201話 魔境とは
アーク王都――。
かつては多くの人々が行き交い、商人たちの声や冒険者たちの笑い声が響いていた街。
しかし今、その面影はほとんど残っていなかった。
崩れた建物。
瓦礫で塞がった大通り。
傷ついた人々。
家を失い、王城へ避難している住民たち。
その光景を、キラたちは王城の一室から見つめていた。
部屋には、キラ、レティシア、エリス、セリーナ、ジュダ。
そして、先ほどキラのルミナによって黒い力から解放されたベルゼルがいた。
ベルゼルは椅子に座りながら、静かに口を開いた。
「……まず、魔境について話そう」
キラがベルゼルを見る。
「魔境……」
「ああ」
ベルゼルは窓の外へ視線を向ける。
「そもそも魔境とは何なのか。そこから説明する必要がある」
部屋の空気が少し重くなる。
ベルゼルはゆっくりと立ち上がった。
「魔境とは――」
一度、言葉を切る。
「神の作った世界、その裏側に存在する世界だ」
「……世界の、裏側?」
レティシアが首を傾げる。
ベルゼルは頷いた。
「そうだ。この世界が表側だとすれば、魔境は裏側。表と同じように大地があり、空があり、生き物が存在する。しかし、本来ならば……この二つの世界が交わることはない」
エリスが眉を寄せる。
「じゃあ……魔境にいる魔物たちは、もともとこの世界の存在じゃないってこと?」
「そういうことになる」
ベルゼルは続ける。
「魔境は、神が世界を作った際に生まれたもう一つの領域。こちら側とは隔絶されている。それが本来の姿だ」
キラは腕を組む。
「じゃあ、なんで魔境軍がこっちの世界に来られた?」
「……それが問題なのだ」
ベルゼルの表情が険しくなった。
「魔境軍は、何らかの方法でこちら側へ侵入した」
「何らかの方法……」
セリーナが小さく呟く。
ベルゼルは頷く。
「そして、こちら側へ侵入した魔境軍が拠点として利用した場所。それが――」
一拍。
「魔境国デダルクだ」
ジュダが静かに目を細めた。
「デダルク……」
「そうだ」
ベルゼルを見る。
「そこは元々、魔人族の土地だった」
ジュダの表情が少し変わる。
「……私が生まれ育った土地だ」
「そうだな」
ベルゼルはジュダを見る。
「そして……私が魔王だった頃の話になる」
部屋の空気が変わった。
ベルゼルは静かに語り始める。
---
「私はかつて魔王だった」
「そうだな」
ジュダが答える。
ベルゼルは苦笑する。
「だが、私は魔境軍に敗れた」
ジュダは何も言わない。
ベルゼルは続ける。
「私は魔王としての力を使い切り戦うこともできた。しかし……当時の私は、自分の敗北を認めた」
「……」
「そこで一つの条件を提示された」
キラが尋ねる。
「条件?」
「ああ」
ベルゼルは拳を握る。
「魔王の座を降り、魔境軍へ入るのであれば、デダルクだけは見逃す」
ジュダの目が細くなる。
「……そんな取引があったのか」
「ああ」
ベルゼルは頷く。
「私は受け入れた」
そして――
「私は魔王を引退した」
ベルゼルはジュダを見る。
「そして、次の魔王としてジュダへと引き継いだ」
ジュダは黙ってベルゼルを見る。
「その後、私は魔境軍へ入った。デダルクだけは魔人族の土地として残された」
キラは考える。
「つまり……魔境国デダルクっていう名前になったのは、その後なのか」
「そうだ」
ベルゼルは答えた。
「そして、現在のデダルクには――」
ベルゼルが地図を指差す。
「魔境門がある」
---
キラたちは地図を覗き込む。
ベルゼルは二本の指を立てた。
「魔境へ行く方法は、大きく二つある」
「二つ?」
「一つ目は――」
地図上のデダルクを指す。
「デダルクに存在する魔境門を通ること」
キラが頷く。
「そして二つ目は?」
ベルゼルは空を指差した。
「天空の塔だ」
「天空の塔……」
エリスが呟く。
ベルゼルは続ける。
「天空の塔には、かつて作られた特殊な門が存在する」
「特殊な門?」
「魔境封門」
その名前に、キラの表情が変わった。
「魔境……封門……」
「ああ。そこも魔境へ繋がっている」
ジュダが腕を組む。
