第二十四話 衝動の音
〜前回のあらすじ〜
迷子になった匠海を雪穂と智子の元へと送り届けた隆志と香織。一緒に屋台を回って打ち解けると、隆志は雪穂から白田の噂を耳にする。喧嘩っ早く、碌に学校に来ていない問題児。そんな白田はなんと、隆志と同じ一組に所属しているようで…。
♫♫♫
辺りは薄暗く、街灯が点々と光り始めた。
屋台の列から河川敷への一本道まで、絶え間なく人混みが続いている。さっきまで一緒にいた雪穂たちの声も、もう聞こえない。
「…やっぱ人多いな」
「そろそろだもんね。花火」
隆志と香織も、その中心に近づいている。
香織は想いを伝えようと息を整えるが、口から溢れる音は他愛もないものばかり。尾行する南と美羽も、焦ったく口を尖らせる。
「…白田、って言ってたっけ?雪穂が話してた子」
「…だったかな」
「隆志、話したことないの?」
「ああ。学校にも碌に来てねえし、いたとしても大体早退してたからな」
同じクラスだと聞くまで、すっかり忘れていた男。顔だけは辛うじて分かるのみで、情報が少なすぎる。
「……バンドもどうなるんだろうな」
「ベースいないと、音も変わっちゃうからね」
「まぁ、最悪俺がベースに転向してもいい」
「ギターじゃなくていいの?」
「そのときはお前にスパルタで教え込んでやる」
「絶対ヤダ!!」
またいつもの言い合い。
その最中、すれ違いに肩がぶつかる。
隆志との距離が、縮まる。
顔が近い。
隆志の頬も、一瞬だけ赤くなった気がした。
香織は小さな優越感を胸の内にしまい込んでから、幼馴染みのTシャツの裾をさりげなく掴んでみた。
「…あんまり、前行かないで」
「…悪い」
無意識に、香織に歩幅を合わせる。
花柄の髪飾りが、僅かに揺れた。
「…私は、隆志にはギター弾いててほしいな」
「どうした急に」
「さっき、最悪ベースに移るとか言ってたから」
「…本気にしたのかよ」
「するよ!!」
少し不貞腐れながら、香織は隆志の前に回り込む。
「…隆志のギターの音、なんか安心するの」
「……そうか」
その一言だけだった。
それでも香織には、その返事だけで十分だった。
美羽と南も、屋台の影に隠れながらハイタッチを交わす。
まだ二人の手は触れ合っていない。
だが、それも時間の問題だろう。
行き交う人々の中で、
小さな幸せが膨れ上がりそうな音がした。
♫♫♫
河川敷へ続く土手道までやって来た。
この辺りから眺める花火は、格別に綺麗である。
隆志は土手の石積みの上に座ると、そのまま身体を仰向けに倒した。
幼い頃から、美羽も含めた三人で一緒に見上げてきた。二人で行こうと言ってきた意味はわからないままだが、こういうのも案外悪くない。
香織も隣に腰を下ろし、ラムネを一口流す。
柔らかい夜風が二人を見守るように吹き抜けた。
「もうすぐだね」
「だな」
夜空には夏の大三角形が、やけに強く瞬いている。
香織への後押しか。
これからのバンド活動への希望か。
はたまた、幸せの脆さのお告げか。
「…台風、被らなくてよかったね」
「そういや去年は直撃だったな」
「うん。で、美羽の家で花火だけやったよね」
「まぁ半分以上は、飼い始めたハムスターの自慢だったけどな」
「つぶきちくんね」
そのまま思い出話に花が咲く。
近くを通りかかった子どもたちの声が、昔に重なる。
「ねぇ!次、花火の曲歌いたい!!」
珍しいリクエストに、隆志はドキッとした。
「いいけど人前でやる頃は、多分季節外れだぞ」
「別にいいじゃん!」
「春にクリスマスソング歌うようなもんだろ」
「むしろあり!!」
香織はムキになりながらも、どこか嬉しそうに笑う。
隆志にはその表情が、浴衣のせいか少し健気に映った。
「……とりあえず、考えてみるわ」
「一番に聞かせてよね」
「まぁ、インスピレーション次第だな」
「隆志なら大丈夫だよ」
そう言って愛おしそうに星を見上げる。
視界の中央に並ぶ二つの光に、思わずニヤけてしまう。
やがて花火のアナウンスが響く。
周囲の人々も、河川敷へと足を早める。
香織と隆志はラムネを飲んでから立ち上がり、絶好のポイントを探していく。
だが、隆志の視界には入ってしまった。
一人で車道側へ歩いていく少女の姿が。
表情までは見えないが、いつもの覇気がない。
ゆらゆらと揺れる銀髪だけが、何かを叫んでいた。
ナンパを回る男性グループすら寄せ付けないほど、唯ならぬその雰囲気に、嫌な胸騒ぎを覚えた。
「…澤森……?」
花火前のざわめきの中で、
その名前だけが耳に残った。
香織もその方角を見つめる。
次の瞬間、隆志は貴子の元へと走り出していた。
「隆志!!」
手を伸ばす。
