36 魔王と少女と補佐官
静けさの漂う廊下で、最初に抱えた腕とは反対にいるメリルが落ちぬよう、抱え直す。
その反動で頭が揺れたのか、耳の奥に鈍痛が走った。
「耳痛ぇ」
「頭いたい」
「……」
「えへへ」
呟いた言葉に、遊んでいる感溢れるメリルが続いた。
やはりガキだな。
ガキに耳元で叫ばれてから、風が吹き付けるたびに、音が篭ったり鈍痛が走ったりなど耳に変な感じがしている。
しかし同時に、俺の正体を知った直後驚きのあまり仰け反ったガキは、俺に怒鳴られたことで更にバランスを崩し、捕まえるより先に落ちて頭を打った。
幸い大きな怪我はなかったので、お互い痛み分けだ。
明日も違和感が取れなければ爺の元へ行くかと考えつつ医務室を通り過ぎ、ガキの病室前で立ち止まる。
「ちゃんとリディアと話せよ」
「えー、でも」
「まだ迷惑だと言われると思ってんのか?」
「ううん。思ってないよ。きっと、守ろうとしてくれたんじゃないかな。ママみたいに」
生前のメインが、魔力に当てられないようガキを魔物達から遠ざけていた事は、俺も聞いている。
こいつなら大丈夫だと思うが。
まあ、体質なのかは爺に聞くとして。
「なら何が嫌なんだ」
「だって、リディア怒ってるかもなんでしょ」
ああ、そういう事かと思った。
リディアが取り乱していた様子は、歩きながら掻い摘んで説明し、ついでに『感情に流され易いから、怒りに流されるかもしれない』とも言った。
「自業自得だ。流石にガキ相手に手は出さねえから、大人しく説教を受けろ」
「やだなぁ」
「むしろ泣く可能性もあるからな」
「う~……。リディアに泣かれちゃうのはもっとやだぁ」
「なら諦めろ」
人の首元でうだうだ言うガキを気にせず、歪んだ扉を押し開けた。
「! メリルは!?」
出た時と同じ体勢で、ベッドに突っ伏していたリディアが顔を上げた。
何だ泣いていなかったかと思いつつ、ガキ示すように抱えた腕を持ち上げる。
「ん」
「んっと、……ただいま」
「……」
一瞬間が空いたと思ったら、リディアの表情が変わった。
あ、やべえな。
眉間にシワを寄せ、今にも泣き出すのを我慢した顔で立ち上がるリディアに、落ちないようガキの腰に手を添える。
「おい、先に謝っとく」
「え?」
何を、と問おうとした声の代わりに、鈍い乾いた音が響いた。
あーあ、やりやがった。
「え?」
引っ叩かれた方は何が起きたのか、頭が追いついていないらしく、勢いで横を向いた顔をリディアに戻し、叩かれた頬に手を当てるでもなくぽかんとしている。
まあ『手は出さねえ』って、言っちまったからな。
「リディ、ア?」
「この馬鹿!! ただいまじゃない!!」
そりゃそうだろうな。
近づいてきたリディアの顔をよく見れば、目元が赤い。
泣くだけ泣いて冷静にはなったが、戻ってきたガキの一言に血が上ったのだろう。
「あ、ご、ごめんなさい」
「何で勝手に抜け出したの!?」
「その……おさんぽ、したくて」
怯えながら返された回答に再びリディアが手を振り上げた。
ビクリと身体を跳ねさせたガキが首にしがみつく。
説教ならいいか思い一撃目は放置したが、流石に二撃目を放っておく訳にもいかず、振り下ろされる前に手首を掴んで防ぐ。
動きを止められたリディアに睨まれるが、泣き出す寸前の顔をされては尚更止めるしかない。
舌打ちをして、手首を掴んだ手に力を込める。
「いい加減にしろ。少しはこいつの話も聞け」
「聞いた。散歩したかったんでしょ」
「だから、その理由を聞け」
「そんなの知らない。離して!」
掴まれた手を外そうと暴れるリディアに、俺の方が先に限界を迎えた。
掴んでいたリディアの手首を引き、バランスを崩して近づいた身体に蹴りを叩き込む。
至近距離で避けることも防ぐこともできず鳩尾に入り、掴まれたままの右手を上げた状態で、リディアは膝をついた。
「げほっ……ぐ、何、するの……」
痛みに歪む顔でこちらを見上げてくるが、目の焦点が定まっていない。
やり過ぎたらしいが、幸いにも気絶しなかったので話を戻した。
「うるせえ黙れ。幽閉されてた時と同じ状況だったんだと」
「……ぁえ?」
人の首に張り付いているガキに一瞬だけ目線を送れば、それだけでリディアには十分通じたらしい。
見開かれた目の焦点がガキに定まる。
「そんな、つもり」
「それはこいつもわかってる。お前等に迷惑だと言われんのが嫌で、言えなかったそうだ」
「あ、じゃ……じゃあ、私は……」
リディアの身体から力が抜け、目から涙が零れ出した。
「私……、ごめ……」
「リディア、泣かないで」
リディアの震えた声に顔を上げたガキが、身を乗り出そうとする。
リディアの手首を離し、ガキを降ろせば、項垂れるリディアの首元にそっとガキが抱き付いた。
「わ、私は……閉じ込める……、つもりなんて」
「知ってるよ。かってにお出かけしてごめんね」
「う……ひぐ。ごめん、叩いて……ごめん。怒鳴ったりして……」
「いいよ。悪いのはわたしだもん。だから泣かないで」
「う、う゛ー……」
ゆっくりとガキの背に手を回してきつく抱きしめたリディアは、暫く泣き止みそうになかった。




