第75話 ドラゴンにも突っ込む魔熊が来ましたが、古竜を見て止まりました
名作をパク――参考にすれば、名作になるに決まってるじゃない!
第75話 ドラゴンにも突っ込む魔熊が来ましたが、古竜を見て止まりました
スタンピードの一次対応は、ようやく落ち着いた。
共同封鎖管理所は立った。
見張りの交代表も作った。
補給物資の搬入経路も決めた。
負傷者の移送先も決めた。
魔石の仮保管場所も決めた。
アン前線不参加の記録も残した。
聖剣未使用の記録も残した。
ミリア近接護身訓練の記録は、本人の強い要望により非公開保管になった。
「最後のは言わなくていいでしょ」
ミリアが杖を抱えて言った。
「非公開です」
「今、言ったじゃない」
「記録上は非公開です」
「口頭で漏れてるのよ」
「口頭記録はしていません」
「そういう問題じゃないの」
ミリアは疲れた顔をした。
サブミッション。
いや、護身術。
いや、本人の希望により、手首抜き訓練。
呼び方一つで揉めるので、記録上は慎重に扱う。
俺たちは共同封鎖管理所から離れ、森道を進んでいた。
目的は、北側の補給路確認である。
スタンピードが起きた以上、周辺の道が使えるかどうかを見ておく必要がある。
物資は勝手に届かない。
届ける道があり、運ぶ人がいて、受け取る場所があって、初めて物資になる。
道が壊れていれば、食料も薬もただの遠い荷物だ。
「この道、思ったより荒れてるわね」
ミリアが足元を見た。
「魔物が通った跡があります」
リナがしゃがみ込んで土を見る。
「大きいですね」
アレンが剣に手をかけた。
「まだ残っているか」
「可能性はあります」
俺は荷袋の位置を直した。
ガルドが前方の木々を見ている。
セイルは後方を確認している。
キュルルは俺の背中の後ろにいる。
アンは普通に歩いている。
白髪。
金色の目。
小さな角。
見た目だけなら、森道を歩く少女である。
ただし古竜。
そこを忘れると、運用が壊れる。
「アンさん」
「何だ」
「今日も人型でお願いします」
「分かっている」
「小型竜形態も原則なしです」
「分かっている」
キュルルが俺の背中から顔を出した。
「鳴かない?」
アンは少し考えてから言った。
「鳴かぬ」
「竜語の挨拶も?」
「控える」
「よし」
キュルルは少し安心した。
古竜相手に確認事項が多い。
だが、確認は大事だ。
確認しないと、街道が塞がる。
確認しないと、見た目の棚が侵食される。
確認しないと、名前が挨拶になる。
世の中には、確認で防げる事故が多い。
防げない事故もある。
たとえば、前方の茂みが突然大きく揺れる事故だ。
リナが低い声で言った。
「止まってください」
全員が止まった。
森が静かになった。
鳥の声が消える。
風が止まる。
いや、風はある。
だが、森が息をひそめたように感じた。
ガルドが一歩前に出る。
アレンが剣を抜く。
ミリアが杖を構える。
セイルが後ろへ下がる。
俺は荷袋を少しずらした。
キュルルは完全に俺の背中へ隠れた。
アンだけが、普通に前を見ていた。
茂みが割れた。
大きな熊が出てきた。
熊。
ただし、普通の熊ではない。
肩が岩のように盛り上がっている。
目が血走っている。
爪が長い。
口から白い息を吐いている。
額には古傷があり、そこから一本の角のように硬い突起が出ていた。
「クレイジーベアです」
リナが言った。
「熊か」
アレンが低く言う。
「ただの熊ではありません。あれは、相手がドラゴンでも突っ込みます」
「それは熊なのか?」
「熊です。たぶん」
ミリアが杖を構えたまま言った。
「名前からして正気じゃないわね」
「正気なら、クレイジーとは呼ばれません」
リナは短く答えた。
クレイジーベア。
森の暴走魔獣。
縄張り意識が強く、相手の大きさを見ない。
力の差も見ない。
馬車も襲う。
冒険者も襲う。
魔物も襲う。
時には、若いドラゴンにも突っ込む。
その結果、当然死ぬこともある。
だが、それでも突っ込む。
だからクレイジーベア。
「前衛で受ける」
アレンが言った。
「横に回る」
ガルドが短く言う。
「火は使いにくいわね。森だし」
ミリアが杖を握る。
「風で足を止めます」
