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第22話 届かない愛

暴魔熊の亡骸に花を供え、静かな祈りが捧げられたあの日から、数日が過ぎていた。

 

吹き抜けの天井から降り注ぐ温かな黄金の光が、純白のソファに座る未亜の膝元を柔らかく照らしている。

『王妃の間』での暮らしは、かつてに比べれば幾分か柔らかなものへと変わりつつあった。

朝の湯浴みでは、ネルが爪を立てぬよう緊張した手つきで肌を洗ってくれるようになり、拷問のようだったコルセットも息ができるゆとりを残して締め上げられるようになった。おかげで今や、あの息の詰まる圧迫感に苛まれることはない。


けれど、暮らしやすくなったからといって、ここが自分を閉じ込める鳥籠であることに変わりはなかった。

窓の外を見上げれば、そこには相変わらず禍々しい紫色の空が渦巻いている。どこまでいってもここは、愛する家族の待つ世界とは切り離された異郷の地だった。


静寂を破り、重厚な扉が開く。

朝食が終わってからまだ数時間も経たぬというのに、部屋へ姿を現したヴェルラウトの表情は、驚くほど晴れやかだった。

『一年間はこの魔界で過ごす』という誓約を交わして以来、未亜は、頑なに拒絶の沈黙を貫き泣き暮らすことをやめた。その小さな変化が、この絶対君主にとっては奇跡のように嬉しくてたまらないのだろう。


歩み寄ってくる彼の腕には、今日も今日とて贅を尽くした品が抱えられていた。


「ミア」


低い声が愛おしそうに未亜の名前を紡ぐ。

ヴェルラウトは未亜のすぐ隣へ当然のように腰を下ろすと、まるで宝物を自慢する少年のように、手にした品を彼女の前へ差し出した。それは、深海で何千年もの時をかけて紡がれたという、星屑のような輝きを放つ漆黒のレース刺繍が施された膝掛けだった。


「見てみろ。東の果ての深海でしか採れぬ極上の絹で織らせた。お前のその華奢な肩を冷やさぬよう、特別に誂(あつら)えさせたのだ。」


彼の琥珀ゴールドの瞳が、誇らしげに熱を帯びて揺れる。


「……ほら、触れてみるといい。羽よりも軽く、この上なく温かい」

 

かつてなら見向きもされずに床へ転がされていたはずの品を、彼は未亜の細い指先にそっと寄り添わせた。

圧倒的な迫力を誇る魔王が、嬉々としてその布地の滑らかさや、いかにこれが未亜の持つ儚い美しさに相応しいかを語り紡いでいく。


以前の未亜であれば、顔を背けて涙を流すだけだった。

けれど最近は、ただ静かに彼の言葉に耳を傾け、「……ありがとうございます」と小さく首を傾げて一応は受け取るようになっていた。

そう口にすれば、彼は深く安堵し、満足した様子で未亜の髪を撫でる。

そして夜になると、湯浴みや夕食の準備にやってくるステラとネルが、その品をそっと回収し、部屋の一角にある『宝飾品の山』——かつて未亜に拒絶され続けた歴史の証の頂へ、恭しく追加するのだ。

受け取ってもらえたはずの宝物たちが、結局は過去の拒絶の山と同じ場所へ積み上げられていく皮肉を、魔王はまだ知らない。


「……とても柔らかく、お前の肌にも馴染むはずだ。……どうだ、ミア。気に入ってくれたか?」


未亜の返事を待ち焦がれるように、ヴェルラウトが覗き込んできた。


けれど——未亜には、彼の声が遠かった。


まるで自分だけが、深い水底に沈んでしまったかのようだった。

彼の低い声も、膝掛けを誇る情熱的な響きも、まるで厚いガラスを何枚も隔てた向こう側で誰かが囁いているかのように、あやふやにしか届かない。


朝、目を覚ました時からそうだった。

ネルの無邪気な失言も、ステラの冷ややかな小言も、どこか遠い世界の出来事のように意識の表面を滑っていた。

視界の端が白く霞み、世界から色が失われていく。

身体の内側から重い疲労が這い上がり、指先一つ動かすことすら途方もない労働のように思えた。


ヴェルラウトは、未亜の返答を待ちわびるように、愛おしさと切望を孕んだ眼差しで未亜を見つめていた。


何か、答えなければ。


『ありがとうございます』と、いつものように言わなければならない。そうしなければ、また彼の機嫌を損ね、余計な執着を煽ってしまう。

そう頭では理解しているのに、唇が鉛のように重く、引き結ばれたまま動かない。


「……ミア?」


未亜の異常な沈黙に気づいたのだろう。ヴェルラウトの楽しげだった声がピタリと止まり、整った眉が微かに歪んだ。


「どうした、……眠たいのか?」


琥珀ゴールドの瞳に、不審と微かな心配が混ざり合う。

彼が身を乗り出し、未亜の蒼白な頬へその大きな手を伸ばそうとした、その瞬間だった。


急激に視界から色彩が失われていく。黄金色の光も、目の前の美しい魔王の姿も、すべてが漆黒の闇へと溶けて消えていった。


糸を切られた操り人形のように、彼女の華奢な身体が前へと傾ぐ。

 

「……っ!? ミア!!」


正面へと倒れ込んだ未亜の身体を、ヴェルラウトの太い腕が咄嗟に受け止めた。

膝掛けが床へ落ち、豪奢な部屋の中に、今まで聞いたこともない魔王の悲痛な絶叫が響き渡る。


抱き寄せられた胸元に伝わってくる、ヴェルラウトの熱。

自分を押し潰さんばかりに強く抱き締める、その腕が激しく震えている。


急速に引き潮のように遠ざかっていく意識の底で、未亜はただ、自分の名前を狂おしく呼ぶ彼の声だけを、果てしない暗闇の向こう側に聞いていた。


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