244話 黒神の化身
――数日後。
魔王城。
静かな治療室。
窓から差し込む朝の光が、白いシーツを照らしていた。
「…………」
ベッドの上で、アシュレインの指が動いた。
ピクリ。
「……ん……」
ゆっくりと瞼が開く。
「…………」
ぼんやりとした視界。
天井。
白い壁。
そして――。
「……ここは……?」
掠れた声。
その声を聞いた瞬間。
「――!」
部屋の外にいたキラが振り返った。
「アシュレイン!」
バッと扉を開ける。
「アシュレイン、目が覚めたのか!」
「……キラ……?」
アシュレインはゆっくりと顔を向ける。
そして――。
「ああ……」
小さく笑った。
「……お前か」
「よかった……!」
キラは思わず息を吐いた。
その後ろからレティシア、エリス、セリーナ、ジュダも入ってくる。
「リゼッタ……!」
エリスが駆け寄る。
「リゼッタも、リリーさんも……!」
「今、二人も目を覚ましたところです」
セリーナが答える。
「まだ身体は動かせませんけど、意識は戻っています」
「……そうか」
キラは安堵した。
三人の英雄。
一度は死んだと思っていた。
それが今――。
ここにいる。
「…………」
アシュレインはしばらく仲間たちを見つめていた。
そして。
「……聞きたいことがある」
「何だ?」
キラが答える。
アシュレインの表情が変わった。
「俺たちが……あの戦いのあと、何をしていたのか」
「…………」
部屋の空気が変わった。
「俺には……ほとんど記憶がない」
アシュレインは目を閉じる。
「だが……少しずつ思い出してきた」
「…………」
「話そう」
アシュレインはゆっくりと身体を起こした。
「救出作戦撤退した後――」
――――――――――
魔境国デダルク。
黒い魔力が渦巻く大地。
「…………」
アシュレインは立っていた。
目の前には――。
エリオス。
「……お前が……」
アシュレインは剣を握っていた。
だが。
「――――」
次の瞬間。
ドンッ!!
身体が吹き飛んだ。
「ぐあっ!!」
地面を何度も転がる。
「な……」
アシュレインは立ち上がろうとする。
だが――。
ズドン!!
目の前にエリオスが現れる。
「遅いよ」
「――!」
ドォォォン!!
拳。
ただの一撃。
それだけで――。
アシュレインの身体が地面へ叩きつけられた。
「ぐっ……!」
「……これが……」
アシュレインは血を吐きながら顔を上げる。
「お前の……力か……」
エリオスは無表情だった。
「そうだよ」
そして。
「終わり」
ドォォォォン!!
再び吹き飛ばされる。
剣を振る。
届かない。
斬撃を放つ。
避けられる。
距離を取る。
一瞬で詰められる。
何をしても――。
届かない。
「くそっ……!」
アシュレインが最後の力を振り絞る。
「うおおおおおお!!」
剣聖の一撃。
渾身の斬撃。
しかし――。
エリオスは片手で止めた。
「…………」
「――!」
アシュレインの目が見開かれる。
「……馬鹿な」
エリオスは剣を握ったまま、淡々と言う。
「君じゃ僕には勝てない」
次の瞬間。
ドンッ!!
アシュレインの身体が地面へ叩き落とされた。
視界がと揺れる。
音が遠ざかる。
「……強すぎる……」
意識が薄れていく。
最後に見えたのは――。
――――――――――
「……そこから先は、よく覚えていない」
アシュレインは静かに語った。
「だが……」
拳を握る。
「俺たちは……確かに敗北した」
リゼッタがベッドの上で目を閉じる。
「私も覚えてる……」
かすかな声。
「……あの時は、本当に……死ぬと思った」
リリーもゆっくりと口を開く。
「私も……」
三人とも――。
瀕死だった。
身体は動かず。
魔力もほとんど残っていなかった。
そして。
そこへ――。
「一人の男が来た」
アシュレインが言う。
「男……?」
レティシアが聞く。
「そうだ」
アシュレインは目を伏せる。
「そいつの姿は……はっきりとは思い出せない」
「でも……」
「黒い魔力だけは覚えている」
――――――――――
倒れている三人。
「…………」
そこへ一人の男が歩いてくる。
足音。
コツ。
コツ。
コツ。
「…………」
男は三人を見下ろした。
「まだ死んでいないか」
低い声。
アシュレインは薄れる意識の中で、その男を見た。
そして――。
男が手をかざす。
「――――」
ドクン。
空気が震えた。
男の身体から――。
黒い魔力が溢れ出す。
ゴォォォォォ……。
それは霧のように広がり。
三人の身体へ入り込んでいく。
「ぐ……あ……!」
アシュレインの身体が痙攣する。
リゼッタも苦しそうに呻く。
リリーの身体にも黒い魔力が流れ込む。
「――――ッ!」
黒い魔力が血管のように全身を走る。
心臓。
腕。
脚。
頭。
すべてを黒く染めていく。
「…………」
そして――。
アシュレインの意識が完全に途切れた。
――――――――――
「そこから……記憶がない」
アシュレインが言う。
「次に気づいた時には――」
「キラたちと戦っていた」
「…………」
キラは黙って聞いていた。
「俺は……自分の意思で戦っていなかった」
アシュレインの声が低くなる。
「身体が勝手に動いた」
「…………」
「止まれと思っても止まらない」
拳を握る。
「逃げろと思っても……戦ってしまう」
「ただ……」
「ひたすら、お前たちを殺そうとしていた」
「…………」
レティシアが拳を握る。
「だから……」
アシュレインはキラを見る。
