第63話 救急箱を用意したいですが、中身より置き場所で揉めます
名作をパク――参考にすれば、名作になるに決まってるじゃない!
第63話 救急箱を用意したいですが、中身より置き場所で揉めます
足場崩落事故の翌日。
俺は黙った。
リナも黙った。
アレンも黙った。
ミリアは、昨日の埃をまだ気にしていた。
セイルは、少し疲れた顔をしていた。
ガルドは、宿の入口を見ていた。
聖剣は寝ていた。
かなり深く寝ていた。
昨日、専門外の生命維持までやったせいである。
剣なのに、命を一呼吸だけつないだ。
立派だった。
だが、剣は剣である。
治療具として常用するものではない。
「昨日の件だが」
アレンが言った。
「反省会だな」
俺は記録帳を開いた。
「反省会ですか?」
リナが少し緊張した。
「誰かを責めるためではない」
セイルが静かに言った。
「次に死者を出さないためですね」
「そうだ」
俺は頷いた。
昨日、死者は出なかった。
セイルの判断。
アレンの制止。
ミリアの視界確保。
リナの発見。
ガルドの封鎖。
キュルルの書類。
聖剣の一呼吸。
そして、現場の人々の協力。
全部が噛み合った。
だが、噛み合ったから助かった、ということは、噛み合わなければ危なかったということでもある。
「まず足りなかったもの」
俺は書いた。
布。
板。
紐。
毛布。
水。
搬送用の担架。
記録用紙。
止血材。
固定材。
人手。
静かに指示を聞く空気。
ミリアが最後を見た。
「最後、物じゃないわね」
「だが足りなかった」
「それはそう」
ガルドが言った。
「最初に人が集まりすぎた」
「そうだ」
リナも頷いた。
「近づいてくる人が多くて、奥が見えにくかったです」
セイルが言った。
「治療そのものより、治療できる状態を作るまでが大変でした」
「つまり」
俺は記録帳を閉じた。
「救急箱を作る」
アレンが頷いた。
「必要だな」
リナも頷く。
「昨日、布も板も足りませんでした」
ミリアが言う。
「濡れ布とか、冷却用の布とかも要るわね」
セイルが静かに言った。
「止血、固定、搬送、記録。用途を分ける必要があります」
ガルドが短く言った。
「置き場所もな」
俺はガルドを見た。
「そう。そこが本題だ」
アレンが少し首をかしげた。
「中身ではなく?」
「中身も大事だ。だが、救急箱は中身だけでは意味がない」
「どういうことだ」
「必要な時に手が届かなければ、存在しないのと同じだ」
全員が黙った。
かなり当然のことだ。
だが、当然のことほど、事故現場では抜ける。
ミリアが言った。
「じゃあ、ユートが持てばいいんじゃない?」
「却下」
「早いわね」
「俺が離れたら終わる」
「それはそう」
アレンが言った。
「では、俺が」
「却下」
「なぜだ」
「お前は前に出る」
「前に出るなと言われても、出る場面はある」
「だから却下」
アレンは黙った。
納得したようだった。
リナが手を挙げる。
「私が持つのは?」
「斥候が重くなると困る」
「確かに」
ミリアが言う。
「私の荷物に入れる?」
「火と薬品と布を一緒にしたくない」
「信用がない」
「火魔法使いとしては信用している。保管場所としては別だ」
「言い方」
セイルが言った。
「私が持つのが自然では?」
「一部はそうです」
「一部?」
「全部持つと、セイルが倒れた時に救急箱も倒れる」
セイルは少し黙った。
「その通りです」
ガルドが言った。
「分散か」
「そうだ」
俺は記録帳に線を引いた。
救急箱は一つではなく、用途別に分ける。
一、セイル用治療袋。
二、ユート用現場整理袋。
三、リナ用探索応急袋。
四、馬車・宿・拠点用大型救急箱。
五、キュルル用書類発行枠。
ミリアが五番を見た。
「書類発行枠」
「昨日かなり役に立った」
「契約書で止血ね」
「応急処置記録票だ」
横から声がした。
