第95話:倉庫の混沌は、砦の本音を積み上げる
倉庫の扉が開いた瞬間、ミレイユは言葉を失った。
乾いた木の匂い。
獣皮の匂い。
薬草の香り。
干し肉の脂の匂い。
古い縄と湿った麻袋の匂い。
それらが一気に流れてきた。
だが、問題は匂いではない。
中身だった。
倉庫の中は、見事にごちゃごちゃになっていた。
干し肉の束が薬草の棚に寄りかかり、革袋が分類箱の上に積まれ、矢羽根の材料らしき羽根束が保存容器の隙間に突っ込まれている。
前回ソータが分類したはずの木箱は、いくつか蓋が半開きになり、札が斜めにぶら下がっていた。
予備の弓弦と干した根菜が同じ籠に入っている。
用途の分からない石の袋が、なぜか布の山の上に置かれていた。
通路だったはずの場所には、丸めた獣皮と空樽が転がっている。
奥の壁際では、前回ソータがきれいに並べたと思われる保存壺が、少しずつずれて斜めの列を作っていた。
ソータは扉の前で立ち尽くした。
「……あれから、まだ数日しかたっていないのに。」
呆れが声に出ていた。
オルドアイが、少しだけ目を逸らした。
「戦う女たちは仕方がない。」
ミレイユはゆっくりオルドアイを見た。
「今、誤魔化しましたね。」
「誤魔化していない。」
「目を逸らしました。」
「森の音を聞いていた。」
「倉庫の中で?」
「森はどこにでもある。」
「便利な言い訳ね。」
オルドアイは腕を組んだ。
左腕の緑の組み紐が揺れる。
「戦いの後は、皆急いで戻す。」
「戻していないわ。置いているだけよ。」
「だいたい同じだ。」
「全然違います。」
ミレイユは中へ一歩入った。
足元の空樽を避け、干し肉の束を確認し、分類札の文字を読む。
ソータが書いたものだろう。
保存食、薬草、予備武具、布、容器、交易候補品。
分類そのものは悪くない。
問題は、運用だった。
「ソータ。」
「はい。」
「前回、あなたはかなり整えたのよね。」
「はい。」
「どこまで?」
「通路を作って、種類ごとに箱を分けて、よく使うものを手前に、重いものは下にして、湿気に弱いものは上にして。」
「良いわ。」
「札もつけました。」
「それも良いわ。」
「でも。」
ソータは倉庫を見回した。
「戻ってきたらこれです。」
オルドアイが咳払いした。
「砦の女たちは忙しい。」
「忙しいのは分かる。」
ソータは少し困った顔で言った。
「でも、忙しいからこそ、戻す場所が決まっている方が楽なんだけど。」
ミレイユは頷いた。
「その通り。」
オルドアイは眉を寄せた。
「戻す場所は決まっていたのだろう。」
「決まっていただけでは足りません。」
ミレイユは倉庫の奥を指した。
「使う人が迷わず戻せる位置にあり、急いでいても間違えにくく、間違えてもすぐ分かる仕組みが必要です。」
「仕組み。」
「ええ。」
「面倒だな。」
「面倒を先に払うか、後で混乱として払うかの違いよ。」
オルドアイは少し黙った。
それから、倉庫を見た。
確かに、これでは戦いの時に必要なものを探すだけで時間を失う。
矢羽根を探して干し肉をひっくり返し、薬草を探して革袋を開け、保存壺をどかして通路を作る。
戦士の砦として、それは危険でもある。
「分かった。」
オルドアイは短く言った。
「直せ。」
ミレイユは目を細めた。
「命令ですか?」
「頼む。」
言い直しは早かった。
ミレイユは少しだけ口元を緩めた。
「よろしい。」
ソータは袖をまくった。
「じゃあ、また整理します。」
その言葉に、オルドアイが少し嬉しそうにした。
「頼んだぞ、ソータ。」
ソータはすぐにミレイユを見た。
「倉庫整理、していい?」
ミレイユは頷いた。
「もちろん。今回は私も見ます。」
「うん。」
「ただし、全部あなたが抱え込まない。」
「分かった。」
「オルドアイ。」
「何だ。」
「砦の者を何人か呼んでください。」
「なぜ。」
「使う人に一緒に動いてもらわないと、また崩れます。」
