第59話 護身訓練を始めましたが、判断が遅いと天狗面の剣士に怒られます
名作をパク――参考にすれば、名作になるに決まってるじゃない!
第59話 護身訓練を始めましたが、判断が遅いと天狗面の剣士に怒られます
翌朝。
俺は黙った。
リナも黙った。
アレンも黙った。
ミリアは、昨日から笑う準備をしているような顔をしていた。
セイルは、何か言うべきか迷っている顔をしていた。
ガルドは、天狗の面をかぶっていた。
赤い顔。
長い鼻。
ぎょろりとした目。
山の魔除けか、祭りの面か、あるいは子供を泣かせるための道具か。
とにかく、朝から見るものではない。
「ガルド」
俺は言った。
「何だ」
「その面は何だ」
「訓練用だ」
「絶対に違う」
「必要だ」
「なぜ」
「怖い方が、覚える」
「教育方針が古い」
ミリアが肩を震わせていた。
もう笑っている。
リナは困ったように言った。
「ガルドさん、その面、本当に必要なんですか?」
「必要だ」
「護身訓練ですよね?」
「だから必要だ」
アレンが額を押さえた。
「ガルド、どこで手に入れた」
「市場だ」
「なぜ買った」
「似合うと言われた」
「買うな」
「訓練に使えると思った」
「使えているのか?」
ガルドは、天狗の面の奥から俺を見た。
「今から分かる」
嫌な予感しかしない。
場所は、王都近郊の訓練場。
昨日の旧式転移魔法陣事故で、俺は単独転移した。
聖剣の全力補正で、なんとか生き残った。
だが、聖剣は寝た。
しばらく寝ると言った。
高性能な道具ほど、雑に使うと寝込む。
それが昨日の教訓だった。
そして、アレンは言った。
最低限の護身訓練が必要だ、と。
戦闘要員ではない。
そこは確認した。
護身訓練。
生き残るための訓練。
合流まで死なないための訓練。
つまり、地味で実務的な訓練である。
そのはずだった。
なのに、訓練場の中央にいるガルドは、天狗の面をかぶっている。
嫌な実務である。
俺の手には、鉄の棒があった。
長さは肩より少し高いくらい。
太すぎない。
細すぎない。
重い。
だが、俺なら持てる。
昨日の事故を受けて、ガルドが選んだものだ。
剣ではない。
杖であり、天秤棒であり、荷物固定具であり、いざという時には敵を払う護身具でもある。
かなり俺向きだった。
「お前に剣は向かん」
ガルドは言った。
「知ってる」
「聖剣は別だ」
「聖剣も向いてないぞ」
「聖剣が合わせているだけだ」
「昨日、寝込んだからな」
「だから、棒だ」
俺は鉄棒を握り直した。
「倒すためか?」
「違う」
「じゃあ何のためだ」
「一呼吸を稼ぐためだ」
「一呼吸」
「そうだ」
ガルドは木剣を構えた。
天狗面。
木剣。
低い声。
かなり怖い。
「敵を倒そうとするな。勝とうとするな。お前は剣士ではない」
「知ってる」
「荷物持ちだ」
「ああ」
「なら、荷物持ちの戦い方をしろ」
「荷物持ちの戦い方とは」
「距離を作る。足を止める。押す。払う。逃げる。助けを呼ぶ」
「実務だな」
「実務だ」
「でも、その面は実務か?」
「雰囲気だ」
「やっぱり雰囲気じゃないか」
ガルドは答えず、一歩踏み込んだ。
速い。
予想より速い。
俺は鉄棒を構えようとした。
受けるか。
下がるか。
横に避けるか。
棒で払うか。
その一瞬で、木剣が俺の肩の横で止まった。
天狗面の奥から、低い声が落ちる。
「判断が遅い」
俺は黙った。
リナが「あ」と言った。
ミリアが完全に笑った。
アレンが額を押さえた。
セイルが目を伏せた。
「それ、言いたかっただけだろ」
「違う」
「絶対に違わない」
「だが、事実だ」
「言ってることは正しいのが腹立つな」
ガルドは木剣を引いた。
「敵は待たん。荷を守るか、命を守るか、棒を出すか、逃げるか。迷った時点で遅い」
「荷物持ちには選択肢が多いんだよ」
「だから訓練する」
「面を外してからにしないか」
「このままだ」
