1、ギオ=クラルテ 4
夢を見た。
父の部屋。
クローゼットに隠れる自分。
帰ってきた父。
出そびれた自分。
やってきた見知らぬ来訪者。
そいつが持つ凶器に怯える自分。
笑顔のまま倒れ込んだ父。
見ているだけの自分。
震える姿をまっすぐ見つめてくる悪魔。
輪郭をなぞる指。
なにも映していない眼差し。
紡がれた声。
白い髪。
紅い瞳。
全てが凍りつくほど恐ろしく、壊したいほど憎らしかった。
憎い。
怖い。
許さない。
殺したい。
呪詛のように、同じ言葉を何度も何度も繰り返す。
それでも体は動かない。
白い悪魔に触られるのを、震えながらも甘んじている。
苦しかった。
あのとき恐怖で動けなかったこと、今でも責められているようで。
「…………夢か」
うっすらと開いた目で天井を見上げ、ギオはボソリと呟いた。
顔を横に向け、デジタル時計の時刻を見やる。
AM九時ちょうど。
指定起床時間の七時はとうに過ぎているが、咎められる時間ではなかった。
(久しぶりに見たな)
奇妙に冷めた頭で思い、寝転がっていた上体を起こす。
六年前を再現した夢。
今はもうそんなことは滅多にないが、見始めたころは目覚めた直後の記憶がなく、気がつけば周囲にある物を手当たり次第に壊した後。毎晩のように見ていた悪夢の回数が減り始めたころにようやく落ち着き始め、現在は発作に等しいそれが起きても被害は少ない。
慣れてしまった今では、夢を見た後に震えることもなくなった。
「……順応性が高いよな、人間って」
少し乱れた髪を撫でつけながら、呆れたように呟き手を動かす。
右頬、左肩、右手、右の脇腹、右足。
痛む箇所を上から順番になぞっていき、負傷した場所を思い出していく。
湿布と軟膏の臭いが鼻につくが、癇には障らなかった。
「……ふう」
溜息を零し、痛みが一際強い頬に触れる。
触ったときのピリリとした痛み。その後に訪れた心地よい冷たさ。思わず目を細め、冷えた手がぬくもりを持つまで緩やかな清涼感に身を委ねた。
「……」
腫れた方を避けつつ口腔を舌で探れば、わずかな苦みが味覚を刺激し、眉間に皺が寄る。
「傷が開いちまった……」
忌々しげに吐き捨てると、ベッドから下り簡易キッチンに向かう。
その途中、視界の端が見慣れないものを捉え、足が止まった。
ラップに包まれた夕食一式。丸っこい字で「食べなさい」と殴り書きしてあるメモ。
おまけのように、けれど見落とさない位置に置かれたデータカード。
「……シスターのやつ」
思わず苦笑し、呆れ半分嬉しさ半分の声を零す。
カードを右手に持ちボタンを押せば、表示されるのは文字の羅列。あまり長くはなく、かといって短くもない文章。それを読み進めていくギオの顔から苦笑は消えていき、代わりに本格的な笑みが滲み始めていた。
『DEM』Ω‐12について
ウインドウの一番上には、そう書かれていた。
『DEM』
それは、地球軍が開発したリビングデッドの中で最高峰の機動力を持ち、核を破壊されない限りは無尽蔵の生産式エネルギーエンジンを搭載した、この世にはわずか十二機しか存在しない兵器の略称。
現在、十二機中六機は地球軍の下にあるが、残る六機のうち、Ω‐07から09までの三機は木星軍、Ω‐10から12までの三機は『大使団』の監視下に置かれている。
地球軍Ⅴ隊はその『DEM』を二機も所持しているが、隊長・エディ=フォスター少佐の愛機である『DEM』Ω‐06は現在あまり使われていない。よって、専ら有名なのはギオが駆る『DEM』Ω‐01だった。
リビングデッドの中では珍しい、女性型の純白のボディ。
特殊改良が施され、防御の役割も果たす対遠距離用長銃『カナリア』を右手に持ち、どの方向からの敵にも対処できるよう、ほぼ全身にサイズの異なるエネルギー砲を装備。コックピットには八方を見渡せるモニターがあり、OSには捉えた標的を戦闘不能時までロック・オンすることができる特殊なシステムが組み込まれている。
遠距離への攻撃に対する性能だけなら、十二機中で最も特出した機体。
その全体の姿はさながら戦乙女。
いや、戦場に向かう異形の姫君といった方がいいだろう。
ボディのパーツは白いドレスを思わせ、纏うように身につけられた銃火器はまさに異形。
それが、『DEM』Ω‐01。
またの名を〝白姫〟。
ギオの両親、カイン=クラルテとサラ=クラルテが造った機体だ。
知識だけを提供していた両親が、直接開発に携わって造ったリビングデッドの片割れ。
そう聞かされたとき、ギオは迷うことなくパイロット、それも、『DEM』〝白姫〟専属のパイロットになることを選んでいた。
色々と訳はあったが、なによりの理由はその製作者が両親だったということ。親が造ったものを子である自分が引き継ぎ、駆るのは当然のことだと思ったからだ。