オルドアイは少しだけ顔をしかめた。
「耳が痛い。」
「痛いところを聞くのが改善です。」
「商人は容赦がない。」
「砦の姫も容赦がないでしょう。」
「それはそうだ。」
二人は短く視線を交わした。
そのやり取りを見て、ソータは少しだけ笑いそうになった。
昨日の夜から、二人の会話の距離が変わっている。
尖っているのに、通じる。
ぶつかっているのに、進む。
それが少し嬉しく、少し怖かった。
◆◇◆
オルドアイが呼ぶと、倉庫担当の女たちが数人集まってきた。
皆、少し気まずそうだった。
前回ソータが整理した倉庫が、数日で元に戻りつつあることを分かっているのだろう。
先頭に立つ年嵩の女が頭をかいた。
「悪いな、ソータ。」
「いえ。」
「使いやすかったんだ。」
「本当ですか。」
「ああ。」
「なのに、どうしてこうなったんでしょう。」
ソータが素朴に聞くと、女たちは目を逸らした。
オルドアイも目を逸らした。
ミレイユは腕を組む。
「理由を確認しましょう。」
年嵩の女が言った。
「夜の見回りで矢羽根が足りなくなった。」
「はい。」
「奥から持ってきた。」
「それを戻さなかった?」
「戻す前に、別の者が薬草を取りに来た。」
「それで?」
「邪魔な箱を少し動かした。」
「少し?」
「少しだ。」
ミレイユは倉庫を見回した。
「かなり動いています。」
女は少し小さくなった。
別の女が言った。
「雨で外の皮を急いで入れたんだ。」
「それで通路に置いた?」
「乾かす場所がなかった。」
「乾燥用の場所が必要ですね。」
ミレイユは即座に言った。
ソータが頷く。
「湿った皮と薬草が近いのは良くないです。」
「薬草が湿気を吸うのね。」
「うん。」
オルドアイが腕を組む。
「なるほど。」
ミレイユはさらに聞く。
「よく使うものは何ですか。」
女たちは顔を見合わせた。
「矢羽根。」
「予備の弓弦。」
「干し肉。」
「傷薬。」
「縄。」
「獣皮。」
「塩。」
「火種。」
「骨針。」
次々に出る。
ミレイユは指で数えた。
「つまり、戦闘関連、食料、治療、修繕、生活用品が混ざっている。」
「そうだな。」
「それぞれ置き場を分けるだけではなく、使う場面ごとに小さな持ち出し箱を作った方がいいわ。」
ソータが目を明るくした。
「持ち出し箱、いいですね。」
「夜警用、狩り用、応急手当用、修繕用。」
「使ったら箱ごと戻す。」
「不足があれば、箱の札を裏返す。」
「補充待ちが分かる。」
「そう。」
ミレイユは倉庫担当の女たちを見る。
「一つ一つ探しに来るから混ざるのです。使う組み合わせが決まっているなら、最初から組んでおく。」
年嵩の女が感心したように頷いた。
「なるほどな。」
オルドアイも目を細めた。
「戦いの準備にも使える。」
「ええ。」
ミレイユは言った。
「むしろ、そのためです。」
オルドアイは緑の組み紐に触れた。
「お前、やはり商会で戦っているな。」
「今は倉庫で戦っています。」
「同じだ。」
ミレイユは少しだけ笑った。
ソータはその間に《神速積載庫》を使い、邪魔になっている荷を一時的に収め始めた。
まず通路を空ける。
次に重い箱を移動する。
干し肉と薬草を分ける。
湿った獣皮を外の乾燥場へ回す。
古い札を外し、新しい札を準備する。
動きは速い。
だが、今回は一人で黙々とやるだけではない。
「これはどこで使う?」
「狩りだ。」
「じゃあ狩り用。」
「こっちは?」
「怪我の手当て。」
「応急箱へ。」
「これは?」
「何だっけ。」
「分からないもの箱を作ろう。」
ソータが言うと、ミレイユがすぐに頷いた。
「不明品は不明品としてまとめる。適当にどこかへ入れるよりずっと良いわ。」
オルドアイが少し笑った。
「分からないものを分からないと言ってよいのか。」
「当然です。」
ミレイユは言った。
「分からないものを分かったふりで置くから、後で困るのです。」
