182話 奇跡
戦いが終わった。
魔境獣が消滅し、聖教都市シルオットを襲っていた脅威もなくなった。
だが――。
街は、見るも無残な姿になっていた。
建物は崩れ、道は砕け、壁は大きくえぐれている。
聖教堂も、その周囲の建物も大きな被害を受けていた。
キラたちは戦いの疲労が限界に達していた。
そして――。
三人は、そのまま数日間眠り続けた。
――――――――――
「…………」
キラの目がゆっくりと開いた。
白い天井。
見慣れない部屋。
キラはしばらくぼんやりと天井を見つめていた。
「……ここは……?」
身体を起こそうとすると――。
「お目覚めですか?」
声がした。
キラが横を見る。
そこには一人の司祭が立っていた。
優しい笑顔を浮かべている。
「……ああ」
キラは自分の身体を確認する。
痛みはある。
だが、動けないほどではない。
「はい」
キラは答えた。
そして――。
「エリスとセリーナは?」
キラの横を見る。
そこには二つのベッドがあった。
エリスは静かに眠っている。
セリーナもまだ眠ったままだ。
二人とも深い眠りについていた。
「お二人とも、まだお休みになっています」
司祭が答える。
「そうか……」
キラは安心したように息を吐いた。
「……生きてるんだな」
「はい」
司祭は笑顔で頷いた。
「三人とも、無事です」
「……よかった」
キラはベッドから立ち上がった。
まだ少し身体が重い。
それでも歩くことはできた。
「外……見てくる」
「ご一緒しましょう」
司祭が言った。
キラは頷いた。
そして二人は建物の外へと出た。
――――――――――
「…………」
外に出たキラは、言葉を失った。
そこに広がっていたのは――。
壊れた街だった。
建物の壁は崩れ落ち、屋根はなくなっている。
道路には大きな亀裂が走り、石畳は至るところで砕けていた。
店の看板は折れ、窓ガラスもほとんど残っていない。
聖教都市の象徴だった建物も、その多くが半壊していた。
「……すごいな」
キラが呟く。
「はい……」
司祭も静かに答える。
しかし――。
「お?」
キラの目に、人々の姿が映った。
瓦礫を片付けている者。
壊れた店を掃除している者。
怪我をした人間を治療している者。
子供たちの手を引いて歩いている親。
街は壊れている。
それなのに――。
人々の顔には、絶望がなかった。
「……みんな元気だな」
キラが笑う。
「はい」
司祭も微笑んだ。
「ここは聖教都市シルオットですから」
「?」
「この街では、回復魔法を使える者が多いのです」
司祭は街を見ながら続けた。
「もちろん、全員が高度な回復魔法を使えるわけではありません。しかし、軽傷程度なら治せる者が多い」
「だから……」
「今回の被害に対して、犠牲者が極端に少なかったのです」
キラは街を見渡した。
あれだけの破壊。
魔境将軍ゲンブとの戦い。
魔境獣による破壊。
それでも――。
人々は生きている。
「……それだけが、今回よかったことか」
「はい」
司祭は静かに頷いた。
「街は壊れてしまいました。しかし、人は生きています」
キラは少しだけ笑った。
「なら……やり直せるな」
「はい」
二人が歩いていると――。
「キラ!」
遠くから声がした。
振り返る。
そこには騎士団と魔法星団の代表者たちがいた。
二人はキラの前まで来ると、深々と頭を下げた。
「申し訳ありませんでした!」
キラは目を丸くする。
「……?」
「我々は操られていたとはいえ、あなた方に刃を向けた」
騎士団の代表が拳を握る。
「本当に……すまなかった」
魔法星団の代表も続く。
「あなた方を敵だと思い込み、戦ってしまった」
「…………」
キラは二人を見る。
そして――。
「もういいよ」
笑った。
「操られてたんだろ?」
「しかし……」
「俺たちが無事に戻ってこられたんだから、それでいい」
キラは笑顔を見せる。
「それに……」
壊れた街を見る。
「この街も、これから戻していけばいい」
