1、ギオ=クラルテ 3
「それ、マリオ=R=ノエル大佐のこと?」
「大佐? 大使じゃなくて?」
そう聞き返せば、シスター=コロネット伍長はコクリと頷いた。
「なんで?」
「『大使団』に入る前は大佐だったからよ、木星軍のだけど」
「へぇ」
薄いリアクションが返る。
それでも素直に驚いてくれたのは嬉しかったのか、笑みを浮かべて話を続けた。
「ノエル大佐は有名人よ。少なくとも、整備士の間で知らない人はまずいないわ。なんたって彼女は、〝リビングデッド・ラヴァー〟だからね」
「リビング……なんだって?」
「リビングデッド・ラヴァー。どんなに扱いが難しい機体でも完璧に乗りこなすパイロットに与えられる称号よ。知らなかったの? パイロットのくせに」
「知らなくて悪かったな。……てか、そのノエル大佐って奴はメカニカルの間で有名なんだろう? なんでパイロットの俺が知らなくちゃなんないんだ」
「あのねえ……」
存外だといわんばかりに口を尖らすギオを、呆れ顔で見る。
ボトルグリーンの作業着に包まれた腰に厚い軍手をはめた手を当て、溜息を吐く。いかにも馬鹿にしたような仕草に、こめかみがピクピクとひくついた。
そんなギオを一瞥してから、シスターはやれやれといった様子で口を開く。
「パイロットは知ってて当然! 有名なのが当たり前だから話題にならないの」
常識よ、こんなの。
そういわれ、ギオはばつが悪そうに頬を掻いた。
一般常識に疎いわけではないが、他人より世事を知らないことは自覚している。シスターの言うことが本当に『常識』かさえわからないほどなので、反論のしようもなかった。
「……そんなに凄いのか?」
「凄いなんてもんじゃないわよ」
拳を握りしめ、力説する。
からかいや冗談の類いをそこから見出せず、ギオは黙って話を聞いた。
「『DEM』や『六芒星』だって、大佐の手にかかれば赤子も同然。それくらい、彼女の操縦技術はずば抜けているわ」
「……」
「一度彼女の戦闘を見れば、その凄さはよくわかると思う。私も先輩の話だけ聞いたときは半信半疑……いえ、全くといっていいくらい信じてなかったもの。でも、〝オーガ〟壊滅時の記録映像を見せてもらったとき、物凄く納得できた」
そこでシスターはいったん言葉を切り、そして、
「私の見た限り、あの人は現代のパイロットの中で最強よ」
言い切った。
普段なら一言で切り捨てるような言葉が、このときばかりは無下に否定できず、
「最強ねえ……」
呆れを装ってそう返すしかなかった。
単純な否定を許さない。
一蹴の言葉を言わせない。
そういうものが、シスターの言葉には確かにあった。
「本当だってば! 信じなさいよ馬鹿ギオ!」
「誰が馬鹿だ誰が! 第一、信じてないとはいってないだろ!」
「いーえ! その言い方は間違いなく信じてない! むしろ馬鹿にしてた!」
「してない!」
「してた!」
「うるせえっ!」
ごんっ
がすっ
低レベルな口論に突如乱入してきた怒声。
それを二人の聴覚が捉えるのとほぼ同時に、ギオの頭には鉄拳、シスターの頭にはプラスチック製バインダー(角部分)による攻撃がお見舞いされた。
喧騒がない時間帯のせいか、痛そうな殴打の音はとてもよく木霊した。
「――――っ!!」
声にならない悲鳴×二。
思わず頭を抱えて蹲る二人を、作業服を袖まで捲くり太い腕を組んでいる褐色の大男、整備士リーダー・カストロ=マイアン大尉は呆れたように見下ろした。
「格納庫の隅で痴話喧嘩たぁいい度胸だな、コロネット。クラルテも、密会ならもっと場所を選んで小声で喋れや」
「痴話喧嘩ってなによ!」
「密会っていうな!」
マイアンの言葉に、涙目で反論する二人。
相当痛かったのだろう。紅い目と青い目の潤み具合は、冗談の範囲を超えていた。
「男女の他愛ない喧嘩」
「は?」
「男女がこっそり会うこと」
「……なにいってんのリーダー」
「痴話喧嘩と密会の意味だ。不適切と思うなら別の表現で言い返してみやがれ」
「……」
「……」
言い返せず、沈黙。
一言にまとめすぎな気もするが、間違ってはいない。
単語の意味にも、先刻までの二人の状況にも。
「マイアンさんに口で言い負かされるの、無茶苦茶悔しいな」
「右に同じく。リーダーはそういうタイプじゃないもんね」
「テメエらも大概失礼だな。素直に博識って褒めとけ」
苦々しく言い捨て、シスターを叩くのに使ったバインダーを押しつけるように手渡した。
受け取ったシスターは一瞬物凄く嫌そうな顔した後、挟んである書類に目を通し始める。枚数は計三枚と少なく、けれどそれを何度も繰り返し見ている姿に、十六歳の少女であるシスターの面影は全くといっていいほどない。
現在、ギオの眼前に立っているのは、Ⅴ隊所属の整備士・コロネット伍長。
それを実感し、なんとなくこの場に居辛くなった。
「整備か?」
「うん。ジングウ中尉の〝フェイサー〟が調子悪いみたいだから」
目を合わずにそう答え、めくっていた書類を戻す。バインダーをマイアンに返し、軽く一言二言を交わしてから、ようやくギオに逸れていた視線を向けた。
「話の続きは晩ご飯のときにでもしよっか」
「おう」
「あ、せっかくだから〝白姫〟もみてあげよっか?」
「いや、いい。姫のメンテナンスはこの前してもらったばっかだし。それに、長居のしすぎで先輩達に絡まれんのも嫌だしよ」
何気ない口調でそういえば、途端にシスターは顔を俯かせた。
唐突な仕草に暫し心の中で首を傾げ、そしてすぐに自らの失言に気づく。いつのまにか近くに寄っていたマイアンに小突かれたのが、湧き上がっていた嫌悪感を助長させた。
「あー…、えっと……」
頬を掻いて言葉を濁し、
「わりぃ」
謝る。
一年弱という年月を経て、いつしか見下ろすようになったハニーブロンドを撫ぜれば、顔を上げた少女は小さく「ありがとう」と呟いた。
別に非があるわけでもないのに、その顔を見るだけで無性に居た堪れなくなる。
穴があったら入りたい、とまではいわない。だが、今すぐにこの場を離れ、射撃場でがむしゃらに演習用短銃を撃ち続けたい気分にはなった。
こういうときのシスターは苦手だ。
どうしても敬遠したくなる。
「俺、トレーニングルームの方にいるから」
「わかったわ」
努めて平然に聞こえるように言い、それにシスターも平素の口調で答える。
気まずい。非常に気まずい、と。
泡のように浮かぶ思いを顔に出さないよう心がけ、踵を返して歩こうとするが、
「ちょっとまって」
肩を掴まれ、グイッと引き寄せられた。
そして、
「――――」
早口で耳打ちされた言葉に、ギオは目を見開く。
「……本当か、それ」
「もちろん。この目でしかと見たんだから」
詳しいことはごはんのときにでもね。
そういって、シスターはにこりと微笑む。
いつもの彼女に、密かな安堵を抱いた。




