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第二十九話 文化祭の音 前編

〜前回のあらすじ〜


智子の行きつけのラーメン屋に連れて来られた隆志たち。なかなか心を開かない白田だが、店主が亡くなった父親とマブダチだと知ると、白田は静かに記憶と向き合い始める。四人兄弟の長男でベースは父の肩身。

少しずつ打ち明け、貴子や南との距離も少しずつ縮まっていった。


翌日のスタジオに現れた白田は、"文化祭までの期限付き"で、ナギサノユラギに加入することになるのだが…。


♫♫♫



 ステージの熱気は、かつてないほど高まっていた。

 全国高校バンドコンテスト決勝。


 少し前まで、そんな舞台はテレビの向こう側の話だと思っていた。

 だが白田は、そのステージの真ん中でベースを鳴らしている。


 ……未だに実感なんて湧かない。


 気づけば最後の曲だった。

 自分が加入する前からあった曲。


 「まるっきり新しくしたいから、ベースは好きに弾いていい」


 そう笑って言われた。

 なら遠慮はいらない。

 気づけばこの曲のベースラインは、少しずつ彼のものになっていた。


 ラスサビ。

 白いスポットライトが、貴子だけを照らす。


 優雅で、それでいてどこか儚い歌声。

 その一音だけで、何千人もの視線を奪っていく。

 客席の弟たちも、きっと聴き惚れている。

 その歌を支えるように、バンドサウンドが一つになる。


 きっかけを作るのは、決まって南か好恵だった。

 鍵盤が流れを導き、ドラムが全員の呼吸を揃える。

 その土台があるからこそ、五人は迷わず前へ進める。


 ——あの日から。

 五人の音は、少しずつ変わっていった。



 南は人一倍音にうるさかった。

 ほんの僅かな狂いも見逃さない。

 演奏になれば、癪なくらい噛み合ってしまう。

 ここはもっと軽いから自分が軸だの、スラップの音がうるさいだの、やたらといちゃもんをつけてきた。

 人の気持ちもすぐに見抜いてしまい、好恵や貴子が考えてることも、本人より先に言ってしまう。当然自分に対しても同じだった。

 だがそれでも、ちゃんと気にかけてくれた優しい女。

 だからこそ、余計に腹が立つ。


 好恵のビートは申し分ない。吹奏楽の癖はまだ染みついているが、そんなことはどうでもよくなっていた。

 同じリズム隊として、自主練に付き合うことが多かった。その度に気づけばキツく当たっていた。

 南や隆志が止めに入ることも少なくなかったが、何を言われても顔色ひとつ変えず、黙って食いついてきた。その度に、もっと高いものを要求したくなってしまう。もし陽菜もドラムをやっていたら、こんな風に叩いていただろうか。

