174話 修行
ドーラ――。
山々に囲まれたその土地には、世界でも名の知れた剣士たちが集まる場所があった。
その中でも、ひときわ険しい山の中腹。
そこに建っているのが、剣神アブソリューの道場だった。
朝。
まだ太陽が山の向こうから顔を出したばかりだというのに、道場にはすでに剣戟の音が響いていた。
――カンッ!
「っ!」
レティシアの木剣が弾かれる。
身体がわずかに後ろへ流れた。
しかし、レティシアは倒れない。
すぐに足を踏み込み、もう一度木剣を構えた。
「……もう一回!」
「よし」
向かいに立つのは、剣神アブソリュー。
その手にも木剣が握られている。
だが――。
レティシアは、いつもの双剣を持っていなかった。
一本だけ。
そして、ここでの修行中。
レティシアには一つの厳しい条件が課せられていた。
スキルの使用禁止。
双月斬。
双牙連閃。
幻影双閃。
烈風双刃。
天狼双牙。
無影連斬。
これまでレティシアが身につけてきた技の数々。
そのすべてを封じられていた。
「……はぁ……はぁ……」
レティシアは額の汗を腕で拭う。
「まだスキルなしなの……」
「当然だ」
アブソリューは淡々と答える。
「お前は技を覚えすぎた」
「……」
「技そのものは悪くない。むしろ、お前が今まで積み重ねてきたものは一流だ」
アブソリューは木剣を肩に乗せる。
「だが、技に頼れば、技を封じられた時にお前の剣はどうなる?」
レティシアは黙り込む。
「……弱くなる」
「そうだ」
「……」
「ならば、まずは技がなくても強い剣士になれ」
その言葉は、何度聞いても重かった。
レティシアは再び木剣を構えた。
「……分かった」
「では来い」
「うおおおおっ!」
レティシアが駆け出す。
――タッ!
踏み込み。
斬撃。
アブソリューはそれを受ける。
――カンッ!
レティシアは弾かれた勢いを利用して身体を回転させ、逆方向から斬り込む。
――カンッ!
また受けられる。
ならば下。
――カンッ!
今度は上。
――カンッ!
何度打ち込んでも届かない。
「くっ……!」
レティシアは歯を食いしばる。
以前なら、ここで技を使っていた。
双牙連閃で一気に手数を増やす。
幻影双閃で相手の視界を惑わせる。
あるいは幻歩で死角へ入り込む。
しかし今は、それができない。
だからこそ――。
自分自身の剣だけで戦う。
それしかなかった。
---
「遅い!」
アブソリューの木剣が迫る。
「っ!」
レティシアは身体を捻る。
紙一重。
頬を木剣がかすめた。
「まだだ!」
――ブンッ!
二撃目。
レティシアは一歩下がる。
三撃目。
今度は前へ出た。
「そこっ!」
レティシアの木剣がアブソリューの肩へ向かう。
だが――。
「甘い」
――カンッ!
再び弾かれる。
レティシアは悔しそうに顔を歪めた。
「……まただ」
「何がだ?」
「あと少しだったのに……」
「違う」
アブソリューは首を横に振った。
「あと少しではない」
「え?」
「お前は今、自分の攻撃が届くと思ったな?」
「……うん」
「そこが弱点だ」
アブソリューはレティシアを見つめる。
「お前は攻撃を当てようとしすぎる」
「……」
「剣士は斬ることだけを考えるな」
レティシアはその言葉を頭の中で繰り返す。
「斬ることだけじゃ……ない?」
「そうだ」
アブソリューは木剣を下ろす。
「相手の動き」
「間合い」
「足の位置」
「呼吸」
「視線」
「すべてを見ろ」
「……」
「そして、自分がどう動くかではなく――」
アブソリューは一拍置いた。
「相手がどう動きたくなるのかを考えろ」
レティシアの目がわずかに見開かれる。
「相手が……動きたくなる方向?」
「それがヒントだ」
「……ヒントだけ?」
「それ以上を教えれば、お前の剣になる前に私の剣になってしまう」
「……!」
レティシアは拳を握る。
アブソリューは静かに笑った。
「自分で答えを見つけろ」
その日の修行は、夕方まで続いた。
そして――。
「……ありがとうございました!」
レティシアは深く頭を下げる。
身体は泥だらけ。
腕も重い。
足は震えている。
それでも、目だけは死んでいなかった。
「レティシア」
「ん?」
「明日からはアルミンと組め」
「アルミンと?」
「ああ」
道場の奥から声が聞こえる。
「呼びましたか?」
木剣を持った少女が歩いてきた。
アルミン。
かつてレティシアが敗北した少女だ。
最初の模擬戦では、レティシアが一方的に敗れた。
しかし――。
それから二人の関係は変わっていった。
アルミンもまた、レティシアを強く意識するようになった。
今では互いに切磋琢磨する、良きライバルだった。
「今日もやる?」
アルミンが木剣を構える。
レティシアも笑う。
「もちろん!」
「疲れてるでしょ?」
「そっちこそ!」
「じゃあ、負けた方が道場の掃除ね」
「それ、昨日もあたしだったじゃん!」
「じゃあ今日も」
「おい!」
二人の間に笑い声が響く。
そして――。
――カンッ!
