第三十五話 白田家の音②
〜前回のあらすじ〜
竹島は茂則との過去を語りだす。
荒れていた青春時代。
竹島も早くに父を亡くし、その影響から心を閉ざしてしまった。
そんな彼を変えたのは、茂則だった。
誰よりも本気で叱ってくれ、
誰よりも本気で向き合ってくれた。
音楽との出会いをくれたのも彼だった。
白田家と過ごすうちに少しずつ家族とも打ち解けていった竹島。やがて白田を交えた茂則との奇妙なレッスンが始まった。
それが、白田真介と竹島源馬。
二人の音楽の原点だった。
竹島の語る白田家のエピソードに、隆志たちはすっかり聞き入っていた。
「……お茶目な人だったけど、誰よりも熱心だったなぁ」
竹島はレモンティーをストローでかき混ぜ直し、空へ向かって長い息を吐いた。
西側に佇むスカイツリーの姿が、不思議と心地良い。
竹島は高校卒業後、一年間の浪人を経て大学へ進学。
そこで教員免許を取得した。
少しでも茂則に近づくために音楽活動を続けながら、非常勤講師として教壇にも立っていたという。
その話を聞きながら、白田はテーブルに浮いた水滴を布巾で拭き取っていく。
陽菜も。
麻未も。
好恵も。
貴子も。
隆志も。
誰もが言葉を失い、白田を見つめていた。
もし、竹島と茂則が出会っていなければ。
もし、竹島が貴子に真実を伝えようとしていなければ。
もし、白田があのスタジオにいなければ。
もし、それぞれを繋ぎ止めてくれたものがなかったとしたら。
今、自分たちはここにいられたのだろうか。
隆志は、そんなことを考えていた。
「……竹島さんも、早くにお父さんを」
好恵が竜之介におしぼりを渡しながら、言葉を探すように呟いた。
「うん。だから、先生の訃報を聞いたときは、昔を思い出したよ」
竹島は静かに頷いた。
茂則は昨年、不慮の事故によって突然この世を去った。
五月初旬。
ゴールデンウィーク明けに控えていた校外学習の資料をまとめ終え、その帰り道。
飲酒運転のうえ信号を無視した車にはねられ、そのまま帰らぬ人となった。
あまりにも、呆気ない死だった。
まだまだ話したいことがあった。
もっと見ていてほしいものも、たくさんあった。
鬱陶しいと思っていた、休日に行われる洋楽での特別授業だって、本当は心の底から楽しみにしていた。
照れ臭くて言えなかった感謝も。
伝えられなかった気持ちも。
もう、どこにも行き場がない。
幼い弟たちも残されている。
家族を支えなければならない。
取り乱していても仕方がない。
そんなことは、真介自身もわかっていた。
わかっていても——。
父親を失った現実は、あまりにも重たかった。
「……あのときの兄さん。すげー怖かった」
冬磨はサラダを口にしながら、誰に聞かせるでもなく呟いた。
まるで食レポでもするような淡々とした口調。
それでも、その言葉には当時の記憶が滲んでいた。
「冬磨も、珍しく意見してたよね」
麻未も当時を懐かしむように、そっと空を見上げる。
茂則が亡くなった直後。
真介は、精神的に不安定な日々を過ごしていた。
人に当たり、学校にも行かず。
麻未や弟たちと話すときでさえ落ち着かず、何かにつけて悪態をついていた。
そんな兄の態度に、冬磨が憤った。
普段は物静かな弟が、初めて兄に食ってかかったのだ。
それがきっかけで、一度だけ取っ組み合いになるほどの大喧嘩になり、そのまましばらくは、お互いに口も利かない日々が続いた。
それでも——。
時間が経つにつれて、少しずつ会話を取り戻していった。
今では、こうして食卓を囲みながら、当時のことを笑い話にできる。
一年三ヶ月が経った今でも、茂則という人間が大きさを実感してしまう。
家族にとっても。
教え子にとっても。
もうそんなに経ったのか。
それともまだ、それだけしか経っていないのか。
誰にも、その答えはわからなかった。
陽菜は何かを言いたそうに、麻未や真介の表情を見つめている。
「……そんな真介くんも、立派にベーシストしててさ。
君たちのおかげだよ。本当に、ありがとう」
竹島は真っ直ぐ、隆志たちを見つめた。
自分では届かなかった心の傷が塞いでくれた恩人だと、四人を評した。
「…陽菜ちゃんも、ありがとね。
お母さんから聞いたよ。真介くんのこと、説得してくれたんだって?」
「…いえ。説得なんて、そんな大それたことじゃ…」
陽菜は顔を赤らめ、慌ててグラスを口元へ当てた。
「…そういえばさ、あの後の話、まだ聞けてないんだよね」
智子に連れられて行ったラーメン屋の帰り道で、白田と陽菜は何を話したのか。
南は白田へ、さりげなく話を振ってみた。
「言わねぇよバカ!!」
白田は子どものように反発し、キーマカレーのスプーンを勢いよく走らせた。