飲みかけのラムネの瓶がアスファルトへと落下し、大きく弾けた。
飛び散る破片。
炭酸の泡。
力無く足元に転がるビー玉。
さっきまで掴んでいたTシャツの裾は、
人混みの向こうへ消えていった。
♫♫♫
気づけば彼の元を飛び出していた。
お祭りのざわめきが遠い。
足元が重たい。
…ああ。もう全部忘れたい。
簡単に人を信じてはいけない。
一度居場所を無くして痛感したのに。
彼なら、許婚なら、
自分を傷つけるようなことはしない。
するわけがない。
綺麗事なんて、ただの幻想だった。
もう、啓一とは一緒にいられない。
そう思った瞬間、身体が動いていた。
してほしくなかった。
栄治郎との話し合いなんて。
あのときの確認なんて。
聴きたくなかった。
"私のため"なんて。
取り持とうとしてくれていたなんて。
あの日、叔父のオフィスから出て行った後に、何が起こっていたかなんて。
♫♫♫
どこまで歩いただろう。
気づけば河川敷まで来ていた。
啓一は追いかけてきていない。
…当然か。
視界には人混みと、川と、星空。
子どもの頃から変わらない夏の大三角形。
けれど今は、その煌めきさえ忌々しい。
足が重い。
自分はどこへ向かっているのだろう。
途中で何人かに声をかけられたと思う。
同い年ぐらいの女の子の声もあったかもしれない。
でも、何かを感じる余裕も気力も、もう残ってない。
自分がこんなに繊細だったなんて、知らなかった。
去年、もう一人の私が死に、クラスメイトにも忘れられ、自暴自棄になった。
あのときから、何も変わっていなかった。
もし南が側にいてくれていたら、こうはなっていなかっただろう。
でも今は違う。
一人で受け止めるには、感情量が多すぎる。
街頭がしっかり灯る一本道でも、どこか暗い。
ふと、誰かの叫び声が聞こえた。
何を言ってるかはわからない。
どこかで喧嘩でも起こったのだろうか。
どうせ自分には関係ない話だ。
世界はいつだって愚かしい。
吐き気がするほど理不尽だ。
みんな自分のことで精一杯。
それでいてご都合主義なフィルターで物事を図り、綺麗な言葉で己のエゴを押し付ける。
そんな輩が孤独になっていると知っていながら、身近な人であればあるほど、例外だと思い込もうとする。
栄治郎も、啓一も、一番大切な貴子の気持ちを理解できていなかった。貴子にとっては押し付けでしかなかった。
きっと今の叫び声も、その類の言い争いだろう。
心の底からそう思った。
だが数秒後、貴子はようやく自分に向けられていた声だと気づいた。
右側から強烈なライトが迫る。
急ブレーキの音。
車体が大きく揺れる。
避けられない。
勝手に失望した報い。
そう思った。
♫♫♫
「隆志!」
人混みをかき分けながら、香織は必死に名前を呼ぶ。
返事はない。
浴衣姿の人波は途切れることなく流れ、さっきまで見えていた背中も、もうどこにもなかった。
「……どこ」
息が上がる。
胸騒ぎだけが大きくなっていく。
下駄の間に入り込んだラムネ瓶の破片が、足の裏をチクチク蝕む。
そのときだった。
「かおたーん!」
聞き慣れた声が飛んだ。
「やっほー!!」
南と美羽が、人混みを縫って手を振ってくる。
あくまでも自然に、偶然を装って。
「美羽!ゆうか!どうしよう!」
香織は二人を見つけた途端、縋るように駆け寄った。
「どうしたの香織。そんなに慌てて」
「隆志が…」
「たかちーがどうしたの?」
異様な雰囲気に、二人は顔を見合わせる。
「貴子ちゃん見つけて、急に走ってっちゃったの!」
南の表情が、一瞬で変わる。
「……嫌な予感しかしない。」
言い終えるより早く、
南は隆志が走っていった方角へ駆け出した。
「追いかけよう!!」
「…うん!」
三人は再び人混みへ飛び込んだ。
花火開始まで、あとわずか。
♫♫♫
白い車のクラクションが響き渡る。
襲いかかるヘッドライト。飛び交う叫び声。
車体は大きく揺れ、急ブレーキをかける。
だが、避けられない。
これは、勝手に失望した報い。
貴子はそう思い、静かに目を閉じた。
「———」
その声だけは、嫌というほど鮮明だった。
右腕を強く引かれる。
誰かの懐に、力強く包まれた。
二人はそのまま、アスファルトに倒れ込む。
車が真横で止まった。
運転手の怒号。
野次馬の安堵の声。
貴子はようやく、状況を理解した。
顔を上げると、隆志がいた。
何も考えられなくなり、信号が赤になっていることにも気づいていなかった。
「何やってんだよ!!」
隆志の声が、真っ直ぐに突き刺さる。
その懐かしい波動に、少しだけ涙が溢れた。
貴子は震える指先で、自分の身体を見下ろした。