代表者たちは顔を上げた。
「……ありがとうございます」
キラは手を振った。
「気にすんな」
――――――――――
そして夜。
静かな部屋。
「…………」
エリスはまだ眠っている。
キラも身体を休めながら、椅子に座っていた。
すると――。
「ん……」
ベッドから声がした。
キラが振り向く。
「……セリーナ?」
セリーナがゆっくり目を開けた。
「……キラさん……?」
「おう。目が覚めたか」
セリーナはしばらくキラを見つめる。
そして――。
「……お腹すきました」
「…………」
キラは思わず吹き出した。
「ははは!」
「な、なんで笑うんですか!」
「いや……セリーナらしいなって」
「むぅ……」
セリーナは頬を膨らませた。
「本当にお腹すいたんですよ」
「はいはい。飯、持ってくるよ」
「ありがとうございます!」
セリーナは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て――。
キラもまた笑った。
――――――――――
翌朝。
「……ん……」
エリスが目を覚ました。
「……ここは……?」
「エリス!」
キラが駆け寄る。
「キラ……?」
「よかった!」
エリスは少し驚きながらも笑った。
「……心配かけたみたいですね」
「当たり前だろ」
「ふふ……」
そして――。
三人は久しぶりに揃った。
そこへ一人の老人が入ってきた。
「おお……目を覚ましたか」
「先生!」
セリーナが立ち上がる。
老人は三人を見て、穏やかに笑った。
「改めて話しておこう」
老人は椅子に腰掛ける。
「私は、かつて聖教様に仕えていた者だ」
「そして――」
老人はセリーナを見る。
セリーナは胸に手を当てた。
「セリー様……」
「ああ」
老人は静かに頷く。
「セリー様は、お前のことを本当に大切にしていた」
「…………」
セリーナは少しだけ目を潤ませた。
そして――。
「……私、やりたいことがあります」
突然、セリーナが顔を上げた。
「やりたいこと?」
キラが聞く。
「はい」
セリーナは立ち上がった。
「先生が教えてくれた、もう一つの魔法です」
「もう一つ……?」
エリスも興味深そうに見る。
老人が頷いた。
「その魔法の名は――」
セリーナが静かに言った。
「クロノスリペア」
キラは首を傾げる。
「どんな魔法なんだ?」
「無機物であれば……完全に元に戻せます」
「…………」
キラとエリスが固まった。
「完全に?」
「はい」
セリーナは頷く。
「壊れた建物も、砕けた道も、崩れた壁も……本来の状態へ戻せます」
「それ……」
キラが街を見る。
「無茶苦茶な魔法じゃないか?」
「はい」
セリーナは苦笑する。
「無茶苦茶です」
老人も頷く。
「だが、その代償も大きい」
「……?」
「クロノスリペアを使えば――」
老人が告げる。
「五年間、クロノスリペアが使えなくなる」
「五年……」
エリスが呟く。
セリーナはしばらく黙っていた。
それでも――。
セリーナは街を見る。
「……それでも」
小さく呟く。
「この街を元に戻せるなら……」
顔を上げる。
「私は使います」
キラは何も言わなかった。
エリスも黙っている。
老人だけが静かに笑った。
「それでこそ、セリーナだ」
――――――――――
セリーナは街の中央へ歩いていった。
そして――。
両手を胸の前で合わせる。
指を絡めるようにして、ぎゅっと握る。
ゆっくりと目を閉じた。
「…………」
風が止まった。
街にいた人々が、何事かとセリーナを見る。
キラとエリスも少し離れた場所から見守る。
セリーナの身体から――。
淡い光が溢れ始めた。
最初は小さな光だった。
それが徐々に強くなる。
足元。
両手。
胸元。
そして――。
街全体へ。
無数の光の粒が広がっていく。
「……」
セリーナは目を閉じたまま、小さく呟いた。
「クロノスリペア…………」
その瞬間――。
世界が静かになった。