「じゃあ陽菜ちゃんに聞こ〜」
「やめろ! 聞かれても絶対余計なこと言うんじゃねぇぞ」
いつもの言い合いを、一同は感慨深く見つめている。
悠三と竜之介だけは意味がわからず、首を傾けた。
「げんちゃん!キャッチボール!!」
「おお!いいね!!」
悠三は竹島の手を引き、テラス席付近の広間へと連れていく。
「みーたんもやろー!!」
「え?私も!?」
竜之介も立ち上がり、南を呼び寄せる。
「じゃあいくよ〜!」
悠三はカバンから取り出したゴムボールを、勢いよく竹島へと投げつけた。
綺麗な帆を描き、ワンバウンドした後、竹島の右手へと吸い込まれていった。
「悠三。投げるの上手くなったね!」
「次はリュウの番ね」
竹島は竜之介へ優しくボールを投げた。
シュッ。
竜之介の構える両手へ、ゆっくりとダイブした。
「やったぁ!!」
はしゃぐ竜之介は、飛び跳ねながら南へ喜びの感情を大胆に渡した。
「待って!ここ太陽で何も見えないじゃん!!」
慌てる様子に、貴子と陽菜は吹き出す。
そのボールは、南のおでこへ直撃した。
突然鳴った華奢な音に、竜之介たちは大爆笑。
「笑うなー!!」
南も二人に合わせて大袈裟にリアクションを取ってから、悠三へボールを投げた。
悠三はそれをすぐさま竹島ではなく、南を狙うように投げ返した。
「やったわねぇ!!!」
すっかり南に懐いている弟たちに、白田は安堵の息を吐いた。
「いい家族だな」
「……うるせぇだけだよ」
白田はキーマカレーをもう一口パクリ。
茂則と出かけたとき、入ったお店のメニューにあれば、必ず頼んでいた一品。
子どもの頃、一口だけもらった味によく似ていた。
賑やかに遊ぶ悠三と竜之介。
その無邪気な笑い声が、長男としての責任を、バンドへの覚悟を再認識させてくれる。
——親父の分まで、売れてやる。
白田は目を閉じ、記憶の中で笑う茂則へ笑いかけた。
「…親父さん。武道館に連れていこうな」
ふと、正面に座る隆志が、自分の心境と同じことを言ってきた。いつもより真剣なその眼差しに、白田はドキッとした。
その隣に座る貴子も、信頼の視線を向けている。
二人の眼差しが、どこか茂則を思わせた。
「……まだ午後の部残ってんだろ」
白田は照れ隠しか、コンテストの緊張感を呼び覚ましていく。
珍しい慎重な口調に、隆志は声を出して笑った。
「真介にしては、弱腰じゃねぇか」
「黙ってろ!!」
楽しさが含まれているツッコミが、テラス内に響き渡る。
「…つーかお前はいいのかよ」
今度は白田が、隆志へ問いかける。
「お前の幼馴染みと澤森、未だにバトってんだろ?」
「…お前は、このコンテストが終わったらどうすんだ?」
「どうって…」
隆志は言葉を濁した。
一口水を飲み、空を見上げる。
スカイツリーの影から、茂則の声が聞こえてくるような気がした。
仲間の背負う思い。
これまでの柵。
かつて一緒にいた仲間は、違うメンバーとステージへ上がる。
午後の部で、香織や菫たちはどんな音を鳴らすのか。
どんな猛者たちが控えているのか。
その先に待ち受ける、今日の結末。
誰が勝者になったとしても、きっと俺は——。
隆志はその先に浮かんだ言葉を、そっと飲み込んだ。
「……そのときのことは、そのときだよ」
隆志は自分に言い聞かせるように呟いた。
「…あなたらしいわね」
貴子はふっと笑った。
二人が微笑み合う。
その様子を見守るように、太陽が照りつけていたギラギラと熱を帯びた中に、確かな真実が蒼く燃えているような感覚。
そのまま賑やかに、昼休みの時は流れていった。
ふと、好恵のスマホに一通のメッセージ。
兄の啓一からだった。
出番前、貴子に話があるようだと伝えたが、彼女は興味も示さなかった。
当然だ。あんな別れ方をしたのだから。
きっと、そんなことを告げられたことも忘れているのだろうか。
自分が貴子のバンドに加入したことも、快く思っていないかもしれない。
好恵は不安そうに、画面へ溜め息を吐いた。
暗くなった液晶に、自分の顔が映る。
輝かしい日々を壊したくない。
また、誰かが心を閉ざしてしまうかもしれない。
当人でもびっくりするほど、迷いが滲み出ていた。
——睨んだ通りだった。好恵も気をつけろ。
——なんとかして貴子に会わせてほしい。
——俺たちにも、関係ある話だったんだ。
立て続けに並ぶ文字列が、
晴れ渡る空に、静かに影を落としていった。
ご覧いただきありがとうございます。
茂則…なんで死んじゃったんだ……。
その設定にしたのお前だろ!
ってかんじですが、本当に惜しいですね…
次は、香織サイドに移ります。
お楽しみに!
夜留タクト