「なぜ」
「怖い方が、覚える」
二回言った。
かなり本気らしい。
ガルドは再び構えた。
「呼吸」
「何だ」
「呼吸が乱れている」
「剣の呼吸か?」
「荷の呼吸だ」
「急に実務になったな」
「荷を背負う者が息を止めれば、足が止まる。足が止まれば、死ぬ」
「怖い」
「怖い相手は待ってくれん」
ガルドがまた踏み込む。
今度は、俺は下がった。
だが、足がもつれた。
鉄棒が遅れる。
木剣が脇腹の前で止まった。
「遅い」
「判断か?」
「呼吸だ」
「そっちか」
「息を止めた」
「止めたか?」
「止めた」
「分かるのか」
「分かる」
ガルドは天狗面のまま言った。
「重い荷を持つ時、息を止めるな。棒を払う時も同じだ。吐け。吐きながら払え」
「呼吸にこだわるな」
「呼吸にこだわれ」
「どっちだ」
「俺はこだわれと言っている」
ミリアが横で言った。
「めちゃくちゃそれっぽいわね」
「それっぽいって何だ」
「分かる人には分かるやつ」
「言うな」
俺は鉄棒を構え直した。
ガルドは木剣を下げた。
「まず、型だ」
「型」
「敵を倒す型ではない。死なない型だ」
「ありがたいような、ありがたくないような」
「一つ。棒を前へ出せ」
俺は鉄棒を前に出した。
「腕を伸ばしすぎるな。取られる」
「はい」
「体の横に置くな。間に合わん」
「はい」
「足を揃えるな。押されたら倒れる」
「はい」
「荷袋を背負っているつもりで立て」
「それはいつも通りだ」
「ならできる」
俺は荷袋を背負っていなかったが、背負っている時の姿勢を思い出した。
腰を落とす。
膝を固めすぎない。
背中を丸めすぎない。
荷の重心を意識する。
足裏に体重を置く。
「呼吸」
ガルドが言った。
俺は息を吐いた。
「よし」
褒められた。
天狗面に。
複雑だった。
「二つ。払え」
ガルドが木剣をゆっくり振る。
俺は鉄棒で払った。
金属と木が当たる音。
重い。
だが、受けるよりは楽だった。
「受けるな」
「今、受けたか?」
「受けた」
「払ったつもりだった」
「押し返そうとした。違う。そらせ」
「そらす」
「敵の力を横へ逃がせ。荷車の進路を変えるのと同じだ」
「それは分かる」
「なら分かれ」
「言い方」
もう一度。
ガルドが木剣を振る。
俺は鉄棒で横へそらした。
今度は軽い。
「今のか」
「そうだ」
「急に分かった」
「荷で考えろ」
「なるほど」
ガルドの指導は、天狗面以外はかなり的確だった。
三つ目。
足払い。
「倒そうとするな」
「足払いなのに?」
「転ばせる必要はない。止めればいい」
「止める」
「一瞬でいい。その一瞬で仲間が来る」
ガルドは俺の前に立った。
「棒を低く」
「はい」
「振り回すな。足元へ置け」
「置く?」
「相手が踏み込む場所へ、棒を置く」
「罠みたいだな」
「護身だ」
「言い方の問題か?」
「目的の問題だ」
ガルドが踏み込む。
俺は鉄棒を低く出す。
ガルドの足が止まる。
木剣は俺に届かない。
「今のか」
「そうだ」
「倒してないぞ」
「止めた」
「これでいいのか」
「いい」
ガルドは頷いた。
「お前の目的は倒すことではない。一呼吸を稼ぐことだ」
「一呼吸で何が変わる?」
「アレンが来る」
アレンが少し照れたように咳払いした。
「ミリアが撃つ」
ミリアが杖を軽く掲げた。
「セイルが守る」
セイルが静かに頷く。
「リナが道を見つける」
リナが胸を張った。
「俺が間に入る」
ガルドが言った。
「だから、お前は一呼吸だけ生き残れ」
俺は鉄棒を握ったまま、少し黙った。
「一呼吸だけか」
「一呼吸でいい」
「それなら、できそうに聞こえる」
「できるようにする」
「面を外せば、もっとできそうだ」
「面は外さない」
「なぜ」
「怖い方が、覚える」
三回目だった。
昼まで訓練は続いた。
俺は何度も判断が遅いと言われた。
呼吸が止まっているとも言われた。
棒が高い。
