2、大使 1
ギオには家族がいない。
シスターにも家族がいない。
どちらも、二人が幼いころに死んだ。
戦時中は別段珍しくない境遇だが、年齢が近かったせいか親近感じみたものがあった。少なくとも、シスターはギオに自分と同じものを見出している節があった。
けれどギオは、自分と彼女が同じとは到底思えなかった。
彼女の家族が戦闘に巻き込まれて死んだのに対し、ギオの家族は明確な誰かの意思の下で銃殺された。父・カイン=クラルテに至っては、ギオの目の前で撃たれた。
死んだと殺されたでは、あまりにも抱く闇が違いすぎた。
他人の口から知らされた死と己の目で見てしまった死とでは、背負うものが重すぎた。
ギオは憎んだ。
父を殺した者を。母を殺した者を。
自分から『平穏』を奪いとった者を。
ギオは恐れた。
白い髪を。血のような紅い瞳を。
自分だけを生かした者を。
憎悪と恐怖は背中合わせで、絡みあうようにギオの中で共存していた。
だが、恐怖の割合が憎悪をわずかに上回っていることをギオは知っていた。だから、もしも両親の仇に出会ったとき、まずは恐怖に支配されることは予想できた。
そして、それは現実となった。
父を撃ち殺し、自分を生かした者と酷似した少女の手を叩き落とすという形で。周囲の制止や咎めの声も聞かず、形振り構わずあの場から逃げだしたことで。
怖かった。
あの白い悪魔に似た少女が。
怖くて怖くてたまらなかった。
パァンッ!
頬を張る音が高く響き、数秒遅れて痛みと熱がじわじわと広がった。治りかけの傷口が開いたのか、鉄の臭いと味が口腔を徐々に満たしていく。
「……」
反動で横を向いた顔を前に戻せば、冷えた表情をしたミシェルが視界に入る。
冷淡な視線。
蔑みと失望を宿す茶色の瞳。
初めて見るものに、抉られるような痛苦を感じる。頬を張られたときよりも痛かった。
「反省しなさい」
聞いたこともないような冷たい声音でそういってから、ミシェルは部屋を出て行った。ギオはそれを、追いかけることも引き止めることも、まして反論することもできず、立ち竦んだまま両手を握り締めた。
反省しなさい。
それは、先刻の命令無視に向けて言われたことではない。
それは、先刻の無礼に向けて言われた言葉。
理由は知らない。説明されても私に理解できるとは思わない。
でも、これだけは知りなさい。理解しなさい。
貴方のやったことは最低な行為よ。
頬を張られる前に言われた言葉を思い出し、唇をきつく噛む。
「……知らないくせに」
なにも知らないくせに。
血が滲むような声で吐き捨て、歩きだす。
小会議室という名を持つやや広い部屋を照らすのは、ドアや中央のテーブルしか判別できないような薄明かり。それでもなにかにぶつかることなく進み、自動で横へとスライドしたドアを通り抜けて部屋の外に出た。
そして、そのまま自室に戻ろうとしたが、
「ギーオ」
聞き慣れた声に呼び止められ、足が止まる。
振り返ると、軍服に着替えたクリスマスが壁に寄りかかっているのが見えた。
「……なんのようだ、クリス」
どす黒い気持ちを抑えず、問う。
自分でも酷いとわかるくらい苛立たしげな声になっていたが、クリスマスは怯みもせずに大股で距離を縮め、ギオの背を軽くぽんぽんと叩いた。
「ミシェル様の鉄拳制裁はどうだったよ」
「……別に」
「どっちで殴られた? 平手? 拳?」
「どっちだっていいだろ」
「赤くなってるけど腫れてねーな。やっぱ平手か?」
「さあな」
素っ気なく言い、肩に回された馴れ馴れしい手を払い除けた。
「冷たい奴だなー」
「余計なお世話」
すげなく一言で切り捨て、前を向く。
スタスタと歩き始めて引き離そうとしたが、ついてくるので距離は一定を保たれていた。
「ついてくるな」
「どこ行くんだ?」
「どこでもいいだろ」
「大使サマなら医務室だぞ」
足が不自然なポーズで止まった。
「わっかりやすいなー、お前」
「……うるさい」
一蹴するように言ったつもりの言葉は、わずかだが確かに震えていた。
気づかれていないことを願って、一歩を踏み出そうとしている状態で固まっている右足を左足の隣へと引き寄せる。靴底とリノリウムがぶつかって、カツンと音を立てた。
そんな音にさえ、過敏になっている心臓は情けなく跳ね上がった。
「自分が悪いって自覚してんだろ? だからミシェルの言葉に腹が立ったんだろ?」
「……」
「お前は本当に態度が素直だなー。だんまりは頷くのと一緒だぞ」
「……」
さらなる指摘に返す言葉を失い、俯いて視線を逸らす。
その仕草を肯定と判断したクリスマスは、畳みかけるように続けた。
「あえて責めることで逃げ道作ってくれてんだ。そういう優しさも汲んでやれよ」
「……わかってる」
「ならその顔はやめとけ。不満たらたらなのが全面的に出てんぞ」
呆れたようにいわれ、思わず顔に手を伸ばした。
確かめるように触れてから、触ってもわからないことに気づき、ハッとなる。勢いよく振り向けば、壁を叩いて笑いを堪えているクリスマスがいた。
図られた。
頬に熱が集まり、頭に血が上る。
衝動に任せて殴りかかるが、あっさり受け止められて不発に終わった。
「ぷ、くくくくくっ……」
「笑うな叩くな受け止めるな殴らせろ!」
怒鳴り、激情を露わにする。
対するクリスマスは、悪戯っ子のような笑顔でギオの手を放した。
馬鹿にされているのは明白だった。それでも、暗い感情を押し退けて湧き上がってきた苛立ちは呆れるほど心地よかった。
「一時間後に大使サマも交えて会議するから、その前に謝っとけ。ついでに着替えとけ。パイロットスーツのままで参加するんじゃねえぞ」
そういいながら、無骨な手で頭を撫でた。
撫でるだけの手はすぐに離れて、代わりに背を強く叩く。バシンと小気味よい音が通路に響き渡り、うすく開いた口から短い悲鳴が零れた。
「なにしやがる!」
「活を入れてやったんだろーが」
「加減しろ!」
「こんくらいがお前にはちょうどいいんだよ」
すっきりしたろ?
