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第二十一話 痛みの音

~前回のあらすじ~

ネットでの居場所を絶たれ、全てを拒絶した貴子。

そんな彼女を救うため、澤森家の屋敷を訪れた南たち。

想像以上の荒み様に啓一と好恵と両親は諦めかけるも、南だけは諦めなかった。


親友として初めて感情をぶつけ合う二人。

失うことを覚悟した渾身の叫びで、ようやく貴子は正気を取り戻す。


♫♫♫



「とまぁ、こんなかんじ」



 一連の告白を終えた南は、名残惜しそうにアイスコーヒーを口につけた。

 誰にも顔を見せないように、さりげなく後ろを向いて。


 隆志はその背中を、静かに見守った。


「…貴子ちゃんが、そんなことに」

「…うん。今でも鮮明に覚えてる」


 南は涙を堪えている。


 啓一も不貞腐れたまま、タオルで首の汗を拭った。


「…お前、意外と容赦ねぇんだな」

「まぁ、結果オーライ!!」


 南は誇らしげにピースサインを向ける。

 その明るさが逆に怖い。


 香織は床に崩れ落ち、

 南にそっと身体を預けた。


 南はそのまま、

 その後の動向を語った。



 活動の証を消さないために、残っていたデータを館山の別荘に封印したこと。


 完全に克服できるまでは、音楽からは距離を置くことを選んだこと。


 しかし、高校で隆志と出会い、

 本心に気付かされたこと。


 この別荘に来ると思い出してしまうこと。


 そして——


 啓一が、まだあの怪物と何かを企んでいるかもしれないということ。


「昨夜は、それを確かめようとしてたんだよね」


 好恵が栄治郎と会っているところを目撃したのは、彼女の中学最後の吹奏楽のコンクールの一週間前だったらしい。

 いつものように練習を終え、副部長を含めた同級生たちとミーティングのためのお店を探していたところ、兄と栄治郎が話しているところを偶然見つけてしまったらしい。


 貴子と南も、その知らせだけはすぐに貰っていた。


 父親が今も役員を継続している関係で、直居家と栄治郎の関わりは、事件前ほどではないがまだ残っていたのだ。


 貴子との一件以来、啓一も好恵も、

 栄治郎とは距離を置いていた。



 ——はずだった。



 それなのに、


 同じ痛みを体験したはずの啓一が、

 どうして二人で会っていたのか。


 しかも、何度か定期的に会っていたらしい。


 啓一が合宿を提案したのは、

 三度目の密会の直後だった。


 合宿前の練習後、

 南と隆志はこっそり尾行し、バッチリ証拠も掴んでいる。



 明らかに、何かを真剣に計画している。

 そんな様子だった。



 どうしてそんなことをしていたのか。

 今回の合宿も、何か関係しているのか。



 なんとか時間を作り、

 二人でゆっくり話をさせようとしたが——



「…その一部を、菫に聞かれちゃったってわけ」


 南はさらりと指を振った後、

 啓一に視線を流す。


 まだ元凶の男は不貞腐れている。



 二人の問題。

 同じ痛みを共有した者同士の問題。


 それなのに、自分のせいで関係ない人たちにまで伝わってしまった。


 何かを言わなければならない。

 そんなことはわかっている。


 けれど——



 啓一には、それ以上に自己嫌悪の感情が強まっていた。



 その様子に隆志はたまらず、

 ギターをスタンドに立ててから、啓一の元へ足を早めた。



「…おい」


「……ちょっと来い」



 立たない。

 膝の上に置かれた拳が震えている。


 南も香織を慰めながら、そっと蔑みの目を向ける。



 隆志は胸ぐらを引き上げ、強引に顔を向けさせた。



「…どんな事情があるかは知らねえけどよ」


「テメーの女不安にさせるようなことしてんじゃねぇぞ!!」


 啓一は涙を浮かべながら、隆志を睨みつける。


「……なんで否定してやらねぇんだよ。

 なぁ!お前わかってんのかよ?」


 隆志は溜め込んでいた苛立ちをぶつける。


「澤森は、きっと乗り越えようとしてるんだよ!

 この別荘にだって、本当は来たくなかったはずだ!」


「打ち明けてくれた日、アイツはこんなことも言ってた!


 "今でも夢に見る"って。

 "音楽と距離を置いたのは自分だけじゃなく、お前たちが同じ目に遭わないようにするためだった"って」


「"けど自分を偽ったままでいるのは気持ち悪い"って」



「だから来たんだよ!

 いつまでも引き摺ったままじゃいられないんだよ!