足が揃っている。
荷袋を忘れている。
肩に力が入りすぎ。
視線が近い。
逃げ道を見ろ。
助けを呼べ。
倒そうとするな。
勝とうとするな。
命を守れ。
荷は後だ。
それは、思ったより厳しかった。
だが、言われていることは分かる。
荷物持ちとして、俺は荷を見ている。
だが、危ない時に荷を見すぎると、自分が死ぬ。
死んだ荷物持ちは、荷を届けられない。
それは、かなり実務的にまずい。
昼休憩。
俺は地面に座り込んだ。
鉄棒を横に置く。
重い。
だが、悪くない。
杖にもなる。
天秤棒にもなる。
護身具にもなる。
かなり便利だ。
便利すぎるものは人を堕落させる。
だが、これは持てる範囲で便利だ。
たぶん神も許す。
たぶん。
リナが水を持ってきてくれた。
「ユートさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。判断は遅いが」
「そこ、気にしてます?」
「かなり」
ミリアが笑った。
「効いてるじゃない、あの面」
「腹立つほど効いてる」
アレンが言った。
「ガルドの指導は昔から厳しい」
「お前もやられたのか」
「俺は面なしだった」
「なぜ俺だけ面ありなんだ」
ガルドは少し離れた場所で、天狗面を外して水を飲んでいた。
ようやく顔が見えた。
普通のガルドだった。
むしろ安心する。
セイルが静かに言った。
「ユートさんは、倒すための訓練ではない方がよいと思います」
「ああ」
「生き残るための訓練です」
「そうですね」
「呼吸を整えるのは、祈りにも近いです」
「荷の呼吸ですか」
「それはガルドさんの言葉ですが」
「妙に残るんですよ」
「よい言葉です」
そうかもしれない。
悔しいが。
午後。
訓練場に、模擬魔物が持ち込まれた。
木枠と布で作った、狼型の訓練具である。
押すと前に倒れてくる。
車輪付き。
かなり実務的。
「誰が作ったんだ」
俺は聞いた。
ガルドが答えた。
「訓練場の備品だ」
「王都すごいな」
「冒険者はよく噛まれる」
「現実的な理由だった」
模擬魔物が三体並ぶ。
リナが横から紐を引く係。
ミリアが速度調整。
セイルが転倒時の安全確認。
アレンが全体を見る。
ガルドが天狗面をかぶる。
「またか」
「まただ」
「判断が遅いって言いたいだけだろ」
「それもある」
「認めた」
「だが、必要だ」
リナが紐を引いた。
一体目の模擬魔物が突っ込んでくる。
俺は鉄棒を前に出した。
息を吐く。
横へそらす。
模擬魔物が俺の横を通って倒れた。
「よし」
ガルドが言った。
少し嬉しい。
二体目。
今度は少し速い。
俺は一瞬迷った。
棒を上げるか、下げるか。
木剣が肩の横に止まった。
「判断が遅い」
「出た」
「出たではない」
「今のは迷った」
「迷う前に距離を取れ」
「はい」
三体目。
低く来る。
足元。
俺は鉄棒を低く置いた。
模擬魔物の車輪が棒に当たり、止まる。
倒れない。
止まる。
「これでいいのか」
「いい」
「倒れてないぞ」
「止まった」
「なるほど」
その時だった。
訓練場の外から悲鳴が聞こえた。
全員が振り向いた。
「魔物!」
門の近く。
荷馬車の陰から、小型の魔物が飛び出してきた。
訓練場の隣にある素材保管庫から逃げたらしい。
犬ほどの大きさ。
牙がある。
昨日見たダンジョン犬よりは小さい。
だが、子供なら噛まれる。
近くに、訓練を見ていた少年がいた。
動けていない。
アレンが走る。
ミリアが杖を構える。
リナが少年へ向かう。
だが、一番近いのは俺だった。
嫌な配置である。
魔物が少年へ走る。
俺は鉄棒を握った。
倒す必要はない。
一呼吸。
一呼吸だけ稼げ。
「呼吸」
ガルドの声がした。
面の奥からではない。
普通の声だった。
俺は息を吐いた。
鉄棒を低く構える。
魔物の進路へ、置く。
魔物が飛び込んでくる。
俺は倒そうとしなかった。
