第二十九話 文化祭の音 前編
〜前回のあらすじ〜
智子の行きつけのラーメン屋に連れて来られた隆志たち。なかなか心を開かない白田だが、店主が亡くなった父親とマブダチだと知ると、白田は静かに記憶と向き合い始める。四人兄弟の長男でベースは父の肩身。
少しずつ打ち明け、貴子や南との距離も少しずつ縮まっていった。
翌日のスタジオに現れた白田は、"文化祭までの期限付き"で、ナギサノユラギに加入することになるのだが…。
♫♫♫
ステージの熱気は、かつてないほど高まっていた。
全国高校バンドコンテスト決勝。
少し前まで、そんな舞台はテレビの向こう側の話だと思っていた。
だが白田は、そのステージの真ん中でベースを鳴らしている。
……未だに実感なんて湧かない。
気づけば最後の曲だった。
自分が加入する前からあった曲。
「まるっきり新しくしたいから、ベースは好きに弾いていい」
そう笑って言われた。
なら遠慮はいらない。
気づけばこの曲のベースラインは、少しずつ彼のものになっていた。
ラスサビ。
白いスポットライトが、貴子だけを照らす。
優雅で、それでいてどこか儚い歌声。
その一音だけで、何千人もの視線を奪っていく。
客席の弟たちも、きっと聴き惚れている。
その歌を支えるように、バンドサウンドが一つになる。
きっかけを作るのは、決まって南か好恵だった。
鍵盤が流れを導き、ドラムが全員の呼吸を揃える。
その土台があるからこそ、五人は迷わず前へ進める。
——あの日から。
五人の音は、少しずつ変わっていった。
南は人一倍音にうるさかった。
ほんの僅かな狂いも見逃さない。
演奏になれば、癪なくらい噛み合ってしまう。
ここはもっと軽いから自分が軸だの、スラップの音がうるさいだの、やたらといちゃもんをつけてきた。
人の気持ちもすぐに見抜いてしまい、好恵や貴子が考えてることも、本人より先に言ってしまう。当然自分に対しても同じだった。
だがそれでも、ちゃんと気にかけてくれた優しい女。
だからこそ、余計に腹が立つ。
好恵のビートは申し分ない。吹奏楽の癖はまだ染みついているが、そんなことはどうでもよくなっていた。
同じリズム隊として、自主練に付き合うことが多かった。その度に気づけばキツく当たっていた。
南や隆志が止めに入ることも少なくなかったが、何を言われても顔色ひとつ変えず、黙って食いついてきた。その度に、もっと高いものを要求したくなってしまう。もし陽菜もドラムをやっていたら、こんな風に叩いていただろうか。
白田は思わず弦を弾く指に、僅かに力を込めた。
隆志は、とにかく扱いづらかった。
思考は読めない。
出す音はヒョロくて、バカ真面目で、自己主張の塊。
そのくせたまに核心をついてくる。席が近いからか、学校でもいつも付き纏ってきてた。迷惑と思ったことも何度あっただろう。
けれど気づけば、それが当たり前になっていた。
そして、貴子は雰囲気も家柄も育ちも、何もかもが白田とは正反対。正直、南以上に一番苦手意識を持っていた。
どうせ何不自由なく生きてきた人間だと思っていた。
だが、前任のベースとのこと。
歌い手だった過去。香織たちとの因縁。
抱えていたものは、自分なんかよりずっと重かった。白田は世界の狭さを思い知る。
苦労に家柄も年齢もない。妙に肝が座っていたのは、きっとトラウマを乗り越えようとしていたからだ。
一番意外だったのは、
父と親しかったあの人と、繋がっていたこと。
——彼女を支えてあげてほしい。
——もう同じことは起こらない、と知らしめてほしい。
力を貸すのは文化祭まで、とあれだけ宣言したのに、
そんなことを頼まれたら、やるしかないだろう。
客席全体が、自分たちを見つめている。
その奥の、陽菜の姿が目に留まる。
笑っている。目を閉じて、胸の内に浸っている。
あのときと同じ反応。それだけで充分だった。
思えば初めて五人でステージに上がった文化祭も、
こんな風に歓声が巻き起こっていた。
♫♫♫
高校生活最初の文化祭。
強い風が校舎の間を吹き抜ける、雲ひとつない秋晴れの日だった。
開始早々、一般客はぞろぞろと校門を抜けてきた。
準備期間はあっという間だった。
クラスの飾り付けを終えれば、そのままスタジオへ向かう。次の日も、その次の日も同じ毎日。
気づけば、文化祭当日を迎えていた。
人混みが押し寄せてくる。
その中に紛れて、南と美羽、智子と雪穂は、隆志や白田の教室に遊びに来た。
「いらっしゃいませ。ご主人様」
一組はメイド喫茶だった。
女子たちの挨拶が次々飛んでくる。
澤森財閥のオーダーメイドの衣装は、予想以上に本格的だった。白い布が生きているかのように蛍光灯を反射していた。作ると粋がっていた女子たちも呆気に取られていたが、ビーズや細かな模様の刺繍に拘れると笑いながら縫い合わせていた。
「可愛いね〜」
智子はスマホで写真を撮り続け、美羽と南は生地を触ったり、フリルを眺めたりして大はしゃぎしていた。
雪穂はただ一人、装飾の配色を気にしながら、オムライスを食べている。
「ゆきゆき!今日弟たちはいないの?」
「……昼過ぎにお母さんと来るってさ。
聡は隠キャだし、匠海は方向音痴だから、二人だけで来させられねぇよ」
雪穂は家族の話になると、気怠そうだが自慢げな口調になる。
「ゆうっぺはお姉さん来ないの?