 俺たちと、新しい音楽を作るために!」


「…なのに、テメーは何やってんだよ!」


 同じ男として。

 過去を知る者として。

 バンドの仲間として。


 それと——


「お前一番近くで見てきたんじゃねぇのかよ!」


「南も、お前の妹も、同じ痛みを体感したはずだろ!」



「一番望んでなかったこと、

近くにいる人間がやってんじゃねぇよ!!」

「うるせえよ!!!」


 啓一はやっと言い返した。


 南にはその状況があの冬の夜と重なり、

 思わず顔を伏せた。


「お前に関係ねぇだろ!」

「関係なくねぇんだよ!!!」


 隆志は力一杯怒鳴り、啓一を床へ突き飛ばす。


 ドカッと鈍い音が、地下室に響いた。


 頑丈なはずの空間から、

 四人の中の何かが、少しずつ崩壊していく音がした。



 香織は幼馴染みの荒れ狂い様に耐えきれず、

 地下室を飛び出してしまった。


「香織!!」


 南も後を追う。


 部屋を出る直前、静かに睨み合う二人を振り返ってから、ゆっくり扉を閉めた。


 隆志はその視線を受け取り、

 一つ息を吐いてから啓一の元へ足を進めた。


 これまで一緒に騒いできた仲間だからこそ、

 隆志は許せなかった。



 その感情は、別の場所でも静かに渦を巻いていた。



♫♫♫



「…落ち着いた?」

「…うん。ありがとう」



 過去を打ち明けた貴子は、しばらく震えたまま静かに背中を向けていた。


 想像以上の告白内容に、菫も言葉を失っていた。



 歩き慣れた廊下も、改めて見るとやっぱり長い。


 同じ壁。

 同じ床。

 高い天井。


 出口のない迷宮のようだ。



 色や光はあれど、

 一人で閉じ籠っていたときの貴子の心持ちも、恐らくこんなかんじだったのだろうか。


 そりゃそうだ。



 大好きな歌を壊されたんだ。


 それも、身内に。


 もし関わりの浅い第三者だったら、

 そういうものだと割り切ることは恐らくできただろう。



 けれど貴子は——


 信頼していた家族に裏切られ、金儲けの手段として一方的に利用されていた。


 だからこそその傷は深く、

 時間で癒えるようなものではない。



 しかも自分の彼氏が、その悪夢を再び呼び寄せてしまうかもしれない。


 張本人が何も言わないのだから、

 そう思いたくなる気持ちもわかる。



 だが貴子を見守る菫の表情には、どこか消化しきれない思いが滲み出ていた。



 啓一のこと。

 叔父の意図。

 家庭間の背景。


 だが、本当に聴きたいことはそんなことじゃない。


 ——どうして。


 ——どうして自分だけ。



 菫はその感情に負けじと、

 自分なりの解釈を貴子へ投げた。



「…叔父さんも、随分なやり方だったね」


 貴子の背中を摩ってから、ゆっくりと歩き出す。


「…けど、意味はわかる。

 もしかしたら叔父さんは、貴子がこれから生きていく世界の有様を教えたかったんじゃないかな?」


「ほら。日本の義務教育は中学まででしょ?

 それに会社の資産も守る義務がある」


「大人になったら、みんな社会の一員として働く。

 私たちもそうだけど、

 いずれは"守られている側"から、"守る側"に変わっていくんだよね」


 天井を見上げる。


 廊下に散らばる黄色の蛍光灯が、

 淡く滲んでいく。

 


「……優しさだけじゃ、何も変わらない。

 その意味は、よくわかる」


「…案外、不器用な人だったのかもね」



 貴子の目の色が、僅かに褪せた。


 ——どうしてあの人を庇うの。


 ——傷跡の深さも知らないで。



 貴子もその感情を押し殺し、

 冷たさを保ったまま、足を進めた。


「……そうかもしれないわね。

 けれど、ただの商売としか扱われていなかったのは、さすがに耐えられなかったわ」


「……叔父さんには悪意はなかった。

 だけど、貴子たちには真逆の意味になってしまった。


 …"善意"って何なんだろうね」


「……あまり考えたくないわね」


 貴子は寂しげに笑って窓の外を眺める。


 さっきまで一緒に話していたヤシの木が、

 遠くで揺れている。


 菫はその横顔を見つめた。


 

 叔父の善意。


 南の善意。


 みんな誰かを守ろうとしていた。



 もしかしたら、啓一も——。


 けれど菫は、その思考を塞ぎ込んだ。


 「……考えたくない?」


 菫は踵を返し、真正面から向き合った。


「じゃあ、私と香織に知らせなかったのも、貴子にとって善意だったの?


