194話 魔族人間族同盟
――魔境。
光の届かない暗闇の中。
そこには巨大な城がそびえ立っていた。
黒い霧が立ち込める広間。
その中央に、一人の男が立っている。
エリオス。
そして、そのすぐ近くには――。
一つの結晶が置かれていた。
その中には、眠るようにして一人の女性が閉じ込められている。
――リナ。
「…………」
リナは意識を失ったまま、ぴくりとも動かない。
結晶の周囲には黒い魔力が渦巻いている。
エリオスはしばらくリナを見つめていた。
「…………」
やがて、ゆっくりと口元を上げる。
「リナ……」
返事はない。
当然だった。
彼女は意識を失っている。
エリオスは結晶に手を触れた。
「まだ眠っているか」
黒い魔力が結晶を包み込む。
だが、エリオスの表情には焦りなどなかった。
むしろ――。
余裕すら感じられる。
「……まあいい」
エリオスは背を向ける。
そして、ふと思い出したように呟いた。
「魔人族への襲撃は……やめだ」
「…………」
「奴らを攻め続けても、時間がかかるだけだ」
エリオスの目が細くなる。
「それよりも――」
その視線が、遠く離れた場所を見ているかのように鋭くなる。
「アーク国にいるルナを奪う」
――ルナ。
かつて中央の封印を守り続けた存在。
そしてリナと深い関係を持つ存在。
エリオスにとって、彼女は必要不可欠だった。
「ルナさえ手に入れば……」
エリオスは小さく笑った。
「全てが動き出す」
そして――。
「アンデルフォン」
「来い」
次の瞬間。
広間の奥から黒い影が現れた。
「へいへい」
軽い声。
影から姿を現したのは――。
魔境の三大天の一人。
アンデルフォン。
以前、キラたちの前に姿を現した男だった。
アンデルフォンは面倒そうに頭を掻きながら歩いてくる。
「どうしましたか? エリオスの旦那」
「…………」
エリオスはアンデルフォンを見る。
そして――。
ニコッ。
笑った。
「アンデルフォン」
「はい?」
「アークの国を襲え」
アンデルフォンの口元が歪む。
「……へえ」
「そして――」
エリオスは静かに続けた。
「ルナを奪ってこい」
「…………」
一瞬。
アンデルフォンの目が鋭くなった。
「ルナ……ですか」
「ああ」
「なるほどねぇ」
アンデルフォンはニヤニヤと笑い始める。
「そいつはまた……派手な仕事になりそうですねぇ」
「構わん」
エリオスは笑顔のまま言った。
「派手に動いて構わない」
「アークの国をどれだけ壊そうとも構わん」
「ただし――」
エリオスの声が低くなる。
「ルナだけは必ず連れてこい」
アンデルフォンは少し黙る。
そして――。
「お任せあれ」
ニヤリ。
「久しぶりに……派手に暴れますかねぇ」
アンデルフォンの姿が、黒い霧へと変わっていく。
「待て」
エリオスが呼び止める。
「はい?」
「油断するな」
「…………」
「アークにはキラがいる」
アンデルフォンの動きが止まった。
「キラ……」
その名前を聞き、アンデルフォンは楽しそうに笑った。
「なるほど」
「だったら――」
「もっと面白そうですねぇ」
「行ってこい」
「へいへい」
アンデルフォンは手を振る。
「それじゃあ、行ってきますよ。エリオスの旦那」
そして――。
その姿は完全に消えた。
静寂が戻る。
エリオスは再びリナのいる結晶を見る。
「……さて」
「ルナ」
「貴様ももうすぐだ」
黒い笑み。
その場には、不気味な静寂だけが残った。
---
――一方、魔人族の国。
「…………」
静かだった。
あまりにも静かだった。
「……今日も来ないな」
魔人族の兵士が、城壁の上から外を見る。
「そうだな」
「昨日も来なかった」
「一昨日もだ」
「…………」
兵士たちは顔を見合わせる。
魔境軍による襲撃。
それが――。
突然、止まった。
数か月にわたって続いていた激しい戦い。
