表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/23

2、大使 2




訪れた医務室に人気はなく、いるはずの軍医(サージャン)リーダーさえそこにはいなかった。


「セイレーン先生?」


確かめるように呼んでも返事はない。

沈黙が返るばかりで、呼び声は虚しく木霊するばかり。


「不在……?」


そう思い、無造作に立てかけられているホワイトボードを見やる。

端々にマーカーの汚れがついているボードには、毒々しいピンクで『不在中。勝手に棚をいじったらお仕置き決定☆』と書かれていた。お世辞にも上手とはいえないウサギのイラストが文字の凶暴さをアピールし、見ていてあまり気持ちのいいものではない。

直視するのが億劫で、思わず視線を逸らした。

水色のカーテンに仕切られたベッドが一つ、目に止まった。


「……」


通常、ベッドを四方で囲うカーテンは、ベッドで誰かが寝るときに引かれる。

使用後は戻すことが義務づけられているので、引きっ放しというのはありえない。変なところで拘る医務室の主が、それを許さないのは周知の事実だからだ。

例えそれを知らなくとも、寝る前には必ず言われるだろう。

帰るときはカーテンを直して行け、と。

だから、誰もいないのにカーテンが引かれているのはありえない。淡いパステルカラーがベッドを覆っているということは、誰かがそのベッドを使っているということだ。


「…………大使」


恐る恐る声をかける。


「ノエル大使、いますか?」


二度目の呼びかけ。

それからたっぷり数十秒経った後。


「――――いるよ」


マリオ=(レイズ)=ノエルの、柔らかいアルトが返った。


「…っ」


思わず息を飲み、ベッドの方を凝視する。

白い布に覆われた左手がカーテンの端を掴んだが、それはすぐに離された。


「クラルテ大尉、だよね? どうしたの?」


クラルテ大尉。

当たり前の階級呼びに、なぜか心が抉られた。

誤魔化そうにも、いきなり無遠慮に突きつけられた感情は容赦なく。


(この人の声は、嫌いじゃないんだ)


言い訳じみたように思うことで、痛みに無理やり理由をつけた。

それ以外の理由など認めたくなかった。


「先の非礼を謝ろうと思いまして」

「構わないよ」

「いえ、悪いのはお……私ですから」


普段使わない敬語と一人称で言い、相手の反応を待つ。

そこでふと、視界に現れない姿を怪訝に感じた。


「ご気分は如何ですか?」

「だいぶよくなったよ」

「なら、ベッドから下りてもいいんじゃないですか?」


会話するなら人の顔を見て話せ。

そんな台詞を言外に込め、軽く詰る。

あのときと同じように、見えないのに彼女が笑んでいるのがわかった。

だが、浮かべているのは違う類いの笑み。

困ったような、困惑しているような。


「――――ぁ」


思い出す。

伸ばされた右手、それを叩き落とした自分。

恐怖に負けて逃げを打った自分。


「…………すいません」

「構わないよ」


先刻と同じ言葉を苦笑混じりに言われ、罪悪感が激化した。

気遣ってくれていたのだ、彼女は。

握手を拒み、なんの言葉もなく逃げだした自分のことを。

それなのに自分はなにをした。

好意を足蹴にし、拒否するように逃げだし。

挙句の果てに、なにをした?


「……」


確かに怖かった。

拒絶と逃走しか考えられないほど。

だが、恐怖を理由に働く無礼にも限度がある。

そして今、自分はその限度を踏み越えた。


「……っ」


奥歯を食い縛り、手のひらに爪を食い込ませる。

忘れろ。今だけは恐怖を忘れろ。

そう自分に言い聞かせ、大股で歩く。

足音が近づいてくるのに気づいたのか、困惑の気配が布越しに伝わった。それに構わず、カーテンを掴んで一気に開いた。


シャッ!


乾いた音が響き、パステルの代わりに多くの白が視界を満たす。

シーツの白。

手袋の白。

髪の白。

肌の白。

包帯の白。


(…………ん?)


ほうたい?

違和感を覚え、ついまじまじと全体を見る。

そして、呆然とした顔に合わせていた視線を下へと落とし、


「……」

「……」


マリオが上の服を着ていないことに気づいた。


「――――っ!!」


声にならない悲鳴と共に、ギオは電光石火の如く勢いでカーテンを閉める。


「……っ! …っ!!」


パクパクと口の開閉を繰り返す。

胸は包帯でほとんど隠されていたが、本物の女体に微塵の免疫もないギオにはそれだけでも十分すぎる刺激だった。


「大丈夫?」


問いかけてきたマリオの声は普通すぎて、さほど気にしていない――――というか、全く気にしていないように聞こえる。胸が隠れているからいいのか、それとも裸体を見られることに羞恥心を感じないのか。