 蚊帳の外にされる人間がどう思うかも、考えたくなかったんだね」


「…蚊帳の外って、随分な言い方ね」

「実際そうじゃん。

 私の知らないところで、ずっと話は進んでいた」


「言いたくないのはわかる。

 それでも、私は話してほしかった」


 菫はじわじわと、貴子に詰め寄っていく。


「貴子は乗り越えようとしてたんだよね?

 だったら、共有できる仲間は一人でも多い方がいいよね?」

「…あなたたちにまで背負わせたくなかったのよ」

「なんで!?私と香織じゃ力不足ってこと?」


「私たちだって、支えたかったのに!!」



 その叫びを最後に、

 一面が無音になる。



 呼吸の音が、こんなにも残る。


 汗が静かに垂れていく。

 


「……ごめん。今のなし」


 菫は掴んでいた手を離し、踵を返す。


「…貴子も、大変だったんだもんね」


 トントンと響く足音が痛い。



 貴子はその背中に、

 せめてもの言葉を投げかける。



「——私にもわからないの」


 菫の動きが止まる。



 貴子は一度唇を湿らせてから、もう一度息を吐く。


「隆志くんにはどうして話せたのか、私にもわからない。

 気がついたら、打ち明けてしまっていたの」



 背中に伝わる振動。


 菫は何も言わず、静かに歩き出した。



 貴子は足を早め、菫の前に回り込む。



「…ねぇ。菫ちゃん」


「こんなときに聞くのは、すごく変かもしれないけど」



 何を尋ねるのだろう。


 少しだけ緊張が走った。



「…もしかして、私達、昔どこかで——」


 そこへ、勢いよく別の足音が響き渡る。



 香織だった。


 涙を浮かべながら、恐怖と寂しさともう一つの何かが入り混じった音が、スニーカーの裏から伝わってくる。


 後ろから南も追いかけてきている。


「香織。ゆうか。どうしたの?」


 菫は香織の様子に息を呑み、素早く駆け寄る。



 ——貴子が言おうとした言葉。


 だが今はそれどころではない。



「……菫。どうしよう」

「何が?」


「……隆志が…!!」



 震えた声でそれだけ告げ、菫に崩れ落ちる。


 南と貴子も、気不味そうに目を合わせる。



 それぞれの中で、

 何かが壊れる音が、小さく揺れ始めた。



♫♫♫



「…お前にだって事情があるんだよな?」



 地下室には、しばらく硬直した空気が続いていた。



 隆志も啓一も、言葉を探しているようだった。



「……別にそれが何かは聞かねぇよ。

 ただ、澤森にだけは話してやれよ」



 自分のことも諭すように、


 少しだけ、口調を弱める。



「……お前、なんのために支えてきたんだ?」



 啓一は何も言わない。

 隆志のモヤモヤが更に爆発する。



「なんで何も言ってやらねえんだよ!!」



 隆志は不貞腐れた顔面に拳を当てる。

 啓一も、すかさず反撃した。


「お前こそなんなんだよ!!」


 肩を上下に震わせ、隆志を睨みつける。


「……別に、お前に話しても意味ねぇから」


 いつもの調子は、もうどこにもない。

 低い声で、刺すように吐き捨てる。



「……澤森にもか?」


「……澤森にも、言う必要ないことなのか?」


 隆志も負けじと、小さくカウンターを撃つ。



 その様子を、貴子たち四人も静かに眺めていた。



「…俺たちはいい。

 でも、澤森にだけは最低限言ってやれよ。

 関係ねぇなら、ちゃんと安心させてやれよ」


「簡単に言うなよ!!」


 地下室に響いた怒声に、

 隆志も思わず息を呑んだ。


 啓一は肩を震わせながら、

 今にも泣きそうな顔で睨み返している。


「……言ったらどうなるんだよ。

 何が変わるんだよ」


 拳を握る。


 爪が食い込むほど強く。



「……いられねぇんだよ」


 呼吸が乱れる。


 言葉が堰を切ったように溢れていく。


「いつまでも許せないままで終われねぇんだよ!!」


 その叫びに、

 扉の向こうの四人も息を止める。


 貴子は飛び出そうとするが、

 菫が南より早く制す。


 菫の手も震えている。


 起こっていることの多さに、

 香織は顔を伏せることしかできなかった。


「誰かがやらなきゃダメなんだよ!!」


「アイツが前向こうとしてるなら、

 俺だけは後ろ向かなきゃダメなんだよ!!」


 隆志の眉が動く。


「……なんだよ、それ」


「お前にはわかんねぇよ」


 啓一は顔を伏せる。


 そして、

 聞こえるか聞こえないかの声量で呟いた。


「……まだ、終わってないんだよ」


「…まだ、終わってなかったんだよ!」



 その言葉が、錘のようにのし掛かる。

 貴子と南も、ハッと息を呑む。


 菫だけは——


 ただ一人、何も反応しなかった。



「…どういうことだよ?まだ終わってないって」

「俺の個人的な感情だ!!