 白田は思わず弦を弾く指に、僅かに力を込めた。


 隆志は、とにかく扱いづらかった。

 思考は読めない。

 出す音はヒョロくて、バカ真面目で、自己主張の塊。

 そのくせたまに核心をついてくる。席が近いからか、学校でもいつも付き纏ってきてた。迷惑と思ったことも何度あっただろう。

 けれど気づけば、それが当たり前になっていた。


 そして、貴子は雰囲気も家柄も育ちも、何もかもが白田とは正反対。正直、南以上に一番苦手意識を持っていた。

 どうせ何不自由なく生きてきた人間だと思っていた。

 だが、前任のベースとのこと。

 歌い手だった過去。香織たちとの因縁。

 抱えていたものは、自分なんかよりずっと重かった。白田は世界の狭さを思い知る。

 苦労に家柄も年齢もない。妙に肝が座っていたのは、きっとトラウマを乗り越えようとしていたからだ。


 一番意外だったのは、

 父と親しかったあの人と、繋がっていたこと。


 ——彼女を支えてあげてほしい。

 ——もう同じことは起こらない、と知らしめてほしい。


 力を貸すのは文化祭まで、とあれだけ宣言したのに、

 そんなことを頼まれたら、やるしかないだろう。



 客席全体が、自分たちを見つめている。

 その奥の、陽菜の姿が目に留まる。


 笑っている。目を閉じて、胸の内に浸っている。

 あのときと同じ反応。それだけで充分だった。


 思えば初めて五人でステージに上がった文化祭も、

 こんな風に歓声が巻き起こっていた。



♫♫♫



 高校生活最初の文化祭。

 強い風が校舎の間を吹き抜ける、雲ひとつない秋晴れの日だった。

 開始早々、一般客はぞろぞろと校門を抜けてきた。


 準備期間はあっという間だった。

 クラスの飾り付けを終えれば、そのままスタジオへ向かう。次の日も、その次の日も同じ毎日。


 気づけば、文化祭当日を迎えていた。

 人混みが押し寄せてくる。

 その中に紛れて、南と美羽、智子と雪穂は、隆志や白田の教室に遊びに来た。


「いらっしゃいませ。ご主人様」


 一組はメイド喫茶だった。

 女子たちの挨拶が次々飛んでくる。


 澤森財閥のオーダーメイドの衣装は、予想以上に本格的だった。白い布が生きているかのように蛍光灯を反射していた。作ると粋がっていた女子たちも呆気に取られていたが、ビーズや細かな模様の刺繍に拘れると笑いながら縫い合わせていた。


「可愛いね〜」


 智子はスマホで写真を撮り続け、美羽と南は生地を触ったり、フリルを眺めたりして大はしゃぎしていた。

 雪穂はただ一人、装飾の配色を気にしながら、オムライスを食べている。


「ゆきゆき!今日弟たちはいないの?」

「……昼過ぎにお母さんと来るってさ。

 聡は隠キャだし、匠海は方向音痴だから、二人だけで来させられねぇよ」


 雪穂は家族の話になると、気怠そうだが自慢げな口調になる。


「ゆうっぺはお姉さん来ないの?

