12 補佐官と医者
あれから後のことは、実は良く覚えていない。
というのも、適当に投げたはずのタオルが奇跡的に、そう一直線に魔王の顔に直撃し、彼の機嫌が再下降してしまったのだ。
そこからが酷かった。
しまった! と思った時には、時すでに遅し。
逃げようとしたが、貧血で縺れた足ではすぐに捕まり、床に引き倒されてしまった
その上、裸足だとはいえ、ついさっきまで爪で抉っていた傷を踏みつけてきた。
しかもよりにもよって、踵で踏みつけてくるもんだから、痛いなんてもんじゃない。
失血で遠のきかけた視界の中で、慌てた様子で入って来るメイドと、まあ機嫌よさげに人を踏む魔王が映ったのは、ギリギリ覚えている。
だが、そこから先は覚えていない。
目が覚めたら自室のベットに寝ていた。
手には新しい包帯が巻かれ、枕元のサイドテーブルの上には、水差しと大量の薬。
……これ、全部飲まないといけないのか。
上体だけ起こし、とりあえず手を確認してみる。
包帯はだいぶきつめに、かつ分厚く巻かれているから、恐らく縫われていないのだろう。
包帯が厚すぎて強く握ったりはできないが、軽くなら物も掴めそうだ。きっとペンもいける。
よし! 仕事に支障なし!
数回、握ったり振ったりしてみるが、ありがたいことに痛みを感じない。
麻酔か何かかだろう。
痛みどころか感覚のない手を見て、つい考えてしまう。
きっと魔王に止められたな。
アルニ老め、ここまでやってくれるなら、こっそり縫ってくれればよかったのに。
「そういう訳にもいかんのよ」
「!?」
考えを読まれたようなタイミングで、返事が返ってきた。
驚いて声の方を見れば、ちょうど扉の所にアルニ老こと、アルニエール医師が立っている。
いつから居たんだ。全然気がつかなかった。
後ろ手に扉を閉めると、人の良さそうな笑顔を浮かべて枕元に来た。
「ほっほっほ。手をぐっぱぐっぱしている時に来たでの。後、全部声に出とったよ」
「……こえをかけてください……」
「ほっほっほ。すまんの。寝ているかと思うておったんでの」
笑うたびに、モコモコした頭と腹が揺れる。
白いモコモコに、白い顔。更に白衣を着ているから、全身真っ白い。
アルニ老は何処をどう見ても、羊だ。
いつも白衣を着ているから、どうなのか知らないが、絶対、全身モコモコだと思う。
何百年も城で働き、何代もの魔王に仕えてきた……とか。
「リディア様。起きているなら、薬を飲んでくだされ」
「ええ。どれが何の薬ですか?」
「今言って覚えられるんかの?」
「大丈夫です。頭は痛いですが、意識ははっきりしてますので」
「そりゃただの貧血じゃの。後で処方箋を書いておくんで、今はこれだけ飲んでくだされ。化膿止めと鎮痛剤じゃ」
そう言って、白衣のポケットから新たに数錠を取り出し、アルニ老はベット脇に座った。
飲むまで動かない気だな。
「あの」
「何かの?」
「眠くなります?」
「ふむん。じゃが、激痛と貧血の中で仕事をするのと、多少の眠気と戦いながら仕事をするの、どちらがお望みかの?」
飲むしかない。




