25 補佐官と魔王
『あれ? リディア様、今日は一日出勤で大丈夫ですか?』
『あの子元気ですか? えっ? ああ、以前彼女の付き合いで、お見舞いに……。すみません。勝手に行きました……』
『あの! 自分も今度! お見舞いにお伺いしてもよろしいでしょうか!? ぜひお会(意味不明だったので以下略)』
『また残業しようとして!! 駄目ですよ! 幼い子供を残して連日残業なんて! 少しは減らして下さい!』
何なんだ、一体!!!!
仕事を肩代わりしてくれたり、残業をさせないよう定時で声をかけてきたり!
異様に気遣いが増えた!
挨拶だって、今までだったら会釈くらいだったのが、歩く先々で『あの子は~』と続くようになった。
どれだけメリルの事が広まっているんだ!?
メイドや部下達ならともかく、他部署の文官や衛兵にまで広まっている。
バーグランド公爵以外にも人間嫌いが来るかもしれないのに、城中で話のネタなっているのだ。
あの子への危険は誰も考えないのか!?
「どう思う!?」
「……知らねえよ」
机に叩きつけたグラスの中で、ワインが跳ねる。
魔王お気に入りのガラス製のテーブルに、ガラスのグラスがぶつかるが、どちらも欠ける事はない。
魔王も気にする事なく、響いた音に眉を顰めるだけで、グラスを傾ける。
ここは魔王の自室。
バーグランド公爵が自領に戻って、早三日が過ぎた。
公爵の持ち込んだ案件も大方が片付き、今日は二人揃って早く仕事が上がったので、久々に飲む事にしたのだった。
まあ、早いと言っても、定時はとっくに過ぎていたが。
「大体さー、私は"臨時"の保護者! メリルだってまだ病室にいるんだし、会いたいだの、元気かだのは、医者達に言えってのーーー!!」
「ちょっと待て。『会いたい』って何だ?」
ペースなんて考えないで飲んでいたせいか、酔いの回りが早い気がしていた。
ただの世間話から、一方通行の愚痴大会――今回は主に公爵に対して――になったのも、比較的早かったと思う。
毛足の長い絨毯に並ぶ酒瓶は、本数こそいつもより少ないのに、魔王の生返事は随分前から聞いていた気がしていた。
だから急に返事が返ってきて、少し驚いた。
聞いていたのかと問えば、一応と返ってくる。
本当、こういう所がいいんだよな。この人は。
「うふふふ」
「気持ち悪いな。で、会いたいって何だ」
「別に。メリルに会いたい、ってだけの話。『アルニ老に聞いてください』って、言っておいた。ま、鼻息が荒い奴は却下したけど」
「……そうか」
あれは気持ち悪かったなー。
ガタイのいい衛兵だったから、余計に気持ち悪かった。あのマッチョロリコンめ。
その時を思い出したら、せっかくのほろ酔い気分が薄れた気がした。
両手でグラスを掴み、残りを一気に呷る。
「うぅ……。ダメだ、思いだしちゃった……。凄く近かったんだもん」
「何の事だ?」
「その鼻息が荒い衛兵だよ。何かもう、ぐいぐい近寄ってくるから、汗臭くて仕方なくって。いやもう、気持ち悪くって気持ち悪くって」
「……」
アルコールが回っているせいで、口が勝手に動く。
プライベート時である事に加え、アルコールも働き、遠慮や配慮なんてものはない。
「しかもしつこかったんだよなー。粘着質って感じで、って何!?」
「ああ、割れたな」
相変わらず衛兵の話を続けていたら、魔王の持つグラスが割れた。割った、と言うのが正しいか。
他人事のように言う魔王の手を開かせ、慌ててグラスの破片を取り上げる。
幸い、目立った傷はないようだ。
「もう、何をやってるんだよ。おかげで酔いが覚めたじゃんか」
「知らねえよ。勝手に割れた」
「そんな事ある訳ないだろ。ほら、手は開いたまま。救急箱あったよな?」
「何ともねえよ。こんくらい」
「アンタは気にしなくても、何かあったら私が女子達に説教されるんですー」
「だが、なくなっても知らねえぞ」
頬を膨らませて言えば、魔王は納得したようだが、代わりに半分ほど入ったままのボトルを持ち上げて揺らす。
救急箱を取りに席を立とうとしたが、つい動きが止まる。
グラスなら近くの棚なり何処かに、何かしら置いてあるが、救急箱は洗面所に行かないといけない。
立ち上がった中途半端な状態で魔王を睨みつけるが、ボトルから直にワインを飲むだけだ。
情けない事に、魔王の怪我よりワインに、心の天秤が傾いた。
結局、ボトルを軽々揺らす魔王に文句を零して、新しいグラスとタオルだけ持ってくる事にした。
ゆったりとソファに背を預けて人の動きを目で追っていた魔王は、直飲みしていたボトルをテーブルに戻し、開かせた手をそのままにした状態で待っていた。
……この野郎。救急箱を取りに行っても待ってたな……。
ソファに座り直し、タオルと新しい魔王用のグラスを差し出す。
「いいのか?」
ぷらぷらとワインで濡れた手を振り、聞いてくる。
「いい。怪我もなさそうだし。それに、せっかくのお酒がなくなるのは、説教より嫌」
「そうか」
今飲んでいるのは、先月、地方の領主から貰った一級品のワインだ。
ワイングラスを使っていないことが、勿体なく思えるほど美味しい。
受け取ったタオルで手を拭くのを見て、自分のグラスを差し出す。
「全部飲まれてたまるか」
「ワインだしな」
よほど機嫌がいいのだろう。
うっすらと笑いながら、差し出したグラスに注いでくれた。