「インターンと被っちゃったみたい」

「智子のお兄さんは、今日もトレーニング?」

「そう!楽しめよってさっきLINEきた〜」

「ウチの妹は友達と遊びに行っちゃったよ〜。マジぴえん」

「はいはい」


 他愛もない会話が弾む。

 それぞれ別バンドなのだが、この四人だけは何気に繋がっている。


「ってか美羽。リップ落ちてない?」

「え!?……マジじゃん!ありがとう!ゆきゆき〜!」

「…クソダサいあだ名やめろって」


 美羽は手鏡を見つめながら、大袈裟に自分の顔を覗き込んでいる。

 南もそっと入り込んで、互いの顔を採点し始めた。


 そのまま、くだらない女子トークが飛び交う。


 その最中——


「…どうかしら?隆志くん」


 貴子が廊下で受付をしている隆志に、自慢のメイド服を見せつける。

 その華奢な雰囲気に、隆志は頬を赤らめる。

 クラスの女子たちも、次々と釘付けになっていく。


「お嬢様ー!アタシとも写真撮ってー!」

「きーちゃんマジ綺麗!!ウチも撮りたい」


 美羽と智子も、貴子の衣装に吸い寄せられた。

 しきりに連写した後、美羽は布生地の匂いを嗅いでは、頬を擦り付けている。


 雪穂は座ったまま貴子を睨みながらも、胸元のレースと袖口の刺繍へ視線が止まる。


「……そのフリル、手縫いか」


 小さく呟いてから、慌てて目を逸らした。

 緑色の右手のネイルが、キラリと揺れる。


「…配色は、カンペキ」


 悔しそうに口元を尖らせる。

 その様子を横目に、南は小さくため息をつく。


 一方——。

 香織と菫は廊下を横切るだけで、中には入ろうとしなかった。


「ねぇ。これ超上手くない?」

「ほんそれ!作った奴マジ天才!」


 智子と美羽は、特製パスタの味に食いつく。

 南もサンドイッチを頬張りながら、それとなく会話に混ざる。するとそこへ、


「真介!お前らの料理めっちゃ評判いいぞ!」


 隆志がシフトから戻ってきた白田と、その数人へ声をかける。


「もう注文止まらないよ」

「食材、このペースで足りるかな……」

「ありがとね!白田くん」


 こんな風にクラスメイトと笑っている白田を見るのは、皆初めてだった。その異常な空気に、南はわざとらしく顔を顰める。


「…へー。白田って料理できるんだ」


 雪穂は感心して白田を向く。

 弟たちの面倒を見る中で、雪穂も料理は自然と覚えた。

 近しい境遇である雪穂は、小さな対抗心を燃やした。


「白田くんがいてくれて、大賑わいですわ」


 貴子も目を丸くして、人気への一番の功労者を褒め称える。その輝きが、陽菜に似ていた。


「…食材切らさねえようにしろよ」


 そう言って白田は控え室に消え、自分の鞄から水筒を取り出す。


 人呼吸ついたところで、思わぬ相談が入った。

 接客の女子を休憩に回すため、白田もメイド服を着てほしいというのだ。


 白田は顔を赤らめ、子どもみたいに声をあげる。


「ゼッテー無理だ!ふざけるな!!

 大体そうならねぇように、シフト組めやコラァ!」

「まぁまぁ真介!俺もいるし、心配すんなよ」

「テメェゼッテー楽しんでるだろ!!」


 いつもの調子に、南たちは揃って大声で笑う。

 クラスメイトたちも、そのやり取りを微笑ましく見守っている。


 そのまま白田は試着室へと連れて行かれる。

 カーテン越しからも、白田は口数を絶やさなかった。


「リボンとかいらねぇだろ!」

「スカート短ぇ!!」

「テメェ何つけてんだコラァ!!」


 愉快な言い合いを繰り返し、女装した白田が現れる。

 何故か猫耳と尻尾もついている。

 その似合わなさに、クラス中が笑いの渦に包まれる。


「ハハハハハハハハ!最高かよ白田!」

「猫耳はマジでナイス!!」

「せっかくだからメイクもしてみる?」


 雪穂がメイクポーチを開き、チークスポンジを指に嵌める。


「おい!やめろコラ!!」

「はいはい。動かない」


 暴れる白田を智子は軽々と押さえつける。


「……骨格、悪くないじゃん」


 白田の顔の配分を見つめながら、ファンデーションを付け、アイシャドウペンシルを握る。


「…動くな。手元が狂う」

「だから頼んでねえ——」


 白田の抵抗にも智子は表情一つ変えずに、笑ったまま口元を塞ぐ。

 その仕草に、隆志も肝を冷やした。


「…こんなかんじかな」


 雪穂は手を止め、鏡を向ける。

 その瞬間、白田は顔から火が出そうな勢いで智子を振り払った。


「おい!何してくれてんだよ!!」

「サマになってるじゃん!」

「さすがゆきゆき!マジセンス抜群!!」


 智子と美羽は、雪穂の手際の良さを褒め称える。

 南は何かを企むように、口元を緩めた。


「マジ眼福〜!!こっち向いて!しんしん!」

「誰がパンダだ!!!」


 隆志も合わせて着ているが、白田の強烈なインパクトに持って行かれた。

 何も言われずたじろいでいる隆志へ、


「……似合わないわね」


 貴子がさりげなくフォローする。


「…そりゃそうだろ」


 照れくさそうに顔を逸らすが、不思議と嫌な気持ちはない。

 その雰囲気に、美羽はどこか複雑な表情を向けた。

 笑ってはいる。それでも、胸の奥が少しだけざわついていた。


「白田!それで宣伝行って来てくれ」

「は!?ふざけんなよ」

「お願い!私たちも行くから!!