「つまり、デダルクと天空の塔。この二つが魔境へ通じる場所ということか」
「正確にはそうだ」
ベルゼルは頷く。
「だが、本来なら魔境軍がこちら側へ来ることはできない」
「……」
「問題は、その魔境封門が――」
ベルゼルの声が低くなる。
「何者かによって利用された可能性が高いことだ」
キラが顔を上げる。
「魔境軍は……天空の塔から来たのか?」
「恐らくな」
ベルゼルは答える。
「私にも詳しい方法までは分からない。だが、魔境軍は何らかの手段で魔境封門を利用し、表の世界へ侵入した」
そして続ける。
「そしてこちら側へ出た魔境軍は、デダルクを拠点とした」
「だから魔境門を設置した……」
キラが呟く。
「その通りだ」
---
キラは地図を見つめたまま黙り込む。
すると――
ある考えが頭をよぎった。
「……待て」
全員がキラを見る。
「魔境軍が突然この世界へ来たんじゃない」
キラは地図の各地を指でなぞる。
「俺が幼い頃から関係していた、あの黒い魔力……」
エリスが息を呑む。
「黒魔法……」
「そう」
キラは頷く。
「各地にある封印を、あの黒い力が少しずつ弱めていたんじゃないか?」
「……」
「封印そのものを完全に壊すんじゃない」
キラは考えながら話す。
「ほんの少しだけ……ほんの微かな歪みを作る」
指を少しだけ広げる。
「そこから、魔境と表の世界の境界に穴ができた」
そして――
「その小さな歪みを利用して、魔境軍がこちら側へ入り込んだ」
部屋が静まり返る。
ベルゼルはしばらく黙っていた。
やがて――
「……おそらく」
低い声で答える。
「それが正しい」
キラを見る。
「私も同じだと思う」
レティシアが驚く。
「じゃあ……ずっと昔から黒い魔力をばら撒いてたのって……」
「魔境へ繋がる道を作るためだった可能性がある」
エリスが拳を握る。
「だから各地の封印が……」
「弱っていた」
キラが答える。
「そして、その結果……魔境軍がこの世界へ侵入できた」
ジュダが目を細める。
「……エリオス」
その名前が部屋に響く。
---
ベルゼルは静かに頷いた。
「そうだ」
そして、キラを見る。
「ここから先は……エリオスについてだ」
キラの顔から笑みが消える。
「話してくれ」
「ああ」
ベルゼルは一度目を閉じた。
「エリオスの目的は――」
ゆっくりと目を開く。
「ルナとリナを、再び一つの存在へ戻すことだ」
セリーナが驚く。
「一つに……?」
「そうだ」
ベルゼルは続ける。
「そして二人が一つに戻った時、その力を利用して――」
拳を握る。
「表の世界を征服する」
キラの目が鋭くなる。
「……やっぱり」
だが、ベルゼルは首を横に振った。
「いや」
「?」
「それだけではない」
「どういうことだ?」
「私にも詳しくは分からない」
ベルゼルは悔しそうに拳を握る。
「だが……エリオスは、もっと大きな何かをしようとしている」
「もっと大きな何か……」
「そうだ」
ベルゼルは俯く。
「私が黒魔法に操られていた時、何度も声を聞いた」
「男の声……」
「そうだ」
ベルゼルはキラを見る。
「その声は、ただルナを奪えと言っていただけではない」
「……」
「何か大きな計画のために、全てを進めているような……そんな印象だった」
キラは拳を握った。
---
ベルゼルはさらに話を続ける。
「そもそも……魔境軍には昔から一つの噂がある」
「噂?」
「魔境軍は――」
ベルゼルは低い声で言った。
「黒神【クロガミ】によって呼び込まれた」
「黒神……」
セリーナが呟く。
エリスも表情を曇らせる。
「神が……魔境軍を?」
「そう伝えられている」
ベルゼルは頷く。
「だが、それが真実なのかは分からない」
「……」
「私自身、魔境軍にいたが、その真相を知ることはできなかった」
ベルゼルは窓の外を見る。
「もし本当の歴史を知りたいのであれば――」
そして、一つの場所を口にした。
「天空の塔へ行け」
キラの目が見開かれる。
「天空の塔……」
「あそこには、全ての歴史が残されている」
「全て……?」
「ああ」
ベルゼルは断言した。
「神界大戦のことも」
「魔境のことも」
