154話 王弟
獣人族の街を脱出したキラたちは、街から十分に離れた森の中で足を止めた。
「……ここまで来れば、追っては来ないみたいだな」
キラが後ろを確認する。
「そうだね」
エリスも耳を澄ませる。
「気配もないよ」
「よし。少し休もっか」
レティシアが腰に手を当てる。
「さすがにあれだけ走ったら、腹も減るってもんだ!」
「はい……」
セリーナも疲れ切った様子で頷いた。
シエラも木の幹に背を預ける。
「……ごめんなさい」
「何が?」
「私のせいで……」
シエラが申し訳なさそうに俯く。
「私が獣人族だから、皆さんまで襲われて……」
「気にするな」
キラが笑う。
「シエラを助けたのは俺たちの意思だ」
「そうそう!」
レティシアも明るく言う。
「あんな状況で置いていけるわけないじゃん!」
「レティシア……」
「それにさ!」
レティシアはシエラの肩を軽く叩く。
「お前が悪いことしたわけじゃないんだ。謝る必要なんてないよ!」
「……ありがとう」
シエラが小さく笑った。
その時。
「皆さん、お飲み物をどうぞ」
セリーナが水筒を取り出した。
「ありがとうございます」
エリスが受け取る。
「じゃあ私も――」
セリーナが自分の分を持とうとした瞬間。
「あっ!」
ガシャッ!
水筒が手から滑り落ちた。
「きゃあっ!」
中に入っていた飲み物が――。
バシャァッ!
セリーナの服に大量にかかった。
「…………」
全員が固まる。
「……」
セリーナも固まる。
そして。
「ぷっ……」
レティシアが吹き出した。
「ははははっ!」
「レティシア!」
「だって……! なんで自分の飲み物を自分にかけてるのよ!」
「す、すみません……」
セリーナは顔を真っ赤にする。
エリスも笑いを堪えきれない。
「ふふ……セリーナ、今日何回目?」
「……数えないでください」
キラも思わず笑う。
「まあ、セリーナらしいな」
「キラさんまで……!」
「悪い悪い」
シエラも最初は驚いていたが――。
「……ふふっ」
小さく笑った。
「え?」
セリーナがシエラを見る。
「シエラさん?」
「ごめん……」
シエラは口元を押さえながら笑う。
「でも……久しぶりに笑った気がする」
その言葉に、セリーナも微笑んだ。
「……それなら、こぼした甲斐がありました」
「いや、ないだろ」
キラが即座に突っ込む。
「ふふっ」
今度は全員が笑った。
――――――――――
その後。
簡単な食事を済ませ、一同は木陰で一息ついていた。
少しずつ緊張も解けていく。
しかし――。
シエラが突然、顔を上げた。
「……あっ!」
「どうした?」
キラが尋ねる。
「思い出した……」
シエラは自分の膝に手を置く。
「一つ……話していないことがある」
「何だ?」
シエラはしばらく迷った。
そして、ゆっくりと話し始めた。
「ガミオン様がおかしくなり始めたのは……二年くらい前」
「二年前……」
キラが呟く。
「それまでは、本当に何も変わったことはなかった」
シエラは続ける。
「獣人族は普通に暮らしていた」
「他の種族とも?」
「うん」
シエラは頷いた。
「エルフとも、ドワーフとも、竜人とも、人魚とも……普通に交流していた」
「やっぱり……」
エリスが考え込む。
「じゃあ、二年前を境に何かが変わったんだね」
「そう」
シエラは答えた。
「ガミオン様が変わっていった」
以前のガミオンは優しかった。
獣人族の王として民を大切にし、他種族にも分け隔てなく接していた。
ところが――。
二年前を境に。
少しずつ他種族への態度が変わっていった。
最初は小さな変化だった。
「他種族を信用するな」
そう言うようになった。
そして次第に――。
「他種族は敵だ」
そうまで言うようになった。
「でも……」
シエラが眉を寄せる。
「ガミオン様がおかしくなる前に、一つだけ気になることがあった」
「何だ?」
「ガミオン様の弟――スベル」
「弟?」
レティシアが反応する。
「スベルって奴が何かしたの?」
シエラは頷いた。
「私は直接聞いたわけじゃない」
「でも見たの?」
「うん」
シエラの表情が険しくなる。
「ガミオン様がおかしくなる少し前……」
「スベルが、見知らぬ男と話していた」
「どんな男だった?」
キラが尋ねる。
「……黒い服を着ていた」
シエラは思い出しながら話す。
「それだけじゃない」
「何が?」
「その男……身体から、黒い何かが漂っていた」
キラの表情が変わった。
「黒い……?」
「うん」
「黒い魔力か?」
「分からない……」
シエラは首を振る。
「でも、普通の人族には見えなかった」
キラは黙り込む。
黒い魔力。
そして、各種族を争わせる謎の存在。
ここまでの事件と繋がっている可能性がある。
「それで?」
エリスが尋ねる。
「スベルとその男が話していた後から、ガミオン様が変わり始めたの?」
「……そう」
シエラは頷く。
「最初は少しずつだった」
「でも、時間が経つほど……」
「他種族への敵意が強くなっていった」
キラは腕を組む。
「……スベルか」
その名前を聞いたエリスが、何かを思い出したように目を見開いた。
「待って」
「どうした?」
「スベルって……」
エリスがキラを見る。
「固有スキルを持ってるはず」
「固有スキル?」
「うん」
エリスは頷く。
「私が昔、聞いたことがある」
「スベルには――」
一度言葉を止める。
そして。
「変化分身っていう固有スキルがある」
「変化分身……」
キラが呟く。
エリスは続ける。
「自分の分身を作って、その分身を別の姿に変化させるスキル」
「……!」
レティシアが立ち上がる。
「ちょっと待てよ」
そしてシエラを見る。
「じゃあ……」
シエラもハッとする。
「まさか……」
キラがゆっくり口を開く。
「スベルが分身を作って――」
「エルフに化ける」
エリスが続ける。
「ドワーフにも」
レティシアが言う。
「竜人にも……」
セリーナが呟く。
「人魚にも……」
そしてキラが結論を口にした。
「各種族に化けて、互いに襲わせた……?」
「……」
全員が沈黙する。
もし、それが本当なら。
ドワーフと竜人の事件も。
エルフや人魚との対立も。
そして、獣人族の異変も。
すべて一本の線で繋がる。
シエラが震える声で言った。
「じゃあ……」
「スベルが……全部の原因なの?」
キラはまだ断定しなかった。
「分からない」
「……」
「でも、調べる価値はある」
キラは立ち上がる。
「サーベンさんに報告しよう」
エリスも頷いた。
「うん」
キラはシエラを見る。
「そして、スベルについて詳しく調べる」
「……私も行く」
シエラが立ち上がる。
その目には、先ほどまでの怯えとは違う決意が宿っていた。
「私も……真実を知りたい」
「分かった」
キラは頷く。
「一緒に行こう」
獣人族の王、ガミオン。
その弟、スベル。
そして――謎の黒い男。
マニルを覆う種族間の争いの裏側に、少しずつ真実の影が見え始めていた。
第154話 終