セイルが後ろで祈りの準備をした。
「怪我をしたらすぐに」
「アンさんは後方で」
俺は言った。
アンが首をかしげた。
「我は何もせぬのか」
「原則、何もしないでください」
「熊であろう」
「ドラゴンにも突っ込む熊です」
「ならば、来るのではないか」
「来ても、アンさんは後方です」
「なぜだ」
「出ると、話が終わるからです」
アンは少し不満そうにした。
「む」
背中の聖剣が震えた。
『古竜を前に出すな』
「分かっています」
『熊の話ではなくなる』
「分かっています」
聖剣が珍しく正しい。
いや、最近は少し正しい。
クレイジーベアがこちらを見た。
まずアレンを見た。
剣を構えた勇者。
次にガルドを見た。
無言の剣士。
次にミリアを見た。
杖を持つ魔法使い。
次に俺を見た。
荷物持ち。
次にキュルルを見た。
白い小型説明マスコット。
キュルルが小さく震えた。
そして、クレイジーベアはアンを見た。
止まった。
森が、さらに静かになった。
クレイジーベアの前足が地面を掻いた。
だが、踏み出さない。
鼻を鳴らす。
だが、吠えない。
血走った目が、アンを見ている。
いや、見てしまった。
次の瞬間。
クレイジーベアは、目を逸らした。
「……え?」
ミリアが言った。
アレンも剣を構えたまま止まっている。
ガルドも動かない。
リナが眉をひそめた。
「止まりましたね」
「止まったな」
俺は答えた。
キュルルが俺の背中から顔を出した。
「正気に戻った?」
「クレイジーベアが?」
「うん」
「名前に反するな」
クレイジーベアは、ゆっくり後ろ足を引いた。
逃げる、というより、距離を測っている。
だが、突っ込まない。
吠えない。
暴れない。
アンは首をかしげた。
「来ぬのか」
「来ませんね」
「なぜだ」
「アンさんを見たからでは」
「我は何もしておらぬ」
「していないのに止まるのが怖いんです」
リナが小声で言った。
「見たことあります」
「言うな」
「強キャラが何もしないだけで、敵が退くやつです」
「言うな」
「戦闘力の説明回です」
「言うな」
ミリアが小さく言った。
「私の護身術より怖いわね」
「比較対象にしないでください」
「してない。したくない」
「本人が一番傷ついているので、やめましょう」
キュルルが頷いた。
「二つ名禁止確認書、非公開保管中だよ」
「その説明もいらない!」
ミリアが叫んだ。
その声で、クレイジーベアがびくっとした。
だが、突っ込まない。
むしろ、少し下がった。
ミリアが固まった。
「今、私の声で下がった?」
「アンさんの近くで叫んだからでは」
「つまり、私じゃないのね」
「そうです」
「安心していいのか、悲しんでいいのか分からないわ」
クレイジーベアは、ゆっくり横へ動いた。
森の中へ逃げるのではない。
道の脇へずれた。
まるで、通行の邪魔をしてはいけないと分かっているように。
俺は少し黙った。
「大型通行障害ではありませんでしたね」
アレンが剣を下げずに言った。
「向こうが避けたからな」
キュルルが言った。
「ユートが言う前に、一歩右へ行った」
「優秀ですね」
「熊だよ?」
「通行上は優秀です」
アンはクレイジーベアを見た。
「賢い熊だ」
リナが首を横に振った。
「クレイジーベアです」
「賢いではないか」
「今だけです」
「我を見て判断した」
「だから怖いんです」
クレイジーベアは道の脇に座った。
いや、座ったというより、腰が落ちた。
目は合わせない。
鼻先は少し横を向いている。
耳は伏せている。
明らかに、突撃の姿勢ではない。
「これは、戦わなくていいのか?」
アレンが聞いた。
「攻撃されていないので、こちらから仕掛ける必要はありません」
俺は答えた。
「危険魔獣だぞ」
「危険ですが、今は道を譲っています」
「放っておいていいのか」
リナが周囲を見た。
「縄張りから外れれば、追ってこない可能性が高いです」
「追ってくる可能性は?」
「普通ならあります」
「普通なら」
全員がアンを見た。
アンは不思議そうにした。
「何だ」
「今は普通ではないので」
俺は言った。
アレンは少し考えた。
「なら、このまま通るか」