毎日のように警戒していた兵士たちは、最初こそ罠を疑っていた。
だが。
一日。
二日。
一週間。
二週間。
それでも敵は現れない。
「……本当に、終わったのか?」
「分からん」
「だが……」
兵士が城下町を見る。
そこでは――。
復興作業が始まっていた。
壊された建物を修復する者。
瓦礫を運ぶ者。
新しい家を建てる者。
負傷者の治療を行う者。
人間族の援軍も協力していた。
エルフ族も。
ドワーフ族も。
竜人族も。
人魚族も。
獣人族も。
皆が一緒になって働いている。
「そこの柱、もう少し右!」
「分かった!」
「人間族の兵士さん、こっちを手伝ってくれ!」
「任せろ!」
「魔人族の皆さん、食料を持ってきました!」
「助かる!」
笑い声。
掛け声。
そして――。
少しずつ戻っていく日常。
戦争が始まる前とは違う。
だが、それでも確かに平和だった。
---
ジュダは城のバルコニーから街を見下ろしていた。
「…………」
隣にはキラがいる。
「随分変わったな」
キラが言う。
「ああ」
ジュダは頷く。
「数か月前まで、ここは戦場だった」
「今じゃ復興作業か」
「それだけではない」
ジュダは街を見渡した。
人間族と魔人族が、同じ場所で働いている。
「以前なら……考えられなかった」
「だな」
キラが笑う。
「でも、今は普通に話してる」
「…………」
ジュダはキラを見る。
「……貴様のおかげだ」
「俺だけじゃない」
キラは首を振る。
「みんなが一緒に戦ったからだ」
「…………」
ジュダは何も言わなかった。
ただ――。
少しだけ嬉しそうに笑った。
---
そして。
その日の夕方。
魔人族の国、中央広場。
そこには――。
数えきれないほどの魔人族が集まっていた。
兵士。
住民。
子供。
老人。
そして、人間族をはじめとする各種族の代表たち。
その中央に立っているのは――。
魔王ジュダ。
「皆の者!」
ジュダの声が広場に響き渡る。
ざわめきが止まる。
「我々は、長きにわたり人間族と争ってきた!」
魔人族たちは黙って聞いている。
「互いに傷つけ!」
「互いに憎み!」
「互いを敵として見てきた!」
ジュダは拳を握る。
「だが――!」
その声が響く。
「この数か月!」
「我々は共に戦った!」
「人間族は我々を助けた!」
「我々もまた、人間族を助けた!」
ジュダは周囲を見渡す。
そこには人間族の兵士たちがいる。
そして――。
その中には、キラもいた。
ジュダは一瞬だけキラを見る。
目が合う。
キラは笑っていた。
ジュダは少しだけ頬を赤くしながら、すぐに前を向く。
「……だからこそ!」
大きく息を吸う。
そして――。
「今日、この場で宣言する!」
「我々魔人族は――!」
「人間族との争いを終わりとする!」
「…………」
広場が静まり返る。
「これより先は――」
ジュダは堂々と腕を上げた。
「人間族と共存してまいろうぞ!」
「…………」
沈黙。
誰も動かない。
ジュダは拳を握る。
(……やはり、無理だったか)
長年続いた憎しみ。
そう簡単に消えるはずがない。
ジュダ自身も分かっていた。
だからこそ――。
「…………」
数秒後。
一人の魔人族兵士が拳を上げた。
「……俺は賛成だ!」
「!」
続いて――。
「俺もだ!」
「私も!」
「もう争う必要なんてない!」
「人間族と共に戦える!」
「俺たちは何度も助けてもらった!」
声が増えていく。
そして――。
「うおおおおおおおおおおおおおっ!!」
「共存だ!!」
「人間族と共に生きるぞ!!」
「魔人族万歳!!」
大歓声。
広場全体が揺れる。
ジュダは目を見開いた。
「…………」
そして――。
静かに笑った。
「……そうか」
「皆も……そう思っていたのだな」
ジュダはキラを見る
「……ああ」
「本当に」
「……ありがとう」