後者は女性としてどうだろうと、頬に集まる熱を持て余しながらこっそりと思う。


一方、いつまでたっても返事を返さないギオを不思議に思ったのか、躊躇うような気配の後にカーテンが静かに音を立てて開いた。

窺うような姿を視界に収めても、驚くほど怖くなかった。……露わになったままの首筋や肩を見たときは、引きかけていた熱がまた頬に戻るのを感じてしまったが。


「……………………見てませんから」

「なにを?」


まじめに問われ、墓穴を掘ったのを悟る。


「包帯しか見てませんから」

「包帯? 胸の?」


墓穴パート二。

人間、混乱するとうまく言葉が出ないものだが、今のギオはまさにその典型である。


「えーっと……」


後頭部に手をやり、やや俯いてポツリと呟く。


「…………すいません」

「別にいいよ、気にしなくても」

「俺が気にしますよ……」


一人称を変えることも忘れ、ずるずると座り込んで膝の間に顔を埋める。

色んな意味でどうしようもなくなっているのは火を見るより明らか。クリスマス辺りが見たら、腹を抱えて笑うことは間違いないだろう。


「…ふ」


そんなギオを見て、マリオは二,三度ほど目を瞬かせてから唇を綻ばせる。


「……なにがおかしいんですか」


零れた笑みに思わず、埋めていた顔を上げる。そのとき初めて、笑みを浮かべる少女がやけに憔悴し、疲弊しているのが感じとれた。


墨でも塗られたような色濃い隈。

簡単に折れてしまいそうな白い痩躯。

よくみれば、顔色も優れている方とはいえない。むしろ悪い方だ。


医務室は体調の悪い者や怪我をした者が来るところ。仮病には絶対ベッドを貸さないのが方針のここで寝ているのだから、体調が悪いのは至極当然。しかし、それにしたってこの疲弊さはどうだろう。

まるで、何年も前から一つの病を患っているような。

治らない病気に侵されているような。

こんな状態で、彼女は自分を気遣ったのか。

自らの不調を見せず、好意の手を払い除けた自分などのために。


「大丈夫ですか?」

「なにが?」

「体調ですよ。気分が優れないから医務室にきたんでしょう?」


再び、けれど今度は先と違った声音で詰る。

対するマリオは、そんなことかといわんばかりの顔で微笑んだ。


「珍しいことじゃないから」


気にしないで。


「それより、君こそ大丈夫? 左頬が赤くなってるけど」


儚げな笑みで言われた言葉に、片隅に残っていた恐怖が消えた。

その代わり、流れ込んできたのはわけのわからない未知の感情だった。


紫紺の鬼〝黒影鬼〟を駆っていたときとは打って変わった気配の希薄さ、弱々しさ。

六年前の悪魔が有していた肉食動物の雰囲気は欠片も感じられず、今の彼女のそれは草食動物、狩られる側に属するもの。凛々しさを帯びているのは声くらいなものだ。

似ているのは姿だけ。

改めて思い知らされる、彼女と悪魔が違うこと。

それでも、視界に多くを託して生きる人間は目に入った情報には酷く敏感で。明らかに違うものだとわかっているのに、酷似した姿を見るたび恐怖を捨てきれない。


謝罪すら求めない無欲さは、欲しがるばかりのギオにはないもの。

けれど、なにも欲しないのは全てを欲するのと同じこと。抱く願いや有する欲望が全ての事柄に繋がり、直結していることには変わらない。

全てが欲しいと手を伸ばし、なにもいらないと突っぱねる。

どちらも同じように、全てになにかを求めている。ベクトルの向きが逆なだけだ。

嫉妬心と同族嫌悪。自分と異なるからこそ湧き上がる感情と、自らと同じだからこそ抱く感情が同時に存在し、反発しながらも絡みあう。


どれもこれも、誰も与えてくれなかったものばかり。

当然だ。ギオが恐怖を覚えるのはあの白い悪魔だけだし、謝罪すらもいらないというような変わり者が眼前の少女以外にいるわけもない。

マリオが謙遜で言っているという考えは、なぜか浮かんでこなかった。


構わないよ。

気にしないで。


そういった彼女の言葉全てが真実であると、根拠のない確信さえ持てた。

或いは、多くのものを欲してしまうギオだからこそ、マリオの無欲が嘘か真かわかったのかもしれない。

欲心と無欲。全く違うようで、それらは表裏一体だから。


「お大事に」


込み上げるものを押し殺し、それを悟られないよう返事を待たずに出入り口へと向かう。

そして、やってきた者に反応して左右に開いたドアを通り抜けると、ドアが閉まる前に顔だけ呆然としているマリオの方に向け、こう言った。


「大尉はやめてください、ノエル大使」


唐突な言葉に、見開かれる紅い目。

だが、驚愕はすぐに蕩けるような優しい笑みに変わった。


「大使はいらないよ、クラルテ君」


ドアが閉まった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