振り向くと、窓枠に白い小動物がいた。
キュルルだった。
「呼んだ?」
「呼んではいない」
俺は言った。
「でも、書類の気配がした」
「書類の気配とは」
「営業獣には分かるんだよ」
キュルルは窓からぴょんと入ってきた。
普通に宿の部屋へ入ってくるな。
「昨日の反省会?」
「そうだ」
「じゃあ、これいる?」
キュルルが口を開いた。
一枚。
二枚。
三枚。
「救急物品使用記録」
四枚。
五枚。
「補充依頼書」
六枚。
七枚。
「止血材使用同意確認票」
「今は出さなくていい」
八枚目がぺらりと落ちた。
キュルルは口を閉じた。
「止め時、覚えたね」
「少しな」
「僕も覚えてきた」
「よし」
リナが少し笑った。
「キュルルさん、だいぶ普通に仲間みたいに来ますね」
「契約は迫らないよ」
キュルルは胸を張った。
「説明する。記録する。紙を出す」
「三つ目が独特だな」
アレンが腕を組んだ。
「救急箱の中身を決めよう」
「その前に」
俺は言った。
「置き場所だ」
ミリアが不満そうに言った。
「中身を決めてから置き場所じゃないの?」
「逆だ」
「逆?」
「どこで使うかが決まらないと、中身も決まらない」
セイルが頷いた。
「屋外、ダンジョン、宿、馬車、戦闘中では必要なものが違います」
「そういうことだ」
俺は机の上に紙を広げた。
宿の簡易図。
馬車の配置図。
荷袋の中身。
戦闘時の立ち位置。
それぞれに救急箱の位置を置いていく。
アレンが少し感心したように言った。
「本当に荷物配置だな」
「救急箱は荷物だ。ただし、すぐ開ける荷物だ」
ガルドが言った。
「奥に入れるな」
「そう」
リナが言う。
「でも、外に出しすぎると落とします」
「そう」
ミリアが言う。
「火や水の近くは駄目ね」
「そう」
セイルが言う。
「誰でも開けられると、誤使用が起きます」
「そう」
キュルルが言う。
「使用記録がないと補充できないよ」
「そう」
全員が少し黙った。
救急箱を作るだけなのに、面倒すぎる。
だが、昨日の現場を思い出すと、誰も笑えなかった。
「まず、セイル用」
俺は言った。
「中身は?」
セイルが答える。
「包帯、清潔布、小型固定板、止血紐、痛み止め、針、消毒液、体温保持布、軽い回復薬」
「重さは?」
「最小限にします」
「使用記録は?」
キュルルが口を開こうとした。
俺は手で止めた。
「今は出すな」
キュルルは口を閉じた。
少しだけ偉い。
「セイル用には小型記録札でいい」
俺は言った。
「細かい記録は後で清書する」
キュルルが頷く。
「じゃあ、後で正式用紙を出す」
「一枚ずつな」
「仕様だからね」
次。
ユート用現場整理袋。
「俺は治療しない」
「でも、昨日かなり動いていました」
リナが言った。
「だから中身は治療具ではなく、現場を作るもの」
俺は書く。
太い布。
色つき紐。
地面に線を引く白石。
簡易札。
小型ハンマー。
木札。
折りたたみ棒。
予備手袋。
「白石?」
アレンが聞いた。
「治療区域の線を引く」
「そこからか」
「そこからだ」
「たしかに、昨日は線ができてから人が動いたな」
「線は指示を残す」
ミリアが言った。
「線、便利ね」
「便利だが、引き方を間違えると人を詰まらせる」
「やっぱり面倒ね」
次。
リナ用探索応急袋。
「私ですか?」
「リナは最初に見つける」
「はい」
「なら、見つけた人をその場で少しだけ助ける道具がいる」
セイルが頷いた。
「圧迫布と呼び笛、目印布、簡易固定紐ですね」
リナは真剣に聞いていた。
「治すのではなく、見つけて、知らせて、悪化させない」
「はい」
ガルドが言った。
「リナは軽さ優先だ」
「そうだ」
次。
馬車・宿・拠点用大型救急箱。
これは大きい。
包帯。
板。
毛布。
水袋。
消毒液。
予備ポーション。
止血材。
担架布。
記録用紙。
