207話 白【聖】と黒【邪】
――五千年前。
まだ、この世界に「魔境」という名が存在していなかった時代。
人々がまだ、神々の存在を当たり前のものとして受け入れていた時代。
そして――
世界そのものが、二柱の神によって形作られた時代。
世界の遥か上空。
人の目には決して届かない場所にある――神界。
そこには、二柱の神が存在していた。
一柱は――白き光を纏う神。
白神。
もう一柱は――漆黒の闇を纏う神。
黒神。
二柱は、世界を創った。
大地を。
海を。
空を。
そして、生きとし生けるものを。
白神は、世界の一面を司った。
聖。
光。
生命。
希望。
秩序。
そして黒神は、もう一つの面を司った。
邪。
闇。
力。
欲望。
混沌。
どちらか一方だけでは、世界は成立しなかった。
光があるからこそ、闇が生まれる。
闇があるからこそ、光の存在が際立つ。
昼があれば夜がある。
生があれば死がある。
正義があれば、悪がある。
二つは敵ではありながら――
同時に、世界を成立させるための表裏一体の存在だった。
白神は、黒神を信頼していた。
黒神もまた、長い間は白神と共に世界を見守っていた。
二柱の神は、それぞれの世界を見下ろしながら、同じ景色を見ていた。
人々が村を作り。
国を作り。
争い、笑い、泣き、愛し合う。
そんな世界を。
しかし――
長い年月が流れるにつれて。
黒神の中に、ある感情が芽生えていった。
「……なぜだ」
神界から世界を見下ろしながら、黒神は呟いた。
その声には、かつてなかった苛立ちが混じっていた。
「なぜ、我はこの世界の半分しか持たぬ?」
白神が振り向く。
「黒神よ。世界は二つで成り立っている。我々はそれぞれを司る存在だ」
「違う」
黒神は即座に否定した。
「我が欲しいのは、半分ではない」
漆黒の瞳が、眼下の世界を見つめる。
そこには、白い光に包まれた大地があった。
人々が暮らしている。
笑っている。
祈っている。
そして、その世界には――
黒神の力もまた存在していた。
「この世界すべてを……我のものにしたい」
その言葉が、神界に響いた。
白神の表情が変わる。
「……黒神」
「なぜ我だけが、闇として扱われなければならぬ?」
黒神の周囲に、黒い魔力が渦巻き始める。
「光が世界を照らすなら、闇はそのすべてを覆えばいい」
「それは世界の均衡を壊す」
「均衡?」
黒神が笑う。
低く、冷たい笑いだった。
「そんなもの……我には必要ない」
その瞬間。
――ドンッ!!
神界全体が揺れた。
黒神から放たれた巨大な黒い魔力が、神殿を吹き飛ばす。
白神が片手を掲げる。
白い光が広がり、黒い衝撃波を受け止める。
「やめるのだ、黒神!」
「もう遅い!」
黒神が手を振る。
漆黒の魔力が巨大な槍となり、白神へ飛んでいく。
――ズガァァァァン!!
白神が光の壁を展開する。
神界の空間そのものが裂ける。
白と黒。
光と闇。
二柱の神が、初めて互いに武器を向けた。
こうして――
神界大戦が始まった。
---
「行けぇぇぇぇ!!」
白神の声が響く。
その背後に、三人の戦士が立っていた。
一人目。
神々しい光を纏う巨大な剣を手にした男。
神剣。
二人目。
天上から舞い降りる無数の光の矢を操る女。
天使弓。
三人目。
聖なる力と魔の力、その両方を身に宿した者。
聖魔。
後に世界で語り継がれることになる――
三英雄。
対する黒神。
その隣には、三人の怪物がいた。
一人は、怒りそのものを具現化したような巨漢。
その異名は――
激昂。
一人は、戦場を遊び場のように楽しむ狂気の戦士。
その異名は――
遊戯。
そしてもう一人。
すべてを見下し、自らこそ頂点だと信じる者。
その異名は――
傲慢。
後に恐怖と共に語られる――
三大天。
「来るぞ!!」
神剣が叫ぶ。
直後。
――ドォォォォォン!!
激昂の拳が大地を砕いた。
衝撃波が神界を走る。
神剣は剣を地面に突き刺し、その衝撃を真正面から受け止める。
「ぐっ……!!」
「まだだぁぁぁ!!」
激昂がさらに拳を振り下ろす。
――ガギィィィィン!!