「インターンと被っちゃったみたい」
「智子のお兄さんは、今日もトレーニング?」
「そう!楽しめよってさっきLINEきた〜」
「ウチの妹は友達と遊びに行っちゃったよ〜。マジぴえん」
「はいはい」
他愛もない会話が弾む。
それぞれ別バンドなのだが、この四人だけは何気に繋がっている。
「ってか美羽。リップ落ちてない?」
「え!?……マジじゃん!ありがとう!ゆきゆき〜!」
「…クソダサいあだ名やめろって」
美羽は手鏡を見つめながら、大袈裟に自分の顔を覗き込んでいる。
南もそっと入り込んで、互いの顔を採点し始めた。
そのまま、くだらない女子トークが飛び交う。
その最中——
「…どうかしら?隆志くん」
貴子が廊下で受付をしている隆志に、自慢のメイド服を見せつける。
その華奢な雰囲気に、隆志は頬を赤らめる。
クラスの女子たちも、次々と釘付けになっていく。
「お嬢様ー!アタシとも写真撮ってー!」
「きーちゃんマジ綺麗!!ウチも撮りたい」
美羽と智子も、貴子の衣装に吸い寄せられた。
しきりに連写した後、美羽は布生地の匂いを嗅いでは、頬を擦り付けている。
雪穂は座ったまま貴子を睨みながらも、胸元のレースと袖口の刺繍へ視線が止まる。
「……そのフリル、手縫いか」
小さく呟いてから、慌てて目を逸らした。
緑色の右手のネイルが、キラリと揺れる。
「…配色は、カンペキ」
悔しそうに口元を尖らせる。
その様子を横目に、南は小さくため息をつく。
一方——。
香織と菫は廊下を横切るだけで、中には入ろうとしなかった。
「ねぇ。これ超上手くない?」
「ほんそれ!作った奴マジ天才!」
智子と美羽は、特製パスタの味に食いつく。
南もサンドイッチを頬張りながら、それとなく会話に混ざる。するとそこへ、
「真介!お前らの料理めっちゃ評判いいぞ!」
隆志がシフトから戻ってきた白田と、その数人へ声をかける。
「もう注文止まらないよ」
「食材、このペースで足りるかな……」
「ありがとね!白田くん」
こんな風にクラスメイトと笑っている白田を見るのは、皆初めてだった。その異常な空気に、南はわざとらしく顔を顰める。
「…へー。白田って料理できるんだ」
雪穂は感心して白田を向く。
弟たちの面倒を見る中で、雪穂も料理は自然と覚えた。
近しい境遇である雪穂は、小さな対抗心を燃やした。
「白田くんがいてくれて、大賑わいですわ」
貴子も目を丸くして、人気への一番の功労者を褒め称える。その輝きが、陽菜に似ていた。
「…食材切らさねえようにしろよ」
そう言って白田は控え室に消え、自分の鞄から水筒を取り出す。
人呼吸ついたところで、思わぬ相談が入った。
接客の女子を休憩に回すため、白田もメイド服を着てほしいというのだ。
白田は顔を赤らめ、子どもみたいに声をあげる。
「ゼッテー無理だ!ふざけるな!!
