170話 昔話
――聖教都市シルオット。
地下牢獄。
「…………」
セリーナは、牢獄の隅に座っていた。
向かいには、先ほど出会ったやせ細った老人。
二人の間には、静かな時間が流れている。
老人は壁にもたれながら、ふっと笑った。
「……暇じゃの」
「え?」
「ここは暇すぎる」
老人は天井を見上げる。
「だから、昔話でもするかの」
「昔話……?」
「そうじゃ」
老人はゆっくりと口を開いた。
「ワシは昔――」
少しだけ姿勢を正す。
「聖教様に仕えていた」
「…………!」
セリーナの目が大きくなる。
「聖教様に……?」
「ああ」
老人は小さく頷く。
「ワシは四老師の一人だった」
「四老師……」
セリーナは息を呑んだ。
四老師。
かつて聖教様を支え、聖教都市の教えを守っていた四人の最高位の側近。
その一人が――
今、自分の目の前にいる。
「もう……昔の話じゃがな」
老人は寂しそうに笑った。
「ある日のことじゃった」
「聖教様が、一人の少女を連れてきた」
――――――――――
まだ幼い少女。
ボロボロの服。
怯えた瞳。
その少女の周りには、同じような境遇の少年少女たちがいた。
「この子たちは?」
四老師の一人だった老人が尋ねる。
聖教様は優しく答えた。
「奴隷として売られていた子たちです」
「……奴隷」
「ええ」
聖教様は静かに頷く。
「私は、この子たちを買い取りました」
「買い取った……?」
「そして、全員を自由にします」
老人は驚いた。
聖教様は少女たちを見る。
「この子たちに罪はありません」
「…………」
「ただ、生まれた場所が違っただけ」
聖教様は一人一人に優しく声をかけていく。
そして――
一人の少女の前で足を止めた。
「この子は……」
少女の頭に手を乗せる。
「とても強い聖魔法の素質があります」
「…………!」
老人も少女を見る。
小さな身体。
しかし、その奥に秘められた魔力は――
確かに普通ではなかった。
「この子なら……」
聖教様が微笑む。
「我々の未来に希望を持てるかもしれません」
少女は不安そうに聖教様を見る。
「…………」
聖教様はしゃがみ込み、少女と目線を合わせた。
「名前はありますか?」
少女は首を横に振る。
「…………ありません」
「そうですか」
聖教様は少し考える。
そして――
「では……」
優しく笑った。
「わたしの字を与え、この子をセリーナと名付けようと思う」
「セリーナ……」
老人が呟く。
聖教様は嬉しそうに笑った。
「私は“セリー”」
聖教様は少女の頭を撫でる。
「この子はセリーナ」
「親子みたいだろう?」
「…………」
「これからは、私がこの子の家族です」
少女は初めて――
ほんの少しだけ笑った。
「……はい」
――――――――――
「…………」
老人の声が止まった。
セリーナは何も言えなかった。
老人は俯いている。
「……あの頃の聖教様はな」
声が震える。
「本当に優しいお方じゃった」
「…………」
「奴隷だった子供たちを救い……」
「居場所を与え……」
「その中でも、あの子を特に気にかけておった」
老人の目から――
涙が落ちる。
「セリーナ……」
「…………」
「そう呼んでおった」
老人は涙を拭う。
「わしにとっても……孫のような子じゃった」
「…………」
セリーナの目にも涙が溜まる。
「だが……」
老人は続ける。
「ある日、聖教様がワシに相談してきた」
――――――――――
「セリーナを……外へ出したいのです」
聖教様は真剣な表情をしていた。
「外へ?」
「はい」
「なぜです?」
「この都市は……もう安全ではありません」
老人は驚いた。
「まさか……」
聖教様は静かに頷いた。
「何者かが、聖教都市を変えようとしている」
「…………」
「ですが、セリーナだけは巻き込みたくない」
聖教様は目を伏せる。
「私はあの子に、普通の世界を見てほしいのです」
「…………」
「ですから――」
聖教様は老人に頼んだ。
「黒い魔力に関する事件の調査という名目で、セリーナを外へ送り出してください」
老人はしばらく黙っていた。
そして――
「分かりました」
そう答えた。
こうしてセリーナはシルオットの外へ出ることになった。
「気をつけるのですよ、セリーナ」
「はい、聖教様」
「必ず帰ってくるのですよ」
「はい!」
少女は笑顔で旅立っていった。
――――――――――
「……その後じゃ」
老人の声が沈む。
「聖教様は……殺された」
「…………!」
セリーナの呼吸が止まる。
「そしてワシは……」
老人は自分の手を見る。
「ここへ入れられた」
「なぜ……」
セリーナの声が震える。
「分からん」
「何もかも……奪われた」
「…………」
「聖教様も」
「仲間も」
老人は苦しそうに笑う。
「じゃが……」
「外へ逃がしたあの子だけは、生きていると思っておった」
「…………」
「それだけが……救いじゃった」
セリーナの涙が――
止まらなくなった。
「…………先生」
老人は気づかない。
「もう……会えんじゃろうな」
「…………」
「セリーナは……元気にしておるかのぉ」
その言葉を聞いた瞬間。
セリーナは立ち上がった。
「…………」
老人を見る。
涙でぐしゃぐしゃになった顔。
そして――
胸元に手を当てる。
「……先生」
セリーナの手から――
淡い光が生まれる。
「聖魔法……」
老人が顔を上げる。
「ライト」
パァァァ……。
小さな光がセリーナの顔を照らす。
眼鏡。
長い髪。
涙で濡れた頬。
老人は――
目を見開いた。
「…………」
「…………」
セリーナは泣きながら笑った。
そして――
「セリーナです」
「…………」
「先生」
老人の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……セリー……」
牢獄の中に――
老人の泣き声が響いた。
第170話 終