悪びれもなくいわれ、再び言葉を失う。
反論したかったが、気が晴れたのは事実なのでどうにも否定しきれない。せめてもの抵抗と睨んでみても、にやにやと笑われるばかりで効果はなかった。
「……殴り飛ばしたい」
「組み手なら付き合ってやるよ。会議が終わった後にな」
「……絶対だからな」
「へいへい。お前こそ、気まずいからって会議ばっくれんじゃねえぞ」
「わーってるよ!」
強い口調で言い返し、クリスマスの横を素早く通り過ぎた。
そのまま歩いて行こうとしたが、意地悪い声がそれを引き止める。
「あれ? お前の部屋は逆じゃなかったっけか?」
「…………喧嘩なら買うぞ」
ゆっくりと振り返って、手の骨をこれみよがしに軽く鳴らす。挑発に乗り、手玉に取られていることはわかっているのだが、それでもそうせずにはいられなかった。
例え、クリスマスが再び壁を叩いて笑いを堪えていようとも。
ついつい反射的に言い返してしまうのは、自分の意思ではなかなか止められない。
(な、殴りてえ……)
こめかみに青筋を浮かべ、怒りで肩を震わせてクリスマスを睨みつける。
殴りかかればそれこそ相手の思うツボ。しかし、いくら頭でわかっていても、怒りというのは抑えきれないものである。
胸倉を掴み、体を前後に揺さぶりたい衝動を抑えるだけでも精一杯だった。
「ほんっとーにおちょくりがいがあるなあ、お前」
「首絞めたろか……」
ジェスチャーで意思表示をすれば、さすがにやりすぎたと思ったクリスマスが両手を上げてやれやれといった様子のポーズを作った。
「……」
本気で実行してやろうか。
そんな考えが脳裏を過ぎる。大変素敵なアイデアだと思ったが、あっさりかわされて腹立たしさを感じる自分が容易く想像できたので、寸のところで踏み止まった。
「……お前嫌い」
「そりゃどうも」
面と向かって言われた言葉を軽く受け流し、クリスマスは屈託なく笑った。
十九歳という年齢には不相応な『子供』の笑顔を見て、思わず羨望にも似た憧憬を抱く。
それは、ギオにはもう浮かべられないものだった。
六年前を境に、ギオから消えてしまったものだった。
「じゃあな」
そういって、笑ったままギオの横を通り過ぎる。すれちがいざまに肩を軽く叩かれたが、痛くなかったこともあり、あまり気にはならなかった。
「……」
去っていく背を、少し虚ろになった目でぼんやりと追いかける。
ギオの視線に気づいたのか、それとも最初からそうしようと思っていたのか。見慣れてしまった派手な姿が曲がり角に消える直前、手が振られた。
不意打ちのような仕草に、先刻とは違った意味で言葉を失った。
「……」
逃げ道を作ってくれているのだと彼は言った。
その意味が理解できないほど、ギオは朴念仁ではない。
だが、
(お前だって、俺に逃げ道をくれるじゃないか)
目を閉じ、瞼の裏に青みがかった黒とネイビーが混じった金色を思い浮かべる。
あえて責め立て、苛立ちという選択肢を与えてくれるミシェル。
からかうことで心を掻き乱し、けれどさりげなく楽な道を教えてくれるクリスマス。
怒ると怖いが、普段は落ち着いている理知的な彼女と。いつも飄々としていて、隊長補佐らしかぬ無責任さと奔放さを露呈している彼。
対照的なのに、根底には似た優しさが流れていることをギオは知っている。
異なる意味で賢い二人が、内包されている闇に気づいていることも知っている。
そして、二人がその闇は共有できないものだと悟っていることも。
我が侭すぎる心が、密かに色んなことを拒絶し、求めていることも。
「……」
ありがたすぎて、逆に疎ましかった。
それは、シスターに抱く複雑な感情と似て非なる、やはり複雑な気持ちだった。
「……知らないくせに」
なにも知らないくせに。
ボソリと呟き、ズボンのポケットに手を突っ込んで歩きだす。
渦巻いていたどす黒い気持ちはすっかり霧散していたが。
代わりに、身に覚えのあるしこりが心の中に残った。
(あいつのせいだ)
全部、あいつのせいだ。
あいつの。
あの白髪の少女の。
悪魔に似た、紅い瞳の少女の。
恐怖が憎しみに侵食されているのを感じながら、ギオは医務室を目指した。
今ならきっと、会ってもあのときみたいに怖くない。
そんな、願望めいた予感を胸に抱いて。