「はい。ただし、刺激しないように」
「分かった」
「ミリアさん、火球はなしで」
「撃たないわよ」
「護身術もなしで」
「熊にしないわよ!」
「アンさん、話しかけないでください」
「なぜだ」
「会話が成立すると、別の問題が増える可能性があります」
「熊と話す問題か」
「古竜が熊と話す問題です」
アンは少し考えた。
「なるほど」
分かってくれてよかった。
俺たちはゆっくり進んだ。
アレンが前。
ガルドが横。
リナが足元を見る。
セイルが後方。
ミリアが杖を構える。
俺が荷を持つ。
キュルルが隠れる。
アンが普通に歩く。
クレイジーベアは動かない。
俺たちが近づくと、さらに目を逸らした。
完全に道を譲っている。
熊なのに。
クレイジーなのに。
ドラゴンにも突っ込む魔獣なのに。
アンの前では、交通整理された通行人のようになっている。
俺は小さく息を吐いた。
通り過ぎる。
何も起きない。
起きないことが怖い。
ある程度離れたところで、リナが言った。
「追ってきません」
「確認できるか」
アレンが聞く。
「はい。まだ座っています」
「座っているのか」
「はい」
ミリアが振り返りたそうにした。
「見るな」
俺は言った。
「まだ何も言ってない」
「振り返る気配がありました」
「見たくなるでしょ」
「見ない方がいいものもあります」
リナが頷いた。
「森の足跡と同じです」
「その話を今出さないで」
ミリアが嫌そうな顔をした。
キュルルが俺の背中から顔を出した。
「クレイジーベア、アンのこと怖かったのかな」
「たぶん」
「でも、アンは何もしてないよ」
「何もしていないのに、分かるものがあるんだろう」
「野生?」
「野生か、魔獣としての本能か」
「クレイジーでも本能はあるんだね」
「クレイジーだから本能しかないのかもしれない」
アンが言った。
「熊は賢い」
「クレイジーベアです」
リナが訂正する。
「だが、生き残った」
「そこは賢いです」
「なら、賢い熊だ」
リナは少し困った顔をした。
「今日だけです」
アンは満足そうだった。
アレンが剣を納めた。
「正直、助かった」
「戦えば勝てましたか」
俺が聞くと、アレンは頷いた。
「勝てる。だが、無傷とは限らない」
ガルドも頷いた。
「熊は強い」
ミリアが言った。
「しかも森の中だと、こっちも火力を使いにくいしね」
セイルが静かに言った。
「怪我人が出なかったのは、よいことです」
「はい」
俺は記録帳を出した。
「記録します」
キュルルが紙を出した。
「クレイジーベア遭遇記録票」
「出るのか」
「必要だよ。危険魔獣だし」
「そうだな」
項目を見る。
発見地点。
個体特徴。
接触状況。
交戦有無。
被害。
対応。
特殊事項。
俺は特殊事項に書いた。
古竜アンを視認後、攻撃行動を停止。
道脇へ退避。
交戦なし。
被害なし。
キュルルが覗き込んだ。
「これ、どう読むの?」
「野生が正しい判断をした」
「クレイジーベアなのに?」
「そうだ」
「名前負けしてる」
「今回は生存勝ちだ」
ミリアが言った。
「でも、これ報告したらどうなるの?」
「どうなるとは」
「クレイジーベアが、古竜を見て止まりましたって」
俺は少し考えた。
「アンさんの脅威評価が上がります」
「でしょうね」
「クレイジーベアの評価も少し変わります」
「どう変わるの?」
「完全に正気がないわけではない」
「魔獣評価の見直し?」
「はい」
リナが言った。
「ただ、普通の人は真似しない方がいいですね」
「当然です」
俺は強く言った。
「クレイジーベアに出会った時、古竜のふりをしても無意味です」
ミリアが言った。
「誰に向けた注意なの?」
「後で報告書を読む人です」
「必要かしら」
「必要です」
「古竜のふりをして熊の前に立つ人なんている?」
全員が少し黙った。
アレンが言った。
「いるかもしれない」
ガルドが頷いた。
「いる」
リナも頷いた。
「いますね」
セイルが静かに言った。
「危険です」
キュルルが紙を出した。
「古竜のふりをしてクレイジーベアの前に立たないでください注意書き」
「やっぱり必要だったな」
俺は受け取った。
ミリアは頭を抱えた。
「嫌な信頼性があるわね」