ソータが小さく頷いた。
「それ、俺にも刺さる。」
ミレイユが横目で見る。
「分かっているならよろしい。」
オルドアイも笑った。
「ソータは、分からないのに分かった顔をする時がある。」
「あるわね。」
「二人で言わないで。」
ソータは少し肩を落とした。
倉庫担当の女たちが笑った。
空気が少し柔らかくなる。
◆◇◆
ソータが荷を動かし、倉庫の骨組みを整えている間、ミレイユとオルドアイは入口近くの木箱を机代わりにして、具体的な必要物資の話を始めた。
アルベールがいつの間にか用意した板と炭筆が置かれている。
ミレイユはそれを見て、少しだけ目を細めた。
「本当に、いつ準備したのかしら。」
アルベールは入口の少し外で微笑んだ。
「必要かと存じまして。」
「あなたは後で話があります。」
「承知しております。」
「逃げないで。」
「執事は逃げません。」
「ごまかすでしょう。」
「それは時と場合により。」
ミレイユはため息をついた。
オルドアイは楽しそうにそれを見ていた。
「お前の執事は便利だな。」
「便利という言葉では足りないわ。」
「怪しい。」
「ええ。」
アルベールは穏やかに礼をしただけだった。
ミレイユは板に項目を書き始めた。
「まず、砦の日常物資。」
「食料、塩、布、薬、弓弦、金具。」
オルドアイが即座に挙げる。
「金具はどの程度不足しているの?」
「矢尻、刃物の補修具、鍋の留め具、革鎧の留め金。」
「鍛冶は?」
「簡単な修理はできる。だが、良い金属は不足する。」
「では、金属小物と補修用具は優先ね。」
ミレイユは炭筆で書く。
「布は?」
「丈夫な布が欲しい。飾り布も欲しいが、まずは丈夫な方だ。」
「用途は?」
「雨避け、荷包み、衣服の補修、寝具。」
「色は?」
「戦い用なら目立たぬ色。祭り用なら赤や緑がよい。」
緑、と言った時、オルドアイは自分の腕の組み紐を見た。
ミレイユも気づいたが、何も言わなかった。
「薬は、リーナさんの軟膏が役立つはずです。」
ミレイユが言う。
ソータが遠くで荷を動かしながら振り返った。
「リーナの軟膏、持ってきてる。」
「ええ。後で試用分を出しましょう。」
オルドアイが尋ねる。
「リーナとは、父の形見を渡した娘か。」
「ええ。」
「薬師だったな。」
「そうです。」
「なら、砦の薬師にも見せたい。」
「ぜひ。」
ミレイユは頷いた。
「ただし、勝手に配合を変えないように。」
「砦の薬師は癖が強いぞ。」
「こちらのリーナさんも芯は強いわ。」
「そうか。」
オルドアイは少し笑った。
「いつか会わせるか。」
「そうしたいわね。」
言ってから、ミレイユは少し胸が痛んだ。
リーナ。
待つと決めた彼女。
父の墓参りを後に回した彼女。
いつか、この砦へ安全に来られる道を作らなければならない。
そのためにも、今の話し合いは重要だった。
「次に、保存容器。」
ミレイユは続ける。
「湿気対策が必要です。薬草、弓弦、塩、粉類、乾燥食材。」
「容器は欲しい。」
オルドアイがすぐに頷いた。
「木箱はあるが、湿気に負ける。」
「蓋の密閉が甘いのね。」
「そうだ。」
「なら、陶器の壺、油紙、樹脂加工した布、密閉できる小箱。」
「重くならないか。」
「ソータが運ぶなら問題は小さい。ただし、常用分は砦内で持ち運べる重さにする必要があります。」
オルドアイは感心したようにミレイユを見た。
「よく考えるな。」
「仕事です。」
「その顔、嫌いではない。」
「あなたに気に入られるためにしている顔ではありません。」
「分かっている。」
オルドアイは笑った。
緑の組み紐が腕で揺れる。
その色が、倉庫の薄暗さの中で妙に目に入った。
◆◇◆
倉庫の中では、ソータの整理がどんどん進んでいた。
《神速積載庫》は、こういう作業でこそ本領を発揮する。
重い箱をいったん消し、空いた場所を掃き、順番を考えて戻す。