鉛筆。
手袋。
予備灯り。
キュルルの紙。
「僕の紙、入れるんだ」
キュルルが嬉しそうに言った。
「入れる」
「やった」
「ただし、勝手に増やすな」
「なぜ」
「箱が閉まらなくなる」
キュルルは目をそらした。
やりそうだった。
ミリアが言った。
「でも、これだけあると、かなり安心じゃない?」
「そう思うだろ」
俺は言った。
「違うの?」
「次の問題がある」
「何?」
「誰が補充する」
全員が黙った。
救急箱は、使うと減る。
減ったままなら、次に開けた時に空である。
空の救急箱ほど腹立たしいものはない。
いや、腹立たしいだけでは済まない。
人が死ぬ。
セイルが言った。
「使用後、私が確認します」
「セイルが倒れていたら?」
「……」
アレンが言った。
「俺が確認する」
「お前はたぶん忘れる」
「そこまでは」
「戦闘後のお前は、怪我人と敵の残党と村人対応でいっぱいになる」
「……否定できない」
リナが言った。
「私が数えます」
「いいが、リナは見回りもある」
ミリアが言う。
「じゃあ、全員で確認?」
「それがいい」
俺は書いた。
救急箱は使用後、全員で開ける。
使ったものを読み上げる。
残量を確認する。
不足を書き出す。
補充担当を決める。
キュルルが嬉しそうに言った。
「補充依頼書いる?」
「一枚だけ」
キュルルは口を開いた。
一枚。
「補充依頼書」
そこで止まった。
俺は少し感動した。
「止まった」
「止まったよ」
「成長したな」
「営業獣だからね」
「関係あるか?」
「あることにして」
ガルドが補充依頼書を見た。
「紙は便利だな」
キュルルが胸を張る。
「そうだよ」
「ただし、多い」
キュルルは少ししぼんだ。
「それもそうだよ」
午後。
俺たちは実際に救急箱を作ることにした。
市場へ出る。
布屋。
木工屋。
薬屋。
金物屋。
雑貨屋。
そして、なぜか文具屋。
キュルルが文具屋の前で止まった。
「ここ、好き」
「だろうな」
「紙の匂いがする」
「営業獣だな」
セイルは薬屋で必要な薬品を選ぶ。
ミリアは保存温度を確認する。
リナは袋の重さを見る。
ガルドは箱の強度を見る。
アレンは支払いをしようとして、俺に止められる。
「なぜ止める」
「領収書をもらってから」
「そうだった」
「よし」
アレンは本当に成長している。
木工屋で、大型救急箱を作ってもらった。
蓋はすぐ開く。
だが、勝手には開かない。
持ち手は二つ。
中は仕切り。
赤い印。
ただし赤だけだと暗い場所で分からないので、形でも分かるように十字の浮き彫りを入れる。
木工職人が首をかしげた。
「ずいぶん細かいな」
「緊急時に使う箱なので」
「なるほど」
「蓋の裏に中身一覧を貼りたい」
「湿気で剥がれるぞ」
「なら彫るか」
「高くなる」
「必要だ」
アレンが頷いた。
「払おう」
今度は止めなかった。
必要な出費だ。
夕方。
宿の庭で、完成した救急箱を並べた。
小型三つ。
大型一つ。
キュルル用書類筒一つ。
「なぜ僕だけ筒?」
「紙だから」
「納得」
セイルが中身を確認する。
リナが重さを見る。
ミリアが湿気対策を確認する。
ガルドが持ち上げて揺らす。
アレンが開け閉めする。
俺は記録する。
そして、試験をすることになった。
「試験?」
リナが聞いた。
「救急箱は作って終わりではない。開ける練習がいる」
ミリアが呆れたように言った。
「箱を開ける練習?」
「昨日の現場で、焦って紐がほどけなかったらどうする」
全員が黙った。
やることになった。
アレンが負傷者役。
ガルドが邪魔な群衆役。
ミリアが煙役。
リナが発見役。
セイルが治療役。
俺が現場整理。
キュルルが書類役。
「書類役って何?」
キュルルが聞く。
「必要な時に必要な紙を一枚だけ出す」
「難しい」
「訓練だ」
試験開始。
リナが叫ぶ。