……生きている。
車は止まっている。
目の前には、息を切らした隆志。
「……なんで」
掠れた声だけが漏れる。
「なんで、助けたの……」
自分でも分からない。
助かったことに安心しているのか。
邪魔されたことを悔やんでいるのか。
頭の中では啓一の言葉だけが、何度も何度も反響していた。
『全部、お前のためなんだ』
違う。
違う。
違う……。
もう、誰の優しさにも触れたくない。
貴子は隆志の腕を振り払おうと、激しく身を捩った。
「離して!」
「おい!」
「離しなさいよ!!」
「離すわけねぇだろ!!」
隆志も歯を食いしばり、絶対に離そうとしない。
貴子は隆志ごと車道へ飛び出そうとするが、隆志に羽交締めにされ、進めなくなる。野次馬たちからも心配そうな視線が飛んできた。
「落ち着けって!!」
貴子の口から溢れる音は、もう言葉になっていなかった。隆志は腕に力を込めることしかできない。
どうすればいい。
何を言えば、この震えは止まる。
去年、一人でこの貴子を受け止めた南は、どれほど必死だったのだろう。
隆志はその偉大さを、初めて思い知った。
♫♫♫
人だかりが、少しずつ大きくなっていく。
「何だ?」
「事故か?」
「誰か轢かれたのか?」
ざわめきは波紋のように広がる。
その中に混じって、一人の少女の掠れた叫びだけが、夜風を裂いた。
「……っ!」
南の足が止まる。
「どうしたの?ゆうっぺ」
美羽が不思議そうに振り返る。
「……今の声」
聞き間違えるはずがない。
あの震えた声を、南は去年から何度も聞いてきた。
「…貴子だ。」
そう呟くより早く、南は人混みへ駆け出していた。
「ちょ、待って!」
美羽と香織も慌てて後を追う。
♫♫♫
南は人混みを押しのけながら、声のする方へ走った。
「すみません!」
「通してください!」
浴衣姿の人々の隙間を縫うように駆け抜ける。
胸騒ぎだけが、どんどん強くなる。
ようやく人垣を抜けた、その瞬間——
「……貴子!」
目に飛び込んできたのは、隆志に必死に抱えられながら暴れる貴子の姿だった。
「離して!!」
「頼む!落ち着いてくれ!」
去年と同じだった。
助けを求めることすらできず、感情だけが溢れてしまう貴子。
南は考えるより先に駆け寄っていた。
「隆志!」
隆志も南の姿を見つけ、張り詰めた表情を少しだけ緩める。
「南!助けてくれ!」
「何があったの?」
「わからねぇ!車道に飛び出して……間一髪だったんだ!」
息を切らしながら答える隆志の腕の中で、貴子はなおも震え続けていた。
南はそっと貴子の前へ膝をつく。
「……貴子」
優しく名前を呼ぶ。
その一言に、貴子の肩が小さく震えた。
「……ゆうか」
「…何があったの」
「…もしかして、啓一絡み?」
"啓一"という音の前に、南は拳を震わせた。
違っていてくれ。そんな意味も含まれてるのだろうか。
「……ないで」
貴子の唇が小さく震えた。
「その名前出さないで!!!」
貴子は涙を流しながら声を上げ、南の胸の中へ崩れるように縋った。南は何も言わずに包み込む。顔色だけで状況を察せる関係性が、隆志には羨ましく思えた。
「そんなに叫んだら、喉やられちゃうよ」
貴子は南の肩へ額を押し当てたまま、小さく首を振る。
「……もう、やだ」
掠れた声だった。
「もう……疲れた」
南は何も急かさない。
ただ、震える背中をゆっくりと撫で続ける。
「……うん」
「今日はもう、何も話さなくていい」
「ここにいるから」
その言葉だけで十分だった。
張り詰めていた糸が切れたように、貴子の身体から力が抜けていく。
その様子を見て、隆志も詰まっていた息を吐いた。
さっきまで必死に暴れていたとは思えないほど、小さく見える背中だった。
「…俺もいいか?」
「何も言わねえから、俺も一緒にいちゃダメか?」
「アンタは香織のところ戻って」
「こんなん見せられて、ほっとけるかよ」
隆志の声は震えていた。
怒りでも同情でもない。
ただ、目の前の少女を一人にしたくない。
それだけだった。
南はしばらく隆志を見つめる。
その瞳に嘘がないことだけは、すぐに分かった。
「……そう」
小さく息を吐く。
「……そういう奴だったね、アンタ。」
香織が惚れた理由が、腑に落ちる。
「じゃあ、いいこと考えた!」
南は迷いなくスマホを取り出し、ある人物に電話をかけた。
ご覧いただきありがとうございます
落差の激しい回でしたね。
青春はときに残酷です。
だがまぁ、これも人生。
貴子の身に、何があったのか。
その真相は、またどこかで。
さぁ、香織の恋は実るのか。
隆志の選択とは…!
次回もお楽しみに
夜留タクト