小さな声だった。
キラには聞こえた。
そしてニコッと笑う
ジュダは慌てて前を向いた。
顔は少し赤い。
---
そして――。
人間族側からも代表が前へ進み出る。
キラの父。
グラン・フォン・レイゼン。
アークを代表する男として、魔人族の前に立った。
グランはジュダを見る。
そして――。
静かに口を開いた。
「人間族もまた、魔人族との争いを終える」
「…………」
「これより我々は、魔人族と共に生きる道を選ぶ」
「共に戦い」
「共に支え」
「共にこの世界を守る」
グランは手を差し出した。
「魔王ジュダ」
「…………」
ジュダはその手を見る。
ほんの一瞬。
これまでの長い歴史が頭をよぎった。
争い。
憎しみ。
戦争。
それらを終わらせる一歩。
ジュダはゆっくりと手を伸ばした。
そして――。
グランの手を固く握る。
「こちらこそ」
「…………」
「よろしく頼む」
二人が握手した瞬間――。
「うおおおおおおおおおおおおお!!」
魔人族から歓声が上がる。
「人間族と魔人族の共存だ!」
「これで戦争は終わりだ!」
「共に生きよう!」
人間族側からも歓声が上がる。
エルフ族も。
ドワーフ族も。
竜人族も。
人魚族も。
獣人族も。
その場にいた全ての者たちが声を上げる。
それは――。
この世界が始まって以来。
誰一人として成し遂げることのできなかったこと。
長い歴史の中で、決して交わることのなかった二つの種族。
人間族と魔人族。
その二つが――。
今。
手を取り合った。
まさに――。
奇跡の同盟。
その光景を、キラは少し離れた場所から見ていた。
「…………」
エリスも。
レティシアも。
セリーナも。
皆、笑っている。
レティシアが叫ぶ。
「やったー!」
エリスも微笑む。
「本当に……すごいね」
セリーナは目を輝かせながら、
「これで、みんな仲良くできますね!」
と言った。
キラは静かに頷く。
「ああ」
「そうだな」
---
だが。
そんな大歓声の中。
ジュダはグランの手を握ったまま、少しだけ顔を近づける。
そして――。
グランの耳元で、小さく囁いた。
「……よろしく頼むぞ」
グランが少し驚く。
ジュダはニヤリと笑う。
そして――。
「父上殿」
「…………」
グランの目が丸くなる。
「……え?」
ジュダはすぐに顔を離した。
何事もなかったかのように堂々と前を向く。
「…………」
グランは固まっている。
キラたちはジュダの真後ろに来ていた。
「……父上殿?」
キラが首を傾げる。
「ジュダ、父さんに何言ったんだ?」
「な、何でもない!」
ジュダは顔を真っ赤にして叫ぶ。
「ちょっとした挨拶だ!」
「挨拶?」
「そうだ!」
レティシアがニヤニヤしながら近づいてくる。
「ジュダ?」
「な、なんだ!」
「もしかして……」
「な、何だ!」
「キラのお父さんにまでデレた?」
「――っ!?」
ジュダの顔が一気に赤くなる。
「ち、違う!!」
「えー?」
「違うと言っているだろう!!」
レティシアは楽しそうに笑う。
エリスも口元を押さえて笑っている。
セリーナは、
「ジュダさん、顔が真っ赤ですよ?」
「セリーナまで言うな!!」
キラだけが、
「?」
と首を傾げていた。
その姿を見て――。
ジュダは小さくため息をつく。
「……本当に、鈍い奴だ」
そして。
誰にも聞こえないように、小さく呟いた。
「……だが、まあ」
「それも貴様らしいか」
夜空に歓声が響き続ける。
人間族と魔人族。
かつて敵だった二つの種族は――。
今、初めて同じ未来を見始めていた。
しかし。
その裏側では。
エリオスが動き出している。
そして――。
アークへ向かったアンデルフォンもまた、すでに姿を消していた。
平和が始まったその日。
同時に――。
次なる戦いの幕も、静かに上がり始めていた。
第194話 終