そういう問題じゃねぇ!!」


 白田はそのまま、クラスメイト数名に廊下へと引き摺られていく。


「お前ら全員…」


「表出やがれ〜!!」


 白田の赤面した叫びが、校内中へ響き渡った。



♫♫♫



 二組の教室には、輪投げのレーンや磁石のダーツの的が仕切りいっぱいに並んでいた。

 出し物は縁日。教室の中央には、何故かジェンガまで置かれている。そのおかげか、一番盛り上がっているのは射的でも輪投げでもなく、ジェンガだった。


「うわぁ……今にもマジ倒れそう」


 プレイヤーは六人。

 隆志、貴子、美羽、南。そして二組から智子と真島という男子生徒。


 美羽の番が回ってきたが、塔が崩れるのも時間の問題だろう。

 隆志は昔を思い出しながら、美羽を横目にしていた。

 貴子は初めてやる遊びなのか、前傾姿勢になって興味津々で見守っている。


 白田は気怠そうに教室の隅で腕を組み、窓の外を眺めていた。

 受付に立つ雪穂も、法被のデザインが気に入らないのか、不満げな表情で襟元を整えている。


 ゆっくりと一本を抜いた瞬間——


 ガララン。

 華奢な音を立て、塔はあっけなく崩れ落ちた。


「美羽また負けてる〜」

「おみくじの参加無料券、もう無くなっちゃったね」

「貴子にあれだけ得意げにルール説明してたのにな」


 隆志がモノマネを交えながら茶化す。

 貴子も上品に笑い、小さく頬を赤らめた。


「なかなかスリルがありますわね。

 パーティーにもぴったりの催し物ですわ」

「お嬢様に気に入ってもらえて嬉しいよ!」


 智子はジェンガを積み直しながら、得意げにVサインを決める。

 一方、真島はすぐに受付へ戻り、次のグループを案内し始めた。


「ともっち!もう一回!!」

「次の方いますので、ごめんなさい!」


 美羽は頬を膨らませたまま、南や貴子に引っ張られていく。


「ってか白田はやんなくていいの?」

「……ガキっぽい遊び、誰がやるかよ。

 大体、なんで縁日なのにジェンガなんだよ」

「えー?気分!!」


 次の案内を終えた智子が、ドヤ顔で胸を張る。

 雪穂は景品を補充しながら、小さくため息をついた。

 大きさではなく、色味が揃うように並べ替えていく。


「白田もせっかく来たならやろうよ!」

「お前らが無理矢理連れて来たんだろうが!」


 いつもの言い合い。

 客対応を終えた雪穂は、そっと隆志を手招きした。


「……ねぇ。南ちゃんって、絶対アイツのこと好きだよね?」

「……どうだかな」


 相変わらず鈍い返事に、雪穂は呆れたようにもう一度ため息を吐いた。


「白田!やるよ!」


 南は、やる気のない不良少年を射的コーナーへ引っ張っていく。


 なんだかんだ文句を言いながらも付き合ってくれる。

 その様子に、貴子と美羽は思わず口元を緩める。

 隆志と雪穂も、それとなく二人を見守っていた。


「……一回だけだぞ」


 ——パン。


 コルクの弾が軽快な音を鳴らす。


 一番大きなお菓子の詰め合わせが、見事に倒れた。


 一瞬、教室が静まり返る。


「え」


「すご……」


「マジかよ」


 白田は眉をひそめながら景品を受け取ると、そのまま南へ押し付けた。


「……いらねぇ」

「……私、あれ気になってたんだよねー」


 南は、その下に並ぶアニメキャラクターのスケッチブックを指差した。


