第三十六話 家族の音①
〜前回のあらすじ〜
隆志たちは白田の父に纏わるエピソードをまじまじと聴いた。
昨年5月に、車に跳ねられ死亡。
そんな儚い運命に、一同は言葉を失う。
そんな白田も、隆志たちと出会ったことにより少しずつ心を開いていった。
どこか茂則に似ている仲間の目を受け止め、白田は決意を固める。
同時刻。
出番を控える香織たちは、屋上でお弁当を広げていた。
雪穂の二人の弟、聡と匠海。
美羽の妹の結衣。
さらに智子の歳の離れた兄——晃樹と、その妻の萌実。
コンテストを見に来たメンバーの家族たちも、一緒に場を囲んでいる。
まだ香織と菫が、ナギサノユラギのメンバーだった頃。貴子と二人で歌詞を作った楽曲——『揺らめき』。
隆志にまだ言えていない想いも綴ったその曲は、今ではもう、貴子一人のものになっている。
その悔しさを切り替えさせようとした智子の計らいだったが、集まってみれば、想像以上に賑やかだった。
……といっても、その大半は美羽と智子なのだが。
「ちょっと結衣! ウチにも唐揚げ食わせろし!!」
「ダメ。お姉ちゃん、この間痩せたいって言ってたでしょ」
結衣は姉の弁当を指差した。
「智子さんに組んでもらったメニューだって、碌に取り組んでないじゃん」
「……明日から本気出すし!」
「はいはい。それ七十六回目」
「はぁ!?」
美羽は自分の昼食を見下ろした。
野菜。
卵焼き。
そして芋。
「肉は!? ウチ、今日めっちゃ頑張ったし!!」
「何を?」
「朝ちゃんと起きた!」
「勝ち誇ったように言うことじゃないから」
結衣は姉の高いテンションを、いつものように冷静に受け流していく。
子どもの頃から変わらない風景に、香織は思わず吹き出した。
「相変わらず結衣ちゃんはしっかりしてるね」
「お姉ちゃんがダラけてるだけです。
もしご迷惑かけることあったら、容赦なく怒っていいので」
呆れた口調。
けれど、その表情にはどこか寂しさも滲んでいた。
美羽が隙を見て結衣のタピオカへ手を伸ばす。
スッ。
結衣は無言で反対側へ置き直した。
美羽の手が空を切る。
「なんで遠ざけるし!」
「ダメなものはダメ」
結衣はそのまま、見せつけるようにタピオカドリンクを飲み干していく。
「うわぁぁぁぁ!! 結衣ぃぃぃ!!」
大袈裟な美羽の嘆きに、周囲から笑い声が漏れた。
一方、智子と雪穂は柔軟運動をしていた。
現役スポーツトレーナーの晃樹が雪穂の身体を押し、緊張で強張った身体をゆっくりと解きほぐしていく。
「そう。息吐いて。ゆっくり」
「……もう少し……もう少し」
ピクピクと震える雪穂の表情を、聡と匠海はそれとなく見守っていた。
智子の方は補助なしで胸まで床についている。
隣で苦戦している雪穂を、昔を懐かしむような視線で見つめていた。
「智子ちゃん。柔らかくなったね」
「萌実さんたちのご指導のおかげですよ」
萌実は大きなお腹を撫でながら、智子へ笑いかける。
晃樹と萌実は、高校時代からの付き合いだった。
二人とも同じ陸上部に所属し、大学卒業後はそれぞれトレーナーとして独立。その後、結婚した。
十月には、念願の第一子が生まれる予定だ。
智子も幼い頃から、遊びの一環で二人のトレーニングに付き合ってきた。
その甲斐あって、今では男子も顔負けなほどの身体能力を身につけている。
もし智子も運動部に所属していたら、今頃は実業団から声がかかっていたかもしれない。
とはいえ——。
智子が身体を鍛えるようになったのには、他にも理由があるわけだが。
「ともっち! ウチもやる〜〜!!」
美羽は結衣や香織との話をよそに、智子の元へ駆け寄った。
そのまま隣に並び、勢いよく開脚する。
「待って! 広がらないんだけど」
「美羽、相変わらず身体硬いよね〜」
智子は身体を起こし、抹茶プロテインを一気に飲み干す。
そして——。
「ほら、力抜いて」
「え?」
ぐいっ。
「ちょっとタンマ! マジ無理!!」
「手加減はいけませんぞ〜」
「美羽、さすがに固すぎじゃね」
雪穂は手鏡を覗き込みながら汗を拭き、呆れたように笑う。
聡と匠海も、横から揶揄っている。
「これから本気出すし!」
「いいから黙ってやるよ〜」
智子は楽しそうに笑いながら、さらに美羽の背中を押した。
「ぎゃああああ!!」
美羽の悲鳴が、白昼の青空へ溶けていく。
その光景に、結衣と香織は小さく息を吐いた。
「……みっともなくて、すみません」
「……慣れちゃった」
子どもの頃から、いつだってくだらないことで騒いでいる。
呆れてしまうほどのテンションの高さも、付き合いが長くなれば、いつしか可愛く思えてくるものだ。
