28 補佐官
「あー……、どうしよう」
書き終えた報告書の束を手に、ため息をつく。
就業時間を過ぎているがそれは大した事ではない。いつも通り、我らが魔王様が原因だ。
ありきたりだが、事は今朝に遡る。
飲み会の翌朝恒例、メイドの悲鳴を目覚ましに、魔王と二人遅めに起きた。
そして、メイドに勧められるまま共に朝食をとっていた時から、二日酔いとは別の頭痛に悩まされる羽目になった。
いや、別に二日酔いにはそうそうならないけど。今回もなってないし。
『今夜行く、爺に言っとけ』
『は? 行くってどこに? ――もしかして、メリルの所?」
『ああ。今夜も時間空いてんだろ』
『でも面会時間外じゃん』
『だから爺に言っとけって言ってんだろ。ガキにも』
『メリル』
『ガキに』
『メーリール!』
『……。メリルにも言っときゃ構わねえだろ。とにかく、伝えておけよ』
と、いうわけである。
「伝えたけどさー」
魔王は知らなかったようだったが、午後は城にいる時間はなかったのだ。
まあ、伝言を引き受けた時の私も自分の予定を忘れていたけれどさ。
「ああもう! 今日が視察だったなんてー!」
言いながら書類の間に突っ伏して、机に張り付くように力を抜くと背中が軋んだ。
最近デスクワークばっかりだったし、久々の遠出に疲れたのかな?
予定では、面会終了時間30分前に帰る予定だった。どう考えてもギリギリ過ぎる。
もし面会時間を過ぎた後に「今夜会いたい」と言っても、確実に却下される。
医務室関係者は基本、『魔王<<<<患者』の考え方だ。誰であろうと医務の規則を厳守させられる。
なので、出発前に部下に言付けを頼んだのだが、珍しい事にアルニ老が捕まらなかったらしい。
それは仕方が無い。
仕方が無い、が!
私から部下、部下から看護師、看護師から別の看護師、別の看護師からまた別の――と、伝言ゲームになってしまったのはどうなのか。
しかも、誰一人メモを使わなかったとか。
……せめて最初の私が書けばよかった!
一人執務室で頭を抱える。後悔先立たず、とはこの事だ。
「ちゃんと伝わったかなー」
帰ってからは報告書に追われ、きちんと伝わったのか確認できなかった。
一応別の部下がアルニ老からの了承を教えてくれたが、正直不安だ。
伝わったかどうかではない。伝わった内容が不安だ。
お喋り好きの看護師達を数人挟んだ分、内容が変わっていないか不安だった。
「まあ『今夜行きます』って伝言じゃ、そう変な内容にはならないか。……うん。ならない、はず……。ならないよね、普通」
ならないならないと、自己暗示のように声に出して繰り返す。
うんうん、部下や看護師達を信じよう。元はと言えば、急に言い出した魔王が悪い。
そこまで考えた所であくびが一つ。
うーん……やっぱり疲れてるのかな。昨日は飲んでて遅くまで起きてたしなー。
時計を見れば、少しくらいなら余裕はある。
「ちょっと休憩しちゃおうか」
どうせ魔王の仕事が終わらないと、メリルの元へは行けないのだし。
大丈夫だろうと考え、腕を枕に体の力を抜いた。
『リディア』
『リディア。またそんなところで寝てるの? ふふ。もう、風引くよ。ただでさえ不健康なんだから』
うるさいな。知ってるよ。
『約束があるんでしょ。ほら、早く起きて』
あとちょっとだけ。
『だ~め。時間がないの。あたしも行かなきゃ』
行くって、何処へ?
『ふふ。ないしょ! あなたも遅れたら大変よ。何処かに行っちゃうかもしれないわ』
え、行っちゃうって! 誰が!?
『ほらほら! ちゃっちゃと起きて、会いに行って』
おい! まだ聞いてないぞ!
誰がいなくなるんだよ!?
『いいから起きて!!』
「!?」
誰かの声に突然目が覚めた。
体を起こして周囲を見回すが、当たり前だが誰もいない。
確か、起きてって……。
「…………あれ?」
何の夢、だった……?
覚えていない、というより、思い出せない。
確かに夢を見ていたはずなのに、何も思い出せない。
唯一残った誰かに起こされた感覚、そんな妙な感覚に首を捻る。
そこでようやく、室温は高くないのに髪が顔に張り付いている事に気がついた。
汗で張り付いた前髪をかき上げると、額が冷たい。
いや、冷えているのは額だけではない。体中が冷え切っていた。
「……寒っ」
汗で濡れた剥き出しの背中に寒気を感じ、思わず両腕で体を抱く。
その時、腕に付いていたのか、書類が落ちた。
「あ、報告書。届けなきゃ」
落ちた書類を拾って卓上の小さな時計を見れば、大分時間が過ぎていた。窓の外も真っ暗になっている。
「うわー、いつの間に」
やはり疲れていたのか、少し寝過ぎたみたいだ。
覚えていないが、妙な夢を見たのもそのせいだろう。きっとそうだ。
急いで提出する物をまとめて抱え、上衣を羽織って席を立つ。
夢もインクも気にしていられない。あまり遅くなると、魔王の機嫌が悪くなる。
メリルの元へ不機嫌な彼を連れて行く訳にはいかない。
絶対怖がる! それは阻止せねば!
それに、これさえ届ければ後は簡単な仕事だけだ。
もう一度少しだけ休む事も、汗を流して着替える事も出来るだろう。
「少しお腹空いたなー。――ああでも、お茶だけでいっか」
この発想が不健康と言われる原因だって事ぐらい、とっくに自覚している。