 …消えないんだよ。ずっと」


「…未だに受け入れられねぇんだよ。

…父さんも母さんも、会社絡みの付き合いで変わらず仲良くしてるんだよ」


「…それが許せない。

 財閥の人たちが、名誉のためにと役員の人たちには伏せてくれてるけど、やっぱり納得できねぇんだよ!


「あの日々は!貴子だけじゃなくて俺も!

 南も!好恵も!!お前たちにも!!!」


 一度言葉を区切り、息を吸い直す。


「これ以上ない大切な日々だったんだよ!!」


「そんな時間をああも容易くぶっ壊したくせに、

 未だにのうのうと笑って、次のターゲットを探してるような奴なんだよ」


「…だから、もう一度闘いたかった。

 このまま負けを認めたまま引き下がるのは、

 性に合わねぇんだよ」


「…それに、"確かめたいことも増えた"。


 だからこれは、俺個人の問題だ!

 お前らは関係ない!!」


 そう言い放つと、

 啓一はゆっくり隆志に正対した。


「…頼む。

 これ以上、詮索するのはやめてくれ。

 傷つくのは、俺だけでいい」


 静かに頭を下げる。



 その懇願は、あまりにも傲慢で、


 あまりにも無謀にも思えたが、

 どうしてか、無下に扱うことはできなかった。



 時間が経てば、大きな傷もやがて癒えてくる。


 子どもの頃は、純粋に信じていた。

 けれどもこの瞬間の隆志たちは、そんなフレーズは幻想だったと理解してしまった。



 貴子の痛み。

 りさこわもとしての痛み。

 幼馴染みとしての痛み。

 恋人としての痛み。


 音に憧れた者たちへの痛み。



 そして——



 一人で背負うと決めたことで

 仲間に与えてしまった痛み。



 その全ては、

 おそらく長い間は残り続けるだろう。



 隆志は啓一の様子をしばらく見つめてから、

 静かに息を吐いた。



「…わっかんねぇな」


 外の四人が、すぐさま隆志に視線を向ける。


 啓一は頭を上げ、隆志を睨みつけた。


「…何がだよ」


「…やっぱわかんねぇな。

 お前が考えてるから知らねぇが、

 だとしても、せめて澤森にだけは話してやるべきだろ」

「だから言っただろ。傷つくのは俺だけでいい——」

「澤森は望んでるのかよ」

「…は?」


「…お前がそうやって抱え込むこと、

 澤森は望んでんのかって聞いてんだよ!!」


「一人で泥被って、今更ヒーロー気取りか?

 大体、お前一人で勝算あるのかよ」

「それでもやるしかねぇんだよ!!」


 啓一は再び隆志に掴みかかる。


 香織は顔を塞ぎ込み、南に助けを求める。



 貴子はたまらず立ち上がり、二人の元へ駆け寄った。



「もうやめて!!!」



 二人の動きが止まる。


 隆志は思わず身体を離し、背を向けた。


 啓一も静かに後退り、床に座り込んだ。


 床へ落ちたそのとき、

 シンバルとスネアが、菫の代わりに何かを言いたげに振動した。



「…啓一くんの考えはわかった。

 でも、もうやめて」


「……もう、背負ってても仕方ないわ」



 啓一は目に手を当て、何も言わずに肩を震わせた。


 隆志は一つ息を吐いてから、

 そっと啓一の元へと寄った。


「…もう一度、ちゃんと二人で話し合えよ」


 呆れているが、優しい声。


 その後で、もう一つ。



「……これ以上、傷つけるんじゃねぇぞ」


 やけに低い声だった。


 一人にだけわかるように囁いた言葉。



 だがそれは、

 貴子と、香織にもはっきりと伝わった。



 さっきまでそれぞれの個性で埋め尽くされていた地下室には、


 もう、あの無邪気でまとまりのない音は——



 どこにもなかった。

ご覧いただきありがとうございました

ようやく隆志の見せ場が増え始めましたね笑


ここからどのように動くのでしょうか!?


さて、次回はお待ちかね。

コンテストの演奏シーンに戻ります!

第一部のラストまで一気に駆け抜けますよ!!


お楽しみに


夜留タクト

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