壊れた箱は修理用に分け、使える箱は札を付け直す。
奥にしまうもの、手前に置くもの、吊るすもの、乾かすもの。
だが、ソータは前回と違い、一人で全部を決めなかった。
「これは手前でいい?」
「夜警が使うから手前。」
「これは?」
「月に一度くらい。」
「じゃあ奥。」
「重いものは下?」
「下。」
「でも、水が入った時に困るから床に直置きしない方がいい。」
倉庫担当の女が頷く。
「台を作るか。」
「はい。」
ソータは空箱を使い、仮の台を作った。
カレンが手伝いに入り、重い樽を軽々と持ち上げる。
「カレンさん、助かります。」
「動くには食う。」
「昨日たくさん食べてましたもんね。」
「だから動ける。」
カレンは淡々と答えた。
レオンも途中から手伝いに入った。
最初は軽口を叩いていたが、分類が始まると意外に細かく動いた。
「これ、狩り用っすか? それとも修繕用っすか?」
「何?」
「革紐っす。」
「両方だな。」
「じゃあ共用品箱っすね。」
エルザは矢羽根や弓弦の状態を見ていた。
「これは湿気を吸っています。」
「使えない?」
「急ぎなら使えますが、精度は落ちます。」
オルドアイが振り返る。
「分かるのか。」
「弓を使いますから。」
「なるほど。」
オルドアイはエルザを少し見直したようだった。
「後で射場も見ろ。」
「必要なら。」
エルザは静かに答えた。
ガルドは入り口近くで全体の動線を見ている。
彼は倉庫整理そのものには多く口を出さないが、戦闘時の出入りについて意見を出した。
「非常時に二人がすれ違える幅が必要だ。」
「ここは狭いですね。」
ソータが言う。
「この空樽を外へ。」
「はい。」
「武器関連は入口に近すぎても危ない。奪われる。」
ミレイユがそれを書き留める。
「防衛側が使いやすく、侵入者に使われにくい位置。」
「そうだ。」
オルドアイも頷いた。
「その視点はいるな。」
倉庫は少しずつ形を取り戻していった。
いや、前回よりも実用に近い形へ変わっていく。
前回は、ソータが整えた。
今回は、砦の者たちが一緒に整えている。
それが大きな違いだった。
◆◇◆
物資の話は、やがてフルムーンの荷へ移った。
ミレイユは板の上部に新しく線を引いた。
「次に、フルムーンの時に男たちの村へ持っていく荷物。」
オルドアイの表情が少し引き締まった。
恋の話でも、倉庫の笑い話でもない。
部族間の重要な行事に関わる荷だ。
「必要なものを教えて。」
ミレイユが言う。
オルドアイは腕を組み、すぐに答えた。
「まず、布。」
「用途は?」
「交換品。祭りの飾り。贈り物。」
「色は?」
「赤、緑、黄。男たちの村では青も喜ぶ。」
「赤はあなた方、青は男たちに好まれる?」
「青は水と夜の色だ。」
「なるほど。」
ミレイユは書き留める。
「次に塩。」
「量は?」
「多いほどよいが、持ちすぎると贈り物として重くなる。」
「ソータが運ぶので重さは問題になりにくいわ。ただし、見せ方が問題ね。」
「見せ方?」
「大きな袋を一つ渡すより、小分けにした方が配りやすい。村の長、家族、共同の保存用で分ける。」
オルドアイは目を細めた。
「それは良い。」
「塩の質は?」
「白いものが喜ばれる。」
「分かったわ。」
ミレイユは次々に書く。
「金属品は?」
「針、刃物、小さな留め具。」
「武器は?」
「直接の武器は慎重に扱う。」
「理由は?」
「贈る相手によって意味が変わる。友好にもなるが、挑発にもなる。」
「では、今回は生活用の刃物中心。」
「そうだ。」
ソータは荷を動かしながら、その会話を聞いていた。
ミレイユとオルドアイが、真剣に話している。
フルムーン。
男たちの村。
バルク。
交易。
自分が運ぶ荷の中身が、ただの品ではないことが分かる。
塩一袋にも意味がある。
布の色にも意味がある。
刃物の種類にも意味がある。
(俺が間違えて出したら大変だ。)
そう思い、ソータは作業の手を止めて言った。