「黒神のことも」
「ルナとリナのことも」
「そして――」
ベルゼルはキラを真っ直ぐ見つめる。
「この世界と魔境が、なぜ繋がったのかも」
部屋が静まり返る。
---
キラは何も言わなかった。
天空の塔。
そこへ行けば、エリオスの目的が分かるかもしれない。
ルナを取り戻す手掛かりもある。
リナを救う方法も見つかるかもしれない。
黒神の真相も。
全てがそこにある。
しかし――
キラは窓の外を見る。
そこには、壊れたアーク王都があった。
「……」
瓦礫の中を歩く人々。
家族を探す人。
怪我をした人。
食料を求める人。
泣いている子供。
キラは拳を握る。
「……俺は」
レティシアがキラを見る。
「キラ……?」
「今すぐ天空の塔へ向かえば、全部の真相に近づける」
「うん」
「でも……」
キラは王都を見る。
「この街を置いていくのか?」
誰も答えなかった。
ジュダも黙っている。
エリスも、セリーナも。
やがて――
セリーナが一歩前へ出た。
「キラさん!」
キラが振り返る。
セリーナは胸の前で両手を握りしめていた。
「私は……」
少し震えながらも、はっきりと言う。
「私はいきません!」
「……セリーナ」
「この国の人たちを……」
セリーナは王都を見る。
そして涙を浮かべながら言った。
「見捨てることなんて出来ません!」
静かな部屋に、その声が響いた。
キラはしばらくセリーナを見つめていた。
そして――
ニコッ。
笑った。
「だよな!」
「……!」
セリーナの目が大きくなる。
キラは拳を握った。
「俺も同じだ!」
「キラ……」
「天空の塔には行く」
キラはベルゼルを見る。
「でも、今じゃない」
ベルゼルは黙って聞いている。
「この街をある程度復興させる」
キラは王都を見る。
「ここを放っておいて、真相を追いかけるなんて俺にはできない」
レティシアが笑う。
「うん。それでこそキラだよ!」
エリスも頷く。
「私も手伝う」
ジュダは腕を組みながら、少しだけ口元を緩めた。
「……仕方あるまい」
キラがジュダを見る。
「ジュダも?」
「当然だ」
ジュダはそっぽを向く。
「仲間がこの国を助けると言っているのだ。私だけ行くわけにはいかん」
「ありがとな」
「べ、別に貴様のためではない!」
「?」
ジュダの顔が少し赤くなる。
「……本当に鈍い奴だ」
レティシアとエリスが顔を見合わせる。
「また始まった……」
「うん……」
セリーナは二人の会話を見ながら、くすっと笑った。
---
キラは全員に向き直る。
「まずはアークを立て直す」
「おう!」
レティシアが拳を突き上げる。
「任せて!」
エリスも頷く。
セリーナはすぐに、
「怪我人の治療をします!」
と気合を入れる。
ジュダも、
「魔人族にも食料と物資を運ばせよう」
と言った。
キラは頷いた。
「それでいい」
そして、窓の外へ視線を向ける。
「天空の塔へ行くのは、その後だ」
ベルゼルはそんな五人を見つめていた。
かつて魔王だった自分。
魔境軍に入り、黒魔法に操られた自分。
その自分を救ったのが――
目の前にいる青年だった。
ベルゼルは小さく笑った。
「……なるほど」
「?」
「ジュダがこの男を選んだ理由が、少し分かった気がする」
ジュダが振り返る。
「な、何を言っている!」
キラは首を傾げる。
「?」
ジュダはさらに顔を赤くする。
「……もういい!」
そんなジュダを見て、レティシアが笑う。
「キラ、あんた本当に分かってないね」
「何が?」
「なんでもない!」
王都にはまだ多くの傷が残っている。
だが――
その日。
アーク王都の人々は、再び立ち上がり始めた。
瓦礫を運ぶ者。
家を修復する者。
怪我人を治療する者。
食料を配る者。
魔人族も、人間も。
かつて敵だった者たちが、同じ街で力を合わせていた。
キラはその光景を見つめながら、静かに拳を握る。
「エリオス……」
そして――
「待ってろ」
ルナを取り戻す。
リナを救う。
そして、世界の真実を知る。
そのために――
まずは、この国を立て直す。
天空の塔へ向かうのは、それからだ。
第201話 終