大体そうならねぇように、シフト組めやコラァ!」
「まぁまぁ真介!俺もいるし、心配すんなよ」
「テメェゼッテー楽しんでるだろ!!」
いつもの調子に、南たちは揃って大声で笑う。
クラスメイトたちも、そのやり取りを微笑ましく見守っている。
そのまま白田は試着室へと連れて行かれる。
カーテン越しからも、白田は口数を絶やさなかった。
「リボンとかいらねぇだろ!」
「スカート短ぇ!!」
「テメェ何つけてんだコラァ!!」
愉快な言い合いを繰り返し、女装した白田が現れる。
何故か猫耳と尻尾もついている。
その似合わなさに、クラス中が笑いの渦に包まれる。
「ハハハハハハハハ!最高かよ白田!」
「猫耳はマジでナイス!!」
「せっかくだからメイクもしてみる?」
雪穂がメイクポーチを開き、チークスポンジを指に嵌める。
「おい!やめろコラ!!」
「はいはい。動かない」
暴れる白田を智子は軽々と押さえつける。
「……骨格、悪くないじゃん」
白田の顔の配分を見つめながら、ファンデーションを付け、アイシャドウペンシルを握る。
「…動くな。手元が狂う」
「だから頼んでねえ——」
白田の抵抗にも智子は表情一つ変えずに、笑ったまま口元を塞ぐ。
その仕草に、隆志も肝を冷やした。
「…こんなかんじかな」
雪穂は手を止め、鏡を向ける。
その瞬間、白田は顔から火が出そうな勢いで智子を振り払った。
「おい!何してくれてんだよ!!」
「サマになってるじゃん!」
「さすがゆきゆき!マジセンス抜群!!」
智子と美羽は、雪穂の手際の良さを褒め称える。
南は何かを企むように、口元を緩めた。
「マジ眼福〜!!こっち向いて!しんしん!」
「誰がパンダだ!!!」
隆志も合わせて着ているが、白田の強烈なインパクトに持って行かれた。
何も言われずたじろいでいる隆志へ、
「……似合わないわね」
貴子がさりげなくフォローする。
「…そりゃそうだろ」
照れくさそうに顔を逸らすが、不思議と嫌な気持ちはない。
その雰囲気に、美羽はどこか複雑な表情を向けた。
笑ってはいる。それでも、胸の奥が少しだけざわついていた。
「白田!それで宣伝行って来てくれ」
「は!?ふざけんなよ」
「お願い!私たちも行くから!!
そういう問題じゃねぇ!!」
白田はそのまま、クラスメイト数名に廊下へと引き摺られていく。
「お前ら全員…」
「表出やがれ〜!!」
白田の赤面した叫びが、校内中へ響き渡った。
♫♫♫
二組の教室には、輪投げのレーンや磁石のダーツの的が仕切りいっぱいに並んでいた。
出し物は縁日。教室の中央には、何故かジェンガまで置かれている。そのおかげか、一番盛り上がっているのは射的でも輪投げでもなく、ジェンガだった。
「うわぁ……今にもマジ倒れそう」
プレイヤーは六人。
隆志、貴子、美羽、南。そして二組から智子と真島という男子生徒。
美羽の番が回ってきたが、塔が崩れるのも時間の問題だろう。
隆志は昔を思い出しながら、美羽を横目にしていた。
貴子は初めてやる遊びなのか、前傾姿勢になって興味津々で見守っている。
白田は気怠そうに教室の隅で腕を組み、窓の外を眺めていた。
受付に立つ雪穂も、法被のデザインが気に入らないのか、不満げな表情で襟元を整えている。
ゆっくりと一本を抜いた瞬間——
ガララン。
華奢な音を立て、塔はあっけなく崩れ落ちた。
「美羽また負けてる〜」
「おみくじの参加無料券、もう無くなっちゃったね」
「貴子にあれだけ得意げにルール説明してたのにな」
隆志がモノマネを交えながら茶化す。
貴子も上品に笑い、小さく頬を赤らめた。
「なかなかスリルがありますわね。
パーティーにもぴったりの催し物ですわ」
「お嬢様に気に入ってもらえて嬉しいよ!」
智子はジェンガを積み直しながら、得意げにVサインを決める。
一方、真島はすぐに受付へ戻り、次のグループを案内し始めた。
「ともっち!もう一回!!」
「次の方いますので、ごめんなさい!」
美羽は頬を膨らませたまま、南や貴子に引っ張られていく。
「ってか白田はやんなくていいの?」
「……ガキっぽい遊び、誰がやるかよ。