「……だったら頑張れ」


 白田は射的銃を優しく手渡し、その場を離れようとする。


 その瞬間。

 南が、そっと彼の手を掴んだ。


「ねぇ。次も取ってくれる?」


 いつもより少しだけ甘えた声。

 白田は一瞬だけ目を見開く。

 だがすぐに顔を逸らし、


「……一回だけって言ったろうが!」


 と、ぶっきらぼうに返した。


「なんでよ!やってくれてもいいじゃん!!」


「お前話聞いてんのかよ。

 大体あんなのネットでも買えるだろうが」

「私は今欲しいの」

「知らねーよ。

 つーか約束ぐらい守れや。虚言ツインテール」

「はぁ!?アンタこそ、本当は嬉しいくせに冷めたフリしてんじゃないわよ!!ファザコンピアス!」

「テメェぶっ飛ばすぞ!!」


 既視感のある漫才が、校内の喧騒へ溶けていく。


 二人の言い合いをかき消すように、輪投げの歓声やジェンガの崩れる音が、教室中へ賑やかに響き渡っていた。



♫♫♫



 南と美羽の待つ三組へ向かおうとした、そのときだった。


 白田のスマホが短く震える。


「……悪い。弟たちが来たみたいだから、迎えに行く」

「そうか。じゃあここからは別行動か?」

「ああ。俺も、もう少ししたらクラスのシフトだしな」


 隆志たちも、そろそろ持ち場へ戻る時間が近づいていた。


「そうしましたら、私たちも行かないといけませんね」

「お前らはまだ時間あるだろ」


 白田は少しだけ足を止め、


「……そのまま楽しんでこい」


 ぶっきらぼうに言い残し、そのまま人混みへ紛れていった。


「……アイツって意外と真面目だよね」


 雪穂が感心したように呟く。


「素直になればいいのに」


 智子はどこか誇らしげに笑った。


 四人は、それぞれの反応で遠ざかる白田の背中を見送った。



♫♫♫



 三組の前には、大きな黒い幕が張られていた。

 中央には赤と白の文字で、大きく書かれている。


『スリラーハウス・オブ・ザ・デット』


 どこかで怒られそうな絶妙な名前が、かえって恐怖を煽っていた。


 南が乗り気なのはわかる。

 だが、美羽までこんな出し物に積極的なのは少し意外だった。

 幼い頃、雷が鳴るたび香織へ泣きついていた少女は、もうどこにもいない。


「ってかさ、三組って武田もいるけど、智子いいの?」

「なんで?」


 智子は首を傾げる。


「アタシはもうどうでもいいもん」


 武田というのは、智子がつい最近まで付き合っていたバスケ部の男子だった。

 一学期の体育で智子の運動神経を知り、自主練に付き合ううち、そのまま交際へと発展した。


 だが次第に実力差を痛感し、


「女子よりも劣っている自分が嫌だ」


 そう一方的に別れを切り出されたらしい。


「もちろん速攻でOKしたよ?」


 智子は笑顔で続ける。


「そのあと腹パンと回し蹴りは入れといたけど」


 さらっと恐ろしいことを言う智子に、その場の全員が苦笑した。廊下に取り付けられた扇風機が、背筋をひやりと撫でていく。


 お化け屋敷は、二人一組で入ることになっていた。


 雪穂と智子。

 隆志と貴子。


 特に理由はなく、並び順のままの組み合わせだった。


 大きな暗幕をくぐると、床には赤や青のペンキが飛び散り、突起のある壁が視界を大きく遮っている。ところどころに凹凸のある足場まで用意されており、思っていた以上に本格的だった。