「ミレイユ。」
「何?」
「フルムーン用の荷は、俺の中でも分けておく。」
「ええ。必ず。」
「ラベルも必要だね。」
「荷札を作りましょう。」
オルドアイが首を傾げる。
「ソータの中に入っているのに、荷札がいるのか。」
「いるわ。」
ミレイユは即答した。
「取り出す時、誰のための荷か分かるようにするため。」
ソータも頷いた。
「俺の頭だけで覚えると危ない。」
「そうね。」
「自分で言ったのに、少し悲しい。」
「悲しむより対策。」
「はい。」
オルドアイが笑った。
「ソータは、ミレイユに管理されているな。」
「管理ではなく、共同運用です。」
ミレイユが訂正する。
「そうなのか、ソータ。」
オルドアイが聞く。
ソータは少し考えた。
「管理されている部分もあるけど、助かってる。」
ミレイユの眉が動く。
「管理されていると思っているの?」
「えっと。」
ソータは紅い髪紐を見た。
それから緑の組み紐を見た。
「支えてもらっている、が正しいです。」
オルドアイが笑った。
「言い直した。」
「学習してるんだ。」
「良いことだ。」
ミレイユは少しだけ口元を緩めた。
「今の言い直しは合格。」
「よかった。」
ソータは心底安心したようだった。
◆◇◆
フルムーン用の荷は、項目が増えていった。
布。
塩。
針。
刃物。
保存容器。
薬。
香辛料。
油。
丈夫な縄。
小さな鏡。
装飾用の玉。
子ども向けの甘い干し果実。
ミレイユが甘い干し果実を書いた時、オルドアイは少し意外そうにした。
「子ども用か。」
「ええ。」
「男たちの村にも子どもはいる。」
「当然でしょう。」
「贈り物の中に子ども向けを入れるのか。」
「大人だけに渡すより、村全体の印象が良くなります。」
ミレイユは淡々と言った。
「それに、子どもが喜ぶ品は、家庭の中で話題になります。」
「商人の考えだな。」
「そうです。」
「だが、悪くない。」
オルドアイは少し考えた。
「男たちの村の子どもは、甘いものに弱い。」
「どこの子どももだいたいそうよ。」
「ソータも好きそうだ。」
ソータが遠くから振り返る。
「何が?」
「甘い干し果実。」
「好きだけど。」
ミレイユとオルドアイが同時に頷いた。
「やっぱり。」
「やはり。」
「何で二人で納得してるの?」
ソータが困った顔をする。
レオンが笑いながら箱を運んだ。
「ソータさん、もう二人にだいぶ読まれてるっす。」
「怖い。」
エルザが静かに言う。
「読まれるくらいでちょうどいいのでは。」
「エルザさんまで。」
倉庫担当の女たちも笑っていた。
砦の倉庫の中に、少し不思議な明るさが生まれていた。
ミレイユは板に最後の項目を書いた。
「バルクさん個人への確認品。」
ソータの手が止まった。
オルドアイも真面目な顔になる。
「何を持っていく。」
「まず、彼の契約に関する書面の写し。」
ミレイユが言う。
「彼が残る意思を正式に示すなら、後で処理が必要です。」
「戻ると言えば?」
「護衛契約の扱いも確認するわ。」
ソータは頷いた。
「バルクさん、どうしてるかな。」
「元気だ。」
オルドアイが言った。
「会ったの?」
「少し前に使いを通じて聞いた。」
「そうか。」
「ガルナといる。」
ソータは少し笑った。
「そっか。」
ガルドも静かに聞いていた。
バルクの名が出ると、彼の表情にもわずかに感情が動く。
ミレイユは続けた。
「彼個人への品として、保存食、酒、丈夫な衣服、手紙。」
「手紙?」
ソータが聞く。
「あなたたちから。」
「俺たちから?」
「ええ。」
ミレイユはソータを見た。
「いきなり会って問い詰めるだけではなく、これまでの仲間として言葉を渡した方がいい。」
ソータは少し黙った。
「書く。」
「ガルドさんたちにもお願いしましょう。」
ガルドは短く頷いた。
「分かった。」
レオンも言った。
「書くっす。文は下手っすけど。」