「負傷者発見!」
俺が線を引く。
「治療区域ここ!」
セイルが言う。
「圧迫布!」
俺が救急箱を開ける。
中身一覧を見る。
圧迫布を取る。
渡す。
ミリアが言う。
「煙で見えない想定!」
「想定が具体的だな!」
ガルドが群衆役として無言で近づいてくる。
怖い。
俺は鉄棒で線を示す。
「ここから先、入らない!」
ガルドは止まった。
良い群衆役である。
キュルルが口を開く。
一枚。
「応急処置記録票!」
「よし」
そこで止まった。
「止まった!」
リナが言った。
「止まれた!」
キュルルが嬉しそうだった。
だが、アレンが負傷者役なのに普通に起き上がった。
「俺はどうすればいい」
「寝ていろ」
「分かった」
勇者は素直に寝た。
なかなか見ない光景だった。
試験は成功した。
ただし、問題も出た。
小型袋の紐が長すぎる。
大型箱の蓋が重い。
記録用鉛筆が転がる。
水袋が漏れる。
キュルルが少し得意になると二枚目を出しそうになる。
全部、記録した。
「細かいわね」
ミリアが言った。
「細かいところで詰まる」
「まあ、昨日見たから反論できないわ」
セイルが言った。
「この箱があれば、次はもっと早く動けます」
「そうですね」
リナが笑った。
「救急箱って、安心しますね」
「そうだな」
俺は言った。
「ただし、安心しすぎるな」
「え?」
「救急箱があるから大丈夫、ではない。救急箱に手が届くから、少しだけ大丈夫になる」
アレンが頷いた。
「大事なのは、置き場所か」
「そうだ」
ガルドが言った。
「そして、使う訓練だ」
「そう」
キュルルが言った。
「あと、補充記録」
「それもそう」
書類獣が正しいことを言っている。
少し悔しい。
その夜。
俺は記録帳を開いた。
救急箱整備記録。
一、救急箱は一つにまとめすぎない。
二、治療者が倒れても使えるように分散する。
三、斥候用は軽くする。
四、現場整理用は線を引く道具を入れる。
五、大型箱は拠点・馬車用。
六、中身一覧は蓋の裏。
七、開ける訓練が必要。
八、使用後は必ず補充確認。
九、キュルルは一枚で止まる訓練中。
十、救急箱は、あるだけでは足りない。
十一、手が届く場所に置く。
十二、誰が開けるかを決める。
十三、誰でも開けられるが、誰かが責任を持って補充する。
セイルが十番から十三番を見て、静かに頷いた。
「これは大切です」
「昨日、そう思いました」
アレンが言った。
「俺は、救急箱があれば安心だと思っていた」
「多くの人がそう思う」
「違うんだな」
「救急箱が必要な時、人は焦っている。だから、焦っていても使える場所と形にする」
リナが言った。
「斥候道具と同じですね。奥にしまうと意味がありません」
ミリアが言う。
「魔法の触媒もそうね。使いたい時に出てこないと腹が立つわ」
ガルドが短く言った。
「剣も同じだ」
キュルルが言った。
「書類も同じだよ」
全員が少し黙った。
最後のも、たぶん同じだった。
木札が少し温かくなった。
神の声が響く。
『必要な荷は、必要な場所へ置け』
「神様」
『奥にしまった荷は、ないのと同じだ』
「今回の教義ですか」
『採用』
「重いですね」
『救急箱だからな』
「はい」
俺は記録帳を閉じた。
救急箱が増えた。
荷物が増えた。
だが、これは必要な荷だ。
ただし、持ちすぎると動けない。
だから分ける。
置く。
記録する。
補充する。
練習する。
救急箱は、奇跡の箱ではない。
開ければ何でも出てくる便利道具でもない。
中身を入れ、場所を決め、使い方を覚え、使ったら戻す。
そこまでやって、初めて救急箱になる。
物語は、きれいに一区切りを迎えた。
そう。
ここで終わっても、何の問題もない。
俺たちの救急箱運用は、これからだ。
「必要な道具は、存在するだけでは足りない。手が届く場所に置けよ」
第二部・完