「お前たちと戦った時、俺は……」
「――俺自身じゃなかった」
キラは首を横に振った。
「分かってる」
「…………」
「アシュレインが俺たちを殺そうとしてたなんて、思ってない」
アシュレインはしばらくキラを見る。
「……ありがとう」
小さく呟いた。
「だが――」
その表情が険しくなる。
「一つだけ、はっきりしていることがある」
「何だ?」
「エリオスだ」
「…………」
アシュレインの声が重くなる。
「奴は……普通の敵じゃない」
「俺はあの時、確信した」
「奴こそ――」
一瞬、言葉を止める。
そして。
「黒神の化身だ」
部屋が静まり返る。
「……黒神の?」
エリスが呟く。
アシュレインは頷く。
「俺はそう確信した」
「理由は?」
ジュダが聞く。
アシュレインはゆっくりと答える。
「今まで俺たちが戦ってきた敵は、黒い魔力をまとっていた」
「だが……」
「エリオスは違った」
「…………」
アシュレインの目に、あの時の恐怖が蘇る。
「エリオスは――」
「黒い魔力を纏っていたんじゃない」
「…………」
「エリオス自身が、黒い魔力そのものだった」
「…………!」
キラの表情が変わる。
ジュダも目を細める。
「黒い魔力そのもの……」
「そうだ」
アシュレインは続ける。
「そして、もう一つ」
「俺は……あいつとはまともに戦えないことも分かった」
「…………」
「俺が弱かったから、という話じゃない」
「そういう次元じゃない」
アシュレインは拳を握る。
「攻撃が届かない」
「防御しても意味がない」
「こちらが何をしても、あいつはそれ以上の力で潰してくる」
「…………」
「俺が全力を出しても――」
「奴にとっては、それすら……」
アシュレインは言葉を失った。
キラが静かに聞く。
「……そんなに強かったのか」
「ああ」
アシュレインは即答した。
「計り知れない強さだった」
部屋に沈黙が落ちる。
――――――――――
その頃。
魔境城。
巨大な玉座の間。
「…………」
玉座の前に、一人の女性が立っていた。
長い髪。
美しい顔。
かつて世界を守った存在。
「アルテミス」
その身体には――。
黒い魔力がまとわりついていた。
黒い霧のような魔力。
それが身体の周囲をゆっくりと渦巻いている。
その前に立つ男。
エリオス。
「…………」
エリオスは笑っていた。
「アルテミス」
「はい」
アルテミスが答える。
「君は今日から――」
エリオスが手を伸ばす。
「僕の下僕だ」
「…………」
アルテミスの瞳から光が消えている。
「はい」
淡々と答える。
「分かりました」
エリオスは笑う。
「ふふ……」
そして。
「準備は整った」
「…………」
エリオスは玉座の間を見渡す。
「兵も揃った」
「魔力も集まっている」
「そして――」
アルテミスを見る。
「君も手に入った」
口元が大きく歪む。
「全勢力で――」
「キラたちを叩く」
――――――――――
場面は再び魔王城。
治療室。
アシュレインの話を聞き終えたキラたちは、誰も口を開かなかった。
やがて。
「……エリオスは、魔境兵を使って魔力を集めている」
リリーが言った。
「魔境兵を?」
キラが聞き返す。
リリーは頷く。
「そう」
「奴らが戦えば戦うほど――」
「黒い魔力が蓄積されていく」
「…………」
ジュダの表情が険しくなる。
「つまり……」
「戦争そのものが、奴の力を増幅させているということか」
「そういうこと」
リリーが答える。
「魔境兵が倒されても、戦えば黒い魔力は発生する」
「勝っても負けても――」
「エリオスにとっては魔力を集めるための材料になる」
「…………」
キラは拳を握った。
「だから……あいつらは戦いを続けてたのか」
「ええ」
リリーは頷く。
「戦えば戦うほど、エリオスの力は増えていく」
アシュレインが続ける。
「もう、時間がない」
「…………」
「奴は――」
窓の外を見る。
「そろそろ攻めてくるはずだ」
ジュダも外を見る。
「確かに……」
「なら」
アシュレインが言った。
「こちらから魔境へ乗り込む」
「――!」
キラが顔を上げる。
「こっちから?」
「ああ」
アシュレインは頷く。
「待っているだけでは駄目だ」
「エリオスがさらに力を蓄える前に――」
「こちらから魔境へ入る」
リゼッタが続ける。
「向こうの勢力が整ってからでは遅い」
リリーも頷く。
「今ならまだ……」
「エリオスの力が完全に戻っていない可能性がある」
「…………」
ジュダが腕を組む。
「危険だな」
「でも――」
レティシアが立ち上がった。
「行くしかないでしょ」
「…………」
「向こうが来るのを待ってたら、また同じことになる」
二本の剣を握る。
「今度は――」
「こっちから行こう」
エリスも頷く。
「私も行きます」
セリーナも胸元で拳を握った。
「私も……」
ジュダがキラを見る。
「お前はどうする?」
キラはしばらく黙っていた。
そして――。
剣を手に取る。
「決まってる」
「…………」
キラの目に、強い光が宿る。
「魔境へ行く」
「エリオスを止める」
そして――。
「この世界を、守る」
アシュレインは静かに笑った。
「……そうだ」
「それでいい」
三人の英雄。
五人の仲間。
そして――。
新たな戦いへ。
キラたちは魔境へ乗り込む決意を固めた。
だが。
誰も知らなかった。
魔境の奥で――。
すでに、世界を覆い尽くすほどの黒い魔力が動き始めていることを。
第244話 終




