24 補佐官と花の精と毒蛇
不幸はまとめて起こる。
頼んでよぉーという声を聞き流し、二人三脚のように歩いていたが、意外と早く執務室のあるフロアまで来ることができた。
しかし、自分の執務室へ行く前に魔王の執務室へと行かなくてはならず、さてどうするかと、魔王の執務室へ向かう途中の廊下で悩んでいると、足元をネズミが駆け抜けて行った。
私たち以外誰もいない廊下で、ネズミの小さな足音が響く。
「あの子、ハルフィーの使い魔ちゃんですよ。たぶん、陛下の盗ちょ……陛下の様子見してたのかな」
「……貴女達ね……」
しかし、何故逃げるように走っていったのか。
知り合いの使い魔なら、リルファに挨拶くらいはするだろう。
首を傾げながら、二人でネズミの走り去った方を見ていると、後ろから声が掛けられた。
「おやおや。これはこれはリドルディア様。いえ、"補佐官様"、とお呼びした方がよろしいか」
「きゃっ!」
「! ……バーグランド公爵……」
正面に顔を戻せば、現在会いたくない人物No.1が立っていた。
いや、会いたくなかった人物、だな。
「ご無沙汰しております。御挨拶叶わず、誠に申し訳ございません」
「構いませんよ。補佐官様は大変御多忙と、陛下や伝令からお聞きしておりました故」
黒と赤を基調とした衣装の上に、真黒いマント。
魔界において、上位の魔力の持ち色とされる黒をここまで全面に出して、魔王陛下と対面するとは、本当に嫌味ったらしい。
地毛の黒髪を後ろに撫でつけ、切れ長の黄色い目を強調した風貌は、本性そのもの、蛇そっくりだと思う。
ネズミが逃げたのはこいつが原因か。
正直に言えば、私も去りたい。
しかし相手の本性を嫌という程知っている分、下手に背を向けられない。
「たかが一公爵に挨拶もままならない程お忙しいとは、陛下は分配が苦手なようだ」
「いえ、力量以上の仕事を振って頂けるほど信頼して頂き、光栄な限り。今回は私の力不足が招いた結果。誠に申し訳ない」
公爵は、細い目をさらに細めて、にいっと笑った。
昔からこの男が嫌いだ。
というより、大体の悪魔はこいつを嫌う。
ねっとりと張り付くような雰囲気に、嘲笑うような笑み、そして何より、眼だ。
奥深くまで見透かされているかと錯覚する程、値踏みするように全身舐めるように見てくる。
蛇に睨まれた何とやら、誰もが居心地の悪さか畏怖を感じ、立ち竦んでしまう。
だがもし逃げ出せば、何かに襲われる。
肉体的だったり、社会的にだったりは、公爵の気分次第だ。
故に誰もが、関わらないようにする。
恐らく、廊下に誰もいないのもこいつが原因だろう。
「ところで補佐官様。そちらのお嬢様は恋人か何かですか?」
「違いますよ。わかっておいででしょう」
「ええ、まあ」
笑いを含んだ声で返事をすると、公爵はリルファの方へ身を屈めた。
急に近づいた顔に、リルファが小さく悲鳴をあげる。
「そんなに怖がらずとも、取って食いやしませんよ。たとえ悪食と呼ばれようと、花を食べる趣味はないのでね」
小さく震えながらしがみつくリルファを抱き寄せ、背を軽く叩く。
ここで公爵の機嫌が崩れれば、被害に会うのは彼女本人だ。
頼むから落ち着け。
「バーグランド卿。彼女は急に話を振られて驚いただけですよ」
「おや? 随分とお優しい」
嫌な目がこちらに戻る。
心臓が大きく跳ね上がる。
怒り狂った時の魔王の恐怖とは、また別の恐怖が身を包む。
「やはり上が甘いと、部下も甘くなるものですね」
「私はともかく、陛下はお優しいだけです。城の者一人一人を、気に掛けて下さる方です」
「城の者、ねぇ」
「何か仰りたい事でも」
あるのか、と聞こうとした時、上衣の裾を引かれた。
リルファだ。
表情には怯えが残っているが、持ち堪えたらしい。
抱き寄せていた腕を緩める。
「し、失礼しまし、た。……リルファ・キールと申します」
「ふうん。構いませんよ」
リルファの方を横目で見ていると、急に冷たい手が頬に添えられた。
ぞっと身体を何かが走る感じがした。
息がし難い……。
「私は補佐官様に会えて、機嫌が良いのですよ」
こっちは気分が悪いよ! 早く消えてくれ!!
身体が震えそうになるのを、何とか気力で抑える。
「先程の続きですが」
まだ終わらないのかよ!? それより手、離せ!!
「最近、面白い存在が、城内に住み着いたそうですね」
「!?」
「それって……」
不味い相手に知られた。
リルファも、焦った様子でこちらを見上げてくる。
「人間如きに目を掛けるなど、陛下は本当にお優しいらしい」
「え、ええ。種別が何であれ、陛下は手を差し伸べますよ」
「ほう。では、彼女には手を出さないでおきましょう。魔王陛下からのお叱りなど、さぞ恐ろしいものでしょうから」
小馬鹿にするように言って、人の頬から喉を一撫ですると、公爵は挨拶だけして通り抜けて行った。
暫く公爵の後ろ姿を見送っていたが、姿が完全に見えなくなると、体の力が抜け、その場にへたり込んでしまう。
「リディア様!?」
「大丈夫。……大丈夫ですから」
「でも顔色が……」
ああ、情けないなと思った時、甘い香りと温かい物に包まれた。
視界の下の方に揺れるカメラが見え、リルファの腕の中にいるのだとわかった。
「リルファ?」
「落ち着かれるまで、こうしてますから」
「……すみません」
込み上げる恐怖が収まるまでの僅かな間、リルファはただ抱きしめてくれた。
「ありがとうございました。もう大丈夫です」
立ち上がり、リルファに手を差し出す。
「いえ、むしろリディア様がいなければ、どうなっていたか……」
私の手を握り、リルファも立ち上がる。
胸元で両手を握りながら頬を染める姿を見て、何故かこちらまで照れてくる。
「そんな事……。あの、えっとー。ああ、今戻るとまた出会す可能性がありますし、一緒に陛下の元へ来ますか?」
「やったー! ありがとうございます! じゃあ、写真は自分で頼みますね」
「是非そうして下さい。さ、行きましょうか」
「あ、リディア様!」
「はい?」
歩き出そうとしたが声を掛けられ、振り返ると目の前にリルファの顔があった。
驚いて固まった瞬間に、軽い音を立てて、背伸びしたリルファに頬にキスされた。
「!」
「助けてくれたお礼です」
「貴女ね、そんなホイホイと……」
「あら、私は安売りしてないんですからね」
「え」