斬ろうともしなかった。
ただ、前足の着地点へ鉄棒を置いた。
魔物の足が止まる。
体勢が崩れる。
一呼吸。
本当に一呼吸。
その間に、リナが少年を抱えて下がった。
アレンが俺の横を抜ける。
剣が走る。
魔物は、アレンの一撃で倒れた。
訓練場が静かになった。
俺は鉄棒を握ったまま、息を吐いた。
「今のは」
ガルドが言った。
「よかった」
俺は振り返った。
ガルドは天狗面を外していた。
「倒してないぞ」
「倒す必要はなかった」
「止めただけだ」
「それでいい」
アレンが剣を納めた。
「助かった」
「一呼吸だけだ」
「その一呼吸がなければ、間に合わなかった」
リナが少年を抱えたまま、こちらを見た。
「ユートさん、すごかったです」
「すごくはない」
「でも、止めました」
「止めただけだ」
セイルが微笑んだ。
「それが護身です」
ミリアが杖を下げて言った。
「ガルド先生、成功じゃない?」
ガルドは天狗面を見た。
「まだ遅い」
「え」
「だが、少し早くなった」
「褒め方が硬い」
「事実だ」
俺は鉄棒を見た。
重い。
だが、悪くない。
剣ではない。
聖剣でもない。
魔法の杖でもない。
ただの鉄の棒。
でも、これで一呼吸を稼げるなら、持つ意味はある。
夕方。
訓練は終わった。
俺は記録帳を開いた。
護身訓練記録。
一、ユートに剣は向かない。
二、鉄棒を採用。
三、用途は杖、天秤棒、荷物固定具、護身具。
四、敵を倒すことを目的にしない。
五、距離を作る。
六、足を止める。
七、押す。
八、払う。
九、逃げる。
十、助けを呼ぶ。
十一、呼吸を止めない。
十二、荷の呼吸。
十三、判断が遅い。
十四、天狗面は必要か要検討。
ガルドが十四番を見た。
「必要だ」
「まだ言うか」
「覚えただろう」
「覚えたけど」
「なら必要だ」
「理屈が強いな」
ミリアが笑った。
「次回も面ありね」
「やめろ」
リナが楽しそうに言った。
「でも、ユートさん、ちゃんと止められました」
「一回だけな」
アレンが言った。
「一回できれば、次もできる可能性がある」
「勇者っぽい励ましだ」
「勇者だからな」
セイルが静かに言った。
「ただし、無理はしないでください」
「もちろんです」
ガルドも言った。
「お前は戦闘要員ではない」
「そこは大事だ」
「だが、何もしない者でもない」
俺は少し黙った。
「一呼吸稼ぐ役か」
「そうだ」
ガルドは頷いた。
「荷物持ちの武器は、敵を倒すためではない。一呼吸を稼ぐためだ」
それは、かなりしっくり来た。
敵を倒すのはアレンでいい。
魔法を撃つのはミリアでいい。
守るのはセイルでいい。
道を見つけるのはリナでいい。
間に入るのはガルドでいい。
俺は一呼吸を稼ぐ。
その一呼吸で、荷が助かる。
人が助かる。
自分も助かる。
それなら、俺の仕事の範囲だ。
聖剣は寝ていた。
今日は一度も光らなかった。
少し寂しい。
だが、たぶんそれでいい。
聖剣を寝込ませずに済んだ。
神の腰も、俺の腰も、聖剣の腰も、全部大事である。
こうして俺たちは知った。
護身訓練は、敵を倒す訓練だけでできているわけではなかった。
棒がいる。
距離がいる。
足場がいる。
逃げ道がいる。
助けを呼ぶ声がいる。
そして、呼吸がいる。
判断が遅いと怒られる。
呼吸が止まると怒られる。
荷を見すぎても怒られる。
命を先に守れと怒られる。
だが、その怒りには意味があった。
敵を倒せなくてもいい。
勝てなくてもいい。
一呼吸だけ稼げばいい。
その一呼吸で、仲間が来る。
天狗面は必要かどうか分からない。
だが、覚えた。
かなり覚えた。
だから、たぶん必要だったのだろう。
物語は、きれいに一区切りを迎えた。
そう。
ここで終わっても、何の問題もない。
俺たちの護身訓練は、これからだ。
「荷物持ちの呼吸は、敵を斬るためじゃない。一呼吸だけ生き残るためなんだよ」
第二部・完