大体、なんで縁日なのにジェンガなんだよ」
「えー?気分!!」
次の案内を終えた智子が、ドヤ顔で胸を張る。
雪穂は景品を補充しながら、小さくため息をついた。
大きさではなく、色味が揃うように並べ替えていく。
「白田もせっかく来たならやろうよ!」
「お前らが無理矢理連れて来たんだろうが!」
いつもの言い合い。
客対応を終えた雪穂は、そっと隆志を手招きした。
「……ねぇ。南ちゃんって、絶対アイツのこと好きだよね?」
「……どうだかな」
相変わらず鈍い返事に、雪穂は呆れたようにもう一度ため息を吐いた。
「白田!やるよ!」
南は、やる気のない不良少年を射的コーナーへ引っ張っていく。
なんだかんだ文句を言いながらも付き合ってくれる。
その様子に、貴子と美羽は思わず口元を緩める。
隆志と雪穂も、それとなく二人を見守っていた。
「……一回だけだぞ」
——パン。
コルクの弾が軽快な音を鳴らす。
一番大きなお菓子の詰め合わせが、見事に倒れた。
一瞬、教室が静まり返る。
「え」
「すご……」
「マジかよ」
白田は眉をひそめながら景品を受け取ると、そのまま南へ押し付けた。
「……いらねぇ」
「……私、あれ気になってたんだよねー」
南は、その下に並ぶアニメキャラクターのスケッチブックを指差した。
「……だったら頑張れ」
白田は射的銃を優しく手渡し、その場を離れようとする。
その瞬間。
南が、そっと彼の手を掴んだ。
「ねぇ。次も取ってくれる?」
いつもより少しだけ甘えた声。
白田は一瞬だけ目を見開く。
だがすぐに顔を逸らし、
「……一回だけって言ったろうが!」
と、ぶっきらぼうに返した。
「なんでよ!やってくれてもいいじゃん!!」
「お前話聞いてんのかよ。
大体あんなのネットでも買えるだろうが」
「私は今欲しいの」
「知らねーよ。
つーか約束ぐらい守れや。虚言ツインテール」
「はぁ!?アンタこそ、本当は嬉しいくせに冷めたフリしてんじゃないわよ!!ファザコンピアス!」
「テメェぶっ飛ばすぞ!!」
既視感のある漫才が、校内の喧騒へ溶けていく。
二人の言い合いをかき消すように、輪投げの歓声やジェンガの崩れる音が、教室中へ賑やかに響き渡っていた。
♫♫♫
南と美羽の待つ三組へ向かおうとした、そのときだった。
白田のスマホが短く震える。
「……悪い。弟たちが来たみたいだから、迎えに行く」
「そうか。じゃあここからは別行動か?」
「ああ。俺も、もう少ししたらクラスのシフトだしな」
隆志たちも、そろそろ持ち場へ戻る時間が近づいていた。
「そうしましたら、私たちも行かないといけませんね」
「お前らはまだ時間あるだろ」
白田は少しだけ足を止め、
「……そのまま楽しんでこい」
ぶっきらぼうに言い残し、そのまま人混みへ紛れていった。
「……アイツって意外と真面目だよね」
雪穂が感心したように呟く。
「素直になればいいのに」
智子はどこか誇らしげに笑った。
四人は、それぞれの反応で遠ざかる白田の背中を見送った。
♫♫♫
三組の前には、大きな黒い幕が張られていた。
中央には赤と白の文字で、大きく書かれている。
『スリラーハウス・オブ・ザ・デット』
どこかで怒られそうな絶妙な名前が、かえって恐怖を煽っていた。
南が乗り気なのはわかる。
だが、美羽までこんな出し物に積極的なのは少し意外だった。
幼い頃、雷が鳴るたび香織へ泣きついていた少女は、もうどこにもいない。
「ってかさ、三組って武田もいるけど、智子いいの?」
「なんで?」
智子は首を傾げる。
「アタシはもうどうでもいいもん」
武田というのは、智子がつい最近まで付き合っていたバスケ部の男子だった。
一学期の体育で智子の運動神経を知り、自主練に付き合ううち、そのまま交際へと発展した。
だが次第に実力差を痛感し、
「女子よりも劣っている自分が嫌だ」
そう一方的に別れを切り出されたらしい。
「もちろん速攻でOKしたよ?」
智子は笑顔で続ける。
「そのあと腹パンと回し蹴りは入れといたけど」
さらっと恐ろしいことを言う智子に、その場の全員が苦笑した。廊下に取り付けられた扇風機が、背筋をひやりと撫でていく。