 ゾンビ映画がモチーフなのか、脅かしてくる生徒たちも皆それらしい動きをしている。


 館内は静まり返っていた。

 時折、金属音やホラーゲームの効果音だけが響き、誰かの足音さえ不気味に耳へ残る。


 最初に入ったのは雪穂と智子だった。

 雪穂は二の腕をさすりながら、おっかなびっくり足を進める。

 一方の智子は、そんな様子がおかしくて仕方ないと言わんばかりに笑いながら、スタスタと先へ歩いていく。


「……智子。早いって」

「何言ってんの? こんなんでビビってたら人生損だって!」


 雪穂は昔から肝試しだけはどうにも苦手だった。

 兄弟たちにも遺伝したのか、弟二人も同じらしい。


 そんな幼馴染みなどお構いなしに、智子はずんずん奥へ進んでいく。


「おい、置いてくなって!!」


 雪穂も震える足を必死に動かし、なんとか食らいついていく。


 途中からは、脅かしてくるお化け役へ逆に驚かし返しに行くほど、智子はすっかり別の楽しみ方をしていた。


「ってか、美羽たち全然出てこないね」

「……智子が早すぎて、出遅れたんじゃね?」

「ありえるー!」

「……それより、意外と長いなここ」

「スリルあっていいじゃん〜」


 智子は心霊番組のテーマソングを口笛で吹き始める。

 その大胆な振る舞いに、雪穂は別の意味で肝を冷やした。


 迷路も終盤に差しかかった頃。

 物陰から、ゾンビ役の男子生徒が飛び出した。


「ひゃっ!!」


 雪穂は思わず悲鳴を上げる。

 だが智子は微動だにせず、手にしたライトを相手へ向けた。

 照らし出された顔を見て、智子が小さく声を漏らす。


「あ」


 そこに立っていたのは、武田だった。

 武田も気まずそうに目を逸らす。


 だが智子は何も言わない。

 ただ、満面の笑みを浮かべたまま通り過ぎていく。


 去り際。


 口笛を吹いたまま、智子はゾンビの足へスニーカーをゆっくり乗せた。


 ぐりっ。


「っっっっ!!?」


 鈍い痛みが素足を襲い、武田はその場へ崩れ落ちる。

 雪穂はその様子に、さっきまでの恐怖などすっかり忘れ、慌てて智子の隣へ並んだ。


 武田の情けない悲鳴だけが、静まり返った恐怖の館を震わせた。



♫♫♫



「……今の悲鳴かしら……?」

「……そうだな」


 生まれて初めてのお化け屋敷に、貴子は小さく肩を震わせる。

 隆志もつられるように息を吐き、ライトで足元を照らしながら慎重に歩みを進めた。


「……黒淵さんと長野さん、もう随分先へ行ってしまいましたね」

「智子のやつ、こういうの全然怖がらなそうだからな」


 周囲を警戒しながら角を曲がった、その瞬間。


 背後から二体のゾンビが飛び出した。


「きゃっ……!」


 貴子が小さく悲鳴を上げる。


 隆志は咄嗟に振り返り、貴子を庇うように肩を抱き寄せた。


 震える貴子の横顔が、不意に夏祭りの夜と重なる。


「……怖がりすぎだろ」


 苦笑しながらも、隆志は優しくその手を握った。


 その様子を見たゾンビ姿の南は、思わず小さく口元を緩める。


 一方、美羽だけはどこか複雑そうな表情で、寄り添う二人を見つめていた。


 南は怯える貴子へ向き直り、小さく右手を伸ばす。


「……出口、あっち」


 静かに進む方向を示すと、二人はその先へ歩き出した。


 貴子はまるで磁石に引き寄せられるように隆志の腕へ絡みつき、その肩へそっと身を寄せる。


 すっかりお似合いになった二人の後ろ姿を、南はどこか満足そうに見送った。


「……よし。大成功」


 誰にも聞こえないほど小さく呟く。

 その隣で、美羽が不満そうに唇を尖らせた。


「……ウチは、やっぱまだわかんない」


 南は首を傾げ、美羽の顔を覗き込む。


「……たかちーは、かおたんの隣にいてほしいんだけどな」


 幼い頃から見続けてきた二人。

 いつも隣にいた二人の間にできた溝を、美羽は誰よりも気にしていた。


 香織のバンドへ加入したのも、傷ついた香織を支えたい気持ちと、二人の仲をもう一度繋ぎたいという想いがあったからだ。


「……別に、付き合うことだけが幼馴染みじゃないでしょ」

「ゆうっぺだって応援してたじゃん!!」