そして、ギオは紆余曲折を経て〝白姫〟を手に入れた。
同時に、両親が造った機体の片割れの所在も気にかかっていた。
『DEM』Ω‐12。またの名を〝黒影鬼〟。
Ω‐01の〝白姫〟と対をなす機体で、現在は『大使団』の下にある。
存在を知ったのは、〝白姫〟と対面したとき。そのときも今も、ギオはΩ‐12という製造番号と〝黒影鬼〟という名称しか知らない。それ以外のことは一切教えられなかった。
知りたいと思った。
見てみたいと願った。
けれど、誰かの意図が根底にあるのかと思うほど、〝黒影鬼〟の情報は入ってこない。
両親が開発したものなのに、外見的特徴も知らない。どんなパイロットが操縦しているのかも知らない。〝黒影鬼〟の在る場所が戦場か格納庫かさえ、ギオは知らなかった。
だから、
『ノエル大佐が今乗ってるの、Ω‐12よ』
シスターがそう耳打ちしてきたとき、疑惑以上に歓喜がギオを満たした。
偏食ゆえに普段はあまり楽しめない食事の時間を、密かに心待ちにしていた。
――――それなのに。
「喧嘩ふっかけてきやがって……」
もっと叩きのめしてやればよかった、と。
物騒なことを考え、データカードが表示するウインドウを無造作に消した。
銀色の円形階級章が三つと、金色の紋様が入った赤い翼状階級章。
纏う軍服の襟元にある、大尉とトップパイロットの地位を指し示すもの。
ギオは、それらを自ら築いた実績と自らが育て上げた技術で得た。けれど、それらが十六歳という若さに分相応なのは十分承知している。
実力だけでのしあがっても、入隊歴が浅く年齢が幼ければいくらでも目をつけられる。そのことを、ギオは以前所属していたⅦ隊で嫌というほど理解した。
新人なら新人らしく、先輩のサポートをしていればいい。
子供なら子供らしく、大人の陰に隠れていればいい。
妬みばかりで実力がない者ほど、そんなことを言ってはギオの心身に暴力を振るった。
Ⅶ隊に比べれば、Ⅴ隊はまだマシな方だ。しかし、Ⅴ隊は短慮な若者が隊員の大半を占めている分、劣等感や嫉妬を肉体的暴力で発散する者が多い。
正当防衛に訴えやすいので反撃は比較的楽だが、所詮ギオもまだ子供。一対多数の喧嘩に圧勝できるような腕力は、残念ながら持ち合わせていない。精々、相手も負傷させ、自分が受けるダメージを軽減するくらいが関の山。自分よりやや劣る腕力を持ちながらも、けれど場数と技術で一対多数を切り抜けられるクリスマスが無性に羨ましい。
今回は相手が良かった方だろう。名前も顔も知らない者二人という人数の少なさも然ることながら、どちらも喧嘩慣れしていないのが幸いした。頬や脇腹を殴るのが精一杯で、終わった後に自己治癒力を活発化させる薬を飲んでから眠れたほどだ。
肩は壁に叩きつけられたときだが、手と足を痛めたのは反撃の際。拳で殴るにしろ足で蹴るにしろ、なにかを攻撃する時に込めた力とその反動によるダメージは比例関係にある。
一応急所を避けたとはいえ、ギオは相手の骨を折るつもりで殴り、蹴った。
痛くて当然。
痛いのが当たり前。
そうは思うが、やはり腹立たしい。
望んだダメージを与えられなかったことも、苛立たしさに拍車をかけた。
「もっと鍛えとかないとなー…」
決して逞しいとはいえない己の二の腕を見て、溜息混じりに零す。
やや貧弱な体は、ギオのコンプレックスの一つだった。
「……それには、飯を食わんと話にならねえか」
呟き、ラップのかけられた食事に改めて視線を向けた。
オムライスとマカロニサラダ。
両方とも冷めても平気なもので、数少ないギオの好物だ。
「……」
微笑を浮かべ、カードを置く。
穏やかな笑みだったが、なぜか自嘲と痛ましさがそこにはある。
共有できない哀しみ。
分かち合うことができない苦痛。
知っているからこその優しさ。そこに濁った思いはなく、あるのは純粋で一途な気持ち。だからこそ、それはギオの心に重くのしかかり、見えない刃でゆっくりと切り刻む。
苦しい。
痛い。
未だ暗い炎を燻らせる心は、時折それだけを叫ぶ。
どうすることもできない。割り切るしかない。
わかっているのに、我が侭な心はいつも欲しがっている。
哀しみの共有。
苦痛を分かち合うこと。
「……ばかばかしい」
そんなものはいらないと、ずっと昔に誓ったのに。
ビーッ!
ビーッ!
「!?」
思考の海に沈みかけた意識を、突如鳴り響いた警報が引き上げる。
そして、
[全隊員に連絡。所属不明リビングデッド数十機がⅤ隊基地に接近中。操縦士と整備士は格納庫、オペレーターは持ち場にお急ぎください]
見計らったかのように、聞き慣れた人工音声のアナウンスが室内を満たした。