木剣がぶつかった。
「っ!」
レティシアが踏み込む。
アルミンが受ける。
「前より速い!」
「そっちもね!」
――カンッ!
――カンッ!
――カンッ!
激しい打ち合い。
だが、二人ともスキルは使わない。
純粋な剣術だけ。
一歩。
半歩。
足を動かす。
身体を捻る。
受ける。
避ける。
斬る。
その一つ一つを積み重ねる。
「そこ!」
アルミンが斬り込む。
レティシアは身体を傾ける。
木剣が髪をかすめた。
「危なっ!」
そのままレティシアは一歩踏み込む。
木剣を振り下ろす。
アルミンが受ける。
――ガンッ!
「……!」
「まだまだ!」
二人は同時に距離を取った。
息を切らしながら、互いを見る。
そして――。
「ふっ」
レティシアが笑う。
アルミンも笑った。
「強くなったね」
「そっちもね!」
夜。
修行を終えたレティシアは、一人で道場の外に座っていた。
山の向こうには、無数の星が広がっている。
静かな夜だった。
レティシアは自分の手を見る。
「……強くなるためには……何が必要なんだろう」
これまでの自分。
双剣。
スキル。
回避。
幻歩。
連続攻撃。
それらを磨いてきた。
だが――。
アブソリューは言った。
技に頼るな。
「……あたしの剣って……何なんだろ」
そこへ足音が近づく。
「眠れないのか?」
「先生……」
アブソリューだった。
レティシアは立ち上がる。
「ちょうどいい。聞きたいことがあるの」
「何だ?」
「どうしたら……もっと強くなれる?」
アブソリューはすぐには答えなかった。
夜空を見上げる。
「お前は強くなりたいのか?」
「当たり前でしょ!」
レティシアは即答した。
「キラにはまだ全然届かない。エリスだってどんどん強くなってる。あたしだけ置いていかれるのは嫌なんだ」
拳を握る。
「それに……」
少しだけ視線を落とした。
「大切な人たちを守れるくらい強くなりたい」
アブソリューはレティシアを見る。
「ならば、一つだけ覚えておけ」
「何?」
「強さとは、技の数ではない」
「……」
「速さだけでもない」
「……」
「力だけでもない」
アブソリューはレティシアの胸を指す。
「自分が何のために剣を振るうのかを知ることだ」
「……何のために……」
「お前は今まで、勝つために剣を振ってきた」
「……」
「だが、それだけでは足りない」
レティシアは黙って聞いている。
「守るためか」
「負けないためか」
「誰かを超えるためか」
「自分自身を超えるためか」
「その答えは、お前自身にしか分からん」
アブソリューは背を向ける。
「答えを探せ」
「……」
「剣を振り続ければ、いつか見えてくる」
レティシアはその背中を見つめた。
そして――。
「……分かった!」
大きく頷く。
「探してみる!」
アブソリューは振り返らずに言った。
「なら、明日は今まで以上に厳しくする」
「えっ?」
「朝は日の出前だ」
「ちょ、ちょっと待って!」
「走り込みから始める」
「うそだろ!?」
「その後、千回素振り」
「せ、千回!?」
「終わったらアルミンと模擬戦」
「……」
レティシアの顔が引きつる。
「……鬼だ」
「何か言ったか?」
「何でもありません!」
アブソリューは小さく笑った。
翌朝。
まだ空が暗いうちから――。
「いち!」
――ブンッ!
「に!」
――ブンッ!
「さん!」
――ブンッ!
レティシアは木剣を振っていた。
汗が落ちる。
腕が痛む。
足も重い。
それでも止まらない。
「もっと腰を!」
「はい!」
「足を止めるな!」
「はい!」
「相手を想像しろ!」
「はい!」
――ブンッ!
――ブンッ!
――ブンッ!
その横ではアルミンも素振りをしている。
「レティシア」
「何?」
「今日、模擬戦で勝つから」
レティシアがニヤリと笑った。
「やってみろ!」
「絶対負けない」
「それはこっちの台詞だ!」
二人は再び木剣を握りしめる。
敗北から始まった関係。
それはいつしか――。
互いを高め合う、最高のライバルへと変わっていた。
そしてレティシアはまだ知らない。
この修行の日々が――。
やがて彼女自身の剣を、大きく変えることになるということを。
スキルを捨て。
技に頼らず。
自分自身の身体と感覚だけで剣を振るう。
その先にあるもの。
それこそが――。
レティシアだけの新たな戦い方だった。
だが、その答えに辿り着くには。
まだまだ長い修行が必要だった。
レティシアは今日も木剣を握る。
「もっと強くなる……!」
そして――。
再び、道場に剣戟の音が響き始めた。
第173話 終