「……今でもびっくりです。
お姉ちゃん、楽器とか一つもできなかったのに」
「ね! 私も絶対嘘だと思ってた」
「昔から、何かをやり切ったことなんて見たことなかった」
「……結衣ちゃんとも、それでよく揉めてたよね」
「はい」
結衣は勢いよく即答した。
けれど、その表情には確かな寂しさも含まれている。
智子や晃樹たちとはしゃぐ美羽の声が、青空に響いていた。
「……今日、絶対勝ってくださいね」
結衣の声は静かだった。
けれど、その瞳には強い意志が宿っている。
結衣は昔から、香織に信頼を寄せていた。
調子のいい姉を、二人で何度も宥めてきた。
隆志も、時々そこに加わっていた。
香織と結衣は、美羽へ視線を向ける。
智子を振り払おうと逃げ出そうとする美羽だったが、雪穂や晃樹にすぐ捕まってしまう。
また笑い声が起こり、屋上の空気が和んだ。
「……香織さんも、負けないでください」
「え?」
「……隆志さん。まだ好きなんですよね?」
「ちょ、ちょっと結衣ちゃん!」
「いやだって、お姉ちゃんいつも言ってましたもん」
結衣の言葉に、香織は思わず息を呑んだ。
隆志と香織の間を取り持ちたい。
貴子とも、前までと同じように仲良く話せるように戻ってほしい。
練習で躓くたび、美羽はそう自分に言い聞かせながら、何度も食らいついていたという。
見せたことのない幼馴染みの一面に、香織は再び美羽へと視線を向けた。
「ちょっ! ギブギブ!!
ゆきゆきも、さっちゃんも助けてよ〜!」
「やだ」
「さっちゃんって女じゃねぇし!」
雪穂の上の弟——聡も、美羽の扱いがわかってきたようだ。
人見知りではあるが、ユーモアのセンスは高いらしい。
「……お姉ちゃん。ああ見えて、抱え込みやすいので」
「……そうかもね」
香織は、高校入学前に隆志と初めての大喧嘩をした夜を思い出した。
あのときも、美羽は自分のことのように泣いてくれた。
かつて憧れた歌い手、りさこわも。
彼女の音によって、隆志と香織のすれ違いは多くなった。
その彼女本人と高校で出会い、今度は同じ人に好意を寄せてしまった。
あの日の衝突が、形を変えて再び自分の身に降りかかってくる。
そんな未来など、あの頃の香織は想像すらしていなかった。
「……香織さん」
結衣は香織に向き直り、真っ直ぐに見つめた。
「……お姉ちゃんのこと、これからもよろしくお願いします」
「……うん」
香織はそっと、結衣の手を握りしめた。
清々しいほど澄み切った青色。
それは、美羽のように輝かしかった。
「……へぇ。あの子、ちゃんとお姉ちゃんしてるんだね」
タオルを首に巻いた雪穂が、いつの間にか二人の側まで戻ってきていた。
「……アタシらからも、
美羽のこと、これからも支えてあげてね」
「……もちろんです」
結衣は静かに頷いた。
その決意を、雪穂も深く受け止める。
「まぁでも、碌でもないことやらかしたら、
アタシや智子がお仕置きしておくからよ」
「遠慮なくやっちゃってください」
三人は顔を見合わせ、ふふふと笑い合った。
当の美羽は、いつの間にかうつ伏せになり、智子のマッサージを受けている。
しかし、こちらでも悶絶していた。
「あだだだだだだだだ!!」
「これは、定期的にやらないといけませんな」
「もう! お姉ちゃんうるさい!」
結衣は美羽の側へ寄り、智子に加わって戯れ始めた。
香織と雪穂も、しばらくその賑やかさを見守っていた。
「香織。私、先にメイク直しちゃうね」
「あー。そろそろ時間だね」
雪穂は立ち上がり、服についた埃を軽く払った。
「……アタシらにしかできない演奏、見せつけてやろうぜ」
「そうだね」
二人は拳を合わせ、笑い合う。
「智子! 匠海と聡、頼んだよ!!」
「おけ〜。アタシたちも後で行く〜」
雪穂は一度だけ香織を振り返り、そのまま屋内へ戻っていった。
時刻は間もなく、午後一時四十五分。
二時から、午後の部が始まる。
もう、一人だけの戦いではない。
美羽も。
雪穂も。
智子も。
菫も。
ここまで一緒に歩いてきた。
香織は深く息を吸い、目を閉じる。
——絶対に、負けない。
そう胸の中で呟いた、そのときだった。
ふと、香織の脳裏に一人の姿が浮かんだ。
只ならぬ雰囲気で楽屋を飛び出していった菫。
昼休みの喧騒から少し離れた場所。
別室にいるはずの彼女は、今どうしているのだろう。
香織は、わずかに眉を寄せた。
——大丈夫かな。
ご覧いただきありがとうございます
久しぶりの香織サイド。
何気に智子が一番執筆が進むかもですね。
さぁさぁ、次回はどうなる?
昼休み編も後半へ突入します。お楽しみに!
夜留タクト