お化け屋敷は、二人一組で入ることになっていた。
雪穂と智子。
隆志と貴子。
特に理由はなく、並び順のままの組み合わせだった。
大きな暗幕をくぐると、床には赤や青のペンキが飛び散り、突起のある壁が視界を大きく遮っている。ところどころに凹凸のある足場まで用意されており、思っていた以上に本格的だった。
ゾンビ映画がモチーフなのか、脅かしてくる生徒たちも皆それらしい動きをしている。
館内は静まり返っていた。
時折、金属音やホラーゲームの効果音だけが響き、誰かの足音さえ不気味に耳へ残る。
最初に入ったのは雪穂と智子だった。
雪穂は二の腕をさすりながら、おっかなびっくり足を進める。
一方の智子は、そんな様子がおかしくて仕方ないと言わんばかりに笑いながら、スタスタと先へ歩いていく。
「……智子。早いって」
「何言ってんの? こんなんでビビってたら人生損だって!」
雪穂は昔から肝試しだけはどうにも苦手だった。
兄弟たちにも遺伝したのか、弟二人も同じらしい。
そんな幼馴染みなどお構いなしに、智子はずんずん奥へ進んでいく。
「おい、置いてくなって!!」
雪穂も震える足を必死に動かし、なんとか食らいついていく。
途中からは、脅かしてくるお化け役へ逆に驚かし返しに行くほど、智子はすっかり別の楽しみ方をしていた。
「ってか、美羽たち全然出てこないね」
「……智子が早すぎて、出遅れたんじゃね?」
「ありえるー!」
「……それより、意外と長いなここ」
「スリルあっていいじゃん〜」
智子は心霊番組のテーマソングを口笛で吹き始める。
その大胆な振る舞いに、雪穂は別の意味で肝を冷やした。
迷路も終盤に差しかかった頃。
物陰から、ゾンビ役の男子生徒が飛び出した。
「ひゃっ!!」
雪穂は思わず悲鳴を上げる。
だが智子は微動だにせず、手にしたライトを相手へ向けた。
照らし出された顔を見て、智子が小さく声を漏らす。
「あ」
そこに立っていたのは、武田だった。
武田も気まずそうに目を逸らす。
だが智子は何も言わない。
ただ、満面の笑みを浮かべたまま通り過ぎていく。
去り際。
口笛を吹いたまま、智子はゾンビの足へスニーカーをゆっくり乗せた。
ぐりっ。
「っっっっ!!?」
鈍い痛みが素足を襲い、武田はその場へ崩れ落ちる。
雪穂はその様子に、さっきまでの恐怖などすっかり忘れ、慌てて智子の隣へ並んだ。
武田の情けない悲鳴だけが、静まり返った恐怖の館を震わせた。
♫♫♫
「……今の悲鳴かしら……?」
「……そうだな」
生まれて初めてのお化け屋敷に、貴子は小さく肩を震わせる。
隆志もつられるように息を吐き、ライトで足元を照らしながら慎重に歩みを進めた。
「……黒淵さんと長野さん、もう随分先へ行ってしまいましたね」
「智子のやつ、こういうの全然怖がらなそうだからな」
周囲を警戒しながら角を曲がった、その瞬間。
背後から二体のゾンビが飛び出した。
「きゃっ……!」
貴子が小さく悲鳴を上げる。
隆志は咄嗟に振り返り、貴子を庇うように肩を抱き寄せた。
震える貴子の横顔が、不意に夏祭りの夜と重なる。
「……怖がりすぎだろ」
苦笑しながらも、隆志は優しくその手を握った。
その様子を見たゾンビ姿の南は、思わず小さく口元を緩める。
一方、美羽だけはどこか複雑そうな表情で、寄り添う二人を見つめていた。
南は怯える貴子へ向き直り、小さく右手を伸ばす。
「……出口、あっち」
静かに進む方向を示すと、二人はその先へ歩き出した。
貴子はまるで磁石に引き寄せられるように隆志の腕へ絡みつき、その肩へそっと身を寄せる。
すっかりお似合いになった二人の後ろ姿を、南はどこか満足そうに見送った。
「……よし。大成功」
誰にも聞こえないほど小さく呟く。
その隣で、美羽が不満そうに唇を尖らせた。
「……ウチは、やっぱまだわかんない」
南は首を傾げ、美羽の顔を覗き込む。
「……たかちーは、かおたんの隣にいてほしいんだけどな」
幼い頃から見続けてきた二人。
いつも隣にいた二人の間にできた溝を、美羽は誰よりも気にしていた。