アンが首をかしげた。
「我のふりとは、どうするのだ」
「しなくていいです」
「角をつけるのか」
「しなくていいです」
「白くなるのか」
「しなくていいです」
キュルルが言った。
「白い小型人外枠は僕だからね」
「今回は人型の話です」
「でも念のため」
「念のためとは」
アンはまた不思議そうにした。
キュルルの棚管理は厳しい。
リナがふと森の奥を見た。
「ただ」
「何ですか」
「クレイジーベアが道を譲る相手がいると分かったのは、少し怖いです」
「はい」
「ドラゴンにも突っ込む魔獣が、止まる相手」
リナはアンを見た。
「それは、ドラゴンより上の何かとして認識したということです」
アンは首をかしげた。
「我は古竜だ」
「はい」
「竜であろう」
「ただのドラゴンではありません」
「古いだけだ」
「古いだけで、熊は止まりません」
アンは少し考えた。
「では、強いのか」
「今さらですか?」
ミリアが思わず言った。
アンは真面目に言った。
「我にとっては普通だ」
「出たわね、強者の普通」
アレンが苦笑した。
「普通の基準が違うんだ」
セイルが言った。
「だから、後方配置が必要なのですね」
「はい」
俺は頷いた。
「アンさんは、戦わなくても場の基準を変えます」
「場の基準」
ミリアが繰り返した。
「はい。敵が逃げるなら楽ですが、味方もそれに慣れると危険です」
アレンが頷いた。
「次から全部アンでいい、になる」
「そうです」
アンが言った。
「我でよいのではないか」
「それが駄目なんです」
「む」
何度目かの会話である。
だが、必要だ。
強すぎる戦力は、便利すぎる。
便利すぎるものは、運用を壊す。
そして、一度壊れた運用は、戻すのが難しい。
クレイジーベアは、アンを見て止まった。
それは助かった。
だが、助かったからといって、次からアンを前に立たせる理由にはならない。
むしろ、危険性が分かった。
戦わなくても、周囲が変わる。
それが古竜である。
木札が温かくなった。
頭の中に声が響く。
『重い荷は、置くだけで床をきしませる』
「神様」
『動かずとも、重さはある』
「はい」
『古竜も同じだ』
俺は小さく頷いた。
「神様いわく、重い荷は置くだけで床をきしませるそうです」
キュルルが震えた。
「床、壊れる?」
「比喩だ」
「でもアンなら壊せそう」
アンが言った。
「軽く踏めば壊れぬ」
「強く踏んだら?」
「壊れる」
「やっぱり」
ミリアがため息をついた。
「今日、戦わなくてよかったわ」
「はい」
俺は記録帳を閉じた。
補給路確認は続く。
道は使える。
ただし、クレイジーベア出没地点として警告が必要。
さらに、古竜同行時に限り交戦回避の可能性あり。
ただし、一般冒険者による再現は禁止。
報告書としては、かなり変な内容になる。
だが、変でも書く。
変なことほど、書かないと後で事故る。
キュルルが俺の背中から言った。
「ユート」
「何だ」
「クレイジーベアにも、踏み込んじゃいけない相手があるんだね」
「そうだな」
「じゃあ、クレイジーじゃないのかな」
「いや」
俺は森道の先を見た。
「踏み込んではいけない相手を見て、初めて止まれるなら、普段は十分クレイジーだ」
「なるほど」
アンはまだ不思議そうだった。
「我は何もしておらぬ」
「はい」
「熊が勝手に止まった」
「はい」
「ならば、我の手柄ではないな」
アレンが笑った。
「そうだな。今回は熊の判断勝ちだ」
リナが頷いた。
「クレイジーベア、生存成功です」
ミリアが言った。
「タイトル変わりそうね」
「何にですか」
「クレイジーベア、初めて空気を読む」
「それはそれで怖いですね」
俺は記録帳を荷袋にしまった。
本当に強いものは、戦わなくても相手の進路を変える。
それは便利だ。
便利だが、危険でもある。
だから配置する。
だから記録する。
だから、前に出さない。
俺は森道を歩きながら、後ろを振り返らないようにした。
見ない方がいいものもある。
森の足跡。
作者の原稿。
そして、古竜を見て正気に戻ったクレイジーベア。
「クレイジーにも、踏み込んではいけない相手はいるんだよ」
第二部・完