エルザが静かに続ける。
「私も。」
カレンは少し考えた。
「私は面識がない。」
「なら、護衛として同行している者からの挨拶でいいわ。」
「分かった。」
ミレイユは頷いた。
荷は、物だけではない。
リーナが言ったように、ソータは気持ちも運ぶ。
ならば、フルムーンの荷にも、バルクへの言葉を入れるべきだ。
ソータはミレイユを見た。
「ありがとう。」
「何が?」
「バルクさんへの手紙を考えてくれて。」
「必要だと思っただけよ。」
「それでも。」
「なら、きちんと書きなさい。」
「うん。」
オルドアイはそのやり取りを見ていた。
「お前たちは、本当に荷に心を入れるのだな。」
ミレイユは静かに答えた。
「入ってしまうのよ。」
「商会の荷にもか。」
「ええ。」
「重くなるな。」
「だから、運び方を考えるの。」
オルドアイは緑の組み紐に触れた。
「そうか。」
◆◇◆
昼前には、倉庫はかなり整っていた。
通路は空き、箱には新しい札が付けられた。
夜警用、狩り用、応急手当用、修繕用の持ち出し箱も試作された。
湿気に弱いものは高い棚へ移され、濡れた獣皮のための一時置き場も入口近くの風通しのよい場所に作られた。
不明品箱には、正体の分からない部品や古い石袋がまとめられている。
ソータは額の汗を拭いた。
「だいぶ良くなった。」
「今回は前より実用的ね。」
ミレイユが言う。
「みんなで決めたから。」
ソータは倉庫担当の女たちを見る。
「使いながら変えてください。」
年嵩の女が頷いた。
「ああ。今度は崩さないようにする。」
「崩れたら、原因を見て変えましょう。」
ミレイユが言った。
「守れなかったら罰、ではなく、守れない仕組みを直す。」
オルドアイが感心したように言った。
「怒るのではないのか。」
「必要なら怒ります。」
「怖い顔でか。」
「ええ。」
「それは見たい。」
「見せません。」
オルドアイは笑った。
ソータは整った倉庫を見て、少し嬉しくなった。
前回は、自分が整えて終わった。
今回は、ミレイユが仕組みを作り、オルドアイが砦の事情を出し、砦の女たちが使い方を決めた。
自分は運び、動かした。
だが、それだけではない。
皆の間をつないだ。
(これが、俺の仕事なのかもしれない。)
(運ぶだけじゃなくて。)
(物と人の間に道を作る。)
そう思った時、胸の中が少し軽くなった。
ミレイユがソータの顔を見た。
「今の顔は悪くないわね。」
「え?」
「少し、自分の仕事が分かった顔。」
ソータは驚いた。
「そんな顔してた?」
「していたわ。」
オルドアイも頷いた。
「していた。」
「二人で見るのやめて。」
「嫌よ。」
「嫌だ。」
二人の声が重なった。
ソータは苦笑した。
ミレイユとオルドアイは顔を見合わせる。
そして、少しだけ笑った。
紅い髪紐と、緑の組み紐。
二つの結び目が、倉庫の薄暗い光の中で揺れていた。
まだ何も決着していない。
恋も、交易も、フルムーンも、バルクの意思も。
だが、倉庫は整った。
必要な荷は見え始めた。
持っていくべきもの、渡すべきもの、確かめるべきことが少しずつ形になっている。
ミレイユは板に書いた項目を見て、静かに息を吐いた。
「次は、このリストをヤンガルドアイ様に確認していただきましょう。」
「母上なら、昼の後だな。」
オルドアイが言った。
「まだ酔っているの?」
「少し。」
「アルベールは?」
「たぶん平気な顔をしている。」
ミレイユは額に手を当てた。
「でしょうね。」
ソータが苦笑した。
倉庫の外では、砦の昼の音が始まっていた。
弓の弦を弾く音。
水を運ぶ声。
遠くで誰かが笑う声。
一行は、整った倉庫を背に外へ出た。
フルムーンへ向けた荷は、まだ積み終わっていない。
けれど、何を積むべきかは見え始めた。
そしてソータは、自分の《神速積載庫》の中に、物だけでなく、また一つ増えた約束の重さを感じていた。