香織のバンドへ加入したのも、傷ついた香織を支えたい気持ちと、二人の仲をもう一度繋ぎたいという想いがあったからだ。
「……別に、付き合うことだけが幼馴染みじゃないでしょ」
「ゆうっぺだって応援してたじゃん!!」
美羽は南の前へ回り込み、頬を膨らませる。
ウィッグからはみ出した金色の髪が、暗闇の中でふわりと揺れた。
「……私にも、美羽みたいな気持ちがないわけじゃないんだよ」
「じゃあなんでよ!!」
南は少しだけ困ったように笑うと、美羽の肩へそっと手を置く。
「本人たちの気持ちに、これ以上介入するべきじゃないよ」
一拍置いて、優しく続けた。
「……それに、美羽だってあの場にいたでしょ?」
「香織だって、自分で選んだことなんじゃない?」
美羽は何も返せず、小さく視線を落とす。
南は微笑みながら、その手を軽く引いた。
「戻ろ。次のお客さん来ちゃうよ」
「……言われなくても行くし!」
ぶっきらぼうに返しながらも、美羽は素直について歩く。二人が持ち場へ戻ろうとした、そのとき。
「ってか美羽。つぶきちたちの動画見過ぎ」
「えー!マジ癒やしなんだからいいじゃん!」
「私たち仕事中よ」
「盛れてるか確認するくらいいいでしょ!」
「ダメ」
さっきまでの重たい空気が嘘だったかのように、二人はいつもの調子で言い合いを始める。
お化け屋敷には似つかわしくないそのやり取りだけが、暗闇の中へ明るく溶けていった。
♫♫♫
暗闇の中を、二人はゆっくりと歩いていく。
道は合っているのだろうか。
足音と呼吸だけが、静寂をより濃くしていた。
さっきまで激しく怯えていた貴子も、ようやく落ち着きを取り戻し始めていた。
「……やっと、目が慣れてきましたわ」
隆志の腕へ絡んでいた指先から、少しずつ力が抜けていく。
その変化に安堵しながらも、どこか名残惜しさを覚え、隆志は小さく唾を飲み込んだ。
もう終盤なのだろうか。
赤や青のペンキはさらに派手になり、壁一面を覆うビニールシートが不気味に揺れている。
脅かし役の生徒の姿は、いつの間にか見えなくなっていた。どうやらここから先は、演出だけで恐怖を煽るらしい。
天井からは動物の骨や蝙蝠の模型が吊るされ、段ボールで組まれた迷路の壁が左右から迫ってくる。
その下には人一人が屈んで通れるほどの穴が開いていた。二人は身体を低くして潜り抜ける。
先には少し開けた空間。
そして、その奥へ一本の細い通路が続いていた。
隆志がライトを向ける。
暗闇の中へ浮かび上がったのは、
『もうすぐゴールだよ!!』
どこか見慣れた丸文字の貼り紙だった。
あまりにも現実味のあるその一枚が、出口の存在を力強く主張している。
「……もう少しだな」
隆志はそう呟き、貴子の手をそっと引いた。
細い通路の両壁には毛むくじゃらの布が貼られている。歩くたび、それが二人の腕をくすぐるように撫で、不気味な感触だけが肌へ残った。
だが、その道は思っていたより短かった。
最後の部屋へ足を踏み入れた、その瞬間——
「うおぉぉぉぉっ!!」
怒鳴り声とともに、人影が目の前へ飛び出した。
黒いマント。
手にはチェーンソーを模した大道具。
最後の脅かし役だった。
「うわっ!!」
「きゃあっ!!」
二人は同時に悲鳴を上げ、その場へ尻餅をつく。
その反応がよほど面白かったのか、ジェイソン姿の男子生徒は腹を抱えて笑い出した。
その笑い声を聞いた瞬間だった。
貴子の顔から、みるみる血の気が引いていく。
「隆志じゃねぇか!俺だよ!ビビったか!!」
その声。
合宿の空気を壊した張本人。
夏祭りの一件の引き金。
そして——
ナギサノユラギの前任ベーシスト。
直居啓一。
彼はまだ、その隣で震えている貴子の存在には気づいていなかった。
ご覧くださりありがとうございます。
文化祭!たまらんですな!!
日常回ほどたくさん描きたくなってしまうのです笑
ようやくメインキャラが全員少しずつ描写されていきましたね!
自分でも思った以上に長くなってますが、第一部もあとわずか!!
今後ともよろしくお願いします!!
では次回もお楽しみに
夜留タクト