――――――――――
最初に変化したのは、地面だった。
砕けていた石畳が――。
カチッ。
カチッ。
と音を立て始める。
割れていた石が浮かび上がる。
そして、本来あった場所へ戻っていく。
一つ。
また一つ。
まるで時間が逆回転しているかのように。
「……!」
キラが目を見開く。
巨大な亀裂が、端からゆっくりと消えていく。
砕けた石が元の形へ戻る。
粉々になっていた小石までもが集まり、一枚の石畳へと戻っていく。
「すごい……」
エリスが呟く。
そして――。
倒れていた柱が浮かび上がった。
折れた部分がぴたりと重なる。
亀裂が消える。
欠けていた部分が元の形へ戻る。
まるで最初から壊れていなかったかのように。
次に――。
崩れた建物。
瓦礫が空へ浮かんだ。
壁の破片。
柱。
屋根。
窓枠。
扉。
すべてがゆっくりと宙へ上がっていく。
「…………」
人々は言葉を失っていた。
瓦礫はただ元に戻るだけではない。
正しい場所へ戻っていく。
柱は柱の場所へ。
壁は壁の場所へ。
屋根は屋根へ。
一つ一つの部品が、まるで長い年月をかけて組み立てられるように戻っていく。
そして――。
「……!」
巨大な建物が立ち上がった。
崩れていた壁が元通りになる。
穴が開いていた場所が塞がる。
砕けていた窓ガラスが集まり、元の一枚へ戻る。
割れていた扉も元の形へ。
屋根もゆっくりと組み上がっていく。
「街が……」
キラは呟いた。
「戻ってる……」
さらに光が広がる。
一軒。
十軒。
百軒。
街全体へ。
壊れた店が戻る。
宿屋が戻る。
住宅が戻る。
教会の建物が戻る。
道が戻る。
橋が戻る。
広場が戻る。
そして――。
シルオットの象徴だった建物までもが、元の姿へと戻っていく。
崩れていた壁が立ち上がる。
失われていた装飾が元の位置へ戻る。
砕けた石像が元の形へ戻る。
折れた柱がまっすぐになる。
壊れていた時計までもが元通りになる。
それだけではない。
建物の中にあった机や椅子。
店にあった棚。
壊れた看板。
扉の鍵。
すべての無機物が、本来の状態へ戻っていく。
「…………」
街の人々はただ見つめていた。
誰も声を出せない。
誰も動けない。
ただ――。
奇跡を見ていた。
そして最後に。
街の中心にあった巨大な建物が――。
完全な姿を取り戻した。
光が一気に空へ昇っていく。
「…………」
セリーナはゆっくりと目を開いた。
光が消える。
風が戻る。
静寂が戻る。
そして――。
そこには。
戦いの跡など、ほとんど残っていなかった。
「…………」
キラは街を見渡した。
「……すげぇ」
エリスも呆然としている。
「これが……クロノスリペア……」
セリーナはふらついた。
「……終わりました……」
キラが慌てて支える。
「セリーナ!」
「大丈夫です……」
セリーナは笑った。
「ちょっと……疲れただけです」
すると――。
「聖教様だ!」
誰かが叫んだ。
「聖教様!」
「聖教様が街を救った!」
「新しい聖教様だ!」
その声が次々と広がっていく。
「聖教様!」
「聖教様!」
セリーナは目を丸くした。
「えっ……?」
キラが苦笑する。
「セリーナ」
「はい?」
「聖教様って呼ばれてるぞ」
「ええええ!?」
セリーナは慌てて両手を振った。
「や、やめてください!」
人々がざわめく。
セリーナは老人を指差した。
「次の聖教様は私の先生――アーゲン様です!!!」
「…………」
老人――アーゲンは目を丸くする。
「私か?」
「はい!」
「セリーナ……」
アーゲンは苦笑した。
「まったく……お前は変わらんな」
セリーナは笑った。
「先生に教えてもらった魔法ですから!」
キラとエリスも笑う。
こうして――。
壊滅寸前だった聖教都市シルオットは、一人の聖女によって救われた。
そして数日後。
聖教アーゲンのもと――。
聖教都市シルオットは、新たな時代へ向けて動き始めるのであった。
第182話 終




