
砕かれたカメラの破片、そして肋骨を砕き、肺のすぐ近くまで食い込んだ7.92mmの弾丸。
「なぜ……あの子は、なぜ撃たれるんだ」
ベルナールが、誰に言うでもなく呟いた。
「あの子は……銃など武器など持たないのに……」
四十四歳の男の肩が、激しく震えていた。
第41大東亜エウロ特務艦隊の「最強の絆」と、手にしたはずの「小さな幸せ」。
それは、たった一連射の、名もなき新兵が放った弾丸によって、今、間も無く消え去ろうとしていた。