神剣の剣と拳が激突する。
同時に。
「ほらほらぁ!! 逃げないと死んじゃうよぉ!!」
遊戯が笑いながら無数の黒い刃を放つ。
「……鬱陶しい」
天使弓が弓を引く。
一本。
二本。
十本。
百本。
無数の光の矢が空を埋め尽くした。
「――撃ち抜け」
――ズドドドドドドドドッ!!
光の矢と黒い刃が空中で激突する。
爆発。
爆発。
爆発。
神界が白と黒の光に染まっていく。
その下では、聖魔と傲慢がぶつかっていた。
「貴様程度が、我に勝てると思うな」
「……やってみなければ分からないだろ」
「笑わせる」
二人の力が衝突した瞬間――
――ドォォォォォォン!!
巨大な爆発が起きた。
戦争は、一進一退だった。
白神側が押せば、黒神側が押し返す。
黒神側が優勢になれば、三英雄が戦線を押し戻す。
神界そのものが戦場となった。
幾度も。
幾度も。
両陣営はぶつかり合った。
しかし――
決着はつかなかった。
そして。
その戦いの最中。
黒神が、ふと後方へ視線を向けた。
「……なるほど」
黒神は気づいた。
白神と三英雄が、目の前の戦いに集中している。
ほんの僅かな隙。
だが――
神にとっては、それで十分だった。
「ならば……こちらから動く」
黒神が右手を掲げる。
手のひらに、漆黒の球体が生まれた。
それは黒神の魔力そのもの。
そして――
黒神は、その一部を切り離した。
――ズゥゥゥゥゥ……。
黒い影が、ゆっくりと人の形へ変わっていく。
「我の分身体よ」
黒神が呟く。
「邪の世界へ行け」
分身体は、何も言わずに消えた。
――シュンッ!!
その瞬間。
邪の世界。
後に魔境と呼ばれることになる世界。
その大地へ、黒神の分身体が降り立った。
そして黒神は、さらに力を分け与えた。
黒い光が大地を走る。
そこに生きる者たちへ――
黒の加護が与えられていく。
人間。
魔境人。
様々な存在へと、黒神の力が宿っていく。
黒神は、彼らを見下ろした。
「我が直接動かずともよい」
「この者たちに、我の代わりをさせる」
黒神の分身体が、ゆっくりと歩き始める。
そして――
邪の世界に新たな歴史が刻まれ始めた。
だが。
それに気づいた者がいた。
神界で戦いながらも、白神は感じ取っていた。
「……黒神!!」
黒神が振り向く。
白神の目には、怒りが宿っていた。
「今、何をした?」
「……」
黒神は答えない。
だが、その沈黙が答えだった。
白神は眼下を見つめる。
邪の世界へ流れ込んでいく、黒い力。
「……そういうことか」
白神は静かに拳を握った。
このままでは――
世界の均衡が崩れる。
神同士の戦いだけではない。
邪の世界そのものが、黒神の意思によって動き始めてしまう。
「ならば……私も動こう」
白神は一人の存在を呼び寄せた。
神界の空間に、眩い光が集まっていく。
一人の女性が、その光の中から姿を現した。
長い髪。
神々しい光を纏った身体。
そして――
天を貫くほどの力を秘めた存在。
白神は彼女を見つめる。
「アルテミス」
女性は静かに頭を下げた。
「はい」
「聖の世界へ行け」
「……!」
アルテミスが顔を上げる。
白神は続けた。
「黒神はすでに動き始めた」
「邪の世界に自らの分身体を送り込んだ」
「そして、黒の加護を与えた者たちを使い、この世界を奪おうとしている」
アルテミスは眼下を見る。
そこには――
まだ何も知らない世界が広がっていた。
「あなたには、聖の世界を守ってもらう」
白神の言葉に、アルテミスは頷いた。
「お任せください」
その瞬間。
アルテミスの身体が白い光に包まれる。
――キィィィィィン……!!
そして。
聖の世界へ向かって――
一筋の光となって飛び立った。
白神はその背中を見送る。
黒神もまた、邪の世界を見つめている。
神界では、戦争が続いていた。
白と黒。
聖と邪。
三英雄と三大天。
そして――
それぞれの神が送り出した、新たな存在。
五千年前。
世界の歴史を大きく変えることになる戦いは――
まだ、始まったばかりだった。
第207話 終