 美羽は南の前へ回り込み、頬を膨らませる。


 ウィッグからはみ出した金色の髪が、暗闇の中でふわりと揺れた。


「……私にも、美羽みたいな気持ちがないわけじゃないんだよ」

「じゃあなんでよ!!」


 南は少しだけ困ったように笑うと、美羽の肩へそっと手を置く。


「本人たちの気持ちに、これ以上介入するべきじゃないよ」


 一拍置いて、優しく続けた。


「……それに、美羽だってあの場にいたでしょ?」


「香織だって、自分で選んだことなんじゃない?」


 美羽は何も返せず、小さく視線を落とす。

 南は微笑みながら、その手を軽く引いた。


「戻ろ。次のお客さん来ちゃうよ」

「……言われなくても行くし!」


 ぶっきらぼうに返しながらも、美羽は素直について歩く。二人が持ち場へ戻ろうとした、そのとき。


「ってか美羽。つぶきちたちの動画見過ぎ」

「えー!マジ癒やしなんだからいいじゃん!」

「私たち仕事中よ」

「盛れてるか確認するくらいいいでしょ!」

「ダメ」


 さっきまでの重たい空気が嘘だったかのように、二人はいつもの調子で言い合いを始める。

 お化け屋敷には似つかわしくないそのやり取りだけが、暗闇の中へ明るく溶けていった。



♫♫♫



 暗闇の中を、二人はゆっくりと歩いていく。

 道は合っているのだろうか。

 足音と呼吸だけが、静寂をより濃くしていた。


 さっきまで激しく怯えていた貴子も、ようやく落ち着きを取り戻し始めていた。


「……やっと、目が慣れてきましたわ」


 隆志の腕へ絡んでいた指先から、少しずつ力が抜けていく。


 その変化に安堵しながらも、どこか名残惜しさを覚え、隆志は小さく唾を飲み込んだ。


 もう終盤なのだろうか。

 赤や青のペンキはさらに派手になり、壁一面を覆うビニールシートが不気味に揺れている。


 脅かし役の生徒の姿は、いつの間にか見えなくなっていた。どうやらここから先は、演出だけで恐怖を煽るらしい。


 天井からは動物の骨や蝙蝠の模型が吊るされ、段ボールで組まれた迷路の壁が左右から迫ってくる。


 その下には人一人が屈んで通れるほどの穴が開いていた。二人は身体を低くして潜り抜ける。


 先には少し開けた空間。

 そして、その奥へ一本の細い通路が続いていた。


 隆志がライトを向ける。

 暗闇の中へ浮かび上がったのは、


 『もうすぐゴールだよ!!』

 どこか見慣れた丸文字の貼り紙だった。

 あまりにも現実味のあるその一枚が、出口の存在を力強く主張している。


「……もう少しだな」


 隆志はそう呟き、貴子の手をそっと引いた。


 細い通路の両壁には毛むくじゃらの布が貼られている。歩くたび、それが二人の腕をくすぐるように撫で、不気味な感触だけが肌へ残った。


 だが、その道は思っていたより短かった。

 最後の部屋へ足を踏み入れた、その瞬間——


「うおぉぉぉぉっ!!」


 怒鳴り声とともに、人影が目の前へ飛び出した。


 黒いマント。

 手にはチェーンソーを模した大道具。


 最後の脅かし役だった。


「うわっ!!」

「きゃあっ!!」


 二人は同時に悲鳴を上げ、その場へ尻餅をつく。

 その反応がよほど面白かったのか、ジェイソン姿の男子生徒は腹を抱えて笑い出した。


 その笑い声を聞いた瞬間だった。

 貴子の顔から、みるみる血の気が引いていく。


「隆志じゃねぇか!俺だよ!ビビったか!!」


 その声。


 合宿の空気を壊した張本人。

 夏祭りの一件の引き金。


 そして——

 ナギサノユラギの前任ベーシスト。


 直居啓一。


 彼はまだ、その隣で震えている貴子の存在には気づいていなかった。

ご覧くださりありがとうございます。

文化祭!たまらんですな!!


日常回ほどたくさん描きたくなってしまうのです笑

ようやくメインキャラが全員少しずつ描写されていきましたね!

自分でも思った以上に長くなってますが、第一部もあとわずか!!

今後ともよろしくお願いします!!


では次回もお楽しみに


夜留タクト

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